関係の変化
5月4日月曜日、みどりの日。
熊本に住んでいる良一さんのお母さん(姉の姑。以降、おばさん)が来た翌日。
俺は、久々にホッとできる時間を過ごしていた。
朝起きたら朝食が作ってあって、既に洗濯機が回っている。
俺が掃除機をかけている間、おばさんが洗濯物を干してくれる。
俺が買い物に行っている間、おばさんが亜里沙の面倒を見てくれる。
2人で分担するから家事にかける時間も減るし、買い物も1人でさっと行ける。
亜里沙もかまってもらえる時間が増えて機嫌が良い。
なんかもう、いい事尽くめだ。
家事のできる大人が1人増えただけで、こんなに楽になるとは思わなかった。
しかも、おばさんは派手な外見からは想像できないほど気配り上手で、寝不足の俺を気遣って、昼寝まで勧めてくれた。
60代のヒョウ柄のスモックを着たおばさんが、天使に見える。
しゃべり始めると止まらない、という欠点はあるが、そんなものは些末なことに思える。
昼食は、おばさんが作ってくれた日本の国民食である焼きそば。
姉が嫌いそうな化学調味料入りの食事だが、ありがたく食べる。
夕飯はカレーとコンソメスープ。
これまた姉の嫌いそうなメニューだが、これもまた美味しく食べる。
そして、夕食後。
おばさんが別室で亜里沙を寝かしつけ、俺が夕食の片づけをしている時、事件は起こった。
めちゃめちゃ不機嫌な姉から電話があったのだ。
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もうほとんど良くなったらしい姉は、開口一番、不機嫌そうに尋ねた。
「もしもし、あんた今どこにいるの?」
「姉さんの家だよ」
「そう。亜里沙は?」
「熊本のおばあちゃんが、寝かしつけてる」
姉は、盛大に溜息をつくと、イライラした口調で言った。
「ふうん。じゃあ、あの人、本当にうちに泊まっているのね」
昨日、結局、姉は電話に出なかった。
そのため、うちの母とおばさんが相談して、おばさんが姉の家に泊まって、俺のサポートをしてくれることになったのだ。
俺と亜里沙にとってはありがたい話だったのだが、姉にとってはそうでもなかったらしく、彼女は軽く舌打ちすると、低い声で言った。
「あのさ、優真。あんた、なんであの人を家に入れたわけ?」
「……え?」
質問の意味が分からず首を傾げる俺に、姉は怒鳴りつけるように言った。
「あんたが家に入れなかったら、こんなことにならなかったじゃない! しかも、こっちの事情までペラペラ説明して。本当に余計なことしてくれたわね!」
……何言ってるんだ? この人?
姉さんが、ちゃんと熊本に連絡しないから、こんなことになったんだろうが。
そもそも、治ってるんなら、昨日無視しないで電話に出れば良かったじゃないか。
俺は、半ば呆れ気味に言った。
「あのさ、姉さん。相手は良一さんのお母さんだろ? 心配して息子の家の前に来てる母親を、事情も話さず追い返せ、って言うのかよ?」
「……」
「それに、熊本のおばあちゃんは、俺と亜里沙が大変そうだと思って、泊まることにしてくれたんだ。お陰で俺もゆっくり休めたし、亜里沙も喜んでた。感謝こそしても、文句を言う筋合いはないだろ」
すると、姉はチッと舌打ちすると、忌々しそうに言った。
「あんたは何にも分かってないのよ。あの人は、駄目な人なのよ! 化学調味料入りの料理しか作んないのよ!」
「……は?」
「農薬だって気にしないし、歯に悪いお菓子ばっかり用意するし、意識が低すぎるのよ! あんたもそうだけど、農薬とか添加物とか砂糖とか、止めて欲しいのよね!」
……すごいな、この人。
この期に及んで、まだオーガニックに拘るんだ
「あのさ。そもそも姉さんが、熊本のおばあさんからの電話にちゃんと出てたら、こんなことにはならなかったんじゃないの? 姉さんが無視してたから、心配になって、わざわざこっちに来たんだろ」
「……」
「それにさ、俺が亜里沙の面倒を見る条件は、「オーガニックに拘らない」だったよな? 何で毎回電話の度に “ オーガニックやってない“ って文句言われないといけないんだよ。約束が違い過ぎるだろ」
「……それとこれとは話が別よ!」
いきりたつ姉に、心底呆れたからか。
溜まりに溜まった物が溢れ出たのか。
俺は前々から思っていたことを、ぶちまけた。
「姉さん、もう、オーガニック止めた方がいいよ」
「なっ!」
「自分の子供の面倒を見てくれてる弟に対して、お礼じゃなくて、「オーガニックが足りない」って文句しか言わないのは、人としておかしいだろ」
相手は病み上がりだし、これ以上言うのは止めよう、と、頭では思うのだが、何故か口は止まらない。
「大体さ、空気読んで健気に頑張ってる亜里沙に、姉さん何て声かけた? 「パン食べちゃダメよ」とか「あんた、変な色の飴とか食べてないでしょうね?」とか、そんなことしか言ってないだろ。少しは褒めてやれよ」
「……」
「お姑さんだってさ、心配して来てくれたんだろ。しかも、俺と亜里沙の様子が心配だから、って、わざわざ泊まって面倒を見てくれてる。
その人に向かって、” オーガニックじゃないから駄目な人だ “ って、よく言えるよな。
姉さんこそ人として駄目だろ」
そして、俺は、電話口で切れて叫び始めた姉に、
「もう姉さんのオーガニックに付き合う気はないから、そのつもりで。今後のことは母さんを通して連絡してきて」
と、電話を切ると、ソファの背もたれにもたれかかった。
ほんの5分程度の電話だったのに、3時間くらい話していたような疲労を感じる.
でも、心の中は爽やかだ。
はあ。
言いたいことを言ってしまった。
ちょっと言い過ぎたかな……。
でも、スッキリしたし、まあ、いいか。
―――その後。
俺は、先に退院した良一さんと入れ替わるように自宅に戻った。
そして、その3日後。姉が退院するのと入れ替わるように、おばさんは熊本に帰った。
次回、最終回です。