悔やまれる50サンチーム
ネロは容姿の美しい子供でした。
そして聡明で、素直でした。
ですが、コゼツの旦那はこの村一番の大金持ちで、誰にも彼に逆らえず、黒といえば黒にするほかなかったのです。
コゼツ旦那はたいへんな癇癪持ちで、とくにアロアがネロと遊ぼうものなら目の色を変えて怒鳴りました。
ネロがあまりに美しく聡明であったため、アロアともしものことがあってはと不安だったからです。
アロアには地位の高い男との結婚を臨みました。
しかしエリーナは、ネロのことがとても心配でたまりません。
エリーナだけは、ふたりの味方でした。
ノートルダム大聖堂にやってくると、ネロはどうしてもルーベンスのあと二枚の絵が見たくてしかたありません。
寺男は50サンチームだ、それだけ持ってくればみせてやると言いました。
ネロにそんな大金があるわけがなく、すごすごと大聖堂をあとにするしかなかったのでした。
「お金持ちにばかりみせるだって? そんな非道なこと、きっとルーベンスならいいっこないもの。僕にはわかるんだ」
ネロはコゼツ旦那から受け取れるはずだったあの50サンチームを、思い出しては拳を固めました。
それだけあれば、見られたのに。僕はなんて間抜けだったろう。
ですがこんな気持ちにも支配されるのです。
受け取っていたら、僕はアロアに対する気持ちまで売り渡してしまっていただろう……。
「これでよかったのかな」
ネロは大切なパトラッシュの首に抱きついて、ぼそりとつぶやくのです。
アントワープという町は、巨匠ルーベンスが生まれた町でした。
そして、ネロがこれほどまでに芸術家としての魂をふるわせる理由は……どうやらナポレオン戦争に巻き込まれて戦死した、ネロの父親と関係がありそうでした。
ネロの父は画家を目指して、しょちゅう絵を描いていたのです。
戦場においても、その習性を忘れずにいて、戦乱の様子を描き綴っていました。
おじいさんが晩年を迎えた頃のことです。
おじいさんは、血が争えないのだろうかと、苦笑しながら窓の外を覗くと、雪がちらほらと降り始めました。
「もうじきクリスマスか」
ジェハンは、自分の命が短いことを悟っており、せめて死ぬ前、ネロに何かをしてあげたいと想うのですが、できずにいたので悩んだ末、靴を打ち直すことにしました。
打ち直された靴を見て、ネロは喜びましたが、かんじんの絵のことは言い出せません。
「絵のことなら知っているよ……」
ネロは驚き、顔を上げ、おじいさんをまじまじと見つめました。
「ネロのお父さんは画家だった。きっとお前もその血が騒ぐのだろう。絵を描きたいなら描きなさい。――ネロ!」
これが、ジェハンの遺言となってしまいました。