山のような荷物
2020年4月15日水曜日。
昼休み。
会社の休憩室でスマホをいじっていると、母から電話があった。
「大変よ! 柚香がコロナ陽性だったんだって!」
動転しまくる母。
俺は、「私はオーガニックを食べてるから大丈夫!」と、自信満々だった姉を思い出して、思わず遠い目をした。
まあ、そりゃそうだよな。
オーガニックでコロナが防げるなら、江戸時代に疫病が流行るはずないもんな。
あの時代に化学肥料とか農薬がある訳ないからな。
動揺で声が震える母を宥めつつ、俺は尋ねた。
「それで、姉さんはこれからどうするの? 亜里沙は陰性なんだろ?」
「柚香は無症状だから、今のところは自宅待機らしいわ。
亜里沙は、施設で一時的に預かってもらえる、って言われたらしいんだけど、柚香が実家に「預かってくれ」って頼んできてね」
5歳の姪・亜里沙は、かなり人見知りだ。
両親が病気な上に、知らない人に囲まれたら、1日中泣いて過ごしそうだ。
姉さんも、それが心配で施設に預けたくないんだろう。
しかし、姉の思考は俺の斜め上をいっていた。
「……柚香が言うのよ、「これまでずっと体に良い物だけ食べさせてきたのに、施設に入れたら添加物とか凄いから、体に蓄積しちゃう!」ってね」
俺は、思わずポカンと口を開けた。
……へ? 添加物?
「柚香も、完全オーガニックを目指して一生懸命がんばってたから、きっと悔しいんでしょうねえ」
俺は混乱した。
……今って、夫婦2人が感染して、子供1人が残される状態だよな?
この状況で、どうして「オーガニック」が出て来るんだ??
そんな俺の心などつゆ知らず、母が高らかに宣言した。
「だからね、お母さん、お父さんと相談して、亜里沙ちゃんを引き受けることにしたの!」
……駄目だ。
俺の理解の範囲を超え過ぎていて、姉と母のロジックが1ミリも理解できない。
これは、真面目に考えたらアカンやつだ。
流せ、流すんだ、俺。
俺は、軽く深呼吸して気持ちを整えてから、ゆっくり口を開いた。
「話は大体分かったよ。とりあえず、姉さんにはお大事にって伝えて。症状がなくて自宅待機とはいえ、油断できないんだろ?」
「そうね……。伝えておくわ」
「あと、何か手伝えることがあったら、遠慮なく言ってよ。俺も手伝うからさ」
言ってることは意味不明だが、一応家族だ。
こんな時くらい助け合わねば。
母は、少し安堵したような声で言った。
「ありがとう。……悪かったわね、勤務中に電話して」
「いや、いいよ。たまに、そっちの状況をLINEで教えてよ」
「分かったわ。じゃあ、またね、優真」
「うん。また」
電話を切った後、俺は盛大に溜息をついた。
姉は悪い人ではないのだが、何かにのめり込むと周囲が見えなくなるのだ。
そして、判断基準がおかしくなる。
今回も、コロナにかかった良一さんや亜里沙ちゃんより、「オーガニックを続けられない」ことの方が心配らしい。
……ホント、良一さん、よく耐えてるよな。
自分よりオーガニックの心配なんてされたら、俺なら絶対に切れてる。
惚れた弱みってやつか?
てか、姉のどこに惚れる要素があるんだ?
やっぱり顔か? 顔なのか?
(*姉は、ミス大学に選ばれたことのある容姿の持ち主)
と、その時。
キーンコーンカーンコーン
昼休憩の終わりを告げるチャイムが鳴った。
やべ! 次会議だ!
俺は、急いでスマホをしまうと、小走りでオフィスに戻った。
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そして、その日の夜。
母から、
「山のような荷物と共に亜里沙ちゃんが来ました。思ったより落ち着いているので大丈夫そうです」
と、いうLINEが来た。
“ 山のような荷物 “
と、いうところに、嫌な予感を覚えたが、「まあ、亜里沙も5歳とはいえ女の子だし、荷物が多いんだろ」と、自分を納得させた。
そして、この日から2日後。
軽い症状が出たため、姉は入院した。
ちなみに、家族の誰もアレルギーや疾患を持っている訳ではありません。
オーガニックにしているのは、あくまで姉の拘りです。(ここ重要!)