第19話 〜書〜
「ん、ぅ……」
薄暗い光が部屋の中に差し込んだ。
「……って部屋!?
私、さっきまで廊下のお掃除をしていたような気がするんだけどなぁ……」
エリスはキョロキョロと部屋を見回す。
「んーと、あの廊下で肖像画を見て、懐かしくて優しい何かを見たんだけど……なんだったっけ?」
あれれー、言いながらとエリスは指を頬に当てた。
「思い出さなくてもいいんだろ?」
「うーん、そうなんだけどね、とっても大事な事を…………。
ううん、私が思い出さなきゃならない事だった筈なの。
……あ、ハイラ。いつの間に入ってきたの?」
先程部屋を見渡した時には居なかった人物である。
見回した時から今までの時間はほんの数十秒だけであり、エリスは足音すら聞かなかった。
だが、ハイラルディスにビックリした様子も無くエリスは聞く。
「さっきだ」
「あら、そう。……廊下でお掃除でしてたんだけど、いつの間にここに居たのかハイラは知ってる?」
「……そろそろ、だと思ってたんだ」
ハイラルディスはいつになく真剣な顔をしてエリスを見る。
「……なに、が?」
相手の唯ならない雰囲気を感じ取ったエリスは大きく息を吸い込んでからハイラルディスを見つめた。
「今日、お前が廊下で見たのは『第十三代王妃 アイリ=フェルー=フォン=ラマレル』の肖像画だ」
「そこまでは覚えてるけど……」
「この人物の名前、覚えてるか?」
「え、何言ってるの? アイリ=フェルー……、あれ?
リノ、ワール=……カラ、ット……?」
その名前を紡ごうとした時、エリスの口が勝手に違う名前を紡ぐ。
けれどエリスが紡いだ名前は元々の名前言おうとしたよりもその肖像画にしっくりと来た気がした。
「そう、この肖像画の人物はリノワール=カラット。
アイリ=フェルー=フォン=ラマレルに似た侍女だ」
「……この人、見た事がある……?
今日のっ!」
そう、エリスはあの時『視て』しまったのだ。
「あれは、誰の……」
「アイリ=フェルー=フォン=ラマレルの残留思念。
……薄々気付いていただろ、俺の前マスターがこいつ、リノワール=カラットだということぐらいは」
「……。うん、気付いてた。
最近よく見るの、誰かの夢を。
いつも『書』に願う人の夢を」
「『書』に……?」
さすがにハイラルディスもそれは知らなかったようで、呆気にとられた表情をした。
「願っていたの、いつも、いつも。
そして直前に、……」
エリスはその言葉を言うのを躊躇った。
その言葉を引き継ぐかの様にハイラルディスは発言する。
「『災いの書』へ願った。
アイリへの呪いであり、祝福を。
リノワール=カラットは大切な主の為に、だろ?」
ハイラルディスは悲しそうに嗤う。
「う、ん……。
ハイラルディスはその願いを、叶えたの……?」
エリスは恐る恐る聞いたが、ハイラルディスは即答した。
「結果はこのザマだ。
前マスター、リノワール=カラットは暗殺され、リノワール=カラットが助けたかった主、アイリ=フェルー=フォン=ラマレルは深き眠りにつき、あいつを庇った。
ああ、そうだ。アイリ=フェルー=フォン=ラマレルが眠りについた時、一緒に俺も『薊の塔』にて眠りについたがな。
……何もできなかった俺を、前マスターは怨むだろうな」
どこか儚げになってしまったハイラルディスをエリスは悲しい気持ちで見る。
「ハイラ……。リノワールは貴方を怨んでなんか無い、むしろ感謝していると思うの」
「そんなはず……」
「私が言うんだから間違いないわよ!」
いつになく弱気なハイラルディスを慰めるかの様にエリスは強気な口調で言った。
——…………——
エリスの心へ直接誰かが語りかける。
それはエリスも良く知るモノ……。
「ついさっきね、……っていっても本当に数秒前の事。
彼から連絡が来たの」
俯き加減だったハイラルディスはその言葉にガバッと顔を上げた。
しかし、そんなハイラルディスの反応と裏腹に、エリスは俯いてしまった。
それに気付かないハイラルディスはワクワクとした表情で言う。
「本当か!?
……ま、奴は探査を基本としてるからな。
当然っちゃ当然か。
むしろ今まで何故連絡して来なかったんだ?」
「さぁ、何でだろう?
……それより、彼はこういってたの。
『幼子が心配故に暫し留まる。
下手をすれば、詠い手がまた消える』……だって」
「詠い手!? ……まさか!
詠い手はあいつの娘だろう!?
何故消そうと……。
マスター? ……おいっ、どうしたんだよ!!」
エリスは顔面蒼白となって震えていた。
「私の、せいかもしれない」
「……どういうことだ?」
「私が、あの子に、ううん、いち早く不安や不幸、悪意や悲しみを吸い取ってしまうから。
特性上、マスターに忠実なあの子。
ごめん、なさい……」
「……負を吸い取ったのか」
「うん、あれも私の一部。
だから、力が大き……、いえ、とにかく厄介な事になってしまったのよ!」
少々茶を濁す様に言ったエリスだったが、ハイラルディスはそれを聞いていない事にした。
「……とにかく、奴に賭けるしかない、か」
「……そうね。特に、この国がそう易々と『書』を手放すとは思えないから」
言葉では納得していても、エリスの表情は納得いっていない表情をしている。
「今ここで考えてもしゃーねえし、その時に考えようぜ。
あー、昼寝しそびれた」
ふぁぁぁ、と欠伸をするハイラルディスに、エリスも笑みを取り戻していった。
「私もお昼寝したかったなぁー」
ここにお姉ちゃんもいたらなんて言うかな、とエリスは心の中で思った。
『……遠き地で一人』、自分は再び平穏に姉と相見える事があるのだろうか、とも。