序章 大聖女、左遷される(でも定時は守る)
本日の祈り処理:七百三件。
バグ改修(一括治癒):百二十七件。
苦情一次対応(怒りの除霊):三十一件。
「――以上! 定時です、みんな上がって!」
ぱん、と手を叩く。石の詰所にいた聖女たちが顔を上げ、ほっと肩を落とした。
窓の外で鳩が翼を打ち、淡い埃が夕陽のなかで踊る。
「でも、帳票が――」
「明日でよし。睡眠は最大の聖具、過労は最大の呪い。残業は禁止です!撤収!」
くすっと笑いが走る。
聖女たちは一斉に帰り支度を始めた。
私はに貼ってある小ささな付箋をそっと覗いた。
――夢:聖女姫になる。
大聖女のさらに先。
祈りの海そのものを流線型に整え、国境も宗派も越えて整流する存在。
幼いころから胸の底で光っている大きな夢だ。
夜間残業中。
休憩に立って戻ると、人事官が巻物を持って現れた。
蝋の匂い、紙の冷たさ。
「ユーリア大聖女。……辞令です。リューンノール国への派遣指令」
さらりと乾いた文。
聖女姫は王女エレナ、ユーリア大聖女は平聖女に降格のちリューンノール国への出向の文字。
既に私の席は、事務官によってきれいに空になっていた。
「........承知しました。今夜中に引き継ぎを完了します」
それでも笑う。笑顔は業務範囲内だ。
十年、ここで必死に働いてきた。大聖女になってようやく、と思った矢先の左遷。
―――真面目に努力することは誰でも出来る
過去に誰かに言われた言葉を反芻。
胸の内側で、夢が一枚はがれる音。
苦しさに処理落ちしそうになる。
でも、泣くのはタスクの後。職場で泣かない。社畜の矜持だ。
最後の祈りログにサインしたとき、天蓋の金糸が、鈴の音のように揺れた。
冷たい光が降り、神の気配が満ちる。
《ユーリア。これからの務めを果たすには、力だけでは足りぬ。 日々を共に歩み、愛を分かち、生活を支え合う者を選びなさい。 その結びこそが、汝の力を呼び覚ます――》
「はい! プロジェクトのメンバー選定ですね!」私は食い気味にうなずく。
「要は生活班のサポート体制と家事分担と報連相の最適化。残業しないタイプが理想です!」
《……愛と……聖女を癒やす……》
「癒やしといえば、労災ゼロ体制! 福利厚生も整備して――」
《いや、だから今のは――》
「了解! 現地ニーズ調査→人員確保→タスク割振り→KPIで回します! 定時死守!」
女神の気配が一拍止まり、天蓋に鈴のような静寂が落ちた。
《……はぁ……勝手に進めておる……》
光はふっと消えた。
手早く準備し、私は聖杖とリュックを持ち、夜明け前の石畳へ出る。吐いた息が白い。
荷物の重みは十年分に感じる。
夢は遠のいた。でも仕事は待たない。出来るだけ定時で終わらせる――それが私の戦い方。
私は有料転送陣で聖女協会本部を出た。
――経費で落ちないけど。