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現想日記帳

現想日記 ~湖の巫女~

作者: 紅真

「貴方は湖はお好きかしら」


「好きでもないし、嫌いでもない。でも無かったら困るかな」


「そう? 私は好きよ。特にこの湖ような静かで落ちついていて、深く蒼くて、そしてどこか優しい感じのが」


「そうなんだ」


「ほら、こっちにいらして湖に触ってみて」


「……冷たい」


「貴方は冷たく感じるのね。私には暖かく感じわ……。ごめんなさい。私だけこんなにお話ししてしまって、久しぶりの会話だから、つい嬉しくて」


 彼女は湖の上で一回くるりと回ると、少年に向けて浅くお辞儀をした。スカートを持ってお姫様ような仕草だ。


「貴方は私のことを認知できるようだけど、私の姿を見ても怖がらないのですね」


 彼女の姿は湖のように透明だった。彼女の全体は水でできていて、服もスカートもただ形を成しているだけ。

 光の屈折で輪郭を確認できるものの、表情まではわからない。十代半ばの女性をモチーフにしている様だ。


「君よりも怖いものを知っているからね。君は僕の知っている中でも可愛い方だ」


「可愛いだなんて。こんな私を褒めてくださるのね」


 彼女は湖の上を更にくるくると回り始めた。液体の身体が波を打ち、キラキラと輝いた。


「それにしても、貴方はここに長居しても大丈夫なのですか?」


「心配ないよ。僕は狭間人だから」


 狭間人とは現世と常世の間、狭間に入ることのできる人間。人あらざる者または力を感知できる。母体の中にいるときに、霊的現像、神隠しなどにあうと、こういう特殊な子(霊力の強い子)が生まれることがある。


「ここの神聖な力に当てられながら自我を保てるなんて、余程お強い力もお持ちなのですね」


「望んで得たものではないけどね」


 狭間人は忌み嫌われる。強い力は人々の思考を狂わせ、混乱を招く。

 現世に無意識に狭間を開けてしまうこともある。人々にとっては悪霊と差ほど変わらないのだ。少年も例外なく、人々から畏れられてきた。


「長居ができるのなら、もう少しだけ私のお話し相手になってくださらない?」


「うん。かまわないよ」


「では、少しお待ちになってくださる?」


 彼女はそう言うと、ゆっくり上昇していった。

 この湖は高さ二十㍍はある樹木に辺り一面囲まれていて、生い茂る葉によって太陽の日差しは届かない。代わりに、木々に実る赤く熟れた果実が光を放っており、この辺一帯を灯している。


 周りは木々と一緒に霧が立ちこもり、奥に行くほどに、深く濃くなる。

 彼女は空中で止まり、光る果実を一つ採った。すると果実は徐々に光を失い、黒い果実と姿を変えた。


 落ちるように降ってきた彼女は、それを少年に手渡した。


「お客様だもの、何かおもてなしをと思って」


「食べれるの?」


「ええ、もちろん」


 少年はそう言われると迷いなく、果実を一口かじった。果汁が青いシャツに飛び散る。固くしっかり感触とは裏腹に、歯応えないみずみずしいものだった。


「味はしないね」


「あらそう? 私には甘かったり、苦かったり、酸っぱかったりしますのに」


「味のないスイカを食べてるみたいだ」


「ふふふ、貴方、やっぱりお強いのですね」


 彼女は逆さまになり、少年に顔を近付けた。枝・葉がざわめくが、風は吹いていない。すぐ目の前に彼女はいるが、やはり表情はわからない。


 彼女は少年から離れ水面に寝るように浮かんだ。


「私ね、気づいたらこの湖にいたの。湖の上の真ん中で、私の他には誰もいらっしゃらなくて。ですが、たまにお客さんが来られるの、私のことは認知してもらえないのだけれど。その中に、本当に希に貴方みたいに私のことを認知してくる人がいらっしゃる……」


 彼女は少し間をとってから、水面に座って話を続けた。


「そんな人が……あの人が教えてくださったの。ここがこの世でもあの世でもないということ。私が湖の巫女ということ。他の人はここでは生きられないこと」


「湖の巫女? 知らない名称だな」


 少年が不思議に問いかけると、彼女は立ち上がりおもむろに踊りだした。


 すると、彼女の運んだ足元から小さな波紋が一つずつできる。

 しかし、彼女の足は水面には触れていない。身体を回転させながら、湖の上を一周して波紋を少しずつ大きくさせる。


 ゆったりなリズムから、軽やかなリズムに変わった。

 彼女の跳び跳ねた後から水柱ができる。

 大きく跳べば大きな水柱が。飛び散った雫は空中で漂い、光を反射させて湖の上を一つの舞台へと変えていく。


 少年が次々に作られる水柱に目を奪われていると、突然、水の中から男性の形をした彼女に似た者が出てきた。


 彼女はその者の手をとり、二人でまた踊りだした。

 ワルツでも踊っているのだろうか、雫が源に落ちる音で音楽を刻んでいる。

 先ほど出てきた水柱の周りを、滑らかにくぐり抜けていく。


 少年の前に出て、片足で素早く回転してから最後の決めポーズをとった。

 彼女が深々とお辞儀をすると、雫や水柱は大きな音たて湖へと戻った。そして、また静寂に包まれた。


「凄いね。びっくりしたよ。これが湖の巫女と言われる理由か」


「あら? レディーが踊って見せたのに、拍手もありませんの?」


 少年は急いで拍手をした。それを聞くと彼女は頭をあげた。


「こんなことができても、見せる相手いなければ、それはできないということと同じ……」


「でも、僕は見たよ」


「そうですわね」


 少年はまた拍手をした。彼女はヒラリと少年に背を向けた。


「……ずっと淋しかった。新しい踊りを考えても、私以外誰もいないですし。ですが、凄く淋しいときは湖に潜るんです。そして深呼吸しますの。何も聞こえない、なにも見えない。ですけれど、身体全体を湖で包まれてとても心地がいいんです。なぜか、心が暖まる」


「そうなのかい? でも、僕にはわからないな。僕は水の中では息ができない」


「してみます? 水の中で呼吸」


 彼女はそういうと、少年の腕を掴んで引っ張った。大きな水しぶきと共に、少年は湖の中へと連れられた。

 少年は慌てふためき、急いで浮上しようとしたが、彼女はそれを遮った。その瞬間、少年は驚いた。


(苦しくない。息ができる)


「素敵でしょ、湖の中って」


 そこはまるで無だった。何も聞こえない、何もない、光さえも徐々に遠のいていく。底は暗闇で覆われているが、少年は恐ろしさは感じていなかった。


(落ち着く。静かな空間、重力を感じない浮遊間。最初は冷たかったが今は暖かさを感じる)


 少年は動くことを止めた。湖のに墜ちていく心地よさに、身体をあずけた。


「貴方、私のお友達になってくださらない? 以前に来たあの人にもお願いしたのだけれど、直ぐにどこかへ行ってしまったの。お友達になってくだされば、ずっとこうしていられますわよ。私も、もう淋しくなくなる」


(それもいいかもしれない。戻っても別にいいことはない)


 少年が承諾の意を示そうとしたとき、力強い低い音が全身に響いた。


(これは……鼓動、俺の心臓の音か)


 静寂な湖の中で、ドクドクと鼓動音が響きわたる。すると、誰もいない筈の湖の中から声が聞こえた。


(少年よ。その音はお前の生きたいという意志だ。こんな所にいてはならない。安心せい。彼女の側には儂がついておる)


 少年はその声を聞いて我に帰った。薄暗い中でもわかる。身体と湖の境界線が曖昧になっていることに。少年は湖と一つになろうとしていた。

 少年は湖の底で立ち上がり、彼女の方を向いた。


(そのお誘いはとても魅力的だ。だけど、こんなうるさい中じゃ昼寝さえできないよ。言ってなかったけど、僕は昼寝が好きなんだ)


「え? 何を言って……」


 彼女が話している途中、突然、少年が強く輝き始めた。その光は湖を押し退け、そして消えかかっていた身体が元に戻った。


「ごめん、僕はもう帰ることにしたよ。それに君のお友達はずっと側にいるから。それは、忘れないでいてあげて」


 少年は手で空間をなぞった。すると、空間に亀裂が走った。そして空間の亀裂が直ると同時に少年は姿を消した。


「残念です。貴方ともお友達になれる思ったのに」


(そう淋しい顔するでない、また一緒に儂と踊ろうぞ)


 彼女の姿は誰にも見えない。彼女の声は誰にも届かない。しかし、彼女にもこの言葉は届かない。彼女はゆっくりと水面に上がっていった。

湖の巫女:踊りや異能を使い人々を湖に誘い込む。湖に入った人をそのまま湖の水へと変え存在範囲を拡大していく。

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