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 事件が起こったのは中学二年生になったときだった。その日、私はいらだっていた。

 今までにももちろん機嫌のよくない日はあったけれど、最近成績が伸び悩んでいること、おばあちゃんがボケ始めたことも合わせて、その日のいら立ちはこれまでで最もひどかった。

 呼び鈴を鳴らして、マチコちゃんがやってきた。ちょうど宿題をやっている途中だったから居留守を使ってごまかそうかと思ったが、おばあちゃんがドアを開けてしまった。

 「キミちゃん!あーそーぼ!」

 ぴょんぴょんと跳ねながらやってくるマチコちゃんに、私は思わず怒鳴ってしまった。

 「うるさい!」

 マチコちゃんがはっとした表情になって立ち止まる。

 「これ、なんてことを言うの。ちょっとだけ一緒に遊べばいいじゃないの。」

 大好きなおばあちゃんだったけれど、その時は許せなかった。

 「今宿題やってるの、忙しいの!

大体いつもマチコちゃんは忙しい時にやってきて、迷惑かもしれないとか思ったことは無いの!?」

 びっくりするような大きな声が出て、一瞬あの音楽さえも止んだ。マチコちゃんが泣きそうな顔になる。おばあちゃんがおろおろと私たちを見ている。

 「…ごめん」

 「分かったんだったら早く出てってよ。」

 「…私、すぐに大きくなるから。大きくなったら、キミちゃんの宿題、手伝ってあげるね。もう、すぐに大きくなるから…ごめんね。」

 マチコちゃんがずっと鼻水をすすりながら謝る。けれど、私のイライラは収まらなかった。もう全部ぶつけてしまえよ、と悪魔の声が確かにした。

 「ふざけないでよ。あんた、いつになったら大きくなるの!?そう言い続けて、もう何年になるって思ってるの?早く大きくなりなさいよ、今すぐ大きくなりなさいよ!ほら!」

 感情に任せて矢継ぎ早に言葉を繰り出した。遠慮がちに再開していたあの音楽がまた止まる。白黒写真が静寂に満たされる。私の中で沸騰する怒りの声が世界を支配していた。

 「…大きくなるもん。私、大きくなるもん…」

 「いつよ!マチコちゃんの嘘つき!」

 「もうすぐだよ、もうすぐだってば…もうすぐ…」

 そう言うと、マチコちゃんの目から堰を切ったように涙があふれ出した。澄んだ目がみるみるうちに充血する。「もうすぐ…もうすぐだから…」とうわごとのように繰り返す泣き声を聞いて、何やってんだ私、と突然我に返った。でも素直に謝ることなんてできなかった。中学生だった。

 「…もういい。」

 マチコちゃんとおばあちゃんを部屋から追い出し、私は部屋の鍵を閉めた。

 私ったら何をしてるんだ…大嫌いだ…

 宿題の途中だったことも忘れて、一人で声を押し殺して泣いた。口を開けばさっきのマチコちゃんよりずっと子供じみた嗚咽が飛び出してきそうだった。声の代わりに体を震わせて、形にできない感情をぎりぎりで抑え込んで泣いた。もう嫌だ。マチコちゃん、本当にごめんね。

 それ以来、マチコちゃんはあまり私の部屋に遊びに来なくなった。白黒写真の住人たちもどことなくよそよそしく、気を使っているようだった。初めのうちは自分ってなんてやつなんだと思っていたけれど、少しずつ周りが腹立たしく思えてきた。ここは頭がおかしいのだ。ここの住人は誰もかれも、まるで年を取らない。マチコちゃんが特に異常だったけれど、画家のおじいさん、未亡人さん、土木作業員のおじさんは何年も同じ調子で進歩も後退もしようとしないし、ピエロのお兄さんは芸がうまくなるばかりでいつまでも30代くらいな見た目。探偵二人はすこし年を取ったり変わったところもあったけれど、やはり私より他の住人に近かった。最近では、段々おばあちゃんも住人に近づいて行っている。それが恐ろしく、腹立たしかった。自分もいつかこの音楽の中に閉じ込められて、永遠の怠惰な夢、白黒写真の住人になってしまうのが怖かった。中三になってからはよりそれが顕著になってきた。

 好きだったサーカスみたいな漂う音楽が聞こえてこないように、ヘッドフォンを付けて勉強をするようになった。あの音楽が多分原因なんだろうと私は私なりにいろいろ考えていたのだ。

 今から考えてみれば、年を取れば十年も二十年も大して変わらないのはわりと当たり前のことだ。そりゃあマチコちゃんは異常だったけど、それ以外のことは偶然ということで簡単に片づけられる。でも当時の私はあの中に囚われるかもしれないとひどく恐れていたのだ。

 だから、先生に全寮制の高校を勧められたときは大喜びで飛びついた。私の学力なら問題なく入れる。さらに奨学金も出せそうだ、ということで私はおばあちゃんに軽く相談をしただけであっという間にそこに入ることを決めてしまった。

 おばあちゃんはさみしそうにしていて少し心が痛んだけれど、明るい未来を前にそんなこと考えていられなかった。とにかく嬉しかった。新しい世界が見たかった。

 冬の嵐の中、私は高校の入学試験を受けた。

 勉強の成果あって、さほど苦しまずに解くことができた。自己採点の結果も合格安全。私はほっとして、その日は本当に久しぶりに早く眠った。

 冬が過ぎて、合格が発表される日になった。おばあちゃんと一緒に会場に行く。絶対に大丈夫だという気持ちと、こういう時は大抵ダメなんだという気持ちがまじりあって、心臓がばくばく鳴った。指が震える。上から受験番号を確かめていく。最初から数えて20番目に、私の受験番号があった。

 「…おばあちゃん、あったよ。」

 「そうかい、よかった、よかった…」

 ほっとして、私は思わずおばあちゃんに抱き着いた。今までの努力が報われた。これでやっとあの気味の悪い音楽とおさらばだ、と心の底から安心した。周りでは試験会場で見かけたような気がする人たちが泣いたり笑ったりしている。ここにいる人たち一人ひとりにも人生があるんだろうな、と思うとなぜか涙が出てきた。

 その夜、合格おめでとうパーティが私たちの部屋で開かれた。

 つい九年前の誕生日パーティーと同じように、おばあちゃんのお手製ケーキをみんなで囲む。私たちは久しぶりに和やかな時間を過ごしたが、ふいにマチコちゃんが言った、

 「キミちゃん、いなくなっちゃうの?」

という言葉で会場はしんとした。あのサーカスみたいな音楽も空気を読んだように止む。

 「…大丈夫だよ。マチコちゃん。またきっと、いつか帰ってくるから。」

 「ほんとう?本当に?」

 「うん。…たぶんね。」

 私は本当はもうここに帰ってくるつもりはなかった。もちろん夏休みとかくらいは帰ってきておばあちゃんに会いたいけれど、恐らくここで今までのように暮らす、ということはないだろうなと思っていた。

 「キミちゃんもそう言ってることだし、マチコちゃん、心配することは無いよ。」

 「そうよ。キミちゃんはいなくなるわけじゃないわ。ただちょっと長くお出かけするだけよ。」

 ピエロのお兄さん、未亡人さんの言葉で、なんとなく雰囲気が元に戻っていく。音楽もまた最初から始まった。

 「絶対に、帰ってきてね。約束だよ。毎年、一回は帰ってきてね。きっと大きくなってるから。私、きっと大きくなってるよ。」

 マチコちゃんが念を押す。もちろんそのつもりだよ、と答えて微笑んだ。


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