さらくんのせんせいこうげき!にこらすくんにはこうかばつぐんのようだ!
リビングから逃げ出したニックはサラの私室の前で足を止めた。
この際思い出さないほうがよかったのかもしれないが、
「俺、サラの部屋入ったことない……」
ドアノブに手をかけてそこで凍ったように止まるしかなかった。
「ノックか。ノックすれば入っていいのか!? いや、中で行われているのは着替えだぞ!? ノックとかいう問題じゃないだろ。だが今のサラは男。男の着替えに気を遣う必要なんてないだろ。このまま軽いノリで入れ、俺。今入らなかったら一生サラの部屋に入る機会なんてないぞ、犯罪者になる以外に!」
最後の言葉と同時に扉を破壊する勢いで押し開ける。視覚より聴覚より、何よりも先に嗅覚が「サラの部屋」を感じ取った。
(うおおお!! なんかいい匂いする!)
どこを見ても犯罪のような気がして、落ち着きなく部屋中を眺めた。歩き回るどころか、一歩も中に入れない。足が動かない。視線だけはグルグルと動かしてサラを探す。着替え中であるはずのサラを探す。
「なにをしているの?」
「うへぇっ!?」
聴覚が捕らえた情報源は後ろだ。部屋の出入り口に立つニックの後ろから声が聞こえたということは、状況が悪い。
「さ、サラ……? 着替えてたんじゃ、ないのか?」
「……スの服を借りたからリクスの部屋で着替えていたのよ」
小声だったため誰の服か聞こえなかったが、誰の服かどうかなどすぐにわかる。
流石に上着は着ていなかったが、男物のシャツにどこかで見たことあるようなズボン、そしてこれもどこかで見たことあるリボンのような髪留めでポニーテールになっていた。どこかの誰かのように低い位置ではなく、高い位置で綺麗に纏められた髪が、サラの頭の動き一つ一つに連動してきらめきながら宙を舞う。
男でも女でも美人は美人なんだな、とニックは神の不平等さを感じた。
「そっか、そうか! キセトがサラ呼んできて欲しいっていうから呼びに来たんだ。なんだ、そっちにいたのか。勘違いしてたぜ。いや、本当に勘違いだからな!」
「……私の部屋、扉を閉めておいてくれるかしら」
「お、おう。そうそう、サラはあいつの部屋で着替えてたんだからもうサラの部屋に用事はないもんな。俺の用事はそれだけだったから、俺のサラの部屋への用事はたった今終わったもんな。閉める閉める。それ以外に用事なんてないからな!」
「繰り返さなくてもわかっているわ」
ダヨナーと涙目になりながらニックは扉を閉めた。最終的に一歩も部屋の中に足を踏み入れずに終わるとは。だが香りと、殺風景だが整えられた部屋を忘れることはあるまい。今のような異常事態でなければ、あの中に世界一の美女が座っているのだ。
(うん。俺、今幸せだわ)
「ねぇニック」
「ん? どうしたサラ」
「ちょっと抵抗して欲しいのだけれど、いいかしら?」
「抵抗?」
えぇ、と頷くサラ。綺麗だなと見とれていたニックだがここで気づいた。女性の時とあまり身長が変わっていない。少し高くなっているようだが男性としては目を引くほど高いわけではないようだ。
短い間にサラを観察していたニックは足元で何かが動いたことを確認した。なんだろうと下を向く前に自分の体が傾いたのを感じる。
あれ、この感覚デジャブだぞ。確かキセトに吹っ飛ばされた時もこんな感じだったような。
「抵抗してって言ったのに」
「え? えっと」
戸惑っている間に腕を固められ、戸惑い驚きを吹き飛ばす痛みがニックを襲った。痛みの端のほうで、抵抗してってこういうことか! とニックの思考回路がやっとサラの言葉と繋がる。
「って、サラ強い! ギブギブギブギブっ!」
「……やっぱり、筋力も上がっているのかしら。男になるだけで筋力が上がるなんて。このままでもいいかもれないわね」
「いや! サラは女じゃないと!」
「そうかしら? 何のために?」
「何の、ってほ、ほら……。リクスとか俺とかは……」
最後は意図的にぼかしておいた。そのぼかされた内容がどういうものか、などサラも予想はつく。それを自分の生活に当てはめる具体的な経験がないだけで。
サラはニックを開放して手を差し伸べる。ニックは素直にその手を取って立ち上がった。本来のサラはともかく、男のサラには筋力で敵わないらしい。左腕を使っていたのかどうかすら確認していなかったほどだ。
「ねぇ、ニック。私は過去を取り戻すのに力が必要ならこのままでもいいわ」
「いやだから、それは――
ニックの言葉を遮ったのは物理的要因。
今度こそ混乱でもなんでもなく、ニックの思考は停止した。
「ニック。リクスやニックが私に求めていたことは、この程度でできなくなることかしら?」
せっかくサラが残していった可能性も、真っ赤になって口を押さえているニックには届いていないようだった。