塔の上の姫君と、旅の騎士様からの手紙
「王女様、おはようございます。今朝の分です」
「いつもありがとう、看守さん」
――朝日漏れ入る塔の上。今日もお決まりの挨拶が交わされる。
テレーゼは身を屈め、扉の下部に備えられた差入口から食事の盆を受け取った。
そのあとで、今朝はもう一つ差し出されるものがある。
「それと……例の騎士様から手紙が届いております」
「わあ、嬉しい。すぐに読んで夕方までにお返事を書くわね」
一枚の紙を折りたたんで封蝋で閉じた手紙。テレーゼはこれを両手で拾い上げ、顔に寄せると大きく息を吸い込んだ。
「ああ、いい匂い。外の世界の匂いがするわ」
テレーゼが塔内の小部屋に幽閉されてから、九年あまりになる。
旅の騎士が時折送ってくれる手紙は、彼女にとって外を知る唯一の手段だ。すぐに開封したい気持ちをおさえ、まず彼女は朝食に取りかかった。
数種類の野菜や豆が煮込まれたスープからは、まだ湯気が立っていた。そこに固いパンを浸して口へと運ぶ。穀物の香りがふわっと広がる。
「……おいしい」
片頬に手をあてたテレーゼの口から、思わず溜め息まじりの声がこぼれた。
王女の食事にしては質素だが、彼女にしてみれば大切な日々の糧。一口一口をゆっくり味わう。
彼女はたっぷり時間をかけて食事を堪能したあとで、満を持して手紙を取り上げた。
「久しぶりのお手紙、本当に嬉しいわ。ふた月ぶりくらいかしら」
「やあねえ、またひとりごと?」
「もう、九年も幽閉生活を続けていたらひとりごとくらい出るわよ。いるなら応えてくれればいいでしょう。そしたらひとりごとじゃなくなるから」
唐突に背後からかけられた声。これに、テレーゼは動じることなく返事をする。
茶々を入れてきた声の主は、軽やかな身のこなしでひらりと彼女の膝に飛び乗った。
黒猫――といっても普通の猫ではない。魔女の使い魔、しゃべる猫だ。名はカーチャ。
気まぐれにやってきてテレーゼに撫でられては、気まぐれに出て行く。カーチャがきちんと使い魔の役目を果たしているのかは、テレーゼには判断しかねる。
「そう言えば、もうすぐあんたの幽閉生活も終わりじゃない。楽しみ?」
「そうね……正直言うと、今の生活も特に困ってはいないのだけれど」
王の末娘であるテレーゼがこの塔に閉じ込められたのは、九歳のとき。彼女の継母が、魔女に依頼をしてのことだ。
テレーゼの実母は父王の妃だったが、彼女が幼い頃に病気で亡くなった。
次の妃となった継母は、最初の妃に生き写しのテレーゼをよく思わなかった。豊かな黄金の髪に、見る者を惹きつける青の瞳。年々美しく育ってゆく継子を憎んだ二番目の妃は、ついに彼女を幽閉するに至った。
こうしてテレーゼは僻地に建てられた冷たい石造りの塔に囚われ、孤独な生活を送るはずだった――のだが、塔内の暮らしは思いのほか快適だった。
彼女が閉じ込められた小部屋は手狭ながらも、一人用のベッドに小棚や書物机と、必要な家具が揃っていた。小さな風呂桶と、ひねれば水が出る蛇口まであった。
難点を挙げるなら、外の景色がほとんど見えないことだろうか。部屋には高い位置に小窓が一つあるだけ。彼女はそこから差す細い陽の光で目を覚まし、夜には星を眺めた。
また、食事は朝夕の二回、雇われの看守が届けにきてくれる。掃除洗濯は自分でする必要があったが、彼女はこれを苦労とは思わなかった。むしろ新鮮にも感じ、使い魔のカーチャにやり方を聞きながら楽しんで家事をおぼえた。
“幽閉”がこれほどまで不自由ないものになった理由は、魔女の中立性にあった。
王国の外れに住む魔女は人間の敵でも味方でもなく、特定の誰かに肩入れすることはない。二番目の妃の依頼を受けたのは、ある日鬼の形相で現れた妃を前に、断ったら面倒くさそうだと思っただけだ。
というわけで、魔女は王妃の望みを叶えつつ、テレーゼに最低限の生活環境を与えた。幽閉期間についても、十年で塔に施した呪いが解けるよう設定した。
ちなみに十年という長さについてはカーチャに言わせると、「なんとなくよ、魔女様テキトーだから」らしい。
「でもやっぱり、外に出られるのは嬉しいわ。騎士様が手紙に書いてくれているような世界を、私も自分の目で見てみたいし。それに、騎士様ってどんな方なのかしら。外に出たらお会いできるかしら……」
テレーゼは開封前の手紙を高く掲げ、しばらくうっとりと眺めた。
それからようやく机の上に下ろすと、ペーパーナイフで丁寧に封蝋を剥がしていく。
紙を広げてまず目に飛び込んできたものに、彼女は口元を綻ばせた。そこには白く可憐な花が一輪、押し花になって入っていた。
――親愛なる王女殿下。ご機嫌いかがでしょうか。
私が今滞在している国では、春の足音が聞こえてきました。この手紙が届く頃には、そちらも暖かくなっていることと思います。
先日、雪の下に咲く花を見つけたので同封します。
どうぞお体にお気をつけて。あなたの騎士より。
たった数行の、その当たり障りのない内容を、テレーゼは何度も読み返した。
そして再び手紙を鼻先に寄せ、息を吸い込む。
「騎士様ったら、いつも酒場かどこかで書いているのかしら。お料理の匂いがするわ。あとインクの香りに混じって、木と土……これはきっと、旅で歩いた道の匂い。青っぽい、植物のような香りは入れてくださったお花ね。それから、あたたかなお日様みたいな香り……。ああ、いい匂い」
「ねえ、それってほんとにいい匂いなの?」
「もう、いい匂いに決まってるでしょ。さあお返事を書かなくちゃ」
テレーゼは小棚から紙とペンを取り出し、いそいそと机に向かった。眉を寄せたり微笑んだりしながら、一文字一文字心を込めて返事を書きつけていく。
彼女が旅の騎士と文通をするようになったのは、偶然の出来事だった。
幽閉が始まって一年ほど経った頃、塔付近に建てられた看守の小屋へ迷い人が訪れた。それが、この遍歴騎士である。
王女の境遇を憐れに思った騎士は、旅で見聞きしたことを手紙にしたため看守に預けた。それ以来、時折騎士から看守の元に、王女宛の手紙が届くようになった。
ただし文通といっても、実際は一方通行だ。騎士は旅の道中にあるため、現時点の居所はわからない。だからテレーゼが書いた返信は、送ることができずに看守の手元に預けてある。「いつかまた騎士様がお寄りになることがあったら渡してね」、そう言い含めて。
それでも彼女は毎回目を輝かせ、嬉々として返事を書く。いつの日か相手にもこの言葉が届くように、と。
騎士からの手紙が届くのは、年に数度。内容は簡単だが、いつも何かしら外を感じさせるものが同封されている。
今朝のように花だったり、川辺で拾ったという綺麗な小石だったり。別添で、読み物の本が送られてきたこともある。塔の上の生活はお暇でしょうからと。その大衆向けのよくあるロマンス小説を、テレーゼはそらで言えるくらい何度も読み込んだ。
いくら生活に不自由がないからとはいえ、彼女が何年間も塔の上の暮らしを楽しめたのは、この騎士の存在が大きかったかもしれない。
時々もたらされる外の香りをたよりに、彼女は再び自らの瞳に世界を映す日を夢見た。
そして――テレーゼの十九歳の誕生日。ついに、塔にかけられた十年の呪いが解ける日がやってきた。
気持ちよく晴れた初夏の日だった。
小窓から差す朝日の下、テレーゼは微睡みを経て目を覚ます。おもむろに起き出して、着替えて髪を梳いてとやっているうち、はたと気がついた。
「あら、今日は呪いが解ける日じゃない。こんなふうに大人しく部屋の中で待っていなくてもいいんだわ」
いつの間にやってきたのか、彼女の足元にはカーチャが纏わっていた。ひとりごとを笑うかのごとく、わざとらしく「にゃーん」と声を上げている。
彼女は黒猫を抱き上げ、耳の裏をこしょこしょ撫でてやった。
と、そこへ。コツコツと、小部屋へと続く塔の石階段を上ってくる音がする。
テレーゼは再びハッと顔を上げると、黒猫をそっと下ろして部屋の扉へ向かった。
「看守さんにもお礼を言わなくっちゃね。十年間、毎日食事を用意してくださったんだから」
「王女様、おはようございます。今朝の――」
丁重なノックに引き続いて朝の挨拶をしかけていた看守の言葉は、そこで途切れた。
十年間閉ざされていた小部屋の扉が、突然勢いよく開いたからだ。看守は呪いの効力が十年だということは知らなかった。
「看守さん、これまで毎日ありがとう。今日、私を閉じ込めていた呪いが解けたのよ」
「それは……あの、とても、よかったです……」
「あっ、えっと、待って――看守さん?」
辿々しい返事をした看守は、テレーゼに朝食の盆を手渡すなりくるりと身を翻し、一目散に石階段を下りていった。
この看守の反応は、テレーゼにしてみれば予想外だった。きっと喜んでくれるだろうと思っていたし、まだこれからたっぷり十年分の感謝を伝えるつもりだったのだ。
彼女は一旦部屋の中に戻って朝食を机の上に置くと、看守を追って飛び出した。
――毎朝毎夕の決まった挨拶と湯気の立ったスープは、騎士の手紙に劣らぬ心の糧だったのだから。
階段を下りきったところで、テレーゼは足を止めた。
眩しかった。広い空から降り注ぐ太陽の光は、塔の小窓から差す一筋とは比べものにならなかった。
十年間を狭い小部屋で過ごした彼女は、二階部分に相当する部屋から階段を下りただけで息が上がっていた。そのまま立ち止まって、呼吸を整える。
湿り気を帯びた土と、草花の匂いが鼻に抜けた。知っているはずのその匂いは、濃度が高くて、掌に形を掴める心地がした。
少し先に、看守が住む小屋と、そこへ入っていこうとする看守その人が見える。
自らの身体を動かすのに精一杯だったテレーゼはそこでやっと気づいたのだが、看守は片足を引きずる歩き方をしていた。
褐色のひと繋ぎになった衣服、茶色の腰紐、白っぽい脚衣に革の短靴を身につけている。短髪が伸びかけたような黒髪は、くしゃっとくせがあった。
意図せずその全身像を確認することになりながら、テレーゼの呼吸は次第に整っていった。
青々とした芝が覆う大地を踏みしめ、一歩一歩目先の小屋へと歩を進める。
「看守さん? あなたとお話がしたいわ、お礼が言いたいの。開けてくれるかしら?」
丁寧なノックと呼びかけを置いて、テレーゼは小屋の扉を見守った。――返事はない。
もう一度呼びかけてもいいかしら……悩んだすえに、彼女が再びノックせんと手を上げたそのとき、そろそろと扉が開いた。
内開きの扉に半分身を隠すように顔をのぞかせたのは、テレーゼより頭一つ分背の高い男性。寝起きのままに見える乱れた黒髪が、目元に影をつくっている。身なりにはあまり頓着なさそうだ。大柄というほどではないが肩幅はしっかりしている。
華奢なテレーゼからしたら威圧感を覚えてもおかしくない相手だが――彼女がそう思わなかったのは、この看守がどこかしゅんと萎縮した様子だったからだろうか。
「看守さん、私、あなたのおかげで――」
「ごめんなさい」
「えっ?」
テレーゼの言葉を遮って、看守は頭を下げた。自身の目線より低い位置にきたそのつむじを、テレーゼはぽかんと見つめる。
頭を低くした姿勢のまま、彼はもごもごと続けた。
「俺は、王女様にお礼を言ってもらえるような者ではありません」
「でも、毎日食事を用意してくれたでしょう」
「それは、仕事ですから……」
テレーゼは、開いた戸口から小屋内へちらと目をやった。中央には鍋のかかったかまどがあり、室内には熱気がこもっている。他に人の気配はない。
また、この小屋と目の前の男性からは、彼女のよく知るあたたかな匂いがした。
「運ぶだけじゃなくて、お料理もあなたがしてくれていたのね。スープ、いつも美味しかったわ。それに、お手紙も届けてくれた」
「手紙」という単語が出たところで、看守はびくっと肩を震わせた。
少し間があったあと、彼は言いづらそうに口を開く。
「……騎士様なんて、本当はいないんです。いや、いないわけじゃないんだけど、ええと。旅先から騎士様が手紙を送っているというのは、その、嘘というか……」
「ええ、知っているわ」
ようやく、看守は下げ続けていた頭をもたげた。見開かれた両の瞳は、驚きと戸惑いに揺れている。
テレーゼは一歩踏み込むと、後ずさりしかけた看守の手をとった。乱れた前髪に隠れて揺らぐ彼の瞳を、真っ直ぐ捉えて言う。
「正確には、今知ったのだけれど。なぜ気づかなかったのかしら。あなたが私の騎士様だったのね」
――王女の幽閉が始まって一年ほど経った頃。看守の小屋へ迷い人が訪れた。旅の途中の騎士だという。ひと休みしたいと言うので、看守はこの騎士を小屋へ招き入れた。
騎士は気のいい男で、聞いてもいないのに事情をぺらぺら語った。
自分の恋人は、とある領主の娘である。その娘との結婚を領主に認めてもらうため、騎士として名を上げる旅に出た。そして、ある国の武芸大会で成果を得ることができたから、故郷へ帰るところだと。
「やっと正式に求婚できるかと思うと嬉しくてね。あ、そうだ。ここで一通手紙を書かせてもらってもいいかい?」
「はい、どうぞ。例のお嬢さんにですか?」
「ああ。旅で見聞きしたことを書いて送ってるんだ。彼女は故郷から出たことがないから、外に興味津々なんだよ」
「……なるほど」
騎士は荷物から筆記具一式を取り出すと、慣れた手つきで紙に文字を書き連ねていった。
その様子を横で見学しながら、看守の頭には一つの考えが浮かんでいた。騎士の作業が終わるのを待って、声をかける。
「よかったら、塔の中にいる王女様にも手紙を書いてくれませんか?」
この看守の依頼を、騎士はあっさりと断った。故郷の恋人に怒られてしまうからと。
だが、騎士は代わりに別の提案をしてきた。「君が、自分の手で王女様に手紙を書いたらいいんじゃないか?」
雇われ看守の分際で王女様に手紙を出すだなんて――途端にしりごみした看守を、騎士は「大丈夫大丈夫」と軽い調子で後押しした。ひと休みさせてもらったお礼だと言って、筆記具一式と予備の封蝋印まで譲ってくれた。
それほどお膳立てされてしまっては、手紙を書かないわけにはいかない。幸いにも、看守は多少の読み書きができた。
けれど、どうしても自らを差出人とする勇気がなかった看守は、この騎士の名を借りることにした。
「だから、ずっと王女様に嘘をついてしまいました。手紙を書いていたのは騎士様じゃない。旅先で見つけた体で同封したものも、小屋の裏に咲いた花とか……この足じゃ遠くにも行けないので、近所のものばかりなんです。がっかりさせてしまってごめんなさい」
看守は堰を切ったように説明と謝罪を並べ、最後にもう一度大きく頭を下げた。
説明の前と後とで、しかしテレーゼの気持ちにはなんの変化もなかった。
彼が送ってくれた手紙は、彼そのものだった。純朴で、少し臆病で、優しくて、あたたかい。
手紙の筆跡には硬さが見え、ところどころにインク滲みがあった。一字一句悩みながら丁寧に綴られたことがうかがえるもの。料理の匂いは、毎日届けてくれたスープを調理するときの匂い。木や土やお日様の匂いは、すべて塔の周りにあるものだったのだ。
自分を思って何かをしてくれたということが、テレーゼは心から嬉しかった。
彼が本物の騎士だろうがそうでなかろうが、そんなのはどうでもよいことだった。
「がっかりなんてしてないわ。あなたが私の騎士様であることには変わりないもの。それに、同封してくださったものたちは、全てこの近くで見つけられるということでしょう? それってとっても素敵。私も自分の足でお花を見に行ったり、川辺の小石を探しに行きたいわ。だから看守さん、一緒について来てくれる?」
「え……あの……」
「あと、お料理も教えてほしいわ。今まではあなたに頼りきりだったけど、これからは自分でできるようにならなくちゃ」
「ええと、王女様は、お城にお帰りになるのでは……?」
「いいえ、ここで暮らします」
テレーゼはきっぱりと言った。
彼女は、城の生活に未練はなかった。戻っても継母に疎まれるのはわかっているし、幼い頃からあまり顔を合わせる機会がなかった国王には、父親だという実感がわかなかった。
「あ、でも、あなたにはあなたの事情があるわよね。看守の役目は終わったわけだし。もし今後のお仕事や何かあてがあるのなら、引き止めはしないわ」
「……いえ、そんなものはありません。この足では難しいでしょうし」
十年前、当時十七歳の若者だった看守は、剣士を目指していた。
孤児として修道院で育てられた彼は、そこを出る十八歳になるまでに稼ぐ力をつけたかった。剣士として用心棒などの仕事を得れば、身を立てることができ、育ての修道院に恩返しができる。
あるとき彼は、腕試しにと王都で開かれた剣術大会に出たのだが――運悪く、そこで王妃の不興を買った。王妃が後援していた者を、実力で打ち負かしてしまったのだ。
この王妃、即ちテレーゼの継母は、末の王女を幽閉する計画を進めているところだった。ちょうどいいと思った王妃は、彼を看守の任にあたらせることにした。塔のある僻地に送り、逃げ出せないよう魔女の呪いで片足を不自由にして。
塔は、人里離れた森の入り口にあった。定期的に近くの村から食材等の支給があるが、それ以外は孤独だった。
突然飛ばされた地で逃げ出すこともできず、顔を見たこともない王女のために毎日煮炊きをし、ひとり小屋で眠る日々。
しかし、これ以上にひどい境遇にあるはずの王女の声は、いつでも明るかった。
彼は、王女に少しでもいいものを食べさせてあげたいと思い立ち、小屋の裏手で野菜を育て始めた。手紙を書き出してからは、同封するものを探すため、不自由な足を引きずって近場を散策するようになった。あるとき手紙に添えて贈った本は、育ての修道院で餞別にもらったものだ。
いつの間にか、王女を思って何かをすることは彼の生きる意味になっていた。
その気持ちが、自然と彼の口をついた。
「俺なんかでよければ、王女様のご迷惑でないのなら……これからもずっとお仕えします」
「ふふ、やっぱり私の騎士様じゃない。そういえば、あなたのお名前は?」
「ヴィレムと申します」
「そう。ではヴィレム、これからどうぞよろしくね」
テレーゼは改めてヴィレムの手を握る。そして、にっこり笑った。
この人里離れた地において、行く先を照らす光そのもののような笑顔。
ヴィレムは首筋まで真っ赤になって、無言でこくこくと頷くしかできなかった。
こうして二人は、手を取り合って穏やかな田舎暮らしを始めた。
なお、塔の呪いは十年で解けたのに、不自由にされたヴィレムの足はそのままだった。
けれど、それは彼にとってさほど重要ではなかった。日常生活に支障はない程度だったし、この地から逃げ出そうなどとはもう思わなかったから。
それから――「どうやらヴィレムにかけられた呪いが解ける条件は、真の愛であったのだろう」。二人が気づくことになるのは、そう遠くない未来の話。
お読みくださり、ありがとうございました。
春の推理2024のテーマ「メッセージ」に着想を得て書きはじめたのですが、どう見ても推理ジャンルではなくなってしまい……
メルヒェンっぽい雰囲気があるかなと、企画外で童話に置かせていただきました。
(なお、あくまで世界観は架空で、特定の時代・地域を想定したものではありません。)