はじめてのおしごと
翌日、学校帰りの六角は朝比奈の元へ書類の提出へ向かった。
母親からは多少疑問を持たれたものの「友人と遊ぶお金が欲しい」と六角が話すと、息子に友人がいたことに驚くとともに、嬉しそうに署名をしたことを思い出し、六角は悲しいやら情けないやら怒りやら、なんともいえない感情が再び溢れ出した。
「失礼します...」
おどおどと緊張をあらわにしながらも声を上げる六角に、朝比奈は「よっ」と軽く手を挙げ、笑顔で対応した。
「これ、昨日の書類です」
六角が手渡した書類を1枚1枚隅々まで見て、朝比奈は2部づつ用意された書類へ割印を押した。
「はい、こっちはお前が保管する方な」
それだけ言って1部づつ纏めて返すと、彼は書類をすぐにファイリングして仕舞う。その姿に、六角は初めて朝比奈が仕事のできる人間なのだと感じた。
「如月」
「はい」
「今日は暇か?」
「......はい」
戸惑ったように六角が返すと、朝比奈はにやりと笑い返した。
「んじゃ、一つ、仕事を頼む」
その言葉に、六角は思わず「キタ」と心の中で叫んだ。イーヴルと戦うために、彼のネジを取り返すためにNUTに入ったのだ。いつかはイーヴルと戦うのだと覚悟を決めていたが、まさかこんなに早く機会が訪れるとは思わなかった。
六角はそんな思いを顔に出さないように気をつけ、声を上げた。
「はいっ!」
目の前に広がる、紙、紙、ファイル、紙、ホコリ、ファイル、紙。
六角が連れられたのは、同じ階の書類倉庫だった。自身を連れてきた朝比奈は「じゃ、整理よろしく!」などと笑って言うと、そそくさと戻っていってしまった。
足を一歩踏み出すと、床に置かれたファイルの塔が大きな音を立てて崩れてしまう。
「はぁ......くそ...」
六角は諦めたように一つため息を吐くと、とぼとぼと書類整理に取り掛かった。
「何で2002年と2018年が混ざってんだよ...」
文句をこぼしながらも着々と書類を整えファイリングしていくと、六角ははたと、とあることに気が付いてしまった。
彼は確かに、ネジを奪われたはずだ。そして、ここがそういったネジの関係する事件の書類を集めている場所ならば、確実に“ある”。
その結論に辿り着くと、六角は焦るように書類に目を通した。
2006年、2010年、2017年、2004年。年代も時期もバラバラの書類を右へ左へと分けていく。しかし、9年前_2021年_の書類は一向に見当たらなかった。
六角が周りに目を向けるも、2021〜2025年の事件簿を綴じたファイルはどこにもなかった。
(いや、そんなはずはない)
六角は確かに、2026年の書類を見た。と言うことは、書類が作られなかったということは絶対にないのだ。どこかに、この部屋のどこかに、彼の事件の痕跡が残っているはずなのだ。
ぱっと棚へ目を向ける。棚には1951〜1955年などの古い事件簿を綴じたファイルが仕舞われている。そこに2000年代以降のファイルは見当たらなかった。つまりは、この机の、この床のどこかに転がっているはずだ。
六角は書類の下や机に積まれた書類の山からファイルを探した。探して、探して、探して。
「.........あった......」
小さくこぼした言葉が倉庫内で反響した。2021〜2025年①と題されたファイルを開き、ペラペラと書類をめくっていく。2021年1月、1月、2月、2月、2月、3月。飛ばしながらめくっているはずなのに、中々6月へ辿り着けなかった。こんなにも事件数が多いことに、六角はぞっとする思いがした。
2022年6月3日、新宿区歌舞伎町の文字が目に入る。六角はまた、急ぐように書類を捲った。5日、渋谷区桜丘町、6日、北区上十条、6日、江戸川区中葛西。都内の様々な場所で事件が起きていた。
「新宿区......新宿、富久町......」
事件簿の住所欄を見ながら急いで捲っていく。港区、杉並区、足立区。事件はどこにでも転がっている。新宿区でも多数事件は起こっているものの、富久町での事件は見当たらず、六角は一喜一憂しながらも書類を見ていた。
また、書類を捲る。2021年6月18日、新宿区富久町。
「如月」
ノック音と共に自身を呼ぶ声が聞こえ、六角は吃驚しながら振り返った。出入り口にたってこちらを見つめる朝比奈に、六角は唖然と息を吐いた。
「朝比奈さん......」
「結構片付いてんなー」
そう言って笑う朝比奈に「ありがとうございます......」と六角が小さく応えると、朝比奈は今度はにやりと笑って六角を見下ろした。
「ちょっくら休憩するか」
「え」
「こないだ貰った菓子まだ残ってるかなー?」
独り言を呟いて踵を返す朝比奈の後ろを、後ろ髪を引かれながらも六角は追いかけた。またきっと整理を頼まれるだろうし、その時に詳しく見よう。そんな考えで、後ろ髪を引かれる思いを断ち切った。
事務室のソファに座り、六角は朝比奈と共に高級感のあるお菓子を食べていた。ごくりと口に含んでいたお菓子を飲み込み、向かいにいる朝比奈を見上げる。
「あの」
「んー?」
「戦わないんですか、イーヴルと」
六角の言葉に、マドレーヌを食べていた朝比奈が顔を上げる。ごくりと喉を動かして、親指についた油を唇で拭う姿は艶やかで、六角はそれに息を呑むと同時に、それが様になっている彼に「くそ......イケメンが......」と怒りを感じざるを得なかった。
「それは俺が?お前が?」
「......俺、が......いや、朝比奈さんの方も気になりますけど」
「戦わないよ。だってお前、入ったばっかのひよっこじゃん」
きっぱりと言い切る目の前の男に、六角は息を呑んだ。それは暗に「役に立たない」と言われているような気がした。
「大体さ、昨日は小暮がいたけど、今日はいないし。みんな出払っちゃってるから、お前の面倒見てくれるやついないんだよね」
再びもぐもぐとドーナツを食べながら話す。なんの感情もなく、ただ事実を淡々と述べているように言う男に、六角の先日認められたように感じていたために膨れ上がっていた自信が萎んでいく。
「そ......そうですか......」
朝比奈の言うことは正しいのだろうということがわかる。それでも、この感情を抑えることができなかった。膝の上でぎゅっと拳を握る。
すると、急に軽快な着信音が鳴り響き、朝比奈がズボンのポケットからスマホを取り出す。
「はい、もしもし......え、まじ?んー......第二は?.........はぁ〜?めんどくせぇな〜」
電話の向こうの相手と会話を交わす朝比奈に六角は黙り込む。どうやら何かあったようだが、それが一体何なのかも「ダイニ」が何かも皆目見当もつかなかった。
(だいに......第二?)
ふと考えついて、初めて六角がここへ来た時に朝比奈が言った「NUT東京第一支部」という言葉を思い出した。
ちらと朝比奈の目がこちらを向いて、にやりと笑んだ。悪寒のような何かを感じた六角になど気づかず、朝比奈は再び口を開いた。
「いや、いいのがいたわ。お前も、そこが終わったら駆けつけてくれ。頼むぞ」
言い終わるや否や、相手が電話口で何か言っているにも関わらず通話を切る朝比奈に、六角はダメな大人を見るような目で朝比奈を見つめた。
「如月」
「...はい」
「出動だ」
「......はい?」
動揺する六角を尻目にソファから立ち上がり、戸棚を開けて何かを探す朝比奈の姿に、六角は動揺をそのままに声を上げた。
「や、でも、さっきは戦わないって」
「事情が変わった。それとも、やめるか?」
軽く放った言葉だ。思い返せば「出動をやめるか」という問いだったのだろう。けれど、六角には「NUTを辞めるか」という問いに聞こえてならなかった。それはおそらく、自身が戦わない=NUTにいる意味がないと思っていたからなのだろう。
六角はぎゅっと拳をにぎり、こちらを見上げる朝比奈をしっかりと見つめ返した。
「いえ、行きます!」
そう力強く返した六角に、朝比奈もにこりと笑んだ。