異世界と分かったところでどうしたら良いのか
目を開けると、最初に見えたのは綺麗な透明の玉だった。漫画とかでよく見る占い師が使う玉のように大きい。見事な細工のある台座の上に置かれていて、とても高そうに見える。というか、高いんだろう。
それよりもおかしい。先程まで実家で甥っ子達の世話をしていた筈だ。ここはどこだ。いや、それより甥っ子達が居ない。見失ったんだとしたら姉貴に殺される。
慌てて辺りを見回すと、何人かの成人男性がパラパラと立っていた。外国の宗教儀式か何かのニュースで見たような、見慣れない服を着ている。探すのは身長の低い奴らなので、彼らの足元を探すが隠れている様子はない。どこにも居ない。
もはや姉がどうとかいう問題じゃない。心臓がバクバクしてきて、見えた扉から外に出ようと足を動かしたところで呼び止められた。
「落ち着け。お前が探している者達は無事だ」
「どこに居るか知ってるのか!?」
聞こえた辺りを見ると、先程の玉があった。まさかなと、その近くの壁際に立つ者を見る。しかし、静かに頭を下げるだけで何も言わない。
「答えはお前も知っている。心を静めて記憶を漁れ」
また同じ声が聞こえた。やはり玉から聞こえているように思えて混乱した。
「た……玉が……喋って……? ……えっ?」
なんとなく側頭に手をやり、状況整理を試みた。手に触れた髪がさらりと音を立て、指に絡む。
いつもの手触りと違う。俺の髪は硬くて短い。こんな風に指に絡む程の長さはない……、いや違う。これで正しい。俺の髪は癖っ毛で横は耳が隠れる長さにしてある。
引っ張って毛先を視界に入れる。赤い。俺の髪は黒の筈で、こんな色に染めた覚えはない。いや違う。俺の髪は血ような鮮やかな赤一色だ。黒ではない。
そして今は確認出来ないが目は茶色、雨上がりの濡れた土のような色だ。それは馴染みがある。元からそんな色だった。
元とはなんだったか。
俺は今、何と何を比べているんだ。
そうだ。甥っ子の面倒を見ていた俺と、今の俺だ。
ああ、そうだ。思い出した。
今はスキル授与式の真っ最中で、この水晶玉の導きで俺は本来の肉体がある世界へ行った筈……じゃない。もう行ってしまったんだ。今の俺は、あっちの世界から魂だけ呼び寄せられ、この肉体に入った。
この肉体の名は、レオッサ・コルゲンだ。
改めて玉を見る。
「状況がわかったようだな」
ひとまず頷く。しかし、記憶にあるけど経験していない、経験していないのに実感があるという不思議な感覚がする。自分ではないようで、自分なのだ。訳がわからない。
「混乱しているようだから、改めて説明しておこう。お前は異界に居たが、正しくはこの世界に所属すべき魂だ。本来の肉体があるこの世界へと戻ってきた、と言うのがしっくり来るかもしれんな。見た限り、まだ入ったばかりで少々不安定さはあるが、魂と肉体が一致して波長は安定している。後のことは、背後に居る者達に詳しく聞くが良い」
振り返ると、先程も見た異国の立派な方々が居た。違った。異国ではない。同じ国の偉い方々や、直属の上司だ。
スキルが必要なのに、何度授与式に臨んでも得られない俺の為に、最後のチャンスを与えてくれた人達だ。
「さて、本来の目的である、スキル授与を行おう。私に手を翳し、瞑想せよ」
「はっ、はい……」
そうだ。この玉はスキルを与えてくださる有り難い玉だ。
何度か挑戦した授与式では、玉は決まった言葉を述べるのみで、こんなに流暢に話さなかった。今回は最後だから特別な水晶玉なのだろうか。
「心を静めよ。乱れていては探りにくい。ただでさえ、まだ不安定なところがあるのだからな」
「はい。すみません」
よく分からないから、何も考えない。考えない。
息を大きく吸い、長く吐き出すと落ち着いてきた。すると、翳した手から何かが身体に入ってくるような感覚がした。いや、今まで滞っていたものが正常に流れ出すような感覚といった方が正確か。
「お前のスキルを教えよう。お前は魔術師の適性がある。魔力を今より高め、技術を習得せよ。剣士として鍛えて来たようだから、合わせれば強力な武器となるだろう」
「はっ。努力致します」
聞くことに集中していたら自然に口が動いた。「はっ」なんて初めて言った。いや、だから普段から言っているんだよ。まだまだ全然慣れない。
「今は魂に刻まれた記憶と、肉体の記憶が分離した状態で一つの肉体に収まっているが故に混乱しているだろうが、日が経てば整理されるだろう。慌てぬことだ」
ああ、なるほど。記憶が二つあるのか。この妙な感覚が落ち着くのに、どれくらいの日数が必要なのだろうか。少し気持ち悪くなってきている。長く掛からないと良い。
「さて、スキル授与は終わった。私を元へ戻せ」
背後に居た立派な服を着た人、そう、宰相だ。大人への、しかもスキルを一度も授かったことの無い者への最後の授与式としていたこともあり、結果を直接見たいと仰せになり、同席なされたのだ。
宰相が一歩前に出る。
「御言葉ですが、御身は救世の神器の一つとお見受け致します。そうと知ってはあのような場所に戻せません」
「三度は言わない。元へ戻せ。そして語るな」
玉は強情だった。
新鮮なものを見た感覚がするので、こんなに困った顔をした宰相を見るのは初めてのようだ。
玉が言う元の場所というのは、そんなに相応しくない場所なのだろうか。ただの倉庫なのかもしれない。
「……かしこまりました」
渋々といった体を隠さずに受諾した宰相が、先程の頭を下げるだけだった男、そう、神官見習いだ。そちらを見て頷いた。
神官見習いは明らかに青褪めている。恐る恐る近付き、持ち上げる旨を玉に告げてから運び出していった。それほど恐れ多いものなのだろう。これに関しては記憶が出てこない。
記憶を漁る行為は、もやの中で探し物をするような感覚だ。もやの中で探し物なんてしたことないけど、多分そんな感覚。パッと出て来ない記憶は思い出すのに苦労しそうだ。
扉が閉まるまで見送った後、説明を受ける為に宰相に向き直るが、しかめ面で何事かを考えているのか、無言で扉を見ていた。
宰相よりも後方に居る男、確か上司の筈だが名前が出て来ない。なんといったか。目を向けると、小さく頷かれた。
アイコンタクトなんてしてないんだけど、何を分かってくれたというのだろうか。
「宰相、私からコルゲンに説明しておきます」
「ああ、そうしてくれ。ある程度は記憶があるようだから、それほど手間ではないだろうが……。何せ語るなと言われた以上、コルゲンの状態を他の者達に説明することは困難だろう。隊が混乱する可能性がある。誰か一人、護衛を付けておいてくれ」
「は……、護衛ですか」
思いがけない指示に上司が驚いているが、俺としても信じられない。護衛って要人に付くものだろう。
「尊いお方から直接スキルを頂いた者を無下には出来ん。それに魂はこの国へ来たばかりの他世界の者。何が起こるか分からん。柔軟な対処が出来、実力があり、常識人で日常生活の補助も可能な者が良い」
「承知しました。見繕い、即日からレオッサに付けます」
そんな人、目茶苦茶有能なんじゃないの。上司、安請け合いしたけど本当に必要と思っているのだろうか。
俺なんかにそんな優秀な人を付けて貰うのは忍びなくて断りたいが、口がガンとして動かない。どうも位の高い人の言葉を否定してはならないという意識が働いている。上下関係の厳しそうな国で辟易する。
上司の返事を聞いた宰相が頷き、部屋から出て行った。他の人達も倣って出て行ったので、残ったのは上司だけになった。
こちらに向き直った男の顔は、上司だけあって馴染みがある気がする。髭を生やしている、40代位で体格の良い男、髪も目も青、顔が整ってる……それを条件に記憶を漁る。
そうだ、思い出せた。名はテッセン・ハウリンド。第三騎士団長で、鬱陶しい奴だ。鬱陶しい……、いや、面倒見が良いだけじゃないかな。
どうも体の記憶から知る限り、レオッサは嫌っていたようだが俺にとっては好感が持てる人物だ。レオッサが失礼な態度を数々取ってきたようだが、それでも穏便に付き合ってくれる有り難い人なので、是非良好な関係を築いていきたい。
「今の状況は理解しているか?」
「はい。ここに居る経緯は把握しています」
事務的に問われたので答えると、頷かれた。
「そうか。では……」
テッセンが何かを話そうとしたら、部屋の中に数人入って来て片付けが始まった。
それを横目に見たテッセンの手がサッと腹の前で動き、何かの形を作った。明らかに不自然な動きだ。
「この後は街の見回り担当だったな。俺から休むと伝えておこう。事務仕事は俺が代わりにやっておく」
「はっ、ありがとうございます」
テッセンは身を翻し、部屋から出て行った。
あの手の形、なんだったか。あれは合図だ。隊内で取り決めている手信号のようなもので。
「コルゲン様、お考え中のところ申し訳ございません。部屋を閉じ、鍵を掛けさせて頂きますので、ご退室願います」
いつの間にか片付けが終わっていたようだ。分かったと頷くと、明らかに安心したような顔をした。緊張されるような立場なんだったか。
玄関までの道程を教えてくれたので、レオッサが来ることは滅多に無かった場所なのかもしれない。有り難く親切を受け取る。迷子にならずに済んだ。
「ありがとう」
そう口にしただけで目をまん丸く開かれた。この国では感謝を述べる習慣がないのだろうか。
玄関近くで神官と別れてから一人で歩いていると、急に心細くなってきた。レオッサは異世界に行くことを承知で受けたのだから、今がどんな状況だろうと、ある程度は受け入れる気持ちがあるだろう。
だが俺は違う。
こちらに来るにあたって、先程の救世の玉とやらに、異世界にやって来ることについて了承を求められていない。唐突に、強制的に来させられたのだ。俺にどうしろと言うのだ。
玄関脇にある受付で退館の手続きをする。見慣れないのに見慣れていて、書き慣れてない筈なのに書き慣れた文字でサインをしていると、自分が誰なのか分からなくなってくる。
入る時に預けたという剣を剣帯ごと受け取る。こんなものどうやって身に付けるのかと思ったが、体が覚えていて勝手に動いた。慣れた手付きだった。
更に腰に身に付けるポーチも返却された。これは俺でも身に付け方は分かる。少しは共通する部分があって助かる。単純なことだが、精神的な負荷が少なくなる。
「お疲れ様でございました」
丁寧な挨拶をされたので、俺も丁寧に返すと目を見開いて驚かれた。あわあわと恐縮するので、どうもやり過ぎたらしい。なんとも暮らしにくそうだ。