0/0/0.事の発生
「ありがとうございましたー。」
煙草と菓子パンを買い、コンビニを後にする。
住んでいるアパートから徒歩5分、やっぱりコンビニが近いのはとても助かる。
夏が迫ってきているが、外はまだ少し肌寒く感じる。
コンビニが近いからと薄着で家を出たのは間違いだったか、失敗したなぁ。
自身の腕を擦り、レジ袋がガサガサと揺れる音を聞きながら早足で自宅に引き返す。
自宅に着き、ドアを開けようとすると鍵が開いていた。
そういえば、隣人の少女に気を取られて鍵を閉めるのを忘れていたなぁ。
最近忘れっぽい気がする、気を付けないと。
暗い部屋には光が灯っていた、パソコンの画面だ。
家にいる間は大抵付けっぱなしにしてしまう。
時刻は23時54分、まだ日付は変わっていない。
パソコンの光を頼りに部屋の電気を付け、出しっぱなしにしてあった上着を羽織り、一服する為にベランダに向かう。
部屋がヤニ汚れで黄ばんでしまう事を危惧している訳では無いけれど、囁かれている失敗談につい配慮をしてしまう。
まぁでも、知りながらも失敗するよりは知っていて対応した方が良いのは確実なはずだ。
煙草に火を付け、ニコチンを摂取する。
煙を吐き終えた後に、物思いに耽る。
遂に漫画は完結した、これ程に嬉しい事はない。
念願の看板娘の世界観を創り出すことも出来たし、応援してくれるユーザーも増えた。
でも、これからどうすればいいのだろうか。
漫画を描き終えた後の事を微塵も考えていなかった。
目標に目標を立てることを忘れていた。
また熱中できる目標を立てないとなぁ、次も漫画を描くべきだろうか。
残り少なくなった煙草を最後に1口吸い上げ、煙草の火を消す。
時刻は23時59分。
突然、部屋の明かりが消えた。
「うおっ、ビックリした。」
ブレーカーが落ちたのか?
いや、でも、ブレーカーが落ちる程に電気を使ってないはずだけどなぁ。
チカチカと部屋を照らすパソコンの光を頼りに、ブレーカーを確認しにベランダから動く。
「ん?」
パソコンの光?
予備電源なんて付いていただろうか?
ふとパソコンに視線を向けると、パソコン画面は消えていた。
明かりを灯っていたのは、液晶タブレットだった。
液晶タブレットの画面には、paxcivのホーム画面が移されていた。
ホーム画面上にある象のアイコンに数字が浮かんでいる。
気になり液晶タブレットで操作すると、コメントが一件来ていた。
最終章前の最新話だ。
コメントを見てみると、こう書かれていた。
regacy
やめてって いったのに
2021-5-17 23:59
瞬間、背中が熱くなる。
背中を触る。
手にべっとりとした感触が伝わる。
「え?」
手が、赤い。
なんだ、これ、…血?
意識した途端、鈍痛が走った。
「え、あ、は、はは、なんだ、これ…っ。」
背中だけじゃない、腹部にも痛みが。
貫通して、る?
叫び声も挙げられず、その場に崩れ落ちる。
意識が朦朧とする中、人影が移った。
液晶タブレットの光が照らしたのは長い髪と赤い目。
そして、べっとりと真っ赤に染まった鋭い爪を持った獣のような毛深い腕。
この姿を、知っている気がする。
「きみ、は…。」
そこで意識が途絶えた。
時刻は00時00分、日付が変わった。
=====
「っぁああああああ!!!」
ふと意識が蘇った。
酸素が肺を満たしていくのを実感していく。
飛び起きるように上半身を勢いよく起こし、息を荒らげながら現状理解を行う。
さ、刺された?生きてる!?
背中と腹部を慌てて確認する。
ぐっしょりと濡れていたが、手についた液体は赤くなく、汗である事が分かり、安心した。
安心した所で違和感を覚えた。
…おかしい、何かがおかしいぞ。
頭がキンキンして痛い、そういえば飛び起きると同時に出した声が甲高かった気がする。
声が裏返ったのだろうか。
額に溜まる汗を手で拭うと、視界をさらりと何かが遮った。
「え?」
それは前髪だった。
こんなに長かっただろうか、いや、そんな筈がない。
そもそも、髪は白くない。
まだ黒髪で誤魔化せるほどの白髪程度くらいだ。
落ち着かせる為か、無意識に摘んだ白い前髪を人差し指でくるくると巻きあげる。
「んんー、変な夢でも見たのー?」
その時、隣から声が聞こえた。
驚いて顔を向けると、人影がむくりと起き上がる。
「え、うそ。」
思わず声が漏れてしまった。
この子、知っているぞ。
人影の正体は少女、血管がくっきりと見えそうな程に真っ白な肌、ふんわりとしたショートカットの白い髪。
そして、その白い髪の両端からは立派な獣の耳が生えていた。
その容姿をよく知っている。
そのショートカットの少女は紛れもなく。
「耳豆ちゃん?」
紛れもなく、自身が創造したオリジナルキャラクターの耳豆だった。
「ふぁい?」
その少女、耳豆は伸びをしながら大きく口を開けて欠伸をして返答を返す。
ど、どうなってるんだ?それに、髪もおかしいし声が異様に高くないか?
ふと横を見ると傍らに手鏡が置いてあった。
そっと手に取り、自身の顔を映し出す。
その手鏡は、見慣れた自身の顔をを映し出す事は無かった。
しかし、その手鏡は自分のよく知る人物の顔を浮き上がらせた。
「目照ちゃん。」
手鏡が映し出したのは、これも自身で創造したオリジナルキャラクターの目照だった。
先程まで汗をかいていた為か、額に前髪がこべりついていた。
さっと人差し指で整え、右頬、左頬と手鏡で確認する。
うわぁ、まつ毛長いなぁ。それに小さい顔、顔のパーツが整ってて、凄く可愛いなぁ。
鏡に笑いかけ、一呼吸する。
…って。
「…ぇえええええええ!?!?」
俺が、目照になってる?何故!?
理解が追いつかず、脳がパニック状態に陥る。
「びっくりしたなぁ、さっきからどうしたのー。」
隣にいる耳豆が耳を抑えながら訝しげに尋ねてくる。
そもそも、どうして耳豆と目照が実在しているんだ?
この子達は俺の創作したキャラクターだぞ?
周囲を見渡す、室内のようだけど、薄い膜の壁と天井。
どうやら簡易テントの中にいるようだ。
立ち上がり、テントの出口まで進みジッパーで閉められた出口を開ける。
朝焼けが近いのか、薄暗さはあるが辺りが少し明るい。
どうやら森の中に居るみたいだ。
太陽が登ってきたのだろう、少しずつ視界が明るくなっていく。
そこで、信じられないものを見た。
凛々しく生える木々、先程まで焚き火をしていたであろう場所にある木の残りかす、草が疎らに生え土が剥き出しの地面、そして空。
全てが赤かった。
見間違いではない、草すら赤色なのだ。
色の濃さに多少の違いはあるが、一面赤い世界だ。
あれ、ここって、まさか。
テント内に戻り、心配そうに俺に視線を向ける耳豆の横に座り、深呼吸する。
「耳豆ちゃん。」
俺は、耳豆に質問を問いかける事にした。
「ん?なぁに?」
首を傾げながら、返答を返してくれる耳豆。
ふと考えたら、あっていたからよかったものの、見た目が似てるってだけで耳豆と呼んだが、間違えてたら凄く恥ずかしいな。
とりあえず今一番知りたい事は、ここが何処なのかだ。
それを確認したい。
「ここって、何処?」
そう聞くと耳豆はキョトンとした顔をして、こう言った。
「知らない。」
「え?」
思わず間抜けな声が出てしまったが、ふと思い出した。
耳豆は頭を回転をさせるよりも、身体で行動する性格だ。
こういった事柄は全て目照が管理している事だった。
想定していなかった返答に困ってしまったが、耳豆にもわかるような質問に直した。
「今って何処に向かっている途中だっけ?」
こいつはさっきから大丈夫か、と言わんばかりに微妙な表情をしている。
今まで隣に居たであろう人が、叫び、可笑しな行動を取り、謎に質問しているのだ、とても不審だろう。
「今は赤の国に向かっている途中じゃないの?」
赤の国。まさかと想像していた事が確信に変わった。
ここは、俺の描いた漫画の世界そのものだ。
「な、何が起こっているんだ…。」
そして冒頭に戻る。
ここは、本当に俺の創造した漫画の世界なのだろうか。
そうであれば、少しおかしい。
この漫画の序盤は、赤の国に入国する所から始まる。
赤の国に向かっているという事は、世界が崩壊する前、つまり序盤からスタートという事だ。
そこで、疑問が生じる。
この世界の物事は、俺の描いた漫画の展開通りに進むのだろうか?
そう疑問に思ってしまうのは、この世界が俺の創造した漫画の世界なのであれば、創造していない部分の話が出来るのだろうかという点。
先程にも言った通り、この物語は赤の国に入国する所から始まる。
しかし、今の状況はどうだろう。
〝赤の国に向かう〟という話を俺は作っていないのである。
これは、創造した漫画の中に入ったか、創造した漫画の世界に訪れたかの二択が並べられ、後者が正しい。
そうなると、俺の思い描いているような物語にはならない可能性が大きい。
しかし、もしそうであれば、また一つ疑問が生まれる。
何故俺がこの世界に訪れることになり、自身の姿が目照になっているのか。
実は、その理由は恐らく解明している。
この推理が正しい保証はないが、今はこれ以外に思い付かない。
この世界に訪れる前の事だ。
元の世界、まだ元の身体だった最後の瞬間。
俺を襲った人影。
この世界に来た時に悟った。
長い髪、赤い瞳、顔、姿。
俺を襲った人影は、俺の創造した娘の片割れ、目照そのものだった。
正確に言えば、操られている時の目照の姿。
世界を崩壊させる役割を担う魔獣。
目照は許せなかったのだ、この物語の結末。
最悪完結に導いた俺の事を。
そして、どういう仕組みか俺のいた世界に現れ、俺を襲った。
そうして俺をこの世界に目照として送り込んだのではないだろうか。
その意図は、俺のした残酷な行為を己の身で味わってもらう為だろうか。
ふと耳豆を見てみる。
先程まで考え耽っている俺をまじまじと見つめていたが、アクションを起こさない俺に飽きたのか、身支度を整えている最中だった。
耳豆は恐らくこの件には関与していない。
中身の人間が変わっている事にも気付いていないだろうなぁ。
耳豆には悪いけど黙っていた方が良さそうだ、悟られないように目照を演じていた方がいいかもしれない。
もう少ししたら出発をする筈だ、俺も身支度を整えはじめる。
身支度を整えながら、心の整理も行う。
訳も分からずこの世界に目照として訪れ、疑問がかなり残っているが、少し浮かれた気持ちもあった。
何故ならば、自分の娘達に実体を持って会えたのだから。
看板娘に愛情を持つ絵描きにとって、これ以上に嬉しいことはない。
この状況に陥ってこの子達に出会えた事により、初めて自分が愚かな行為をしたのかと呪った。
目照と耳豆を、俺は不幸なエンドにどうして導いたんだ。
罪は重い。
もし、この世界も最悪完結に足を進めているのなら。
変えよう、結末を。
形はどうであれ、目照がチャンスをくれたんだ。
この世界を最良完結に変えるんだ。