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第4話 王妃陛下の離宮での目論み



 目が覚めると、天蓋てんがいのレースがゆらりと揺れていた。

 白い薄布の向こうで、朝日が金の粉のように部屋へ差し込んでいる。


 ベルクリーズ伯爵家――実家の寝室。


 棚には小さな香水瓶。飾り台にはガラスの小鳥と、妖精の女の子と男の子が踊る仕掛けのオルゴール、可愛らしい刺繍枕にうさぎのぬいぐるみ、編みかけのレース……。

 窓辺のカーテンは淡いクリーム色で、裾にレースがたっぷりとあしらわれている。

 枕元にもいくつもの大小のぬいぐるみが置いてある。

 マリアは可愛らしいものが好きなのだ。


 そんな可愛らしいもので溢れているマリアの部屋に、ひとつだけ異質なものがある。


 壁に立て掛けられた、一本の槍。


 飾り用ではないと一目でわかる、穂先の小さな欠けや、何度も握り込まれた跡のある槍。

 この部屋が竜騎士団長マリアの部屋であることを知らしめるものだ。

 マリアはゆっくりと上体を起こし、髪を肩へ流した。

 右目の眼帯が寝起きの熱で少しだけ湿っている。指先で整え、息を吐いた。


「……キリ」


 呼ぶと、待っていたかのように扉が静かに開いた。


「おはようございます、お嬢様。お目覚めでございますか?」


 フリルの多いメイド服。にこにこと柔らかな笑み。

 キリはいつだってマリアの前では笑顔を絶やさない。


「ええ。……お父様は?」

「旦那様――近衛大隊長殿は、昨夜も王宮に詰めたままです。会議後に何やら色々とあったそうで」

「……そうなのね。久しぶりに朝食をご一緒出来るかと思ったのだけど……」


 心当たりしかないマリア。きっとあの決闘もどきの件だろう。

 レオニードの実家、ブランデル侯爵家から苦情が上がっているに違いない。

 父は寡黙で、感情を言葉にしない人だ。

 けれど娘のマリアには、父のほんの少しの動きや表情の揺らぎで読み取れる。

 いつだって自分の事を心配し、大事に思ってくれているのは十分すぎるほど伝わっている。

 きっと表沙汰にならないよう奔走してくれたのだろう。申し訳ない限りだ。

 次に父に会う時には、いっぱい感謝を伝えよう。


「朝食の支度は?」

「もう整えてございます。――ですが、お嬢様は先にお水を。昨夜の巡察の砂が髪に」

「ありがとう」


 マリアがベッドを降りようとすると、キリがさっと外套を持ち、足元に室内履きを揃えた。

 手慣れた動作に、マリアは小さく笑う。


「……いつの間に私のキリは立派な専任メイドになったのかしら」

「お嬢様が十三の頃からでございます」


 キリは鼻息荒く胸を張り、微笑んだ。


「私はスラムで拾われた時から、マリア様のものでございます。マリア様に終身尽くすのが私の生き方です」

「……キリはキリのために生きればいいのよ」

「それが私のためになるんです」


 にこにこと可愛らしい顔で言う言葉ではないが、マリアはその忠誠が嬉しかった。

 その後食堂へ移動し、席に着くと、ふわふわのスクランブルエッグに厚切りハム、新鮮なサラダ、焼きたてのパンと紅茶が次々とマリアの前に置かれていった。

 どれもマリアの好きなものだ。

 マリアは心もお腹も満たされ、少し幸せな気分に浸った。


「キリ、もう少し休んだら修練場へ向かうわ」

「はい。お嬢様、今日は何をお持ちになりますか?剣と槍、どちらになさいます?」

「そうね、今日は槍の訓練にしましょう」

「かしこまりました」


 伯爵令嬢の朝の時間は終わり、これからは竜騎士としての時間が始まる。



◇ ◇ ◇



 屋敷の修練場は、乾いた木と土の匂いがする。

 床は踏み固められ、木杭の的が並ぶ。壁際には訓練用の木剣や、整えられた手入れ道具。

 父が近衛大隊長を拝命し、殆どを王宮で過ごすようになってからは、この修練場はマリアのものとなった。

 マリアはここでいくつもの傷を負い、血と汗を流し、技を磨いてきた。

 そしてこれからも。


 マリアは槍を握った。

 肩幅。足の向き。呼吸の深さ。視界の狭さを補うため、槍と体の中心から距離を測る。


 突き――引き――返し。


 日々の繰り返しがマリアの力になる。

 マリアの使う槍は所謂ランスだ。

 突きに特化したマリア仕様のもので、槍先に特注の円錐形の刃が付いている。

 通常でもかなりの威力だが、オニキスの下降する力を借りると、突いた時の威力が抜群に上がる。

 だが通常のランスより重くなっているため、筋力を上げるための訓練は欠かせない。

 もちろん地上戦へ対応するために、剣の訓練も欠かさない。


 ふと、槍を止めた瞬間、過去が胸の奥から浮き上がった。


 あの時に今くらいの力があれば、私は何をしていたのかしら。


 汗が、額を滑る。

 指先が槍の柄をきつく締めた。

 傷はもう疼かない。

 けれど、ふとした時に記憶は蘇る。

 マリアは槍を床に立て、目を閉じた。



◇ ◇ ◇



 王宮の薔薇園。

 王太子の婚約者候補を決めるべく、定期的に行われるお茶会の日。

 今日は候補の一人、ベルクリーズ伯爵家のマリアが招待されていた。

 小さなテーブルに白いクロス。銀のポット。焼き菓子。

 幼い王太子アーデルベルトは、椅子の背にもたれ、頬を膨らませていた。


「ぼく、今日は外に行きたかったのに。お茶会なんてつまらない」

「王太子殿下。お茶会も務めのうちですわ」

「だって、ぼくは王様になるんでしょ?だったら、ぼくが“つまらない”って言ったら、みんなやめればいいのに」


 アーデルベルト様は気分屋でわがままだ。

 前回のお茶会では茶菓子が気に入らないと騒いでいた。

 幼いマリアは背筋を伸ばし、扇子を畳んで膝に置いた。

 マナーは教わっている。

 二年前に亡くなったマリアの母は、病に倒れる前にマリアをとても厳しく躾けていたのだ。


「殿下は、王になったら何をなさりたいのですか?」

「え?」

「前回のお茶会で、殿下から宿題として出されたのですよ。『おまえは王妃になったら何をしたいのだ』と」

「そんな事言ったかな……」


 アーデルベルトは一瞬、きょとんとした顔をした。


「私はたくさん勉強をして、他の国のこともたくさん覚えて、王の力になりたいです」

「そ、そうか……」


 マリアが答えると、アーデルベルトは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。


「……みんなが、しあわせな国にしたい」

「しあわせな国ですか?」

「うん。貧しい人が少なくて、みんな笑顔で、争いがなくて、ぼくが王になったらそういう国にしたい」


 何も知らない子どもの、まっさらな夢だった。


 マリアの胸が、ほんのり温かくなる。

 母を失ってまだ日が浅く、世界が色を失っていた時期だった。

 大人が語るなら鼻で笑われる夢。

 しかし同じく幼いマリアには、とても素敵な事だと、キラキラした思いに心から頷いた。


「素敵です殿下!殿下ならきっと出来ます」

「ほんと?」

「ええ。きっと。お力になれるように、私ももっともっと勉強をがんばります」

「ぼくも頑張る!……えと、いろいろ!」


 幼い二人はそう誓い合った。


 その時、マリアの目に王太子の背後に控える給仕の動きが目に入った。

 いつの間にか給仕の一人が音もなく近づいてきていた。

 給仕は盆の下に光る何かを持っている。

 護衛もその動きに気づいていないらしい。

 マリアの体は自然に動き始めた。


 給仕は盆を捨てた。

 その手に持っていたのは、ナイフだった。


「殿下!」


 給仕の刃がアーデルベルトへ向かう寸前。

 マリアが割り込んだ。

 視界が白くなる。

 右目に、熱。

 腹に、冷たい痛み。


 痛い……熱い……


 そう認識した瞬間――胸の奥で、何かが目覚める感覚があった。

 痛みとともに、マリアの体の中で火が点いたような。


 覚えているのはそれだけ。


 意識を取り戻した時に知った話だったが、私はアーデルベルト様を庇って大怪我を負ったらしい事と、婚約者候補から外されたという事を。


◇ ◇ ◇


 マリアは深く息を吐き、視線を上げる。


(今思えばおとぎ話のような願いだが……)


 国のため。

 民のため。

 幼いマリアがほのかに抱いていた幼い恋心は昇華し、騎士となる道を選んだのだ。


 槍を担ぎ直した時、修練場の外から小さな足音が近づいた。


「お嬢様。王宮より使いが来ています」

「……何かしら?」


 キリが眉を寄せる。

 あまり良い話ではないらしい。


「はい。王妃陛下の離宮から……とのことです」


 マリアは瞬時に理解した。


「そう。……すぐに向かいましょう」


◇ ◇ ◇


 王宮の離宮。

 高級そうな香の匂いが濃密に漂っている。

 花瓶には季節外れの花が溢れ、壁には金の額縁に飾られた絵。作りの良い家具類、床に敷き詰められた絨毯は柔らかい高級な物。

 王妃に相応しい高級なものばかりを集めた離宮だが、見る者が違えば悪趣味にも見える。

 戦況が悪化しているというのに、ここだけが外と違う時間が流れているかのようだった。


 王妃エメラルダは宝石の散りばめられた豪奢なドレスを纏い、鏡の前で髪を整えさせていた。

 その王妃の様子を伺うように、金髪碧眼のスラリとした体型に合った、シンプルだが仕立ての良いドレスを纏った年若い女性が、優雅に椅子に腰掛けている。

 同盟国テクノラート王女ラフィリア。

 王太子アーデルベルトの婚約者その人だ。

 ラフィリアの傍付きメイドが紅茶を差し出すと、香りを楽しみ、カップを手に取った。


「……また、竜騎士団長が目立ったそうね」


 王妃の声は、嫌悪を隠さなかった。


「ええ、エメラルダ様。王城で決闘騒ぎ。――あのような愚かな振る舞いを許せば、私たち高貴な女が槍や剣を振るうのが当然だと勘違いされます」


 ラフィリアは少し心配そうな影を落とした表情だ。


「勘違い……そうね。そもそも、傷物が王太子の側にいること自体が不愉快だわ」

「おっしゃる通りですわ、エメラルダ様」


 ラフィリアは音を立てずに静かにカップを置いた。


「同盟という形ではございますが、私はアーデルベルト様を心よりお慕い申し上げております。アーデルベルト様との子を成し、支え、そして時に羽を休めて頂く為に私は参りました」

「……目障りな羽虫は叩き潰さなければね」


 王妃は鏡越しにラフィリアを見る。


「あの子……アーデルベルトは優しすぎるのよ。王族の為に命を捧げるのは貴族や民の役割。その為の盾です。それなのにあの子の優しさを利用して必要以上に引き立てられるなど、どこまでも図々しい小娘!」


 ラフィリアは頷く。


「お優しいアーデルベルト様の事、庇われた件で心を痛めていらっしゃるのではないかと……心配の種をなくして差し上げるのも手でございます」


 恋慕う乙女のようで、発した言葉の内容は恐ろしいものだった。

 王妃は満足げに微笑み、頷いた。


「あなたは賢いわね、ラフィリア王女。――あのベルクリーズの娘は、騎士を気取っているだけの狩人のようなものだわ」

「……竜に選ばれたことが、彼女を勘違いさせたのでしょう。ですが、竜騎士は貴重です。表立って追い払うのは得策ではありません」


 王妃が眉を上げる。


「では、どうするの?」

「王都から遠ざけます。ここにいては危険だと身に沁みさせるのです。そうすれば自ずと戦場へと向かうはずです。どうせ散るのならば、少しでも国の役に立ってもらわなくては」


 王妃はしばし沈黙し――扇子を広げ、ころころと笑った。


「ふふ。……あなた、やっぱり賢いわ」


 ラフィリアはカーテンの向こうを見た。

 王城の塔。そこにいるはずの王太子。


(初めてお会いした時から、あなたの隣は、私の場所なのです)


 愛しい人の視線がどこを彷徨っているかなんてすぐにわかる。

 ラフィリアに優しく微笑んだその視線で、空を愛おしそうな目で見つめている。

 私だけを、見て欲しい。

 そのためには、邪魔者を遠ざけるしかない。


 王妃が、パシパシと扇子を鳴らす。

 壁際に控えていたメイドがすぐに寄って来た。


「――ベルクリーズの娘に、使いを出しなさい。偶には貴族令嬢らしく、花を愛でながら話がしたいわと」

「承知いたしました、エメラルダ陛下」


 メイドは頷き、すぐに部屋を出ていった。


 離宮の窓の外には、雲ひとつない青空が広がっている。

 その空の下で、国を守る者たちは各々が使命をもって働いている。

 その同じ空の下で、違う戦が始まろうとしていた。




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