第七章 そのコマンドの実行は処理落ちします!(強制シャットダウン)
それから数日。
揃った四人に私は宣言した。
「それでは!今から新しいシステムの説明会と実施をします!」
すーっと聖杖を掲げる。
すると、夜空いっぱいに、セイジョウの髪からほどけた光の糸が広がっていった。
森も港も畑も、細い網でそっと包まれる。
糸は時おり星のように瞬き、私の影の中から現れた彼女――女神サーバと同期する小さな分身――が、静かな声で状況を読み上げた。
《同期完了。分散ノードから呪いログ受信。整合性チェック――よし》
私は胸を張る。
「はい、これが各地に置いた小さな浄化印――分散ノードです!
そこが吸い上げた“呪いの揺れ”を女神サーバに送って、セイジョウが層に重ねていきます!」
「層?」
とアルベルト。
「はい、積み木みたいなものです。ひとつひとつは小さい記録でも、積み重ねると“どこが次に崩れるか”の形が見えてきます。データベース完成です!!」
《多層化完了。過去パターンを学習。推論開始》
白銀の層が夜空にゆっくり回転し、どこかで赤い靄が点滅した。空気がひやりと震える。
「……今の、見えたか?」
サティが呆然と呟く。
「はい、今のコードが芽吹く前の呪いのタグです!」
私は明るく指さした。
「予防保全!定期メンテ!実施!!」
「神秘って言うより……事務処理みたいですねえ」エルドラドがこめかみを押さえる。
「でも効率はいい」
とシューレ。口元はわずかに緩んでいた。
《次の発生点プロット》
「はいっ、Alt+Tab!」
私は指先で印を弾く。
視界が切り替わる。
石畳の広場が、
一瞬で港の桟橋に、
次の瞬間畑の畦道に
さらに王城の回廊へ。
「うわっ!?」
「速すぎる!」
「酔う……!」
「せめて事前告知を…!」
「すみません、緊急複数案件の発生です!この業務にはつきものなので、すぐ慣れますよ!」
私はにっこり。四人は同時に天を仰いだ。
◇
潮の匂いのする小さな家。
庭では潮風に洗濯物が揺れている。
ベッドに腰かけたヘレナは、もう熱もなく、目の奥に強い光を宿していた。
私は癒やしの余波で残る微かな痛みを撫で拭う。
「アルベルト、私はね――今が幸せなの」
彼女は笑う。
「海の風に触れて、子どもたちの背を見送って、夕方にはみんな食事を。王宮に戻る気はまーったくないわ」
アルベルトの肩がゆるむ。
けれど、どこか悔いを含んだ表情のままだ。 私はそっと目配せした。
「幸せかどうかは、本人に聞かないとわかりませんよね。…聞けて、よかったですね」
アルベルトは目を伏せ、ゆっくりと息を吐く。
(俺は――勝手に“王宮から市井に行った姉は不幸だ”と決めつけていた。姉を守れなかったのは自分だと。でも、そんなことはなかったんだな)
そして、横で微笑む私にアルベルトは微笑み返した。
(迷いを断ち切る言葉を、当たり前のようにくれる人だ)
「……ユーリア」
「はい?」
「ありがとう。――君が、俺の時間を前に進めた」
褒め言葉に弱い私は、きりりと背筋を伸ばす。
「可視化成功です!」
ヘレナがくすりと笑った。
「ねえ聖女様、弟を残業させないでね」
「もちろんです! 残業禁止!人にさせるくらいなら、私が全部やります!」
アルベルトはわずかに目を細め、その暴走ぎみの優しさを、女性としていとおしく思った。
◇
月明かりに白く光る畝。
私は土壌ノードの設定を終えると、ふーっと息を吐いた。
「浄化完了。夜間自動で痛みを吸います。人は寝ましょう!」
お腹が鳴る。
私はパンを取り出し、もぐっとかじった。
横にサティがいたのを思い出し、半分を差し出す。 「どうぞ!あなたは人を守る人で、領地を守る人ですからたくさん栄養いります!」
「……っ」
私の口の端に粉がついていたらしい。サティは指で拭おうとして、寸前で止め、代わりにハンカチを差し出した。
「……粉、ついてるよ。風で冷えるから――マントも」
「ありがとうございます! 異物混入、即時除去!」
彼の胸の奥で、何かが軋んで変わる。
(褒賞のために近付いた俺を、“守る人”と呼ぶ……食べかけのパンもくれるし…無防備で、まっすぐで、ほんと、心臓に悪い)
「……ユーリア。――俺、君を守りたい」
「えっ? システム保守員を買って出てくださるんですか? 大歓迎です!」
サティは天を仰いだ。
星がよく見える夜だった。
◇
執務室の扉を開けると、机に積まれた文書の山、山、山。私は思わず目が輝く。
「わくわくしますね!」
「普通は“げっそり”かと思うよ」
エルドラドが苦笑する。
彼はさらりと羽ペンを走らせながら、ぽつりとこぼした。
「私は宰相として忙殺されていたから。
……恋愛は煩わしく、舞踏会の誘いも、差し入れの手紙も、仕事の邪魔にしかならないと思っていたよ」
「わかります!」
私は力強く頷いた。
「私も世間からの風当たりは強いです!!
でも――私は、仕事ができる人を、尊敬します!」
にっこり、大輪の花のように笑う、その笑顔。
エルドラドの胸に電気が走ったように、世界が一瞬止まる。
彼は昔から、女たちに言い寄られてきた。
甘い言葉も、視線も、数えきれないほど受け取ってきた。
だが、それらはいつも面倒で、心に刺さることはなかった。
今、はじめて何かが核心の正面に刺さった気がした。
「……君は、私を特別にしてくれる」
エルドラドが私の腰にそっと手を添えていた。
「ひゃっ……!? あ、あの、これは宰相業務の指導ですよね!?書類持ち上げ時の姿勢とか!」
「そうですね」
エルドラドはじっと見つめた。
「そ、そう?」
「私は――」
「あああ…えええとこれは、 指導です! ええ、労災防止の!」
真っ赤になって意味不明な逃げ道に突進する私を見て、宰相は肩を震わせた。
(女性は私の顔が好きな人が多かった。でも彼女は全く興味がないみたいだ。私を仕事として見る。
――それが焦れったいなんて)
その直後、私は自分の聖杖に気づかず、引っかかって、前のめり――
「危ないよ」
エルドラドの腕が素早く私を引き寄せ、外套がふわりと肩に掛けられた。
「今夜は冷えるから。
――上着を着る。それが規則だね」
「はいっ遵守します!」
周囲の官吏たちは色々と見なかったことにして、そっと視線を逸らした。
◇
夜風の中で、灯のように浮かぶ光の配線。
私は手をかざし、セイジョウとやり取りする。
《偏差検出。この区画、遅延気味》
「シューレさん、回路整えて増やせます?」
「任せろ」
彼は静かに魔力の流れを調律し、私の光を無理なく通していく。
その手つきは正確で、ためらいがない。
「……昨日付で魔導師長に任命された」
彼は星を見上げて言う。
「責任が重い。重圧で、師のように壊れるのが、怖い」
「大丈夫!責任は分散です! 私もいますから!」
私は即答した。
彼が一瞬だけ目を丸くし、ふっと息を漏らす。 「……観測対象としても、君は面白い。普通は涙する場面で帳票を書く聖女など、いない」
「報告は正義ですから!」
「ああ。――だが、今日は補助に回れ。
転移のAlt+Tabの切り替えは俺が合図する」
私たちは目を合わせ、二人で同時に指を鳴らした。 「せーの」 「Alt+Tab!」
視界がまた切り替わり、遠くでセイジョウが小さく笑った気がした。
◇
《新規予兆――三件同時。優先度:高・中・高》
「同時……! よし、並列進行で行きます。セイジョウ、学習モデルを軽量化、推論を前倒し!」
《了解。蒸留完了。遅延二割改善》
「すごい……」
アルベルトが息を呑む。
「未来を当てて、先回りして、事故を起こす前に防止なんてできるんだね……」
サティ。
「歴代聖女をを遥かに超える精度だけどね…」
エルドラドが低く言う。
「ユーリアだから当然だ」
シューレの声は、かすかに誇らしげだった。
私は両手を打ち合わせ、光を三方向へ走らせる。
「港は湿気由来の穢れ、
畑は地脈の渋滞、
城下は感情由来の渦。
――一括修正、入れます!」
白い波紋が重なって、街をやわらかく撫でた。
人々の顔がほどけ、揺れていた灯が落ち着いていく。
美しい微笑みで祈りを深く捧げる。
光の渦が照らす。
その姿はまさに、神話の聖女だった。
「バグ、消えましたよー!」
私が満足げに頷くと、三人は同時にこけた。
◇
いくつもの“芽”を摘み取り、国全体の明るさが戻った。
そのとき、私たちは王城にて事の顛末を伝えていた。
――王城の広間。
「陛下の伝言を伝えます
――『聖女よ、伴侶はもう見つけたのか』」
同時に、天井のステンドグラスがやわらかな光を落とす。
《聖女よ。――伴侶はまだなのですか》
女神サーバの声が重なる。
「…………え?」
私は固まった。
「え、起業? ちょ、ちょっと待ってください! ERPのクラウド導入はまだで、ピッチ資料も!まだ!なの!に!」
「い、いや、そうじゃなくて」
アルベルトが慌てる。
「結婚!? って福利厚生!? 有給!? 育休!? 新婚旅行で長期休暇!?手当!?!?」
視界にノイズが走った。
《処理落ち検出。動作停止》
セイジョウが小首をかしげる。
私は深呼吸して、どうにか復旧する。
「パ、パートナー!
そうです、支え合うプロジェクトメンバーのことですね! クラウド実装プロジェクトを走らせるための――」
「ユーリア!」
「君を守りたい!」
「貴方は私の心を動かした」
「君は、俺を救った」
四方向から重なる声。
心臓にAlt+Tabが連打され、頭が真っ白になる。
「え、ええええ!? やっぱり結婚!? それってえっ役職は何に!? 昇給!?!?!?」
それでも手は仕事を探した。
私は反射で帳票を取り出し、さらさらと書き始める。
「と、とにかく……報告書を先に……ミスは早めに報告・即修正……」
「わかったもういいからもう休め!」
アルベルトが声を荒げ、
「顔色がひどいよ!」
サティが青ざめ、
「倒れるよ?」
エルドラドが外套で包みこんだ。
「これは強制終了だ」
シューレが苦く笑う。
その瞬間――天からまばゆい光。
《残業しすぎ――強制終了》
女神の声が、やさしく、しかし逆らいようもなく降ってきた。
「……え」
私は机にこてんと突っ伏す。
ペン先には「報告完了」の文字が、うにょうにょと描かれていた。
四つの影が同時に近づき、
私の髪に、
肩に、
腰に、
そっと手が置かれる。
過保護すぎるほどの包囲網。
静かな寝息。
はほんのり赤い頬のまま眠り続けた。
セイジョウがわずかに笑う。
《ログ保存。学習継続。
――次の芽は、まだ小さい》
光の糸が夜空にほどけ、街は安らかな眠りへ。
ーー社畜聖女の新たなる歩み第一巻、強制終了、シャットダウンで終幕。