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さて、と。
人気のない広場まで出たレヴィアタンはにやりと笑った。
「出てこいよ」
誰もいない筈の闇に話し掛ける。その途端、ぐにゃりと空間が歪み、右目に包帯を覆った隻眼の男が現れた。
「人間側に寝返ったのですか、嫉妬の悪魔──レヴィアタン」
「そんなんじゃないさ」
レヴィアタンはハッと笑った。
「好きな子を守りたい──男として当然だろ?」
我ながら臭い科白だ。しかし、気分は悪くない。
「成る程、貴方は悪魔の騎士というわけですか。彼女には沢山騎士がいるのですね」
非常に興味深い、と隻眼の男は嫌みのない感嘆の声を上げた。
「アンタもあんな子をつけ狙うだなんて、どういうわけだい?──強欲の悪魔のマモンさんよ」
利益以外には興味のない男だった筈だ。エクソシストとはいえ、まだまだ未熟なリナに興味を示す理由が分からない。
「昔、彼女のお父様にお世話になったのですよ。だから、そのお礼をしようと」
「リナちゃんの親父さん……?」
「そう──」
マモンは目を閉じた。その瞬間──
地面から鋭利な尖端の石の爪が飛び出し、レヴィアタンの周囲を取り囲んだ。石の爪はレヴィアタンを貫いた……と、マモンは思っていた。しかし。
ドン!
破裂するような衝撃が空気を揺るがす。見ると、水の柱が地面から吹き出し、石の爪を粉々に砕いていた。ぱらぱらと破片が舞い散る。
マモンはほう、と感心した声を上げた。
「貴方が本気を出すの、久しぶりに見ましたよ」
水の柱の中から黒い羽根を背に纏ったレヴィアタンが現れる。
「言っただろ?俺はあの子の騎士になりたいってな」
レヴィアタンは舞う自分の黒い羽根を掴み、口に当てた。
「──行け」
ドン、と地面から勢いよく水が飛び出す。それは次第に形を成し、水の龍へと変わった。
そもそも、彼は悪魔に堕ちるような男ではなかった。
天使だった頃はとても温厚で、それでいて能力も高かったから周りからの信頼も厚かった。
そんな彼に事件が起きる。
恋人が殺された。水辺ではない陸地で、溺死──。
こんな芸当ができるのはアイツしかいないと思われるのも当然の死に方だったのだ。
彼の恋人が浮気をしているのは彼も周囲も知っていた。動機も十分。
『嫉妬に狂い、恋人を殺した』
彼には身に覚えのない罪だった。
だが、神は彼を堕とした。天使に非ず、と。
しかし、彼は抵抗しなかったし、すんなり事実を受け入れた。
「嫉妬に狂った悪魔、か……間違ってはいないかもな」
彼は淡々と自分の中の醜い感情を受け入れていた。
「俺も浮気なんかするアイツがいなくなればいいのに、と思ってしまったからな」
「さすが元天使の中の鏡。好きな人の騎士になりたいとは」
マモンはフフッと笑った。
「アンタみたいに天使の頃からの問題児も珍しいよ」
天使のくせに自らの欲望に忠実で、利益のみを求めていた異質な存在。しかし、執務は優秀だった故に神もなかなか処断に踏み込むことができなかったという。
「それに俺は悪魔になったことを後悔していない。こっちの方が性に合ってる」
──悪魔になったことでまたリナとも巡り合えたし、とレヴィアタンはうっすらと微笑んだ。
水の龍がマモンの周囲にとぐろを巻き、いつでも襲い掛かる大勢になった。
「おや……」
危機的状況にあるにも関わらず、マモンは微笑を浮かべたまま顎を触った。
「チェックメイトだ、マモン」
やれ、と水の龍に命ずる。しかし、その瞬間。
ずん、と腹部に重い衝撃が走った。
ゆっくりと視線を降ろすと、腹に石の爪が突き刺さっていた。
「油断しましたね、レヴィアタン」
マモンはくすりと笑った。水の龍がドロドロと溶けていく。
「ぐっ……そ……」
レヴィアタンは唸り、腹の傷を手で押さえた。しかし、傷口がどろりと水に変わった。それがどんどん身体中に広がっていく。
そして、レヴィアタンは水になった。その水はじわじわと地面に広がり、土の中へ染み込んでいく。
一人になったマモンはふっと笑い、空を見た。
「……もうこんな時間ですか。残念、彼女を訪ねるのはまた次回にしましょう」
マモンが水溜まりに背を向けた時、空に花火が上がった。
*
「レヴィ遅いねー」
りんご飴をかじりながらリナはぽつりと呟いた。ベルは頷く。気付けばレヴィアタンの姿は消えていたが、リナ曰く、飲み物を買いに行ったらしい。
飲み物を買いに行ったにしては遅い。もう帰ったのではないか。
「ったく」
ベルがため息を吐いた瞬間、どよめきが聞こえた。
一瞬人々から話し声が消え、静まり返る。
何があったのかと、辺りを見回した。
ドン
空気が揺れる。暗い空がカラフルな炎で明るく染め上げられた。
「わ!花火だ!」
リナはぱっと表情を明るくし、空を見上げた。
──花火。
レヴィアタンの言葉が蘇る。
『ここの神社って縁結びだからさ、その花火を好きな人と二人で見ると結ばれるらしいんだよ』
どきん、と心臓が跳ねる。
落ち着け、と言い聞かせる。
まだリナを好きだと決まったわけじゃない……。
「え……」
どきん。
──まだって……。
自分の言い訳が少しおかしいことに気付く。
これじゃまるで、リナを意識しているみたいな──
ぎゅっと服の端を掴まれる感触があった。はっと見ると、リナが握っている。視線は空を向いたままだが。
どきんっ。
心臓が飛び跳ねる。
「リリリリリッ、リナ?」
ついでに声も裏返った。
「ベル……私分かったよ」
動揺するベルとは正反対にリナの声は冷静だった。
「私、エクソシストにはなれない」
「え──?」
ドン
花火がまた上がる。
リナはそれっきり何も言わなかった。