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ATSUMORI

作者: 鷹真
掲載日:2013/12/19

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

激しい怒号。

赤い血飛沫、鉄と鉄とがぶつかり小さな火花を散らす。

摂津国一の谷。

源平の戦いは、激しさを増していた。

正面からは、源範頼の率いる五万六千の軍勢。

なにより奇襲を得意とする義経に押しに押されて、敗走するしかなかった。

陸路を囲まれた平家軍は、水軍のいる海へ逃れる外にない。

若き平家の将敦盛は、悔しさに我知らず、懐に手を遣る。

そして大事な青葉の笛が、ない。祖父平忠盛が鳥羽院より賜った笛だ。それを敦盛が譲り受けた。

なんということだ。何処かで落としてしまったのか。

敦盛は咄嗟に手綱を手前に引き、逃げてきた道へ戻ったのだ。

それに驚いたのは、一緒に逃げていた家臣ども。

「あ・・敦盛様!!お戻りください!」

悲鳴のように叫ぶ声を背中に受けながら、青葉を探す。

少し戻った所にそれは落ちていた。馬上の揺れで懐から落ちてしまったらしい。

馬から降りて、青葉を拾い大事そうに懐へ仕舞う。落とさないように確りと奥の方へ。

再び馬上の人となった敦盛は、馬首を回し皆が逃げる海へと駆けた。

追手の馬蹄の音が、怒涛の如くに響いてきた。

「敦盛様!お急ぎください!!」

戻った敦盛を急かすように海へ誘う。

海には、追手から逃れた海へ馬ごと入り、仲間の船を目指していた。

敦盛も迷うことなく、馬を海へ入れる。

バシャバシャと水が跳ね、萌黄の鎧に水が掛る。

「待たぬか!!敵に背中を見せて逃げるとは、なんと卑怯な。」

野太い声が大音声で聞こえてきた。源氏の者だ。

ヒュンっ

鋭い音と共に矢が頬を掠める。浜から源氏の兵士たちが弓を射ているのだ。

「弓片止めい!」

その一声で、弓矢の雨が止む。

「ワシは、武蔵国が熊谷郷の熊谷直実なり!!

 主も武家に名を連ねるものであろう!ワシと尋常に勝負せい!!」

腹に響くような野太い声が一喝する。

その視線は、敦盛を凝視し射ぬいていた。

「敦盛様・・・敵の言葉に翻弄されますな。逃げるのです。」

解っている。逃げて生き延びれば、何れ勝機が巡ってこよう。

数えで齢17、秀麗な相貌に違わず荒事よりも笛や歌などの方が、余程性に合っている。

しかし、それでも武家一門平家の家に生まれた矜持がある。

それに加えて、この戦は初陣であった。

若さ故か、逃げるの言葉に悔しさが込み上げてきた。

「我慢なさるのです。貴方様はまだ若いのです、これから幾らでも悔しさを晴らせる機会がありましょう。」

肩を怒らせて、フルフルと打ち震える若い大将を見遣り、落ち着かせようと家臣が声を掛ける。

敦盛は、懐の青葉を握り、目をギュッと閉じた。


※

カツン。

尼寺に匿われていた玉織姫の髪から、簪が滑り抜け落ちた。

「敦盛様・・・・。」

玉織姫は、敦盛の許嫁であった。平家一門の平良種が娘である。

簪は敦盛より贈られたものだ。

ある望月が朧に輝く晩に、優しく微笑んで、髪にさしてくれた。

そして、青葉の笛を聞かせてくれたのだ。

青葉の笛の音は、儚く美しい色で、身にスッと溶け込むようであった。

その大切な簪が落ちた。

玉織姫は、胸が締め付けられ、呼吸が出来なくなった。

まさか、まさか・・・。

嫌な妄想に不安が募り、押し潰されそうになる。

その場に屈みこんで、ぎゅうっと自分の肩を抱き、必死に耐える。


※

静かに目を開けると、ゆっくりと手綱を引き、馬首を熊谷へ向ける。

「な・・何をなさいます!!」

慌てふためく家臣に振り向かずに、落ち着き払った声で応える。

「平家に生まれたこの敦盛。武家の矜持は曲げられぬ。」

「分かり申した。わたくしも共に・・・」

皆まで言わせず、片手を軽く上げて言葉を制する。

「吾が向かえば、気が済むであろう。」

敦盛の背中は、肩を怒らせ打ち震えてなどいなかった。

ゆっくりと浜へ馬を近づけていく。

海の中からそれを見届けていた家臣たちの目からは、涙が音もなく流れた。

奥歯を噛みしめ、声を漏らさぬように耐えていたのだ。

結果は明らかだ。

源氏の剛の者として名を馳せたる熊谷だ。

経験も力も足りない17歳の若造が、真っ向勝負で勝てるはずがない。

それでも己の矜持を守り、己の義を貫くその背中は誰よりも大きく見えた。

「勝負する気になったか。手抜きはせぬ、全力でかかって来い!!」

平氏方、源氏方、双方が静まり返る。それぞれが固唾を飲んで二人を見つめる。

「いざ!」

太刀を抜き、馬上で構えた敦盛が鋭く発し、名の通り熊の様な男に向かい駆ける。

それに応えて、熊谷も駆ける。

ガキィイィィィン!!!

ぶつかり合った刀から火花が迸る。一度の鍔迫り合いで、既に敦盛の手は痺れていた。

熊の様な大男だ、膂力も凄まじかった。

それでも、敦盛は太刀を握りしめて諦める事はしない。

眸の光も失っていない。堂々として、立派な平家武者だ。

だが、数度の激しいぶつかり合いに、敦盛は馬上でよろめいた。

その隙を見逃す熊谷ではなかった。

熊谷が太刀を大きく一閃させると、敦盛の刀は中ほどからポキリと折れてしまった。

そして、丸太の様に太い腕を敦盛にのばすと、馬上から引きずり落とした。

自分も馬から飛び降りて、敦盛の兜を無理矢理に剥いだ。

その貌を見て、熊谷の動きが止まった。驚いた。

敵片の将のその若い顔を見て、病気で亡くした自分の息子を思い出したのだ。

静止いたままの熊谷を怜悧に整った美しい顔が見上げた。

「この首を持ち帰れ。さすれば、この吾が誰か知れようぞ。」

潔く言い放ったその声は、凛として透き通るばかりであった。

いっそ清々しいまでの風貌には、恐れの色など微塵もない。

熊谷は太刀を振り下ろす事が出来なかった。

どうしてもこの青年の首を刎ねられない、どうにか逃したい衝動に駆られていた。

しかし、どんなに逃したくとも戦乱の最中、敵の将である。

「躊躇うことはない。吾は己の矜持を守り、そして破れた。それだけだ。」

熊谷は、太刀を振り下ろした。

その両目は、滂沱の泪を流していた。


※

大丈夫。きっと私の元へ帰ってきてくださる。

玉織姫がそっと落ちた簪に手を伸ばした。

・・・パキッ。

手が触れる寸前、簪は音を立てて割れた。

それ以上、我慢をする事が出来なかった。

不安は、胸を打ち破り、玉織姫を無情にも押し潰す。

とうとう、眸から一滴の涙が零れてしまった。

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