12
「えっと……」
玄関の前に仁王立ちする二十代後半の女性と、少し離れた場所でそっぽ向いている赤目の少年にベルは困っていた。
滅多に客の訪れないこの家に現れた「客」。しかも、リナを出せという。
果たしてリナと会わせてもいい人物なのだろうか……。
不審者だったらどうしようというのもあるが、もし普通の客だとしても昨日の今日。リナはあまり人と会いたくないかもしれない。
痺れを切らした女性は、はぁ!と勢いよくため息を吐いた。
「もういいわよ!じゃあルシファーを出しなさい!」
「え」
「アンタと同じ悪魔のアイツよ」
さらりと自分を悪魔だと見抜いた。やはりただの人間ではない。考えられるのは──
悪魔か、エクソシストか。
「ベルー、どうしたの?」
奥からリナがひょっこりと顔を覗かせた。そして、ぱっと表情を輝かせる。
「カンナギさん!」
「久しぶりね~リナ」
カンナギと呼ばれた女性の首もとでキラリと銀が光る。
どうやら後者だったようだ。
「元気そうで良かったわ……で、ルシファーは?姿が見えないけど」
カンナギの問い掛けにリナは少し顔を曇らせた。カンナギは目敏くそれに気付く。
「なんかあったみたいね……とりあえず上がらせてもらうわ」
カンナギは遠慮なくずかずかと家に上がり込んできた。少年もその後に続く。
カンナギはぽん、とベルの肩を叩いた。
「あ、紅茶でよろしく」
「……」
本当に遠慮のない女だ。
しぶしぶキッチンへ向かい、支度をする。
紅茶くらいなら淹れられる……筈。
ベルは紅茶を淹れ、リビングに運び、カップをカンナギの前に置いた。カンナギはじっとカップの中を見詰める。
「……なにこれ?」
「紅茶だ」
「ドブみたいな色だけど」
カンナギはカップを少年の前にスライドさせた。
「飲みなさい、ルビー」
少年……ルビーはえっとあからさまに嫌だという顔をしたが、カンナギの迫力に負け、紅茶に口をつける。
その途端、ルビーはトイレに向かってダッシュした。
「……」
カンナギは静かに手を合わせた。そして、にっこりとベルに笑顔を向ける。
「やっぱり紅茶はいいわ」
……失礼な女だ。
ちょっと傷付く。
「貴方が毒物を作ってる間にリナから大体の話は聞いたわ」
げっそりしたルビーがトイレから帰ってくる。カンナギはルビーの頭を掴み、ベルの前に突き出した。
「というわけでルシファーの奪還及びマモン撃退の為に私とルビーがあなた達に指導することが決定しました!」
「はあ?」
ベルは顔をしかめた。
リナだけならまだ分かる。カンナギがプロのエクソシストならリナは大いに学ぶことができるだろう。
しかし、悪魔であるベルにカンナギは何ができるというのだろうか。
「私はこの子、ルビーを使い魔にしているの。ただの低級悪魔だけど力の使い方はこの子に聞けばいいし、多少なら私も教えられるわ」
頭を掴まれているルビーはけっとそっぽ向いた。この少年は悪魔だったのか。全く気付かなかった。
「リナの話からして、貴方、少なくとも悪魔になってから力を使ったことないでしょ」
図星のベルは何も言えない。
自分のような悪魔は異例だろう。大概の悪魔は自分の欲望に身を任せて力を行使するが、ベルにはそんな欲望などなかった。気付けば力の使い方を忘れてしまった。
マモンやルシファーが力を使っていた時も自分は何もできなかったのはそのせいだ。
「ありがとうございます、カンナギさん」
リナはカンナギに頭を下げているが、表情はあまりよくない。どことなく暗い。カンナギもそれに気付いているようだが、触れないことにしたらしい。カンナギはリナの肩を抱いた。
「よし、じゃあとりあえずリナがどこまでできるのかから見るか。外出るよ」
リナははい、と頷いた。呼ばれていないが、ベルとルビーも後に続く。
「まあびっくりしたわね……エクソシズムを全く教えられていなかったなんて」
カンナギは苦笑いを浮かべつつも感心をも滲ませて言った。
ベル自身も驚く。思えば、確かにリナの行う悪魔祓いは雑というか荒っぽかった。あれは悪魔への憎しみからだと思っていたが、単にちゃんとしたエクソシズムを知らなかったからのようだ。
それでも今まで何とかやってこれたのは、恐らくリナの持つ天性の才能かなにかなのだろう……。
「あの、カンナギさん」
リナは恐る恐るカンナギに口を出した。
「私、エクソシストになりたいわけじゃないんです」
「ん?」
カンナギはきょとんとした表情でぱちぱちとまばたきをした。
「今までは何となくお父さんの跡継ぎとしてやってきたけど……今は違うんです。気付いたんです、悪魔のことを嫌いなわけじゃないって」
リナはベルを見た。そして、続ける。
「ベルみたいな悪魔もいる。ルーやレヴィみたいに分かり合えることだってある。だから、何がなんでも退治しなきゃとは思えなくなったんです」
そんなのエクソシストとしては駄目な考えでしょ?とリナは苦笑いを浮かべた。
──それでも、リナは選んだのだ。だからこその「エクソシストにはなれない」……。
「でもルーを助けたい。だから、教えて欲しいことがあるんです」
リナはちらっと教会の方を見た。
「祓わなくてもいい、ルーを助ける術を」
ベルはリナ達を残し、家へ戻った。キッチンに立ち、冷蔵庫から卵を取り出す。
「次はどんな毒物を作るつもりだよ」
幼い声が聞こえた。見ると、隣にルビーが立っていた。
「卵焼きだ。リナが頑張っているからな、リナの好物を作ろうと思って」
「……やめておいた方がリナも喜ぶと思うけど」
身を持って経験したルビーは紅茶の味を思い出したようにうっと口に手を当てた。
「そういえば、なんでお前達はここへ来たんだ?」
「コウスケとカンナギは昔からの知り合いでたまに来くるんだ。だから今日来たのは本当に偶然」
タイミングが悪いというよりはむしろ良い。ベルにもリナにも有り難かった。
「俺とカンナギが出会ったのもこの家」
「出会った……使い魔の契約か」
ルビーは曖昧に微笑んだ。
「カンナギに契約させられたというより、ルシファーに契約を勧められたって感じだけどね」
「アイツに?」
「うん」
ルビーは頷き、宙を仰いだ。過去を懐かしむように。
「弱い烏の悪魔だった俺に力をくれた」
ルビーの手の中で雷が小さく弾ける。ルシファーと同じ力だ。
──エクソシストだけではなく、同族の悪魔からも狙われるようなか弱い悪魔も少なくはない。ルビーもそんな小さな悪魔だったのだろう。
「この人形の姿も力も、名前も──居場所すらもルシファーにもらった」
だから、とルビーはベルの腕を掴んだ。
「あの人を助けてやってよ」
その瞳はほんのり怒りを帯びていた。
「リナは祓いたくないとか言ってるけど、そんなぬるいことを言ってられる相手じゃないだろ?だったらアンタが──」
ベルはルビーの科白を聞きながらうつ向いた。
自分だってルシファーを助けたい。それは確かな想いだ。しかし、リナのそのぬるさ、いや、優しさで今自分がここにいるのも事実なのだ。
「ま、私はリナの考えは嫌いじゃないけどね」
いつの間にか家の中へ入ってきていたカンナギは、ベルの手からそっと卵を抜き取った。
リナは、と聞くと、「休憩中よ」と答え、カンナギは器用に卵を片手で割った。
「ただ、あなたは悪魔よ」
口調は淡々としているが、カンナギの表情は穏やかだった。
「リナの代わりに刃となれるのはあなたしかいない」
「……」
ボールの中の綺麗な円を描く卵を見詰める。崩すのが勿体無いとさえ思える。しかしカンナギは躊躇なく箸でぐちゃぐちゃとかき混ぜた。
「あなたは怖いのね。力を使うことで本当の意味で『悪魔』になるのが」
そうなのだろう。しかし、違うとも言える。
少し前まではカンナギの言う通り、身体だけではなく心までも悪魔に染まってしまうのが怖かった。
だが、リナと出会って──自分を「悪魔らしくない」と慕う彼女に拒絶されるのが怖くなった。
力を使えば彼女を守ることができる。最初にマモンに遭遇した時も、レヴィアタンと戦った時ももしかしたら簡単に勝てたかもしれない。
「あなたの場合は心の問題ね」
カンナギはかき混ぜ終えた卵をルビーに押し付けた。
「さて、リナのところへ戻るわね」
あとはよろしく、とルビーに星を飛ばす。
──そのよろしくは卵焼きのことなのか、ベルのことなのか。
どちらにせよ面倒事を押し付けられたルビーはハァ、とため息を吐いた。
そんなルビーの態度を見ていると、なんだか自分が情けなくなってきて、ベルは少し項垂れた。