世界が変わった日 ~ ギッシュ 十歳 ~
活動報告に載せていた小噺を、再編集して載せています。
まずい、遅れた……
すでに明け二つ半の鐘の音が鳴ってだいぶ経つ。
完全に遅刻だ……
いいかげん走る足をゆるめたいが、そんなことしたらもっと遅れちまう。
ジロリとこちらを睨むミンディの顔が頭に浮かぶ。
まったく……あいつと来たらすぐに怒る短気ババアだからな。まるでかぁちゃんみたいに説教付きで怒りやがるからめんどくさいんだよな。ホント、俺にガミガミ言ってくるかぁちゃんそっくりでさ、あんなめんどうなかぁちゃん、二人も要らねぇっつーの!
あ~、疲れたよ。マジ疲れた!走るのやめてぇ……
だけどここでやめたら、ミンディに「情けない男ね」て、人を見下したあの視線を向けられそーだし、つーか、絶対に向けてくるに決まってるし。あのミンディだからな。
まったく、ホント嫌なやつだぜ。
俺は挫けそうになる足と心に活を入れて、目的地に向かってひたすら走り続けた。
目的地は国境町の北の外れ、ベルツリンク山脈の麓の山。今日ここで、みんなで狩りをする予定。集合は明け二つ半の鐘が鳴ってすぐ。町からは鐘の音半分ぐらいで到着する場所だけど、鐘の音半分もずっと走り続けたら、いくら男で体力がある俺でも限界が来ちまうよ。
やっと山の中に入り、木々が生い茂る中をさらに走って、集合場所の草地へと向かう。
沢山の木が生い茂るこの山の中に、真ん中にバーモンの木があるだけで周りに草地が広がるちょっとした開けた場所がある。そこが俺達の集合場所。
眼の前の大きな、俺の背の高さぐらいの茂みをかけ分けて走り込んだ先は、目的の集合場所。真ん中の大きなバーモンの木の側にはミンディが立っていて、俺はそこへと向かって最後の駆け込みをする。
やっと着いたぁ~~~~
達成感と安心感で、俺は膝から崩れ落ちるように草地に寝っ転がった。心臓がバクバクと激しく打ちまくって、頭の中も真っ白になって、何も考えられねぇ。
もー走れねぇ。もー走らねぇ。
眼の上に腕を起き、荒く呼吸をする俺の耳に、ミンディの嫌味な声が聴こえてきた。
「ずいぶんと早い到着ね。あまりの早さに、そこら辺に生えてる草になるかと思ったわ。ホント、ギッシュは心優しいわね。私達に『森林浴』させて癒やさせてくれようとするなんて、ホントにその優しさに感謝だわ。ありがと」
最近知ったらしい新しい言葉を使って、ミンディは意地悪く言う。その嫌味な物言いにカチンときたから言い返そうとしたんだけど、まだ心臓も肺もいつも通りに戻ってねぇから、口から言葉を出すことができねぇ。出るのは荒い息だけ。
「あら?まだ呼吸が整わないの?ドグゼみたいに走り回ることしか脳がないくせに、走り回ることもろくにできないなんて、ドグゼ以下ね」
「……テメェ……」
眼の上の腕をどけて、俺の横で腕を組んで見下ろしながら立つミンディを下から睨みつける。だいぶ呼吸がマシになってきたからやっと言葉を口にできる。
言いたい放題、言いやがって、この毒ババアが!
睨みつける俺を更に上から睨みつけながら、ミンディは俺からの喧嘩をしっかりと買う。
「なによ。あんたがなにか言える立場だと思ってる?!私達を散々待たせといて。どうせ遅れてきた理由なんて『二度寝しちゃいました』とか、そんなことでしょ?」
「……うるせぇ…」
「当たってるから、それぐらいしか返せないんでしょ」
……うるせぇ……当たってねぇよ。二度寝じゃねぇ。ちょっとうたた寝しただけだ!
「どうせ昨日の夜、どーでも良いことで夜更かししたせいでしょーよ」
「違う!」
どーでも良い理由じゃねぇ!ちゃんとした理由があんだよ!
体を起こして立ち上がって睨む眼を更に鋭くする俺に、ミンディも俺を睨む眼を更に鋭くする。
「へぇ、どう違うのか説明してちょうだいよ」
「お前には関係ねぇだろ!?俺がどんな理由で夜更かししてよーと俺の勝手だろーが!お前には関係ねぇだろ!」
「関係あるに決まってるでしょ?!その夜更かしのせいで、今日遅刻したんじゃない。それで私達を待たせたんじゃない!」
「それは謝っただろ!?」
「謝ってないわよ!」
謝ってねぇだと?謝っただろ?着いた時すぐに「遅れてごめん」て……
俺は自分のここに着いた時の行動を憶い返す。
茂みをかき分けて、ここに走り込んで、ミンディの姿を確認すると同時に俺は謝って、そんで倒れ込んで……あれ?俺、口を開いたっけ?息が苦しくて、言葉を口にすることもつらかったよーな……俺、謝ってねぇ?……俺、謝ってねぇな。
自分の間違いに気がついたけど、睨みつけて怒鳴ってくるミンディが生意気で謝る気が起きねぇ。
「……うるせぇな、もうどーでもいいだろ、そんなこと…」
ぷいっとミンディから視線を外して発した俺の言葉に、ミンディは噛み付いてくる。
「どうでも良くないわよ!謝ってもないくせに謝ったとか言って――」
「あ~!もううるせぇな!『ご・め・ん・な・さ・い』!これでいいんだろ!」
「なによそれ!全然反省の色が見えないじゃない!遅刻したくせに!」
『反省の色』とか、なんか小難しい表現使ってんじゃねぇよ!
「謝ったんだからいいじゃねぇか!」
「全然良くないわよ。謝られてる感じが全然しないわよ!ちゃんと謝ってよ!」
「謝った!」
「謝ってない!」
「うるせぇ!」
「なによ!文句は私よりも背が高くなってから言ったら?!」
「なんだと!?」
人が一番気にしてることを!
激しく睨みつける俺に、ミンディは「なによ!」とおんなじように睨みつけてくる。
女のくせにミンディは全然折れなくて、でも俺だって折れてたまるか!
お互いの鼻と鼻がぶつかるんじゃねぇかってゆーほど顔を近づけて睨み合ってる俺達の横に、ボトボトボトとなにかが上から降ってきた。同時に気が抜けるほど間抜けな声も降ってくる。
「ねぇねぇ、上にパーモンの実が山ほど実ってたよ!」
落ちてきた物へと眼を向けると、そこにはいくつかのパーモンの実。上を見上げると、木の上には枝に乗ってるレミーがいた。
「すっごく美味しそうだよ!」
にまにまと嬉しそうに笑いながら、レミーは木を降りてくる。上手に枝から枝へと伝わって降りてくるその姿はまさにキンモそっくり。
なんだっけ、この間ミンディが言ってた言葉……えっと……そうだ!『敏捷性』だ!ソレがレミーは人よりあるみてぇだが、こいつときたらスカートをひらつかせながら、枝を登ったり降りたりするもんだから、危なっかしくていつもハラハラさせらてる。
後もう少し――てところで、レミーは楽して枝から飛び降りやがった。
「危ない!」
「危ねぇ!」
思わずミンディと声を揃えて叫んだ俺達の前に、レミーは見事に着地を決めると、にんまりと笑ってみせる。
「ねぇ!パーモンの実、食べよーよ!」
心配してる俺に無邪気に微笑んでくるレミーがなんかムカつく。
「バカか、お前は!怪我したらどーするんだ!」
「そうよ、レミー、あなたは女の子なんだから、傷でも残ったらどーするの!」
こんな時の俺とミンディは気が合う。二人に注意されたレミーは落ち込んだように下を向く。
「……なんか二人ともととさんみたい…」
うえぇっ!やめてくれよ。あんな親バカと一緒にするな。
「ごめんなさい。気をつける」
ちゃんと素直に反省するのはレミーの良いところだ。悪いと思うとすぐに謝ってくるところも。
ミンディも少しはレミーを見習えばいいんだ。
「……二人ともパーモンの実、食べない?」
上目遣いで「反省したからもう良いよね?」と、チラチラと地面に落ちてるパーモンの実を見るレミーにすっかり毒気を抜かれて、俺は思わず笑っちまった。
食欲旺盛なところもレミーの良いところだよな。
「解ったよ。食おうぜ」
「そうね、レミー、一緒に食べましょ」
「やった!」
むふふふと笑うレミーと一緒に、俺もミンディもパーモンの実を手に取ると、その場に座り込んで、みんなで食べ始めた。
食い終わったら、早速アレを見に行かねぇとな。
俺は頭の中で今日の計画を整理する。
今日の目的であり予定は『ラビルの足を手に入れること』
なんでラビルの足を手に入れたいかっつーと、それは幸運を掴むアイテムだから。
『ラビルのその早い足で敵から逃げるように厄災から逃れれる』とか『素早い幸運の精霊リスピットに追いついて恩恵を授けられる』とか、色々と言われてる幸運アイテム。
それを手に入れるのが、今日の目的。
肉を卸してる猟人や肉を請け負ってる商人とかに頼めば、ラビルの足ぐらい分けてもらえれる。
でも、それじゃダメなんだ。自分で獲ってこその幸運アイテムなんだから。
それに、俺のとぉちゃんのまたそのとぉちゃんのまたまたそのとぉちゃんの、ずっとずっと昔のとぉちゃんの代から、ラビルの足は自分で獲ってきてる。
一人前の男になるにはぜってぇ通らなくちゃならねぇ道なんだ。
まぁ、そーして獲ったラビルの足は、意中の相手に渡したりするらしいんだけど、俺にはそんな相手はいねぇ。だって、周りにいる女なんかみんなガキかブサイクなやつばっかりだから。
ミンディやレミーだってそうだ。
レミーはこれといって抜き出るところがねぇ普通の顔立ちの普通のやつだし、それよりなにより、俺より二つも下のガキだし。
ミンディは顔立ちこそ悪くねぇが、なんといっても性格がわりぃ。キツいし嫌みだし説教くせぇし、ホントやなやつだ。
だから、二人とも問題外。まぁ、女なんか俺にはどーでも良いもんだけどな。
それに今回はアレだ。『くくり罠』とかいう新しい狩猟方法だ。アレが気になってしょうがねぇ。
教えてくれたのはレミーだ。レミーは容姿こそ平凡だが、大人でも読めねぇ本を読んだりできるし、沢山読んでる。その沢山の本の中に今迄なかった新しい狩猟方法があったって教えてくれた。それが『くくり罠』だ。
しなりが強く曲げても簡単に折れねぇバブンの木を使って、紐で獲物の足を絡め取って、上へと跳ね上げる――斬新でいて簡単な仕掛け罠だ。
今迄ラビルを獲るには弓で射るしかなかったから、俺達子供にとったらすっげぇ難しい猟だったんだけど、今回教えてもらったやり方だったら、仕掛けを作って一晩おけば勝手に獲物が狩れる最高の罠だ。
罠の仕組みも簡単だし、俺達子供にだって作れちゃうよーなもんだし、これが成功すれば、猟は格段に楽になる。小さな獲物はこれで獲ることができれば、猟人のとぉちゃんも助かるし、俺達の家だって助かるって訳だ。
だから、俺はどうなってるのか、効果がどんなものか、気になってしょうがなかったんだ。色々考えたらワクワク、ドキドキ、ウキウキして、楽しくて嬉しくてしょうがなくて、中々寝付くことができなかった。
そうさ、俺はミンディのゆーよーなどーでも良い理由で夜更かしした訳じゃねぇんだ。ちゃんとした理由があって寝付けれなかっただけなんだ。
バーモンの実を食い終わった俺達は、早速仕掛けた『くくり罠』を見に行くことにした。
まずは一番最初の罠から確認だ。
ドキドキしながら最初の罠の場所に到着した俺は――正直がっかりした。
しなり曲がっていた木が伸び上がって元に戻ってたから、罠はちゃんと作動したみたいだけど、木の先端からぶら下がった紐にはなにも付いていなかった。近づいて紐の先端を確認してみると噛み切られた後があった。
クソッ、ラビルは無駄に体が柔らかくて腹筋とかもあるから、逆さ吊りになっても体を捻り上げて、足を絡め取ってる紐を噛み切りやがったな。この分だと他の罠もおんなじように噛み切られて逃げられてるかもしれねぇな。クソッ、俺の睡眠返してくれよな!
歯噛みしながら二つ目の罠へと向かった。
二つ目の罠を見た瞬間――
「やった!」
「いた!」
「すごいわ!」
俺、レミー、ミンディ、みんな一緒に叫んだ。
バブンの木には罠の紐に足を絡め取られたラビルが逆さ吊りになっていた。一晩吊るされていたせいか、俺が近づいてもラビルは暴れることなく、俺はなんなく捕まえることができた。
とりあえず、首をねじって絶命させて、俺は腰に付けていたナイフを取り出すとラビルの足をちょん斬った。ラビルの足は胴体と違って、斬っても血が出ねぇ。斬ったラビルの足を横に置いて、体は持ってきたジュド袋に入れる。
最初の獲物は、やっぱりお礼を兼ねてレミーの物だろ。俺はラビルの足をレミーへと差し出した。
「ほら、お前にやるよ」
「え?いいの?」
「あぁ、この罠を教えてくれたのはお前だから」
「ホント、ありがと」
レミーはにっこりと笑うと、俺の手からラビルの足を受け取った。
さてと、次は三つ目の罠だな。
みんなで向かった三つ目の罠。その罠にもラビルが逆さ吊りになってて獲ることができていた。
簡単にラビルを狩ることができている。これはいいぞ。とぉちゃんに教えてもいいんじゃねぇか。
にまにましながらラビルの足を斬って、俺は自分のポッケにそれを入れた。途端、ミンディが不満の声をあげる。
「ちょっとギッシュ、なんでそれを自分のポッケに入れてるのよ」
「はぁ?なんでって当然だろ。俺が仕掛けて、俺が獲ったラビルなんだから」
なに、トンチンカンなこと言ってやがる。
「確かに仕掛けたのはあんただけど、教えたのはレミーじゃない」
「解ってるよ。だから、最初のラビルの足はレミーにやっただろ?」
「だったら、今回のはどうなのよ」
「だから、俺が仕掛けた罠だろ?だから、俺が貰ったんだよ」
「私だって罠を仕掛けた時に一緒にいたんだから、貰う権利はあるはずよ」
『権利』とかまた難しいこと言いやがって……
「お前は俺が罠を仕掛けてる時、見てるだけだったじゃねぇか」
「『一緒にする』とか『手伝う』とか言った私に『邪魔するな』とか言って、手出しできなくさせてたくせに、なにが見てただけよ!」
「邪魔だったから邪魔だって言ってただけじゃねぇか」
「なにもさせなかったくせに、邪魔もくそもないわよ!」
「なんだと!」
「なによ!」
再び睨み合う俺達に、レミーが控えめに声をかけてきた。
「罠はもう一つあるんだから……きっとそこでもかかってると思うから、そこでもう一度話し合ったら?」
それもそーだな。そこで獲れたラビルがここよりも大きかったら、このラビルの足なんかミンディにくれてやればいい。
「ふんっ」と鼻息荒くそっぽを向いたミンディに、俺もおんなじように、いや、ミンディに負けねぇぐらい大きな「ふんっ」をぶつけてそっぽを向く。
ホント、可愛げねぇ鼻息ババアだぜ。
四つめの、最後となる罠が見えた。下のほうが見えねぇけれど、ここから見えるバブンの木はまだしなり曲がってる。
あれ?まだ罠が発動してねぇのか……
残念に思いながらも近づいた俺はビックリした。
罠にはちゃんと獲物がかかっていた。だが、罠が捉えていたのはラビルじゃなく、ラフテだった。ラビルよりも大きな獲物だったから、バブンの木も跳ね上がって獲物を逆さ吊りにできなくて、だからしなり曲がったままになってたみたいだけど、仕掛け罠の紐はラフテの足をしっかりと絡め取っていた。
ホントかよ?!ラフテじゃねぇか!すっげぇぞ!!
ラフテはタキヌのようなずんぐりとした体型のアーベの子供のような獣で、普段はおとなしい生き物だ。だが、捕まったりすると途端気性が荒くなって、人間に牙を向いてくる。
昆虫を主食にしてるくせに、ラフテの牙は鋭く尖ってて、噛みつかれでもしたら簡単に腕の肉を引きちぎられちまう。
ラフテは弓一本じゃ簡単に倒せねぇ頑丈な獣だ。もちろん、首元を弓で射れたら一発で倒せるけれど、なかなかそれは上手くいかねぇ。そんな低い可能性に猟人は懸けたりしねぇ。だから一人で狩りをするのが常の猟人は、猟の最中に偶然ラフテを発見したとしても、見逃して決して一人で狩ったりしねえ。一人で狩るなんて、絶対返り討ちにあっちまう危険な自殺行為だ。だから、人数を集めて狩らなきゃならねぇアーベとおんなじで、計画して狩らなきゃならねぇ、大変でめんどうで、貴重な獣なんだ。
そのラフテがこの罠で獲ることができるなんて……すっげぇじゃねぇか!これ、すっげぇ罠なんじゃねぇか!?今回のバブンの木はラビル用に低い木を使ったけど、これをもっと大きくて背の高いバブンの木を使えば、戻ろうとする力も強くなるから、ラフテだって逆さ吊りにできちゃうんじゃねぇのか?そしたら、ラフテだって簡単に狩ることができるって話だ。そー考えたら、やっぱこの罠ってすっげぇ罠じゃねぇか!みんなビックリするぜ。最高の罠だ!!
興奮してる俺の横で、ミンディが水をさすような冷静な声をあげる。
「まずいんじゃないの?ラフテ、すっごく気が立ってるみたいだけど……」
確かにミンディが言った通り、ラフテは反撃しようと、俺達の姿を見るやいなや、フシュー、フシューと鼻息荒く威嚇してきてる。
「なんだよ、ミンディ、怖いのかよ」
普段偉そうな態度取ってる割には、意外と小心者だな。
ふふんと鼻で笑った俺に、ミンディはジロリと睨みつけてくる。
「怖いわよ、悪い?ラフテは危険な獣なのよ。警戒するのは普通でしょ」
「お前と一緒にするなよ。よく見てみろよ。あいつは紐で絡め取られてる。まさに手も足も出ねぇ状態って訳だ。そんなやつ相手に怖がったりする訳ねぇだろ?」
お前と一緒にするなよ、と俺がまた鼻で笑うと、ミンディは呆れたようにあからさまなため息をついてきた。
「あんた、ホント、バカ。あんたこそよく見てみなさいよ。ラフテの足の紐、もう少しで切れそうになってるじゃない。安易に近づいてあれが切れたら、即座にラフテに襲いかかられるわよ」
ミンディに言われてよく見てみると、確かにラフテの足の紐はだいぶ細くなっている。
鋭い牙を持つラフテだが、でもラビルの歯と違って、ラフテの歯は紐を噛み切るには向いてねぇ。だから、一晩かけても噛み切ることができなかったみたいだが、それでもだいぶ細くすることはできたよーだ。
まずい、あれじゃ逃げられちまう!貴重な肉だ。絶対に持って帰りたい!
俺は慌てて近くの棒を掴むと、ラフテへと近づいていった。
「バカギッシュ!」
咎めるような、止めるような、そんなミンディの声を無視して、俺はさらにラフテへと近づく。
よし、この棒で殴って、怯んだ隙にこのナイフを首にぶっ刺して、トドメを刺してやる。
左手に棒、右手にナイフを掴んで、慎重にラフテへと近づいていく。俺が近づくと、ラフテは俺へと飛びかからんとするかのように暴れまくる。だけど、バブンの木に繋がった紐がそれを阻止する。俺が近づくにつれ、ラフテの威嚇音も大きくなってく。近づいたから大きく聴こえてるのもあるけれど、それだけラフテの興奮も増してってるってことでもある。
よし、ここだ!
俺は殴れるほど近づいたラフテに向かって頭を叩きつけようと、棒を振り上げた。
その瞬間、ラフテの足の紐が音を立てて引きちぎれ、大きな音を立ててバブンの木が元へと伸び上がる。
ブチン!バンッ!二つの音が重なったと同時に、ラフテが俺へと目がけて飛びかかってきやがった。
ラフテとともに後ろへと倒れ込む俺の背後から悲鳴が聴こえた。
それがミンディのか、レミーのか、判別する余裕なんか俺にはなかった。
噛みつこうとしてきたラフテの牙は、なんとか手に持っていた棒で防ぐことはできていた。ラフテは俺が両手で持って前へと突き出した棒を噛みしめて、それでもなお俺へと迫ってくる。
棒に噛みついてるラフテの鋭い牙が俺の眼の前にある。こんな牙で噛まれたら、俺の腕の肉なんか簡単に引き千切られちまう。腕?腕なんかじゃねぇ。こいつが狙ってるのは俺の首だ。
ガリリっと音を立ててラフテは棒を噛みしめる。引き千切ろうしてんのか、それとも噛み砕こうとしてんのか、ラフテは棒に噛みつきながら押したり引っ張ったりしてくる。その力がすごくて、棒を持っていかれそうになって、俺は懸命に棒を握りしめた。
これを取られた俺はおしまいだ。
必死に棒を握りしめる俺の耳に、ラフテの唸り声が響き渡る。
怖い!俺、死ぬのか!?
急に死が眼の前にやってきて、俺の体に震えがきた。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ、死にたくねぇ。
呪文のように心で叫びながら、俺は命綱である棒を取られまいと、懸命に握りしめる。
「ギャン!」
突然、俺の眼の前からラフテの姿が消えた。あまりの突然のことに呆然としてる俺の耳に、ミンディの鋭い声が飛び込んできた。
「今よ、ギッシュ!刺して!」
『なにを』とか『どうして』とか、そんな疑問を感じる間もなく、俺はほぼ無意識に声に指示されるまま、落としたナイフを拾うと、地面に転がってるラフテの首に突き刺した。
首を刺されたラフテは声もなく絶命した。ラフテに突き刺したナイフを持つ手がぶるぶると震える。
俺……生きてるのか……生きてる……
安心すると同時に死ぬかもしれなかった恐怖がどっと押し寄せてきて、俺は手だけじゃなくて体さえ震え始めた。
怖かった。死ぬかと思った。安易に近づいたから、俺は死にそうになった。
猟人としての心構えをとぉちゃんから何度となく聴いていたのに。だけど、目先の欲に惑わされて、囚われた獣だからとナメて、俺は安易に近づいた。
それがこの結果だ。
死ななかったのは運が良かったからだ。たまたま棒を前に出したことで、ラフテの牙から逃れることができた。ホント運が良かった。この運が無かったら、俺は死んでいた。
恐怖に襲われて、俺はあまりの怖さに泣きそうになっていた。そんな俺の頭に声が降ってきた。
「やったじゃない」
涙目を向けた先には、にやりと笑うミンディの顔があった。
ミンディは自分の腕ぐらいの太さの棒を片手に、もう片方を腰に当てて、俺を見下ろしていた。
「流石町一番の猟人の息子ね」
ミンディは今迄一度だって俺を褒めたことがねぇ。そのミンディからの褒め言葉に、俺の体の震えが止まる。
「見事ラフテをやっつけたわね」
見上げた、にやりと不敵に笑うミンディの顔が眩しく見える。
「いつまでへたり込んでるのよ」
さっさと立って、と言わんばかりに、ミンディは俺へと手を差し出してくる。その手を取った俺はビックリした。そのビックリした心を隠しながら、俺は立ち上がりながらミンディを見る。
繋いだミンディの手は微かに震えていた。
俺が眼の前で襲われたのが怖かったのか。それともラフテを殴りつけたのが怖かったのか。それとも俺とおんなじように、俺が助かった安心の後からやってきた恐怖に支配されたのか。
どちらにしろ、ミンディは俺とおんなじように怖がっていた。
だけど、ミンディはそんな感情を微塵もみせず、不敵に笑ってみせている。
クソ……悔しいけど、ミンディ、カッコいいぜ。
「ギッシュ!」
泣き顔のレミーが俺へと抱きついてくる。
「ギッシュが死ぬかと思って怖かったよぉ」
「……ごめん……悪かったよ…」
俺は優しくレミーの頭を撫でた。
二年前、初めて会ったレミーは感情をどこかに置き忘れてきたかと思うほど、無表情無感情のやつだった。その反動か、今では誰よりも感情豊かになっている。時々変な方法に感情が向いたり進んで行ったりすることもあるけれど、とにかくレミーは感情豊かになった。
そんなレミーだから、きっと恐怖も人一倍に感じたに違いねぇ。
年上として泣かしちゃいけねぇよな。
俺は心の底から反省した。
「ミンディも悪い…」
俺の謝罪の言葉に、ミンディは眼が零れ落ちるんじゃねぇかってぐらい眼を見開いて驚きを示した。
「あんた、どうしたの?ショックで頭でもやられたの?!」
「違う!本心から反省してるんだ!」
なんて失礼なやつだ!人が素直に謝ったってぇのに!
むっつりと怒りの表情を浮かべる俺に、ミンディは急におかしそうに笑い出す。
「あんたが謝るなんて『精の粉』でも降ってくるんじゃないの?」
そこまでの珍事か!?俺が謝ることが!
ふっと湧いた怒りは、だけど、ケララとおかしそうに笑うミンディの顔を見ていたら、どこかへと行ってしまった。
「解ったわよ。うん、許してあげるわ」
ミンディは笑いを止めると、俺へと手を差し出してくる。仲直りの握手ってことだろーけど……なんだろ、その手を握るのが、なんか変な感じがして、中々握れねぇ。
握り返さねぇ俺にミンディは怪訝な表情をし始めたから、俺は慌ててミンディの手を握った。
うわぁ……なんだ、これ……なんだ、この感情……
脈が激しく打つような変な感情に襲われる。それを誤魔化すように俺は握った手をすぐに離してそっぽを向いて、言葉を投げ捨てる。
「これで終わりな!」
まだくっついてるレミーを引き剥がして、ラフテをジュド袋に入れると、俺達は帰路に着いた。
帰り道、俺は隣を歩くミンディをちらちらと見ながら観察する。
おかしいなぁ、ミンディってこんな感じだったっけ?確かに顔立ちは綺麗な方だとは思うけど……なんだろ、今迄見てきたよりも綺麗に感じるのはなんでだ?それにこんなに体がふっくらとした女らしい感じだったか?いつもガミガミと怒鳴る顔しか見ていなかったから気づかなかったのか?……なんだろ、ミンディが違って見える。
「なによ、あんた、さっきから人のことジロジロ見て……なんかあるならさっさと言ったら?」
いや、そんなつもりで見てた訳じゃ……
焦って言い訳を考えてる俺の耳に、いつもミンディの嫌味が聴こえる。
「まぁ、文句だったら、私よりも背が高くなったら聴いてあげるけどね」
いつもならカチンとくる科白が、何故か今は悔しく感じる。
そーなんだ。俺はミンディよりも背が低い。それがすっげぇ悔しいし、なんか嫌だ。
「背ならすぐに大きくなる。お前なんかすぐに追い抜いてやるからな」
俺の言葉に、ミンディはふふんと鼻で笑う。
「頑張れば?」て感じのバカにした笑いなのに、なんだろ……感じ方がいつもと違う。いつもの悔しさとは違う。「今に見てろ」て思うのはおんなじだけど、思った後の到着点が違う気がする。
なんだ、これは……
俺の視線に気づいたミンディが怪訝な表情を一瞬浮かべる。だけどすぐに、苦笑するような笑みへと変えて、俺の視線に答えてくれる。
「なによ、ギッシュ、あんた、変よ」
苦笑いから微笑みへと変えたミンディの笑い顔にドキリとする。
なんだよ、これ……
ミンディと視線を合わせてると、心臓がドキドキと早鐘を打って、顔が熱くなってくる。だから眼を合わせられねぇけど……だけど、眼を合わせたくなる。
なんだよ、これ……
隣を歩くミンディに手を差し出しそうになって、慌てて自分のポッケに手を突っ込んだ。
俺、なにしてんだ?ミンディと手を繋ごうとするなんて……
ぎゅっとポッケの中の手を握ると、そこにラビルの足があったのを憶い出した。
「あ、ミンディ、これ……」
俺はポッケからラビルの足を取り出すと、ミンディへと差し出した。
「これ、やるよ」
自分でやった行動に、自分の言った発言に、自分でビックリする。
俺、なにやってんだ?!なに言ってんだ!?
内心ビックリして思考停止しながらも、ミンディへと差し出した手は引っ込めなかった。
差し出されたミンディは一瞬ビックリした顔をしながらも、俺が差し出したラビルの足を受け取る。
「やっぱりあんた、ショックで頭おかしくなったんじゃないの?」
毒づきながらも、ミンディは嬉しそうに受け取ったラビルの足を見つめてる。
「うるせぇよ……」
ぶっきら棒に答えながらも、ミンディの喜んだ顔を見れたことが嬉しかった。
なんだろ、俺、ミンディがもっと喜ぶ顔が見たいな……
「……ありがと…」
少しはにかみながらミンディはにっこりと俺に微笑んできた。その笑顔にドキリとする。
赤くなった顔がバレねぇように、俺はすぐにそっぽを向いた。
レミエルとミンディとギッシュの子供の頃のお話です。
ギッシュ――生意気な子供ですが、可愛いですよね。
でも、同級生でこんな奴がいたら、きっとミンディと一緒で、喧嘩ばっかりしてたと思います。
まぁ、子供ってそんなものですよね。
※ 読んで下さった方、訪問された方、わたくしめのテンションUPの糧になるよう、感想や評価、レビューを頂ければ幸いです。また誤字脱字等がございましたら、お気づきになられましたら、それも加えてご連絡頂ければ助かります。