NUT
「えっ」
六角の気の抜けたような声が響く。それに対し、黒服の女は静かに「今はね」と答えた。
「どうしてそんなことを聞くの?」
月色に輝く瞳が六角を射抜く。その真っ直ぐな瞳に、六角の口は自然と親友のことを話していた。
「小学生のとき、親友が急に抜け殻のようになったんです。周りは、何か犯罪に巻き込まれたって言ってたけど、俺は、ちゃんと見てたんです。」
「何を?」
「ネジを抜かれるところです。そのネジも、誰かに刺さってたネジなんですよね?」
六角の言葉に、女は目を見開く。それは、六角の言っていることが当たっていることを示しているに違いなかった。
「俺は、親友を見捨てて、ネジが抜かれるのを見てることしかできなかったんです。だから、取り戻したいんです!アイツのネジを、ちゃんと、アイツのところに!」
お願いします!と声を上げ、頭を下げる六角に、女は少し考えてから口を開いた。
「どうしても知りたいなら、明日の13時、ルフィーレに来て」
「ルフィーレ......」
「あと、5分以内にここを離れること」
じゃ、と短く放ち、女は身軽に建物の上へのぼってそそくさと去って行ってしまう。六角はその姿を唖然と見つめることしかできなかった。
翌日、世間は土曜日の休日である。その最中、晴天の下で六角は“ルフィーレ”へと来ていた。
喫茶ルフィーレはこじんまりとしたレトロな純喫茶で、高校生の六角にはなかなかに入り難い店であった。
(ここ、だよな......)
六角が何度スマホを見ようと、マップアプリはやはり目の前の店を指し示していた。
カランと音を立ててドアベルが揺れる。
店内はテーブルが4、5席とカウンターが6、7席と席数は少なめだが、壁や照明、棚から食器から全てが凝られていることが六角にもわかるほど丁寧なつくりがされている。
土曜の昼時にも関わらず、店内は閑散としており、店主らしき初老の男性と、奥のテーブル席に1人男性客がいるだけだった。
店主が新たな客へ声をかけようと口を開くも、それを遮るかのように男性客が声を上げる。
「珍しいな、こんなところに人が来るなんて」
好きなのか?こういう場所。そう言って笑う男に、六角は気まずそうに笑った。
「そ、そうですね......」
銀髪をオールバックにし、綺麗な白のカッターシャツをこれまた綺麗に腕まくりしている男に、六角は違和感と不信感を持つ。それは「普通ではない」と感じられる何かで、六角はそれを「怪しい」と判断してどうにか会話をしないよう考えるも、その思考を遮られるようにまた男に声をかけられる。
「こっちで一緒に飲もうぜ」
「え」
「マスター、この子にコロンブス1杯」
「えっ」
「ここのオリジナルコーヒー、うまいぞ〜?あ、ミルクいる?」
「あ、いえ」
「ブラック飲めんの?大人だねぇ〜」
「あ、いや」
「やっぱりミルクほしい?そうだよなあ〜」
(この人、人の話聞かねぇ......!)
六角の言葉を頭だけ聞いて遮るかのように被せて話す男に六角は内心怒りと焦りを覚える。会話をしない方向で思考を固めていたはずが、いつの間にか一緒にコーヒーを飲むことになっている現状に、六角はやはり違和感と不信感を感じざるを得ない。
と、その思考を切るかのように裏口の方から急ぐような足音が聞こえ、六角は裏口を伺い見る。
ばんっ!と大きな音を立てて開かれた扉から顔を覗かせたのは先日の黒服の女であった。
「所長!余計な仕事増やさないでください!」
男へ向けられたそれは実に怒りと焦りのこもった声だった。
「余計ってなんだ、余計って。俺はちゃんと所長として話をだなあ」
「それが余計だって言ってるんですよ。裏から聞こえましたけど、あんな居酒屋で若い女性を誘うおじさんみたいな昭和の話しかけ方して」
呆れたような責めるような女の音色に、六角は男へグサッと何かが刺さるような音が聞こえたような気がした。それはどうやら間違いではなかったらしく、男が胸を押さえて口を開く。
「あっ、刺さった。これは結構グサッときた。小暮、でっかい絆創膏ちょーだい」
「普通に反省してください」
まるでコントのようなやりとりに圧倒されていた六角が思うことは1つしかなかった。
(どういう状況だコレ...?!)
困惑する六角に気づいたらしい男がまたにこりと笑い、胸元から何かを取り出しながら口を開いた。
「あぁ、自己紹介が遅れたな。俺はこういう者だ」
差し出された名刺を受け取り、六角はじっとそれを見つめる。名刺には「朝比奈悠生」と名前が大きく書かれていた。
「朝比奈......ユウセイ?」
「ユイ」
「え?」
「朝比奈“悠生”だ」
「あ......すみません」
ピリッとした朝比奈の面持ちに、六角は謝罪を口にする。すると、朝比奈はニッと笑った。
「ま、よく間違えられるからいいんだけどさ!」
(や、やりづれぇ......)
朝比奈のあっけらかんとした様子に、六角は脱力するとともに遊ばれているようで怒りを感じざるを得ない。
次の瞬間、朝比奈は真剣な表情で六角を見つめる。
「それじゃ、案内するよ。着いておいで」
自信を射抜く灰色の瞳に、六角は無意識に息を呑み込んだ。
朝比奈はくるりと振り返り、裏口へと向かっていく。六角が”小暮”と呼ばれた女を窺い見ると、女は着いていくよう顎を小さく動かして指示する。その指示に従い朝比奈の後ろを六角が着いていくと、小暮はその後ろを歩いた。
裏口の扉を潜ると、その先には正面と左右にそれぞれ1つづつ扉がある1畳もない空間が広がっていた。
右手の扉を朝比奈が開ける。その先を六角が軽く覗き込むと、どうやら地下への階段があるようだった。薄明かりが照らすコンクリート造りの階段を下っていくと、今度は真っ黒なエレベーターが現れる。
六角が緊張するようにエレベーターを見つめていると、朝比奈がエレベーター横のパネルにカードキーをかざした後、8桁だか10桁だかの数字を打ち込む。そうして開いたエレベーターの中は無機質で、しかしその無駄のなさが六角には美しく思えた。
朝比奈の後に続いて六角と小暮がエレベーターへ乗り込む。朝比奈がパネルへカードキーをかざし、3階のボタンを押すと、エレベーターは緩やかに上昇し始めた。その滑らかな動きに六角が思わず感嘆の声を漏らすと、小暮は小さく笑みを浮かべた。
エレベーターが3階に停まり、扉が開くと同時に歩き出す朝比奈の後ろを2人が歩く。
廊下は天井からの薄明かりと壁の下方に取り付けられた青い線状のライトで照らされており、その壁はシルバーの何某かの金属でできているようだった。
暫く進んだあと、ドア横のパネルにカードキーをかざして朝比奈はスタスタと自動ドアを潜り抜ける。続いて室内へ入った六角がキョロキョロと辺りを見回す。
廊下よりも明るく、しかし明るすぎない照明が室内を光で満たしており、壁の下方には廊下と同じように青いライトが取り付けられていた。
朝比奈が正面の1番大きなデスクの前で立ち止まり、くるりと振り返る。
「ようこそ、NUT東京第一支部へ」
両手を広げて言う朝比奈を六角はただ困惑したように見つめていた。
「ナット......東京第一支部...?」
「これ、何に見える?」
朝比奈が左手に持つどこからか出したそれは銀色の丸ネジだった。
「ネジ、ですよね?普通の」
「そ。じゃあこれは?」
六角が答えると、朝比奈は再び問う。今度は右手に薄緑色の、先ほどのネジよりも多少短いネジが見えた。
「......ネジ、です。なんか、ちょっと色違いますけど」
「!なるほどな。小暮、お前やっぱ見る目あるわ」
ニヤリと笑みを浮かべる朝比奈に、六角は首をかしげる。六角には、自身が何を問われているのかイマイチ理解ができなかった。
朝比奈が左手を少し上げる。
「こっちは普通のネジ」
そして今度は右手を少し上げ「こっちは人間に刺さってるネジ」と放ち、右手に持つネジを六角へ渡す。六角がネジをまじまじと見つめる中で、朝比奈は説明を続けた。
「ネジにはそれぞれ違った力がある。身体能力とか五感とかな。それを他人から奪い、より良い、より強い力を求める奴らがいる。俺たちはそいつらをまとめてイーヴルと呼んでる」
「イーヴル......」
「そして、俺たちはそいつらから密に一般人を守る組織。Naturalized in Usually of Tela。通称NUTだ」
「………」
「お前、取り戻したいネジがあるんだっけ?」
「!…はい!」
「NUTに入ればそれが叶う確率は格段に上がるだろう。けど、それ以上に危険も付きまとう。怪我なんて日茶飯事だし、最悪死ぬことだってあり得る。それに、俺たちのしたことが世間に評価される日は一生来ないし、俺は来るべきではないと思う。それでもNUTに入りたいか?」
考えたこともないことだった。生死など、普通に生きていればほとんど考えることはない。
「”いつか”親友のネジを取り戻すのだ」と六角は考えていた。しかし、小学生の頃から考えていたそのいつかはとっくに10年近く時間を経てしまった。結局、いつか、いつかと言いながらも、六角は一生ネジを探さないまま、親友を見捨てたことを後悔しながら生きていく。そんなこと、六角にだってわかっていた。ずっと言い訳をして、いつかを先延ばしにして。
それではいけないのだ。”いつか”ではなく”今”でなければいけないのだ。例え、それによって自身の身が脅かされようとも。”彼”がそうしてくれたように。
拳を強く握りしめ、六角は真っ直ぐに朝比奈を見つめ返した。
「はい。俺を、NUTへ入れて下さい!」
頭を下げる六角の耳に、1つ、息を吐く音が聞こえた。