魔王討伐戦、おみくじ担当です。
田舎の家ってやつは、なんでも捨てずに取っておく。
しかも、捨てずにしまい込むのが大好きだ。
――そして、その行き着く先が、蔵だった。
扉を開けた瞬間、むっと鼻をつく古紙と埃のにおい。
ぎっしりと詰まった段ボールと木箱、そして、年代不明の農具や仏具の山。
「うへぇ……こんなとこ、いつぶりに開けたのさ……」
祖母いわく、「あそこは触っちゃいけないって言われてたのよ」だそうだ。
じゃあなんで私が入る羽目になったんだよ、と思いつつ、軍手をはめる。
きっかけは、祖父母宅での“短期滞在”だった。
進学先が決まったものの、都会のアパートの契約まで日があり、その間を埋めるために、しばらく泊まることになったのだ。
それなのに、初日に頼まれたのが、まさかの蔵の掃除。
いや、完全に罠だったでしょこれ。
「はー……何かのフラグ立ててない? これ」
ぼやきながら、積み上げられた古家具の隙間を抜け、棚の奥に伸びるコードを引っ張った、その瞬間。
――ガタン。
音がして、振り向く間もなく、
頭に何かが落ちてきた。
◆ ◆ ◆
頭に響く鈍い痛みと、目の奥をつんざくような眩しさに、思わず眉をしかめる。
草のにおい。風の音。
さっきまでの埃っぽさは、どこかに消えていた。
「……へ?」
気がつくと、そこは見知らぬ場所だった。
草原。
石造りの建物。
その先には、巨大な階段がぽっかりと口を開けている。
なにより目を引いたのは、並ぶ人、人、人。
鎧を着た冒険者風の男、ローブを羽織った魔術師、二足歩行のトカゲまで。
それぞれ装備も種族もバラバラなのに、全員が一列に――私の前に――整然と並んでいた。
そして、横に置かれた質素な木の看板には、こう書かれていた。
――『おみくじ』
「…………おみくじ?」
その瞬間、自分の手に握られているものに気づいた。
懐かしい手触り。朱塗りの筒。
回すと、カラカラと中で何かが転がる音がする。
御神籤筒。
神社でよく見る、あの六角柱のやつだ。
「……いやいや、意味わからん。
……え、何これ、ドッキリ?」
目の前では、列の先頭に立つ冒険者が小さく深呼吸をしてから、私に向かってこう言った。
「今日の俺の恋愛運を見てくれ!」
「……は?」
御神籤筒が、小さく震えた……気がした。
「なあ、頼む。今日の俺の恋愛運を見てくれ!」
「……は?」
完全に意味がわからなかった。
けれど、目の前の筋肉モリモリ冒険者は真剣な顔でこちらを見つめている。
その背後に並ぶ他の人たちも、ちらちらと私の手元に視線を送ってきた。
(これ、私がやらないと進まない……とか?)
「この人の恋愛運……」
試しに筒を逆さにしてみる。
からん、という軽い音とともに、小さな棒がひとつ、掌に落ちた。
見ると、そこには「三一」と墨字で書かれている。
「……三十一番?」
気づけば、目の前の石畳の地面に、木製の背負い箱のようなものが置いてあり、開けると中にはずらりと番号付きの引き出しが並んでいた。
三一番の引き出しを引くと、そこにはぴっちりと小さな紙が入っていた。
指先で取り出し、開く。
そこには、こう書かれていた。
『大吉:あなたの運命の人は、今日、あなたの目の前に現れます♡』
「……え、ええ?」
「まじか! 運命か! やっぱそうか!!」
冒険者の兄ちゃんが歓喜の声を上げる。
後ろからは別の誰かが「うおお、やっぱあの子じゃねーか!」と叫び出し、列の前方がざわざわし始める。
どこからともなく鐘の音まで鳴りはじめた。
「婚姻申請書、婚姻申請書持ってこーい!」
「いやちょっと待って、早すぎん!?
え、そっち行くの!? えぇ……?」
完全に置いてけぼりの私をよそに、冒険者は代金らしき硬貨を置き、勝手に誰かにプロポーズしに行ってしまった。
そして、列の次の人が、無言で私の前に立つ。
「……仕事運を」
「……うん、あのね?」
誰も聞いていない。
誰も説明してくれない。
でも、どうやらこれは――
(これ、全員終わるまで……解放されないっぽい?)
そして、誰かが言った。
「おみくじ屋、今日もやってんのか! ありがてえ、ありがてえ!」
(……いや、やってないし。開店してないし。私、バイトもしてないし)
けれど、筒は手から離れなかった。
地面に置いても、勝手に手元に戻ってくる。
仕方なく、もう一度握りしめた私は、深いため息をついた。
「……これ、マジで夢オチじゃないの?」
その日は、結局日暮れまで、ひたすらおみくじを引かされ続けることになる。
――で、わかったことが、いくつかある。
この御神籤筒は、私しか使えないらしいこと。
誰かの運勢を占うには、私が“代わりに”何を知りたいかを宣言しないと、筒は反応しないこと。
そして――
全く覚えがないのに、私は“しばらく前からここでおみくじ屋をやっている”ことになっているらしい、ということ。
……どうやら、そういうことになっているらしい。
◆ ◆ ◆
私は、あの日以降、ここでおみくじ屋をやっている。
日銭を稼がないと、生きていけないのだ。仕方がない。
なんでも、この御神籤筒から出る籤は、“100%当たる”らしい。
――らしい、というのは、私自身が「当たったかどうか」を確認する手段がないからだ。
だが、毎日のように冒険者や商人、あるいは怪しい貴族までが列をなし、
「昨日の籤、マジだった!」と騒いでいるので、きっと本当に当たっているのだろう。
たとえば、昨日はこんな感じだった。
「“ギルド長が今日、昼過ぎに機嫌悪くなるかどうか”見てくれ!」
「“隣国の商人がちゃんと来るか”を!」
「“嫁が冷めた目をしてる理由”って占えますか……?」
……質問の内容は、だんだんおかしな方向に進んでいる。
でも、私はとにかく代わりに口に出して、籤を引くだけ。
聞いたことを復唱して、カラカラして、棒を引いて、引き出しから紙を出す。
出てきた結果が「それっぽく」当たるらしいので、なんとかなっている。
今では、ダンジョン前の石畳の一角に、勝手に“おみくじ屋”と書かれた旗まで立っている。
誰が設置したのかは知らない。たぶん、あの行列に並んでる誰かだ。
朝になると、知らない人たちが木箱や丸太を並べて“待機列”を作りはじめる。
それが終わると、誰からともなく「今日もよろしく」と声をかけてくる。
知らんがな、と思いながら、私は今日も籤を引く。
◆ ◆ ◆
どうやら、噂が噂を呼んでいるらしい。
商人たちは「旅先の仕入れ前に運勢を見てから行動するのが常識」とか言い出したし、
ギルドでは「遠征前に“おみくじ診断”を受けるべき」という謎の指針までできていた。
挙げ句の果てに、教会の神官がやってきてこう言った。
「……神の啓示かのような。だが、あまりにも“当たりすぎて”いる」
あまりにも、らしい。
私はただ、籤を引いてるだけなんだけど。
◆ ◆ ◆
街では連日、おみくじフィーバーが続いていた。
列は朝から。人が途切れるのは、陽が沈んでから。
誰もが「今日の運勢」にすがり、時に「他人の未来」まで占わせようとしてくる。
私は――その中心にいた。
違和感は、ずっとあった。
みんな、ただの“紙切れ”に一喜一憂しすぎじゃないだろうか?
占いの結果を見て本気で泣く人すらいる。
結婚、転職、家出、決闘……すべての判断を“おみくじ”に任せていいの?
それでも、日銭を稼がないと生きていけない。
ごはんはおいしいし、宿の布団もふかふかだし、
町の子供たちが差し入れてくれるパンも、やたらうまい。
そんなある夜、常宿の宿屋で事件が起きた。
遅く帰った私を待っていたのは、客たちだった。
宿のロビーに十人以上が押しかけ、口々に「順番は?」「引ける?」「さっき来たけど帰ったからズルじゃない?」などと騒いでいる。
あっという間に囲まれて、断る私の声など聞いてくれなかった。
「もう無理! こんなことされるなら、おみくじ屋なんてやらない!」
私はとうとう叫んだ。
一瞬、空気が止まる。
……その直後だった。
厨房から店主のおかみさんが顔を出し、
「うちの子に何してくれてんのさ!!」と鍋を振りかざし、客たちを追い出しはじめた。
見れば、近くの魚屋の兄ちゃんや、表の果物売りの女の子まで手伝いに来てくれていた。
――助けてくれたのだ。
見知らぬ異世界人の、こんな私を。
◆ ◆ ◆
数日後のことだった。
ある日、いつものように籤を引いていたら、妙に整った服装をした一団が列に混じっていた。
どこか高位の騎士か、貴族に仕える人間のような雰囲気。
彼らは私語もせず、淡々と私に籤を引かせる。
「“北東の砦で敵襲の可能性があるか”」
「“この作戦は、七日以内に実行すべきか”」
「“王国の命運を左右する選択肢は、いま動くべきか否か”」
どれも意味深で、それでいて……微妙に問いが違う。
わずかにニュアンスを変えて、似たような未来を、何通りにも分けて見ようとしているような――
(……なんか、すごく嫌な感じだ)
御神籤筒は答えを出し続ける。
けれど、この使い方は……よくない気がする。
◆ ◆ ◆
その嫌な予感は、案の定、当たった。
数日後、宿に現れたのは、王都から来たという使者だった。
私は、「謁見のため」だとかなんとか言われ、よくわからないうちに、城へと連れて行かれてしまった。
玉座の間は、やけに広くて寒かった。
並んだ柱、磨かれた大理石の床、壁にかかる金糸のタペストリー。
すべてが“偉そう”すぎて、逆に現実味がなかった。
その奥で、王は微笑んでいた。
声は柔らかく、語り口も丁寧だった。
「我が国の平和のため、君に是非、協力を願いたいのだよ」
「勇者たちは今、魔王討伐の途上にある。その最終局面を前に、君の力が必要なのだ」
……耳障りのいい言葉が、並ぶ。
「そこで頼みがある。
来たる決戦のために――勇者たちとともに旅立ってくれないか」
“頼み”とは言った。
けれど、語気の端々には「選択肢」など無いことが滲んでいた。
「おそれながら、私はただのおみくじ屋ですので……戦など、とても……」
一応、辞退したい旨を申し出てみる。
「もちろんだ。君に戦いを求めてはいない。
“問いを告げ、籤を引く力”こそが重要なのだ。
魔王を討つ、その瞬間まで。
――君にしかできないことだ。この国、ひいては世界のために」
“断る”という選択肢は、どこにも無かった。
◆ ◆ ◆
なんとか粘って、一晩だけ猶予をもらった。
案内された客室は、広くて静かだった。
ふかふかのベッド。銀の燭台。
庭が見えるバルコニー。
けれど、どうしても落ち着けなかった。
ここから逃げる手段はあるか?
筒を放り出したら、全部終わるのか?
いや、手元に戻ってくるし……そもそも“私しか使えない”んだっけ。
協力してくれないか、という口ぶりだったが、結局は明日までに覚悟を決めろということなんだろう。
考えが堂々巡りを始めた、その時だった。
ノックもなしに、扉が開いた。
「……入ってもいいかな?」
少年のように若く、真っすぐな瞳をした青年が立っていた。
白と金の軽装鎧に、剣。
彼が――勇者だった。
「突然ごめん。どうしても、君と話しておきたくて」
そう言って彼は、少し距離をとりながら椅子に腰を下ろした。
「僕は、王の命令で動いてるわけじゃない。
本当に、この世界を救いたいと思ってる。……それだけなんだ」
まっすぐな目だった。
それが逆に、きつかった。
「君が不安なのは、わかる。誰だって、急に世界の運命を背負わされるなんて、おかしいよね。
でも――君は、もう“選ばれてる”んだ。
世界の平和のためには、辛い選択を選ばなきゃいけない時もあることを、君にもわかってほしい」
笑顔は優しくて、残酷だった。
◆ ◆ ◆
翌朝、再び謁見の間に呼ばれた私は、言われるままに頭を下げた。
「……わかりました。ご命令、承ります」
言い切った瞬間、国王は嬉しそうに頷いた。
背後の文官たちも、口元だけ笑っていた。
(今さら断れる空気じゃなかったし。というか、最初から選択肢なんてなかった)
そういう茶番だったんだろう。
◆ ◆ ◆
謁見の後は、勇者パーティーとの顔合わせだった。
広い応接室に集められたのは、数人の男女。
白銀の剣を腰に下げた勇者、筋骨隆々の戦士、氷のような目をした魔導士、そして――お祈りポーズが似合いすぎる聖女。
「今回の旅では、君には“神託役”をお願いすることになる」
説明役の侍従が、淡々とそう言った。
「敵地への進軍の可否、作戦実行のタイミング、各自の運勢など、君の引く籤が判断材料となる。すでに陛下からも正式な勅令が下っている」
(……あ、なるほど。そういう話は、先にしてくれない?)
昨日は「お願い」で、今日は「命令」。
最初から“帰す気”がなさすぎて、もう笑えてくる。
◆ ◆ ◆
出発は数日後とのこと。
準備のため、必要なものはすべて国が用意してくれるらしい。
報酬も支払われるとのことだったが、詳しい額はぼかされたままだった。
私はといえば、別に準備するものもない。
新しい服は支給されたし、装備なんて必要ないし、剣の訓練も魔法の練習もいらない。
御神籤筒を握って、棒を引いて、紙を読む――それだけの存在だ。
なので、日中はだいたい、ぷらぷらしていた。
城の中庭、長い回廊、図書室。どこにいても人の目線が刺さる。
そして案の定、声をかけられる。
「ねえ、ちょっとだけ運勢見てくれない?」
「私の兄が兵士なんだけど、前線に行っても大丈夫かな……?」
「“恋愛運”って、籤で出ますか?」
最初は丁寧だった。けれど、次第に――当然のように。
しまいにはメイド長に「今日は少し時間を作っていただけます?」と、占いの予約表まで渡されそうになった。
あんまりだ、と思ったところに、声が飛ぶ。
「いい加減になさいませ」
つんと冷えた声。振り返ると、彼女がいた。
聖女様だった。
淡い金の髪、揺れる銀の耳飾り、祈るように組まれた指。
いかにも“聖なる存在”という佇まいで、私を見下ろす。
「神の啓示にも等しい力を、俗な欲に使うとは。
軽々しく使うべきではありません。
あなた、それでも“世界を導く存在”であるおつもり?」
(……あの、稼がないと生きていけないんですが?)
さすがに口には出さなかったけれど、そう言いたくなる気持ちだった。
◆ ◆ ◆
最近、なんとなくわかってきたことがある。
城にいる人たちは、皆、私を“見て”いない。
“見定めて”いる。
この力は本物か。どこまで利用できるのか。
信用に足るのか、それとも“神の敵”なのか。
――そういう、値踏みの目だ。
おみくじは、何も変わっていない。
ただ棒を引いて、紙を渡すだけ。
けれど、周りの視線だけが、どんどん変わっていく。
◆ ◆ ◆
いよいよ、出発の日が来た。
勇者と、その仲間たち。
王国の騎士団。
補給係や護衛の従者、薬師や神官まで同行する大所帯。
私はその一員として、隊列の後方に割り当てられた。
乗せられた馬車は広くも狭くもなく、座布団がふかふかだったわけでもない。
飲み水も食事も配給されるし、宿営のたびにテントも張ってくれる。
扱いは、悪くない。
――けれど、良くもなかった。
常に、二人の騎士が“私のそば”にいた。
護衛という名目らしい。
けれどその目は、剣の鞘に手を添えたまま、私の後ろ姿をじっと見張っていた。
(これは“守ってくれている”というより、“逃がさないつもり”だ)
旅は静かに始まり、最初の三日は特に何もなかった。
だが、四日目の朝、最初の“戦運”を占うことになった。
◆ ◆ ◆
「今日の進軍は可能か、占ってもらおう」
侍従の一人がそう言い、私に目を向ける。
私は、いつも通りに御神籤筒を振った。
棒の数字を確認し、引き出しから紙を取り出す。
『凶:不意の攻撃により、損耗の恐れあり。動くべからず』
ざわ、っと空気が揺れた。
それを見て、誰かが口をつぐんだ。
誰かが眉をひそめた。
そして――進軍は中止した。
◆ ◆ ◆
当たった。
その夜、偵察班が崖崩れに巻き込まれ、予定ルートが塞がっていたことがわかった。
以来、空気が変わった。
誰も私に直接文句は言わない。
けれど、おみくじの結果が“動くな”であるたびに、空気が少しずつ重くなるのがわかる。
◆ ◆ ◆
とある日。
またしても凶が出た。
「……またか。ここで足止めは避けたい」
「――もう一度、引いていただけますか?」
「……それは、駄目です。
一度の問いに複数回、籤を引くのは――」
「それなら、“再確認”という形で。時間も少し空けましょう」
“建前”を整えることで、なんとかしようとしていた。
結局、日暮れ前に再度引かされることになり、
その結果が“末吉”だったので、隊は進むことになった。
……これ以降、
“欲しい結果が出るまで引く”という暗黙のルールが、当たり前のように適用されるようになった。
◆ ◆ ◆
私は特に信心深い方ではないと思う。
この力の仕組みも、どこから来たのかも、何もわかっていない。
でも、それでも。
これは――やってはいけないことだ、というのは、なんとなくわかっていた。
問うという行為には、重みがある。
占いとは、“わからない未来”を尊重するための儀式のはずだった。
今や、それはただの“期待値操作”になっていた。
籤を引くたびに、背筋が冷える。
周囲の顔が変わる。
誰も怒鳴らない。誰も責めない。けれど、どこまでも無言の“圧”がある。
旅が続くほどに、私は少しずつ、怖くなっていった。
◆ ◆ ◆
旅が始まって、どれほど経っただろう。
最初は、森の獣と遭遇する程度だったが、
今では連日のように魔族との戦闘が発生している。
それでも勇者パーティーは強かった。
剣が風を裂き、魔導士の詠唱が地を穿ち、戦士が壁となり、聖女が癒やす。
私はと言えば、その前に「今日の運勢はどうか」を問われ、
進軍の是非、待ち伏せの可能性、奇襲の可能性などを“占って”いた。
今のところ、私の籤が“外れた”ことは――
一度もない。
◆ ◆ ◆
そして今日、とうとう告げられた。
「――魔王の根城が、目視できる距離に入った」
夕方、野営の準備が始まる頃、私は初めて作戦会議に呼ばれた。
円卓の並ぶ大きな天幕。
その中央に、私のための席が“用意されて”いた。
「え、え? なんで私まで?」
思わず口に出た疑問に、誰も答えなかった。
「……魔王戦こそ、必ず勝たねばならない」
誰かが静かに言った。
「この時にその力を使わず、いつ使うのだ?」
その一言に続くように、周囲の視線が私に集まった。
冷たい。正しいことを言ったつもりの、冷たさだった。
皆が、“理解できない何か”を見るような目をしていた。
人間ではなく、物品の性能を見極めるような目。
勇者は困ったような顔でこちらを見たが、結局、何も言わなかった。
他のメンバー――魔導士も戦士も、そして聖女も――私に目を向けなかった。
(あれ? 神の啓示にも等しいからって、あれこれ言ってた人、誰だっけ……?)
皮肉すら浮かぶほどに、聖女は黙っていた。
そしてその代わりに、司令官が言った。
「明日以降の突入を想定し、突入時刻の占断を」
あまりにも当たり前のように。
私は、御神籤筒を手に取った。
「明日以降、魔王城へ突入するならば、最も適した時刻は――」
カラカラ。
棒を手に取る。
引き出しから紙を抜く手に、微かな汗がにじんでいた。
少しずつ問う時間を変えて、何度も籤を引く。
(……この筒の力は何なんだろう――)
◆ ◆ ◆
突入は、占い結果が"一番良かった時刻”に決行された。
朝も昼もない、灰色の空の下。
魔王城の外壁は黒く、どこまでも高くそびえていた。
風が音を運んでくる。低く、絶えず、うねるような唸り。
勇者パーティーと、精鋭の騎士が数名。
――そして、私。
誰も口を開かない。
いや、誰も私と目も合わせようとしなかった。
聖女は、祈るふりをして視線を逸らしていた。
騎士は沈黙し、魔術師はあからさまに不機嫌そうだった。
唯一、勇者だけが、申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。
けれど、何も言わなかった。
(私、終わった後帰れるんだろうか)
精鋭の騎士たちは、私を囲むように立っている。
◆ ◆ ◆
占いが告げた通り、北門は“開いて”いた。
番兵はおらず、罠もなかった。
ただ、城内に入った途端、空気が変わった。
圧力。
胸の奥にのしかかるような気配。
籤を握っている手が、じんわりと重くなる。
廊下は長く、歪み、闇が漂っていた。
何体もの魔物が襲いかかってきたが、勇者たちは迷わなかった。
剣が光を裂き、魔法が吹き荒れる。
「この先、分岐路。右か左か、判断を」
騎士の一人がそう告げてきたのは、岩場の道が大きく二手に分かれる手前だった。
私は無言で頷くと、手にした御神籤筒を強く握りしめる。
――震える指先で、問いを口にする。
「……この道の、右側の運勢を教えてください」
カラカラ、と乾いた音が鳴る。
出てきた籤は、墨字で「四十三番」と記されていた。
引き出しから紙を取り出す。
手のひらで開いたその瞬間、胃の奥がきゅっと締まる。
『凶:足元に潜む罠に気をつけよ。見えるものこそ、危うし』
声を震わせないよう、慎重に読み上げると、周囲がざわついた。
「……左も、見てくれ」
誰かの声に、私は無言で頷く。
「……この道の、左側の運勢を教えてください」
再び、籤筒を振る。
出てきた棒には「十六番」の文字。
引き出しを引き、次の紙を開いた。
『小吉:遠回りでも、確かな道を選ぶべし。焦りは禁物』
私は、そっと息を吐く。
――どちらも、いいとは言いがたい。
けれど、まだ“左”の方が、マシだ。
「……左が、小吉でした」
言い終わると、しばしの沈黙。
やがて、前方にいた団長らしき人物が静かに指を差す。
「ならば、左に進もう」
そうして一行は、音もなく動き出す。
私は、手の中の御神籤筒を見つめたまま、その場を離れられずにいた。
“見えるものこそ、危うし”
先ほどの“凶”の文言が、頭にこびりついて離れない。
(ねえ……もしかして、この占いって……)
左の道も楽ではなかった。
落とし穴、毒霧、幻影。
けれど勇者たちは、迷わず進んだ。
この“おみくじ”だけを信じて。
◆ ◆ ◆
そして、ついにその扉の前に辿り着いた。
魔王の間。
巨大な黒い扉は、まるで生き物のように脈打っていた。
怖いくらい静かだ。
私は――立っているだけで精一杯だった。
呼吸が浅くなっている。
足元が、わずかに揺らいで見えた。
(おかしい。さっきから、なんか変だ)
御神籤筒が、微かに震えている。
手のひらに、じわりと熱が伝わってくる。
――まるで何かが中にいるように。
(これは……)
何かが近づいているのがわかった。
誰もそれに気づいていないようで、私はひとり、背筋をこわばらせる。
そのときだった。
『――帰りたくは、ないか?』
頭の中に、声が響いた。
けれど、誰の口も動いていなかった。
◆ ◆ ◆
この気配は――もしかして。
そう思った瞬間、今度は扉の向こうからはっきりと声が響いた。
「人間とは、愚かだな」
周囲の空気が、凍りついたように感じた。
隣にいた魔導士の肩がわずかに揺れ、戦士が一歩だけ距離を取った。
誰も、何も言わない。
けれど、彼らの目が、ほんの一瞬だけ私に向いたのを、私は見逃さなかった。
正確には、この御神籤筒を。
(……やっぱり)
誰もが、じっと固唾を飲んでいる。
勇者だけが、こちらを見たまま、小さく唇を結んでいた。
扉の向こうには、魔王がいる。
私は、これから――何を問う?
◆ ◆ ◆
「さあ、引け」
誰かが言った。
命令にも似た、強い口調だった。
扉の先には、魔王の間。
刻一刻と時間が迫る中、全員の視線が私に集まっていた。
「早く。魔王に勝利できるかを」
勝てると出るまで、引かされるんだろう。
「早くしないか!」
私の手の中で、御神籤筒がじわりと熱を帯びていた。
そのときだった。
『――帰りたくは、ないか?』
あの声だ。魔王の。
耳ではなく、脳に直接響いてくるような、低く冷たい声。
世界が静まったように感じた。
(……また、それか)
「ああ、そっかー……」
私は小さく、乾いた声で笑った。
自嘲のような、諦めのような。
「魔王の言うことなんて、信じられるわけないじゃん。
どうせ騙そうとしてるんでしょ。引き換えに何を奪う気なの?」
その言葉に、勇者たちが一斉に反応した。
「魔王が何か伝えてきたのか?!」
「そうだ! 信じるな、奴の言葉など!」
「君は選ばれた存在だ、ここでその力を使うべきなんだ!」
「揺らぐな、君はもう“こちら側”なんだ!」
次々と畳み掛けられる言葉。
目の奥に宿る信念、使命感、熱。
でも、誰も気づいていなかった。
私が“本当に”問いたい相手が、目の前にはいないことに。
「……無事に返してくれるわけがない。
どうせどこか、適当に選んだ世界に、似たような景色の場所に飛ばして――」
そう、続けようとしたそのとき。
『――すぐに。“あの時の蔵”へ。世界の継ぎ目をたどって、確実に。望みの形で』
魔王の声が割り込んできた。
それは、静かで、確かな声だった。
◆ ◆ ◆
私は、ふうっと長く息を吐いた。
「……私はね、平和な世界が、好きなんですよ」
誰に向けた言葉だったのか、自分でもよくわからなかった。
「だから、ソレを望みます」
そのまま、そっと筒を傾ける。
カラカラ、と澄んだ音が響く。
出てきた棒を確認する。
三十七番。
引き出しから紙を取り出し、開く。
『大吉:――すべては願いのままに成される。迷いなき選択は、必ず光をもたらす』
その瞬間、歓声があがった。
「やった! 大吉だ!」
「今がその時だ、行こう!」
「さすがは我らの導き手!」
勇者パーティーは歓喜に包まれて、魔王の元へと続く扉を開けた。
その後ろ姿を見送る。
そして、私の目の前で――突然、激しい光が広がった。
――手の中で、何かが弾けたような気がした。
◆ ◆ ◆
冷たい感触が、背中に広がっている。
埃の匂い。古木の軋む音。
天井の梁、薄暗い光、慣れ親しんだ静けさ。
私は――蔵の床に、寝転がっていた。
「……戻って、きた……?」
呟いた声が、自分でも驚くほど乾いていた。
頭を押さえながら、体を起こす。
まわりには、見慣れた古道具と段ボール。
崩れた棚。落ちた道具。そして――
傍らに、転がっていた。
割れた御神籤筒。
朱塗りの木が真っ二つに裂け、中の籤棒が散らばっている。
どこか焦げたような痕があるのは、気のせいではないだろう。
私はそれを、しばらく無言で見つめた。
籤の力は、きっと“良いもの”なんかじゃなかった。
あれは“神の力”なんかじゃない。
あれは――むしろ、魔王に近い“何か”だった。
それを、あの人たちは知っていた。
勇者も、聖女も、魔導士も、戦士も。
わかっていて、使った。
世界を救うために。未来を選ぶために。
その次に来るものも、わかっていたはずなのに。
(魔王の次は、きっと……私だった)
怖いとか、悔しいとか、そういう感情はもう残っていなかった。
ただ、ぼんやりとした疲労感と、変な納得だけが体を支配していた。
◆ ◆ ◆
「大丈夫なの!? 今、すごい音が……!」
蔵の外から、祖母の声が聞こえた。
私はゆっくりと返事をする。
「……大丈夫じゃない!」
本気で叫んだわけじゃなかったけど、
なんだか妙に大きな声になってしまって、自分で笑ってしまった。
ちらりと最後に、御神籤筒を振り返る。
もう二度と動くことはない、それでも何か残滓のような空気がそこにあった。
「……ありがとね。もう、いいよ」
そう言って、私は蔵の扉を押した。
重たい木戸が、ギィ、と音を立てて開く。
差し込んできたのは、まぶしいほどの光。
「ばあちゃん、ちょっとお茶飲んでいい?」
「いいけど……本当に大丈夫なの?」
「うん、たぶんね。たぶん、“今のとこ”は」
そう言って、私は外へ出た。
あの御神籤筒には、知らないうちに、罰が溜まっていってたのかもしれない。
あんなふうに、都合のいい結果が出るまで何度も引き続けたら――そりゃあ、ばちも当たるよね。