池尻大橋の下宿にて
『月を見て欲しい』
大学卒業間際、親友と2人で親友の下宿で安酒を煽っていた。
親友が意味深っぽい事を言うのは珍しい事じゃない。
僕はコンビニで買った安い焼酎を炭酸ジュースで割りながら話半分に聞く。
苦い酒の『旨さ』なんてわからない。
ただ何となく酔って良い気持ちになりたかっただけだ。
酒なんて半分『大人のフリ』がしたくて飲んでいるだけだったかも知れない。
「何だ藪から棒に?」
親友はそんな僕を見ながら話を続ける。
『月は自分自身で光ってる訳じゃない。
なのに人は言う。
"月の光が綺麗ですね"と。
実際の月は光を発してはいない。
それどころか月の表面はボコボコと窪みだらけだ』
「それは何かい?
"白鳥は見えない水の中では一生懸命バタ足している"みたいな話かい?」
『似ているね。
でも違う』
「結局何なんだよ?」
『何なんだろうな?
俺もよくわからん。
気の迷いかも知らん。
親友にだけは"本当の自分"を見て欲しかったのかもな』
「訳がわからん」
親友は楽しそうに、だがどこか悲しそうに笑うと『忘れてくれ』と言った。
それ以来、僕と親友の道は交わらなかった。
親友は大学を卒業して地元で就職をした。
僕は地元で就職出来た、と思っていたら入社してすぐ九州、福岡に転勤を命じられた。
僕は道路標識を見る。
"大宰府 → 14キロ"
本当に左遷させられちまったんだな、と実感する。
「頑張れば、中央に復帰出来るかもよ」
それは僕には気休めに聞こえた。
優秀なヤツを果たして地方に行かせるだろうか?
頑張れば逆転出来る?
優秀なヤツが100メートル走ってゴールするのを、僕は優秀でも何でもないのに100キロ走らなきゃいけない。
そんな『かけっこ』が平等か?
今考えたら僕が間違えていた。
"上を見たらキリがない"
取り敢えず"ちょっと上を目標にする"
それが社会に出たての正しい目標設定だ。
厳密に言うと短期目標、中期目標、長期目標を別々に置いて、絶望しすぎないようにするのが社会人の正しい目標設定だ。
しかし僕はいきなり幹部候補社員と自分を身分不相応にも比べてしまった。
そして「自分なんて一山ナンボのジャガイモみたいな存在なんだな」と悟った坊主のような達観した心境だった。
九州に転勤して寮で同室だったヤツが突然『マルチ商法』を始めた。
『自分が出世街道からはずれた』と気付いた時、ある者は出世街道とは違う楽しみを追おうと風俗にハマった。
ある者は「まだやり直しはきく年齢だ」会社を辞めた。
ある者は『マルチ商法』にハマったのだ。
部屋の中は怪しい水が入った段ボールで一杯になった。
「おい、僕の居住空間を侵略するなよ!」
部屋を埋めつくさんばかりの段ボールを見て同室の一緒に左遷された同期に僕は文句を言った。
僕の文句の真意を同室のヤツはわかっていなかった。
『マインドコントロールとはこういうモノか』と僕はこの時に知った。
「この水さえ飲んでれば、食事はしないでも大丈夫なんだよ!」同室のヤツは僕の文句を無視して、水に関する説明を熱弁した。
同室のヤツは、その時に僕が食べていた『水餃子』にその『魔法の水』をかけた。
それ以来僕は水餃子を食べられなくなった。
その時の同室のヤツを見て僕は「気持ち悪い」と思ってしまったのだ。
僕は同室のヤツを拒絶した。
ヤツは全く悪気がなかった。
きっと『お前もこちら側へ来いよ!』と言いたかったんだろう。
ヤツは夜な夜な『勉強会』とやらに出掛けた。
最初のウチは「カラオケに行ってくる」「ボーリングに行って来る」と出掛けた。
それを見て「凄いな!もう九州で友達が出来たのか!」と僕は尊敬すらしていた。
「今日は勉強会だ」とか言い始めた頃「コイツは怪しいな」と。
「これ、ヤバいんじゃないの?止めた方が良いよな?」なんて思う時期もあった。
でもその『勉強会』で叩き込まれているであろう『選民思想』が本当に話していて気分が悪かった。
『マルチ商法』がアホを捕まえる方法として「貴方は選ばれた人間です!だから私達は貴方に色々な事を教えます!周りの人らは貴方に『止めておけ』と言うでしょう。それは周りの人達がアホだからです!選ばれていない人間だからです!」とマルチ商法はマインドコントロールで子ネズミに叩き込む。
「良かれ」と思って『マルチ商法』から救い出そうとして最初のうちは僕も説得した。
でも、そのうちわかってくる。
「バカが我々をマルチ商法扱いしてくる」
「『勉強会』に出ている自分らは選ばれている。『勉強会』に出ていない連中は無知だ」
こっちを「アホだ」「バカだ」「無知だ」と見下している、とわかったら説得する気さえ失せる。
「好きにしろ」と。
「そうかよ、勝手に生きて勝手に死ね」と。
この時に学んだ。
『周りの人間はアホだ』『お前は選ばれた人間だ』と植え付ける事が人に選民思想を植え付けて、周りの説得を聞かない人間を作り出すんだと。
大学時代、渋谷駅で乗り換えて学校に向かった。
渋谷駅では白い服を着た、新興宗教の信者がビラを撒いていた。
『第七サティアンでサリン製造は無理』ビラには書かれていた。
「コイツらの耳には色んな人の反対意見が入ってくるだろうに、何で毒ガスを撒いたような宗教の教義に従うんだろうか?」
僕は不思議でしょうがなかった。
だが、同室の同期がマインドコントロールされて初めてわかった。
『コイツらはアホだからわからないんだ』
『自分は選ばれた天才だから気付けたんだ』
これを『快感』として叩き込む。
これを叩き込むだけで、人を見下して話を聞かない人間は簡単に出来あがる。
何故人間は簡単にそれに騙されてしまうのか?
『人は自分が"一山ナンボ"のミカンのようなありふれた人間だと認めたくはない』のだ。
自分のプライドを守りたい『痛いヤツ』なんて腐るぐらいいる。
周りにいないだろうか?
「こんな仕事ごとき、自分がやるような仕事じゃない」と何年間も『公認会計士』とか『司法試験』とか受けている人物。
何の事はない。
ただの『無職』なのだが。
だが、自分のプライドのために『自分はただの無職じゃない。難しい資格試験を受けているんだ』と。
周りの人達はわかっている。
「お前、何年も資格試験だけ受けてるね」と。
「わかった、わかった。
お前は『ただの無職』じゃない。
『スーパー無職』だよ。
わかったから近くに寄らないでもらえるかな?」
そういった者に限って、周りの人らを見下す。
そんなプライドだけ大きくて、中身が何もないヤツなんて、近くにいて欲しいヤツなんていない。
そういう連中は、自分の周りから人がいなくなっている事にここで初めて気付く。
ここで持ち直して真っ当な人間になるものもいる。
だが、大方の人間は『周りの人間が自分を理解しないのはアホだからだ』と。
そう思うことで自分の精神を保っているのではないか?
人間とは悲しい生き物である。
『自分は特別だ』と思わないと生きていけないヤツが少なからずいる。
『どんなつまんない人生でも、自分の人生の主人公は自分だ』という当たり前の事に早い段階で気付けるか?
気付けなければ『自分は特別なんだ』という幻想に気付かないまま詐欺の餌食になって、周りに自分を思いやってくれる友達は一人もいなくなる。
時は大学時代に戻る。
大学受験が終わり、僕は自分に失望していた。
とにかくあがり症で受験で自分の能力の5%も発揮出来ない。
いや、出来ているかどうかもわからない。
頭が真っ白になって何も覚えていないのだ。
答案用紙をキチンと埋めたかどうか、すら怪しい。
で、「一つ受かれば自信が付くかも」と後から「何をしてても受かるだろう」という大学に願書を出した。
言ったら失礼かも知らんが「これ、本当に大学受験の問題か?」と疑いたくなるような問題が出て、流石にその大学は受かった。
自分としては「落ちグセを止めよう」という話でその大学には行く気はなかった。
だがその合格発表が雑誌掲載されてしまった。
『お前、あの大学行くのかよ!』中学時代に「親友だ」と思っていた友人が言ってきた。
そいつも大学受験で苦戦していた。
その結果、志望大学より大分偏差値の低い大学に入る事をその時には決めていた。
そいつが入学を決めた大学より、僕が受かって雑誌に合格を掲載された大学は評判がよろしくない。
そいつの勝ち誇った顔を見て、僕は本当にショックだった。
そいつは僕を見下して喜んでいたのだ。
そんなヤツを親友だと思っていた自分を僕は心底情けなかった。
僕は受験失敗しただけじゃなく、友達を失った。
僕は落ちグセが少しはマシになったのか、何とか『滑り止め』の大学に合格した。
でも、僕は「これが僕の実力だ」と思っていた。
何回勉強しても、僕は緊張して覚えた事の半分も答えられない。
高校時代、柔道の試合の前に吐き気が止まらなくなって試合で勝った事が一度もない。
なのに初段への昇段審査は二回で合格した。
「緊張で持っている力が出せない」
それが僕の実力だ。
だからたとえ滑り止めとは言え、受かっただけで奇跡のようなモノだ。
僕は受かった大学のオリエンテーションを受けていた。
そこで知り合ったのが『親友』だ。
いや、厳密に言うと『親友達』だ。
何故仲良くなったのか『あいうえお順で3人が並んで座っていたから』
本当に偶然としか言い様がない。
『江藤』
『緒方』
『香山』←僕
『木村』
という並びでオリエンテーションの席は座っていた。
『木村』は次の年、遥かに偏差値の良い大学を受験し合格して僕が行っていた大学からはいなくなる。
いつもニコニコしていて、ナイスガイ風の男だった。
『木村』と同じ高校だった『田所』という男とも後から仲良くなるが、何故か『木村』の事を毛嫌いしていた。
「何を考えているかわからず気味が悪い」と。
結局『木村がどんな男だったか』知る前に通う大学が別々になる。
しかし『木村ってよくわからないヤツだったよな』と誰もが思っていた訳じゃない。
『緒方』が僕に言う。
「『木村』って覚えてる?
『木村』が入ってる落語研究会から招待状を貰ったんだよ。
一人で行くのも心細いし、一緒に行ってくれない?」と。
「んなもん『田所』と行けば良いじゃん」と僕。
「『田所』と『木村』仲悪いの知ってるだろ?
行く訳ないじゃん
頼むよ、一緒に行ってくれよ!」
「やだよ。
素人落語が面白くないのは別に良いんだよ。
つまんないのもまた微笑ましければ、ね。
『わかってるヤツは笑う』とか思ってるのが無性に痛くて気持ち悪いんだよ」と僕。
思うに僕は『選民思想』を昔から嫌っているのかも知れない。
「『そう思ってる』と決めつけるなよ」と緒方。
「いーや、思ってるね。
こないだ、ジャンケンに負けてウチの旅行サークルにきた招待状持って『映像研究会』の発表会に行って来たんだよ。
終始独りよがりで、つまんない発表会だった。
つまんないのは別に良いんだよ。
最初から面白いなんて思ってたら『発表会に行く事』がジャンケンに負けた『罰ゲーム』になってない。
発表の端々から『お前らにはわからないだろう』ってのが透けて見えて本当に気分悪かった」
「その決めつけが更に発表をつまらなくしてる気がするぞ?
頼むから俺と一緒に池袋の落研寄席に行ってくれよ!」と緒方。
「池袋?
なら話は変わってくる。
池袋に美味しいたい焼き屋があるんだよ!
皮はパリパリ、アンコは甘味と塩味のバランスが絶妙なんだ!」と僕。
「わかった!
たい焼きおごってやるから行こう!」と緒方。
「おう!」と僕。
たい焼き一枚に釣られた訳じゃない。
『何をするか?』より『誰とするか?』を重視した時期が僕にはあった。
拷問のような落研寄席も親友と2人なら思い出になる、そう僕は思っていた。
余談だが、令和五年に僕のお気に入りの池袋のたい焼き屋は廃業したようだ。
話は豪快に脱線したが僕が『緒方』と初めて会ったオリエンテーションの時『よろしく』と何気なく声をかけた時に始まる。
「来年の今頃、俺はここにいないと思うから短い間になるとは思うけど・・・ヨロシク!」
何てヤローだ!と思うと同時に僕は『緒方』ではなく『江藤』に話しかける事にした。
『江藤』は無口な男だった。
「怒ってるのかな?」と思えば独特な「だろ?」という相づちだけは小声で打った。
その声が高倉健を思わせる美声で低かったため、あだ名はすぐに『ケンちゃん』と決まった。
まあ『ケンちゃん』のみてくれは背は低くて渋いのは声だけだったのだが。
打ち解けてくると『だろ?』の正体はすぐにわかった。
『ケンちゃん』の生まれ育った所は岡山、でも誰もが想像する岡山を十倍ぐらい寂れさせた所だ。
田舎、というだけじゃない。
寂れているのだ。
昔、岡山の『宇野方面』といったら四国に向けた連絡船が出ていてそれは栄えていたらしい。
だが『瀬戸大橋』というモノが出来た。
『宇野方面』はまさにゴーストタウンになった。
旅行サークルに入っていたから、中国地方を巡った時に『ケンちゃん』の実家に泊めさせて貰ったことがあった。
約30年前だ。
平成の世の中だ。
浄水槽ですらない。
完全な『汲み取りのボットン便所』だった。
そんな高齢化が進んだ農村地帯で『ケンちゃん』は学生時代を過ごした。
老人の使う『岡山弁』が『ケンちゃん』には染み込んでいる。
『だろ?』の正体は、お年寄りが使う相槌『じゃろ?』を『ケンちゃん』が現代バージョン、標準語バージョンにアップデートしたモノだった。
テレビに出ている岡山出身のタレントを見ていればわかる。
誰も『だろ?』なんて言っていない。
『だろ?』は『ケンちゃん』特有の相槌だった。
最初『ケンちゃん』は少しスカしていた。
スカしている、なんて言っても「初めて会った人らに良く思われたい」程度の鼻につかない微笑ましいスカしかたではあったけれども。
しかし初めて一緒に学食に行った時に『ケンちゃん』の仮面は早くも剥がれる。
『ケンちゃん』は唯一のオシャレアイテムとして、紺のブレザーを着ていた。
当時『紺ブレ』と呼ばれていて紺のブレザーは何故かオシャレアイテムだったのだ。
意味不明だ。
「紺のブレザーがオシャレなら多くの高校生がオシャレじゃないか」と思うだろう?
僕も思った。
だが、インフルエンサーが『オシャレだ』と言ってしまえば訳のわからないモノがオシャレになってしまう。
時代は少し後になるが渋谷の有名喫茶店で、白い『たまごっち』を胸にブラ下げたウェイトレスが話題になった。
ファッションリーダーだ。
良く考えて欲しい。
アホだ。
ファッションリーダーがオモチャを胸からブラ下げてる時代だ。
狂っている。
少し話は脱線したが『何でブレザーなんかいつも着てるの?』という格好がオシャレな時代だったのだ。
「うぉ!紺ブレに味噌汁こぼしてしもうたぁ!どないしよぉ!?」
ダンディだった『ケンちゃん』はその時初めて大声を出した。
『ケンちゃん』にしてみたらきっととんでもない不幸だったんだろう。
でも僕にしてみたら「決めた、コイツは僕の一生の友達だ!」と思った瞬間だった。




