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白黒写真での日々は続く。桜の花が散って、町が鮮やかな緑色になったころ、段々ここの住人のことが分かってきた。
白黒写真には私たちみたいなへんてこででもうつくしい人たちが住んでいた。はじめに、硝煙の香りをまとった、探偵とその助手の二人組。彼らは優しくしてくれた。よくあちこちに騒がしく出かけては、事件を解決しているらしかった。つぎに、おばあちゃんと同い年くらいの老婦人。彼女はいわゆる「未亡人」という人らしく、この人も私を可愛がってくれた。おばあちゃんとも仲が良かったみたいで、よく二人の部屋を行き来してお茶会をした。つぎには、ふっくら太った一人暮らしのお兄さん。サーカスでピエロをやっているらしく、私に不思議なマジックや面白い芸をよく見せてくれた。私はこのお兄さんがとても好きだった。仕事がないときには共同で育てている花壇のところで芸の練習をしていて、それを見るのが好きだったのだ。ほかにも、ちょっと怖い土木工事のおじさんや、よくわかんないけどきれいな絵を描く画家のおじいさんが住んでいた。
そして、最後に忘れてはいけないあの子。私と同い年なのに、三毛猫のミケと二人(?)暮らしの、マチコちゃんという子だ。足まで届くゆるいウエーブの髪に、真珠の輝きを放つぷるぷるの唇と大きな瞳をもった、いっとううつくしい私の友達だ。マチコちゃんは最上階の一番大きな部屋に住んでいた。つい昨日まで家族で暮らしていたような家具が置いてある部屋に猫と二人だけで座っているときの彼女は、うつくしく悲しげだった。家族というものについてよく分からない私にも、何かあったのだろうなと思わせる横顔だった。でも、マチコちゃんはけして暗い子供ではなかった。むしろその逆。とても明るくて、いつも私を引っ張っていってくれた。
私たちは引っ越してきてすぐに仲良くなった。毎日のように互いの家を行き来しては、絵本を読んだり、お人形さんで遊んだり、おめかしをしてお姫様ごっこをしたりした。
あと、住人と言うわけではないが、もう一つ不思議なことがあった。まるでBGMのように、白黒写真には音楽が流れていたのだ。いや、漂っていたというほうが正しいか。明確に聞こえているというわけではなくなんとなく聞こえるような、そんな感じだった。
その音楽は、初めはオルゴールのような静かな音色だ。しかしそれが長くは続かない。あるときぽんっと弾けて、サーカスがやってきたような手拍子とオルガン、ラッパの音がびっくり箱を開けた時のように飛び出してくる。その音楽を聞きながら、私たちは踊ったり、鬼ごっこをしたり、飛んだり跳ねたり回ったりしていた。雨の日に私の部屋で永遠に続く夢みたいなここちで人形遊びをしているときには、歌のようなものが聞こえるときもあった。機械的で、でも優しいような声だった。私はその声が大好きだった。
マチコちゃんにもこの音楽は聞こえているらしかった。細かいところは違っていたけれど、大体同じ。ピエロのお兄さんや未亡人さんも聞こえると言っていたから、本当に不思議なことだけど音楽が漂っていたのだろう。
マチコちゃんと私は本当に良い友達だった。けんかをしたことはあまりない。私の部屋でマチコちゃんと遊ぶとき、私たちは童話の中のお姫様そのものだった。おばあちゃんのお手製マドレーヌを食べながら、絵本を二人で読んで、何度も同じ展開にはらはらしたり、笑ったり、ときにはそっと涙したり。互いの髪をすきあうときもあった。マチコちゃんのようなきれいな長い髪が欲しくって、私は白黒写真に来てから髪を伸ばすようになった。髪をすく時間は、儀式みたいに厳かで、そこには一種の神聖さがあった。お姫様だけではなく女の子にとって命の次に大事な、長く長くきれいな髪。それを触らせて、すかせてあげるというのは彼女と私が友達であるということの証だった。
小学校に入るまでの一年間、私は幼稚園などには行かずにマチコちゃんとおばあちゃん、そして白黒写真の人たちと日々を過ごした。うるさいことを言ってくる親戚はいなかったから、私たちは誰にも邪魔されずに白黒写真に染み付いた無限の夢をさまよった。
夏が過ぎて、秋も終わって、雪が積もったある日、私は6歳になった。
おばあちゃんがケーキを作ってくれて、白黒写真の仲の良い人たちが私のために集まってくれた。暗い部屋の中で、六本のろうそくの火をふっと消したときのあの嬉しさはたぶんもう感じられないだろう。
「来年からは、キミちゃんも小学生だねえ。ランドセルは何色にする?」
私は元気よく、赤と答えた。童話に出てくる主人公のランドセルの色が赤色で、だから赤色にしようと思っていたのだ。
にこにこと笑う私たち。今日も漂っているあの音楽。すべてが怠惰なしあわせの中に閉じ込められたようで、私はきっとずっとこんなふうに生きていくのだろうと思っていた。