喋る鏡との出会い
アレン・フィードは貴族だが、階級に拘りが無かった。
上にも下にも有象無象の貴族がひしめく中間層の伯爵位、王都に近いが少し高地にある為涼しく避暑地になっていることが取り柄の領地を持つのがフィード家だった。
その4番目の子として生まれたアレンは、爵位を継ぐ可能性など全く考えずに領地にて奔放に育った。平民になるのも良いなどと考える程には市井の暮らしを身近な存在と捉えていて、堅苦しい貴族の付き合いはほぼしないまま王都にある私立学園へと入学した。
その私立学園は、貴族と平民のどちらも通う、金さえあれば頭はそこそこでも入れるという無難な学舎である。たまにパーティーが開かれるが平民は任意参加で、ドレスが用意できないなら制服で良いという柔軟さがアレンは気に入っていた。
試験は家庭教師から習う範囲内なので、特に試験勉強もせずに入れた。
入学以降も特に詰まることなく勉学も運動も無難に習得し、無難な成績を修め、友人達と楽しく過ごした。
初めての長期休暇に心を踊らす前期最終日前夜に、親睦会という名のパーティーがある。友人達と是非参加しようという話で盛り上がり、楽しみにしていた。
お金に困っていないが節制気質のあるフィード家としては次男のお下がりを着ることにした。親睦会という名目もあり、話したことがない人や学年の違う人と話すことを目的としているが、アレンは機会があれば話せば良いだろうと気楽に考えていた。だからお下がりでも問題はない。
会場入りしてからは、友人知人のドレスアップした姿を褒め合ったり、長期休暇の予定の話をして盛り上がった。時折、友人達の兄姉を紹介されて「これで目的は達成だな」と、特に背負ってなかったが肩の荷を降ろした気分で、自分も第3子の長女が近くに来たタイミングで紹介した。見目が良いので喜ばれ、姉の満更でもない顔を拝むことになった。
後は完全に楽しむだけというところで会場を一時的に抜けた。お手洗いを理由にしたが、少し夜風に当たりたかったというのが本音だった。
勝手口のある廊下を歩いている時、声が聞こえてきた。何やらブツブツと呟き続けており、同じ声であることから独り言を言っているのだと気付く。
しかし、前は勿論、後ろにも人は居ない。曲がり角はあるが随分先だ。呟きはもっと近くから聞こえる。
ゾッとしてキョロキョロと辺りを見回すが、やはり何も無い。寒気がしてきて腕を擦った辺りで気付いた。
(あんなところに鏡なんてあったっけ)
まだ少し歩いた先に大きな鏡がかかっていた。装飾は質素に見えたが、近寄ってよく見ると繊細な彫刻が施されていて豪華だ。正面に立ってみると、茶髪に茶目のとても平凡な顔が映った。
『ああ、これは可愛らしい子が来たな。ここは学舎だから若者が多く活気があって良い。私の普段居る所なんて酷いもので無機物しか無いから何の音も無くてつまらん。ところで君は何年生なのかな?』
「一年生です……」
どこらからともなく聞こえる呟きに咄嗟に答えてしまい、パッと右手で口を抑える。変なものに応えてしまったかもしれないと顔が青ざめる。
『ほう。私の声が聞こえるか。そうか。聞こえるか。私の名はコウゼリカ。君の名は何というのだ?』
アレンはまた飛び上がった。コウゼリカとはアレンが住むこの国の名であり、その由来は建国の鏡であることを学んで知っている。鏡の近くに居ると聞こえてくるこの謎の声の正体は、目の前のこの鏡なのだと漸く気付いた。
もしそうであるならば無視は出来ないし、応えておいて良かったと安堵しながら口を開く。
「アレン・フィードと申します」
『そうか。ではアレン、随分と騒がしいが一体何が理由だ?』
その質問に、まさか気分を害しているのではと心配になる。とはいえ、パーティー用の建物内に居るのだから、時に騒がしいのは仕方ないことだ。
(いや、待てよ。このような鏡は今まで見たことがないし、先程おっしゃっていたではないか。普段居るところは静かだ、と。いつもはいらっしゃらないから知らないのだ)
不思議な鏡は転移術も使いこなすらしい。
そう考えを纏めたアレンは、初めてここに来た人を想定して教えた。鏡の学園に対する疑問が次から次へと出たので、分かる範囲で答えた。
すると、鏡は満足そうな声を出した。
『いや、様々な疑問が晴れた。ありがとう、アレン』
「いえ、コウゼリカ様のお役に立てたならば光栄でございます」
『……様はいらぬ。コウゼリカと呼べ。我らは友人だろう?』
アレンは驚いて目を開き、何度かぱちぱちとまばたきをした。否定しようかと思ったが、確かに級友であれば、これだけ会話したら友人と呼べるかもしれない。なのに拒んだら不興をかうかもしれない。
であれば、畏れ多いことだが受け入れようと決めた。
「友人と思って頂けるとは思ってもいませんでした。では恐縮ですが、そのように致します」
どうせこんな幸運は2度無いだろう。最初で最後の会話だし、コウゼリカの声が他の人に聞こえないのであれば今の自分は鏡と会話する道化だ。周りからは無礼というより阿呆と見られるだけだろうと開き直った。
「承知しました。では話し方も崩して良いでしょうか?」
アレンは調子にも乗った。
『構わない』
「ありがとう。ふう、肩が凝るかと思った」
案の定あっさりと許しが出たので口調を一気に普段に戻した。懲りも解れそうとフッと息を吐く。平時から平民と話すことが多いアレンは堅苦しい言葉遣いに疲れていたのだ。
『さて、私はそろそろ戻ろうと思う。巡回兵が居てな。最近私が居るか確認するヤツが居るのだ』
明らかに厄介で面倒だと思っていることを隠そうとしないコウゼリカにアレンが笑って肩をすくめる。
「そりゃ建国の鏡が居るか確認しない方がおかしいだろう。この国にとっての一番の宝なんだから」
アレンにとって、ここまで話をした鏡を物扱いすることが出来なくなり、居るという言い方になった。以前のアレンなら『ある』と言っただろう。この短い間に随分と意識を変えられてしまった。
『そういうものか。ところでアレン、お前は15だったな』
「ああ、改まってどうした?」
コウゼリカの確認に頷く。学園は満15歳で入り、3年後に卒業する。今年度のアレンの誕生日は、まだ来ていない。
『私は長く人の話を聞き続けてきた。会話が成立することは稀だったが、お前の年頃の関心事が何かは熟知している』
「はあ、それで?」
なんとも的を射ない話だ。アレンの周りでは特に悩んでいる者は居ない。知らないだけかもしれないが、言われなければ分からないので居ないと判断して良いと思っている。
関心事とは一体なんだろうか。そう頭を悩ませていると、鏡はまた独り言を言い始めた。
『ふむ……。よし。あの者が良いだろう』
「うん?」
よく意味が分からず、アレンが首を傾げた時にある男の紹介が始まった。
『ジーケルド・リイデアルマ。侯爵家の次男坊。容姿端麗で才能に溢れているが現在は才能を隠し、独りを好みこの学園に居る』
「知ってるよ。侯爵家なのに何故こんな平凡な学園に居るのかと思ってたら才能を隠してるのか」
この学園では有名だ。高位の貴族は滅多に入ってこない所に一人入っているのだから当然人の口にも上りやすい。
何か事情があるのか、本人の能力が低いのかと、噂は絶えない。アレンからすると、高位貴族は大変そうだという感想しかなかったが、能力を隠しているのであれば、噂の真偽としては能力の低さでこの学園に入ってきたということだろう。
正直なところ、受験勉強をしなくとも入れたアレンとしては、能力を隠すにしてもマシな学舎は他にあったのではないかと思わなくもない。
『ああ。つまり、原石でもある。本人が磨く気になれば光輝くだろう。どうだ?』
問われて困惑する。どうだと言われても「光輝く才能があるなんて羨ましい」程度の感想しかないが、それで良いのだろうかと頭を悩ませる。
そこに、爆弾が落とされた。
『素敵な男だろう? アレンの結婚相手にぴったりだ』
言われた言葉が理解出来ず、沈黙する。
素敵な結婚相手と言われているが、アレンは男だ。相手も男だ。
「ぴったりとは?」
そうじゃない、と頭の中で自分で突っ込んだ。
つい聞いてしまったがアレン自身、論点がずれている事は分かっている。だが頭が回らないのだ。
建国の鏡の逸話が脳内を巡る。
英雄を探し出す聖なる鏡、コウゼリカ。
『これ以上無いだろう程に相性が良い』
「誰と」
『聞こえていなかったか。すまない。アレンとだ』
アレンは錯乱した。
(そうか、これは俺じゃなくて姉上にぴったりだと言われているのだ。そうに違いない。今すぐ連れてこなくては!)
理解出来ない事への逃げ道として、無難に身近で面倒を押し付けやすい姉の顔が思い浮かび、すかさず押し付けた。
「コウゼリカ! 姉を呼んでくる!」
答えを待たずアレンは走り出した。
『何故?』と聞いているのに置き去りにされたコウゼリカだが、アレンに説明した通りそろそろ宝物庫に戻らねばならない時刻だった。アレンに悪いと思いながらもコウゼリカが消える。
パーティーを楽しんでいた姉を強引に連れて戻ったアレンは呆然とその壁を見つめた。野次馬でついてきた友人達の前では、コウゼリカに男を紹介された話など恐ろしくて出来る筈もない。
その日は錯乱状態から戻ることが無いままにパーティーが終わり、家路についた。
そんなアレンを姉が心配そうに見つめていた事にも気付かず、帰宅したアレンは早々に自分の部屋に戻り、就寝した。