往復する暗号ラブレター
拝啓
突然このようなお手紙を差し上げる無礼をお許しください。
迷惑かもしれませんが、ひと筆申し上げます。
RGW@R ZG3zWHQ@XE
勝手なお願いですが、お返事いただけたら幸いです。
草々
川原十六夜
星野小春様
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なんだい? これ」
石椛先輩はさっと手紙に視線を走らせると、それを机の上に放り投げて、思い切り背もたれに身体を預けた。
「もしお間違えのようなら誤解は解いておきたいんだが、僕は石椛隼斗と申す者でね、星野小春という名前ではないんだよ」
「わかってますよ」
私が言うと、石椛先輩はシニカルに肩を竦める。形の好い唇が弧を描いた。
細い輪郭に男子にしては長い髪の毛。手足はスラリと長く、整った顔立ちは氷の美貌を思わせる。噂に違わぬ怜悧な伊達男だ。
「そうか、それはよかった。どうやら、君にも相手の性別を解する程度の分別はあるらしいね」
「当たり前でしょ」
「さて、どうかな。いきなり部室に入り込んできて、寝入り端の僕に説明もなく『これ読んでください!』と怪文書を押し付けてきた君に、常識的な分別があるのは果たして当たり前なのだろうか」
「………」
痛いところを突かれて、思わず閉口。「うるせぇ口だな、塞いでやる」をされてしまった。物理的にではない。精神的に。どうせなら物理的に塞いでほしかった。イケメンにされるなら無理やりでもレイプにはならない。それが女の子のホ・ン・ネ。
「んんっ」
空咳を吐いて、今さらながらに身だしなみを整える。
人の印象は見た目が十割だ。それなりに容姿の整った私は、それなりに身だしなみを整えるだけで、大抵の人間に話を聞いてもらえる。
「私は1年B組の江ノ島ほのかです」
顎を少し引き、僅かに半身になる。私の顔が相手から左斜め三十度の角度で見えるような体勢を取った。これが私が一番かわいく見える角度だ。この盛れてる角度で数々の男を落としてきた、とされている。
「……ああ、そう。何故かご存じのようだけど、僕は2年F組の石椛隼斗だよ」
幾人もの男を恋の罠に落としてきた私の天使の角度に、しかし石椛先輩は全く反応せず、欠伸を噛み殺しながら言った。
肩透かしを食らった気分だ。
私のプリチーな美貌に全く反応しないとは、この先輩、冷徹な印象とは裏腹に相当に女慣れしているのかもしれない。もしくは、単にホモなのだろう。いや、ホモに違いない。やったぜ。
内心で俄かに騒めきだす腐女子の……失礼、婦女子の本能を宥めながら、私は神妙な顔をして頷く。
「はい。存じ上げてます。石椛先輩のご活躍の噂は」
「噂ね……」
石椛先輩は曖昧に苦笑いして、
「それで? 君は僕に……或いは、我が暗号解読部に何用なのかな?」
と、言った。
そう、ここ鹿子山高校の特別棟四階西端に位置するこの教室は、音に名高い暗号解読部の部室なのだった。
暗号解読部。
部活動が盛んなことでも有名な鹿子山高校でも、ここまで奇特な部活というのはさすがに珍しい。
ちなみに、部員は石椛先輩ただ一人。かつては数十人の所帯を誇る一大クラブだったという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。
そして、石椛隼斗という先輩は、我が鹿子山高校ではちょっとした有名人だった。
曰く――名探偵、らしい。
つまりは相当頭のキレる人というわけだ。それなら頼ってみようかと、私はここを訪れたのだった。
「実は、暗号の解読を依頼したいのです」
「なるほど。察するに、その暗号というのがこの怪文書なわけだ」
首を竦めて返事をする。
石椛先輩は机の上に放り出した手紙をもう一度取り上げて、その文面にもう一度さっと目を通した。
「ここに書かれている『川原十六夜』と『星野小春』というのは?」
「二人とも、私の中学からの友達です」
「はあん――で、解読してほしい暗号っていうのは、この真ん中にあるアルファベットの羅列か……あ、いや、よく見ると数字や単価記号なんかも混じってるな……ふん」
「単価記号?」
「アットマークのことだよ、君」
と、石椛先輩はスマートフォンを取り出しながら言った。
「はえー。単価記号っていうんですか」
「『at the rate of』の略だからね」
石椛先輩はスマホを幾らか操作したあと、「はあ」と息を吐く。
そのどこか色気を孕んだ仕草に、思わずキュンと来てしまう私。もしかしたら私、チョロ過ぎるかもしれない。
石椛先輩はスマホをポケットに突っ込むと、怪しげな視線を私に注ぐ。
私はときめきと生唾を一度に飲み下した。
「それで? どうですか? 暗号、解けそうですか?」
「ん……まあ」
と、曖昧に頷く石椛先輩。
「あれ、あんまりやる気が出ない感じですか?」
「そうだね。これほど萎える暗号も珍しい」
「萎える暗号とかあるんですか……てっきり、暗号解読部なんてものに所属してるんだから、暗号を見れば涎を垂らしてはあはあ言い出すものだとばかり思っていたのですが」
「そんなわけないだろ」
「そんなわけないんですか⁉ てっきり、暗号にしかおっ勃つことができない性的倒錯者なんだとばかり思ってたんですけど」
「君は僕に暗号の解読を依頼したいのかい? それとも喧嘩がしたいのかい?」
「やだな、本気にしちゃって、もう。今のはただの照れ隠しですよ。本当は大好きな先輩に素直になれなくて、ちょっと言葉を間違えちゃっただけです」
「お気づきではないようだけどね、君と僕は初対面だよ」
「ヒトメボレです。お米の」
「お米の?」
「話は変わりますけど、コシヒカリって、なんだかちょっとエッチな響きだと思いませんか?」
「思わないね、まったく」
石椛先輩は呆れたように言って、アンニュイな視線を窓の外に向ける。
どうもこの、ダウナーというか気だるげというか――彼のそう言った気質が私のフェチに刺さって仕方がない。
地雷系男子高校生。アリかナシかで言えば、断然アリだ。
しかし、まあ、私の恋活はさておいて、彼が暗号解読にやる気を出してくれないと困るのは間違いない。暗号文に涎を垂らし始めないのは予想外だったが、ならば別のところで垂涎を狙えばいいだけの話というもの。
「わかりました」
私は鷹揚に頷く。
「石椛先輩のやる気スイッチ、私が押してあげます」
「へえ……どうやって?」
「そうですね………こんなのはどうでしょう?」
私は制服の第一から第三ボタンを外して、ちょっとだけある谷間を見せつけるように前屈みに。
だっちゅーの!
……古いか。
私は気持ち言葉に吐息を混ぜるようにして、言う。
「謎が解けたら、一回だけデートしてあげるわよ……ボ・ウ・ヤ」
「面白い大道芸だな」
鼻で笑われた。
「私渾身のお色気を大道芸とか言わないでください!」
「そりゃ悪かった。色気なんぞ微塵も感じなかったから。気色は悪かったけどね」
「気色悪い⁉ 洒落だとしても言ってはならないことを! 私は華の女子高生ですよ。ちゃんと見てくださいこの谷間! この肌艶! 女子校生フローラルが! 薫ってくるでしょう⁉」
「言ってることがおじさんなんだよ」
虫を追い払うような仕草をする石椛先輩。たとえ相手がおじさんだったとしても、していい仕草じゃない……。
「煙たそうにしないでください」
これだけの美少女を前にこの男はまったく!
はじめてですよ……ここまで私をコケにしたおバカさんは……。
「はあん……わかった。わかりましたよ」
椅子に座る石椛先輩を見下ろすようにふんぞり返る私。
「ああそう。この世で君ごときにわかることがなに一つでもあるとはね。なにがわかったんだい?」
「解けないんでしょう! 暗号が」
見下ろす姿勢のまま、鼻を膨らませて事実を突きつける。
どうだ、物理的に見下ろされる気分は。プライドの高そうな石椛先輩にはさぞキツかろう……あ、お客様困ります、鼻の穴は見ないでください。鼻の穴は見ないでください。
「暗号がまるで解けなくて、解けそうにもなくて、低い知能の高いプライドを守るためにやる気がないフリをしているんでしょう」
思い付く限りの言葉で煽ると、石椛先輩の蟀谷がピクリと動いた。効いてて草。
「図星のようですね」
「違う」
「違いません。今、私の耳にははっきりと聞こえました。『ズボシッ』という音が。これは図星が刺さったときの音で間違いありません」
「耳が悪いようだから、黄色い救急車を呼んでおいてあげよう」
黄色い救急車って、また懐かしい単語を。懐かしいというか、シンプルに時代遅れだ。時代錯誤でもある。私が理解できたから良かったものの、もしも他の子が相手だったら「黄色い救急車?」となること請け合いだ。
「図星ではないなら、暗号が解けるというのなら、なんだと言うのです? どうしてやる気が出ないのですか?」
「僕は他人の恋路なんてものに興味がないんだ。それは女子供の趣味だからね。恋文なんて青臭い物は見たくもないし、関わり合いにもなりたくないだけさ」
「はいはい……はい?」
今、この先輩はなにを言った?
恋文とな?
「これがラブレターだと、どうしてわかるんですか?」
「この令和の時代にわざわざ手書きの手紙を渡す理由なんて、それくらいしかないだろう。男が女に果たし状を書くとも思えないしね――それに、書いてあるじゃないか」
彼は暗号文を指先でトントンと叩きながら言った。
「『すきです つきあってください』って」
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RGW@R ZG3zWHQ@XE
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「これ、一見なんの意味も持たない文字の羅列に見えるけど、そういう手合いは逆にわかりやすいんだ。つまり、こういうのは換字式暗号と相場が決まってる――ああ、換字式暗号というのは、特定の文字を特定の文字に入れ替える暗号のことだ。有名なシーザー暗号や二銭銅貨、それからポケベル暗号なんかもこれにあたる」
「ああ、なんだかどれも聞いたことがあるような、ないような……石椛先輩?」
石椛先輩はそれを言ったきり黙り込んでしまって、なかなか続けようとしない。しばらく待っていると、彼は「はあ」と、また例の色気たっぷりの溜息を吐いて、ノロノロとした口調で言葉を綴った。
「あまりにも馬鹿馬鹿しくて真面目に解説する気になれない……難しい説明は省くか――要は復号に必要な対応表さえわかれば、この暗号を解くには難しくない。そして、その対応表がこれ」
緩慢な動きでポケットからスマホが取り出される。スリープが解除されると、そこにはパソコンのキーボードの画像が映っていた。
「キーボードに書かれたアルファベットとひらがなを対応させれば復号できる。例えば、『R』は『す』に、『G』は『き』に、『W』は『て』に、という風にね。ああ、『@』は濁点だ。それから小文字の『z』は、おそらく促音を表しているんだろうね。で、それを踏まえて以下の暗号を復号すると、『すきです つきあってください』となる――文言がベタ過ぎて、これも暗号なのかと一瞬だけ思ったよ」
石椛先輩はなんでもないことのように言うが、私はすっかり感心していた。
「すごいです! ひと睨みでわかってしまうなんて!」
「どうも。お世辞として受け取っておくよ」
黄色い歓声を上げてみるが、石椛先輩はやはりつれない。
彼は一仕事終えた感じで首をコキコキ鳴らす。
「さ、もう帰った帰った。僕は眠たいんだ。お帰りは同じ扉からどうぞ。入ってきた扉を覚えてるならね。僕は少し寝るから、退室は静かにお願いするよ」
「学校で寝ないでください」
「放課後なんだ。僕がどこでなにをしようと僕の自由だろう」
言って、本当に眠たげに欠伸をする石椛先輩。彼の顔つきは最高に精悍だけど、瞳がトロンとすると途端にキュートだ。母性が開眼しそうになる。俺の母乳、飲むか?
「――って……あ、あ、ホントに寝ようとしないでください。暗号解読の依頼があるんです」
「暗号? それなら、たった今解いただろう?」
「それとはまた別の暗号があるんですよ」
「……僕はその手紙の暗号を解読すればいいのか、と確かめたはずだけど?」
「はい、たしかに。けど、私その質問に答えましたっけ?」
あたしー、首を竦めただけなんですけどー。
きゅるるんとした目を石椛先輩に向ける。彼は眠たげな目に鋭い眼光を宿して、私を強く睨み付けた。やだー、センパイこわーい。
「ちっ、小癪なことを」
「あんっ……暗号のことは嫌いでも、私のことは嫌いにならないでくださいね?」
「無理な相談だね――いいよ。一杯食わされたことは認めよう。それで? 僕に解いてほしい暗号っていうのは?」
「これです」
通学鞄の中から、預かった手紙を取り出す。
石椛先輩はそれを受け取ると、面倒くさそうに目を通した。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
26 27 28 29 31 42 44 45 46 58 59 60 61 63
十六夜くんへ
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「数字か……」
石椛先輩が低い声で言った。平声のオクターブ域が広い男の子である。高めの声は耳に滑らかだけど、低めの声は子宮にビンビン来ちゃう。
「どうです? わかりそうですか?」
「……この時点じゃなんとも」
「さすがにですか」
「末尾に宛名が書いてあるということは、これも手紙なのか。なんで手紙を暗号にするかな……誰からの手紙かはわかってるのかい?」
「小春ちゃんです」
小春ちゃん――星野小春。川原くんの綴った暗号ラブレターを受け取った娘の名前だ。小柄でショートカット。とてもかわいらしい容姿をした、私の自慢の友人である。
「実は石椛先輩がさっき解読した暗号なんですけどね、受け取った小春ちゃんも自力で解読できたんですよ。二日ほどかかったらしいですけど」
「なんだ、解けてたのか。なら、なんでわざわざ僕に解かせたんだ?」
「ふ、そんなのは決まっているでしょう。噂に名高い石椛先輩の推理力が本物かどうかテストするためです」
「なかなか生意気じゃないか」
「石椛先輩」
「……なんだい?」
「合格」
「黙れ」
白い肌に青筋を浮かべる石椛先輩。や~い、紙耐久~。
「で、見事川原くんの暗号を解読して自分が告白されていることを知った小春ちゃんなんですけど、なんとそのお返事を手紙に認めたわけなんです。暗号で」
「それがこれだと」
「はい。それを受け取った川原くんは三日三晩悩んだあと、どうしても解けなくて私に泣きついてきたんですよ」
「君に?」
「はい。この江ノ島ほのかに」
「その川原という男は、よほど人を見る目がないようだね」
ははは、またこの先輩ったら憎まれ口を叩いちゃって。このこのー。
「でも、川原くんに泣きつかれたはいいものの、私も一晩考えても解けなかったんですよね。だから今朝、小春ちゃんに訊いてみたんです」
「暗号の解読法を? 作った本人に?」
「はい」
「すごいことをするね。で、答えてもらえたのかな?」
「いえ。でもヒントは貰えました。『特別棟に行くといいかも』と。私にはすぐにぴんと来ましたね。石椛先輩に頼れと言っているのだと。私、噂には耳聡いんですよ。アンテナの感度がビンビンなので」
「ああそう」
「きゃっ。感度ビンビンなんて、センパイのえっち……」
「言ったのは君だよ」
疲れたようにツッコミながら、石椛先輩は暗号文を睨み付ける。
「しかしまあ、これほど徒爾な解読作業は初めてだ」
「徒爾?」
「無意味という意味だよ」
「いえ、言葉の意味は知ってます。どうしてこの暗号の解読が無意味なのかがわからなかったんです」
「そりゃあ君、この暗号文がなにを示してるかなんて、解くまでもなくわかるからさ」
石椛先輩は当たり前の道理を説くみたいに言った。
「いや、そんな当然の常識みたいに言われても……」
「だってこの手紙はラブレターに対する返信なんだろ? なら、内容はイエスかノーかの二択に決まってるじゃないか」
「あ、そうですね」
「そして……まあこれは自分の身になって考えてみればわかると思うけど、わざわざ断りの返事を入れるために手紙なんて書くだろうか? それも暗号化までして」
「………」
まあ、そう言われてみるとたしかにその通りだ。告白を断るために、わざわざ手紙を書いたりなんかしない。返事が手紙だったということは、もうその時点でイエスと言っているようなものだ。
「ま、そういう先入観を利用して気を持たせるだけ持たせておいて、暗号を解いてびっくり、お断りの手紙でしたってオチなら、満点大笑いなんだけどね」
「小春ちゃんはそこまで性格悪くないですよ」
「どうかな」
まあ冗談だろうけど、割合本気で小春ちゃんの悪戯を疑っているようなので、友人の名誉のためにそこは否定しておく。
「小春ちゃんはまさしく、貞淑って言葉が服を着て歩いているような女の子ですよ。相手がどんな人でも、たとえ年下だったとしても、誰に対しても平等にさん付けで呼ぶような女の子です」
「ん?」
と。
石椛先輩はその言葉に反応した。
「どうしました?」
「その星野小春って女は、誰のこともさん付けで呼ぶのかい?」
「女って……まあ、はい。そうですよ。私のことも『江ノ島さん』と余所余所しく呼ぶんです。『ほのか』で良いと何度も言ってるんですけど」
「川原十六夜のことは?」
「はい?」
「だから、川原十六夜のことは、星野小春はなんて呼んでるんだい?」
「……『川原さん』ですけど?」
答えると、石椛先輩は目を細めて、「ふぅ」と細く息を吐いた。どうも呆れたような表情だ。が、これに関しては本当に心当たりがないので、首を傾げるよりない。
「君ね、そういう重要なことはもっと早く言ってくれないか。時間を無駄にしてしまったじゃないか」
「え」
「徒爾という言葉は、君にこそ相応しい単語に違いないね。君の下の名前は徒爾だったかな?」
「ほのかです。いや、ていうか……解けたんですか?」
「ん?」
「その暗号、解けたんですか?」
「……君、意外と人心に聡いんだね――ああ、その通りだよ。ちょっと待ってね……ああ、やっぱりだ」
石椛先輩は小春ちゃんの手紙にもう一度目を通すと、小さく鼻を鳴らした。
「復号完了。悪くない暗号だった」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
26 27 28 29 31 42 44 45 46 58 59 60 61 63
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「換字式暗号についてはさっき説明したね? この星野小春の暗号も川原十六夜の暗号と同じように換字式暗号である事は変わらない。けど、こっちは二段階だ」
「二段階?」
「そう。この暗号はまず、この数字の羅列を別の数字の羅列に変換するところから始めなくちゃいけない――だからまずは、この数字たちの進数表記を変えなくちゃいけない。君、さすがにN進法は知ってるね?」
「はい。さすがに」
「それはよかった。二進数が学習指導要領から削除されてしまったからね、万一知らない可能性もあると思ったのさ――N進法というのは、つまり数字を最大N種類の記号で表す方法だ。二進法だったら0と1の二つの数字、十進法だったら0から9の十個の数字を使って……と言った具合にね」
私は小春ちゃんの書いた手紙を見る。
……。
改めて見ると、異様な手紙だな。
「この数字の進数表記を変える……」
「数字の暗号を解読しようと思ったら、まずは進数表記を変えてみるのが暗号フリークの世界での常識でね。ただ、そこには問題がある。つまり、Nはなんぞや、という問題がね。二進法かもしれないし、五進法かもしれないし、七進法かもしれない――そこで役に立つのがこれだ」
と、石椛先輩は手紙の末尾を指さした。『十六夜くんへ』と宛名が書かれている。
「どうして星野小春は『川原さん』を『十六夜くん』と表記したのか。それはとりもなおさず、この宛名そのものが暗号を解読するヒントであることを示している」
「……つまり、どういうことだってばよ」
「十六進数さ」
石椛先輩のそのセリフは、雰囲気的にはカットインが入りそうな言い方だったが、生憎私にはまだしっくりときていなかった。
「……あまりピンときてない様子だね」
せっかくカッコつけたのに決まらなかったのが悔しいのだろう、石椛先輩の声には豊潤な湿度を孕んでいた。
鈍くてごめんなさい。これがお詫びのテヘペロです。
「ウザいから舌をしまいなよ」
「ウザいですと! 数多の男子たちが恋い慕い、届かず破れていった私のこの魅惑の舌が、ウザいですと!」
「ウザいのは君自体だ――十六進法っていうのはね、だから、十六個の記号で数字を表す方法なんだ。9までの数え方は僕たちが普段使っている十進法と同じで、10はA、11はB、という風にアルファベットを使って表記していく。で、15がFで、16を10と表記するわけだ。理解できたかな?」
「はい。バッチグーです。もっとサクサク進めていいですよ。こう見えて私、結構頭は良いので」
「面白い冗談だ――君、ちょっと紙とペンを貸してくれるかい?」
全く冗談を言ったつもりはなかったのだけど、抗議しても藪蛇だと思ったので、大人しく石椛先輩の指示に従った。鞄の中から数学のノートと筆箱を取り出して、机の上に置く。筆箱からモンブランのシャーペンを取り出して手渡すと、彼は物珍しそうにそれを見たあと、ノートを開いた。
「ふうん。綺麗な字じゃないか」
「書道をやっていたので」
「いいね。初めて君に好感を抱いた」
「またまたー」
ちょんちょんと石椛先輩をつついてみたところ、結構強めに手を払われた。かなり本気で嫌がられてて泣ける。
石椛先輩は開いているページを開くと、その横に暗号の書かれた手紙を置いた。
「この暗号文は、十六進法に直すとこうなる」
1A 1B 1C 1D 1F 2A 2C 2D 2E 3A 3B 3C 3D 3F
「なんだかこれ……クラス表みたいですね。真ん中のハイフンが足りないけど」
ノートに起こした文字列を見て、私は思わず呟いた。すると、石椛先輩が感心したように目を見開く。
「良い勘してるじゃないか――そう、これはクラスを表現しているんだよ。1Aは1年A組を、3Fは3年F組を表しているわけだ」
「はあ……でも、この数字がクラスを表現しているとして、それがなんなんですか?」
「言ったろ? 二段階の換字式暗号だって――このクラスの羅列を再解読して平文に直すんだ」
石椛先輩がシャーペンをくるりと回す。
「そこで星野小春のヒントが重要になってくる」
「小春ちゃんのヒント?」
なんだっけ、それ。
「『特別棟に行くといいかも』と言われたんだろう……」
「ああ、そんなこと言われましたね」
呆れ返ったような表情をする石椛先輩。
そのジトっとした目つきに、思わずゾクっとしてしまう私がいる。蔑みの表情を向けられることが、癖になりつつあってヤバい。もしも私がマゾのヒズムに目覚めたら、その時は石椛先輩に責任を取ってもらおう。
「なので、もしものときは石椛先輩が女王様になってくださいね?」
「君は頓珍漢なことを言わないと死んでしまう病なのかい?」
「私が患っているのは恋の病だけですよ。石椛先輩へのね。では、石椛先輩が女王様になったら言ってもらいたい言葉Top5いきまーす」
「もう帰れよ、君」
「『パンがなければケーキを食べればいいじゃない』」
「それ、女王じゃなくて王妃の言葉だよ」
「ナイスツッコミです、石椛先輩。てか、石椛先輩って毎回呼ぶのも長ったらしいので、先輩って略して呼んでもいいですか?」
「……はあ。勝手にどうぞ」
「やった。先輩ありがとうございます。ときに知ってますか、先輩。欧米のサブカル文化では、『senpai』は『恋心に気付いていくれない年上の異性』という意味で膾炙されているらしいですよ。ね、先輩」
「今年のどうでもいい雑学アワード大賞間違いなしの豆知識をどうもありがとう。暗号解読の続きを聞くつもりがないなら、もう帰ってくれないかな?」
「いえいえ、暗号解読の続き、聞きたいです。えっと、なんでしたっけ? バニーガールに尻尾は必須か否かって話でしたっけ?」
「………」
「冗談、冗談ですよ、先輩。無言で出口を指さないでください。ちゃんと覚えてますよ。小春ちゃんに『特別棟に行くといいかも』って言われた話ですよね? でも、それって『石椛先輩を頼れ』って意味じゃ……」
「どうして自分が書いた手紙を、見ず知らずの先輩に見せることを勧めるんだ」
「……たしかに」
言われてみればおかしい。いやしかし、だとしたら『特別棟に行くといいかも』とは、どういった用向きの言葉だったのだろう。
その答えを、石椛先輩は親指で示した。
「星野小春はあれを見てほしかったのさ」
そう言って。
石椛先輩は右手の親指で教室の窓を示す。いや、窓の外だろうか。そこに見えるのは、中庭を挟んで特別棟の南に鎮座する真四角の校舎だった。普通棟。私たちが普段授業を受けている校舎だ。
「普通棟?」
「そう。普通棟には各階七つずつの教室が配置されている。そして、それはここ特別棟から見ると、こういう風になる」
石椛先輩はノートに幾つかの四角を書いて見せた。
5F □□□□□□□
4F □□□□□□□
3F □□□□□□□
2F □□□□□□□
1F □□□□□□□
「一階は昇降口や職員室で、五階は特別教室だ。1年の教室は二階で2年は三階、3年は四階。左からA、B、Cと教室が並んで、空き教室を一つ挟んで、D、E、Fと教室が続いている」
「はい、そうですね」
私は1年B組なので、二階の左から二番目の教室だ。
「そして、さっきの暗号に記された教室をそれぞれ塗り潰すとこうなる」
シャーペンを使って色塗りするように、石椛先輩はいくつかの四角を塗り潰した。
5F □□□□□□□
4F ■■■□■□■
3F ■□■□■■□
2F ■■■□■□■
1F □□□□□□□
そこに浮かび上がってきた文字を、私は無意識に読み上げる。
「O……K……?」
「『すきです つきあってください』に対しての『OK』ということだろうね――くだらない返事だよ、まったく。暗号の発想は悪くないだけにもったいない。この暗号の方式なら、『NO』を作ることだってできただろうに。星野小春という女は、頭は良くても洒落は解さないようだね」
めちゃくちゃなことを言いながら、石椛先輩はシャーペンを放る……あの、そのシャーペン、高級品なんであんま雑に扱わないでください。
私が転がるシャーペンを筆箱にしまっている間に、石椛先輩は大きく伸びをして、それから机に突っ伏してしまった。
眠られてしまう前に、私は慌てて彼を褒めそやす。
「いや、それにしてもすごいですね。噂に違わぬ実力です。文字通り、快刀乱麻の解決でした」
「快刀を揮って乱麻を断ったときに文字通りと言ってくれ――悪いけど、僕はもう寝る。本来は睡眠に中てるべき時間を無為なことに使ってしまった。睡眠負債は取り戻さなければいけない」
私にお礼を言わせる前に、名探偵は眠りに落ちてしまった。
読んでくださり、ありがとうございました。
ふたつの暗号を贅沢に使用した本作。
ひとつ目の暗号に関しましては、割と使われるものというか、簡単よりな暗号だったかと思いますが、ふたつ目の暗号はなかなかに難解だったかと思います。
それを一瞬で解けてしまう石椛先輩……すげぇ。
それでは、最後まで読んでいただいたことに再度厚く御礼申し上げ、これにて筆を置かせていただきます。
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