12.守りたいもの
ある日のこと。マシロは灰色のセーターを手に取って、これがいい、と小野に示した。灰色だけでなく白い糸もわずかに混ざったそのセーターは、癒々花の家で飼われている猫、ホタルの毛色によく似ており、思わず手が伸びてしまった。
「あら、素敵。ちょっと合わせてみて……。いいわ、ちょうど良さそうね」
マシロは新しい洋服を購入するため、小野と一緒に町中にある洋裁店を訪れていた。小野の馴染みの店らしく、仕立てやお直しだけでなく、ちょっとした洋服も置いてある店だった。
今は代替わりにして娘が主に仕事を引き受けているとのことだったが、小野より少し年上の母親も、まだまだ現役であるらしい。この日も店の端でミシンを踏んでいて、カタカタと規則正しいリズムの音がマシロの耳に心地よく届いた。
「この色、マシロにとっても似合うわね。これにしましょうか」
そう言って微笑むと、小野はマシロから受け取ったセーターをミシン台に座る老女に手渡す。
受け取ったその手にはたくさんの皺があり、捲り上げた袖から見える腕も肉が落ちて骨と皮だけに見えるほど細いが、セーターを扱う仕草は丁寧で、慣れた手つきで畳んでいった。
マシロは冬服を持っていなかった。しかし秋が日に日にその場から遠ざかろうとしていて、もうそろそろ暖かい洋服が必要だろうと、この洋裁店に足を伸ばした次第であった。
近頃マシロは、月日の流れをますます早く感じるようになっている。
痣子やカゲについて調べるのを協力してほしいという真那の心を引き受け、柊の痣に異変が起こり、澪二が初めてカゲを還すことに成功する。そんな怒涛の一日は、気づけば一週間前の出来事となっていた。
そして今日、日を跨げば暦が繰られて十一月になる。それが過ぎれば十二月。あっという間に、冬支度が始まるのだった。
「小野さん、ありがとうございます。お小遣い、余裕があるから自分で買おうと思っていたのに……」
店先に出て、買ってもらった服が入った袋を抱きかかえたマシロが申し訳なさそうに言うと、小野は何でもないように答えた。
「あら、服くらい買わせてちょうだい。マシロの身の回りの物を整えることは、私の一つの楽しみなんだから」
小野は着物の上に柿色の薄いストールを羽織っていて、その色合いからか、顔に浮かぶ笑みがよりはっきりくっきりとしたものに見える。
それにマシロが笑い返し、
「ありがとうございます。大切にします」
そう言うと、小野は頬を持ち上げるようにして、笑みをより濃いものにした。
そうして二人は洋裁店を辞し、冬を予感させる空気の中を並んで歩いていった。時折風が低く通り抜けていき、下駄を履くマシロの足を撫でるようにして去っていった。
***
この日、マシロはまだ太陽がいくらか高い位置にある時分に、夜隠れの衣に着替え始めた。
儀を担う日だったが、いつもとは少し違うのだった。迎えにやってきたのも、魁成ではなくクリスこと栗巣奏多。
クリスは小野の家の前にクリーム色のたコンパクトな車を停車させると、出てきたマシロに笑顔を向けてひらひらと手を振った。
「マシロくん、お待たせ。どうぞ、乗って」
クリスの柔らかな声に促され、マシロは助手席に乗り込む。魁成の車とは全く違う、甘い果実のような香りが車内に漂っていた。
「クリスさん、よろしくお願いします」
マシロが言うと、クリスは艶めく唇をにこやかにした。
「こちらこそ。マシロくん、他県に行くのは初めてなんだよね」
「はい。ずっと、ここでの儀しかしてこなかったので……」
「そうなんだね。今日は一緒に頑張ろうね。それじゃあとりあえず、出発しまぁす」
微笑みが乗った声による合図で、車が出発する。
現在、カゲが現れる地域は全国の中でも三か所のみなのだが、社は他に数箇所、いくつか点在しているのだった。
昔そこにもカゲが出ていたのか、何かの名残なのかどうなのか、理由は例によって判然としていないのだが、痣子はその各所にそれぞれ月に一度ずつ赴き舞をする役割も担っていた。
実際、そこにカゲがいるわけではない。しかし、その近くにカゲが出た例があるという説が残っているということで、再度同じことが起きないように、また土地を清めるためにも、その儀は行なわれているのだった。
故に舞は鎮の舞と結の舞のみであり、痣子の数も二人ないし補助がつく三人だけで、この日はそれがクリスとマシロになった。
魁成は通常の儀に付き添うため、クリスが運転と儀そのものを担うということだった。
そのクリスの運転姿は見慣れず、また助手席に座るのも少し違和感があり、出発してしばらくの間マシロは視線が定まらず言葉も少なくなっていた。
が、クリスがいつものふわふわとした口調で会話を繋げていき、マシロも気づけばその場の雰囲気に慣れていっていた。
小野の家を出発してから程なくして、車は高速道路に入った。道を進む速度を感じながら、マシロは真那たちに初めて会った時のことをなんとなく思い出す。
記憶をなくした状態で目覚めたところに、支部以外の場所に出現したカゲを還しに来た真那と文也に見つけられ、魁成たちが待つ社へと連れて行かれた。そこで車に乗せられるや、高速道路を走って真那たちの故郷へと向かったのだった。
当時のマシロは車に乗りながら、流れゆく外の景色を眺めていた。次第に山が深くなっていき、辺りを照らす灯りが少なくなっていったのを、今でもぼんやりと覚えている。
まさか、今このように自分がカゲを還すため儀を行なうようになるなんて、その時のマシロは微塵も思っていなかった。
そんな風にしみじみとした気分に浸りつつ、マシロはクリスの車に乗りながら外を見ていた。
思い返しているその当時とは逆に、辺りに見える山々は車が進むたび高さをなくしていっている。明かりが増え、道路から街が見下ろせるようになり、次第に山は随分遠くに見えるようになっていった。
その頃合、クリスがマシロの方をチラリと見て言った。
「休憩したくなったら言ってね。ちょっと余裕持たせて出たから。今日はカゲがいないから儀自体はそんなに大変じゃないけど、――この移動がね、長いんだよね……」
「社まではどれくらいかかるんですか?」
「そうだねぇ……。今日の社までは、一時間半くらいかなぁ」
「結構かかるんですね。――学校に行っているみんなには、ちょっと大変ですね」
「そうなの。だから、マシロくんが鎮も還も、結までできるようになってくれて本当によかったと思ってるんだ。もう高三、中三の子たちは受験シーズン真っ只中だからね。ただでさえ忙しいから、その子たちに負担を掛けるのはちょっと可哀想だと思っていたの。そう考えると、県外の儀はこれからマシロくんに頼むことが多くなるかもしれない。よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします。僕ができることであれば、なんでもやります」
「わぁ、頼もしいねぇ」
クリスはふふ、と柔らかく微笑む。
「他県へは、大体クリスさんが行くんですか?」
「今は、そうだねぇ。魁成くんの他に時間の融通が効いて、運転も舞もできるのは私だけだから……」
「クリスさんも、お仕事されてるんですよね? 何をされているんですか?」
「私は雑貨屋さんをやってるよ。でもオーナーではなくて、その下くらいのポジションかな……。ただのバイトではないけど、一番偉くもない。そんな感じでやってるよ」
「雑貨屋さんですか。素敵ですね」
クリスはありがとう、と言って首を傾げるようにして笑った。マシロも淡く微笑む。
「その雑貨屋さんって、どのあたりにありますか?」
「うんとね……、町中からは少し外れたところなんだ。あの、中央通りあるでしょ? その突き当たり近くにあるお蕎麦屋さんにつながる橋、わかる? そこを渡って、右に曲がって、ちょっと歩いたところに壁に蔦みたいなのがいっぱい生えてる建物があるんだけど……」
「あぁ。あの、いろいろお店が並んでいるところの、角の」
「そうそう、あそこなの。なんか、魔女の家みたいなとこ」
「わかります。ほんのちらっとですけどいつだったか見かけて、雰囲気のあるところだなって思いました。どういう雑貨を売っているんですか?」
「結構いろいろ置いてるよ。アクセサリーとか、ポーチとか……。全部手作りなんだぁ」
「そうなんですか。すごいですね。……もしかして、クリスさんが作ってるんですか?」
「うん、そうなの。デザインと制作、ほとんど私だよ」
「え、ほとんどですか。すごいですね」
「ありがとう。今度、見に来てよ。誰かにプレゼントするものだったら、無料でラッピングもできるから」
「はい、ぜひ今度、行かせて下さい。小野さんに、何かプレゼントがしたいなって思っていたんです」
「へぇ、それはいいねぇ。ぜひ来てね。うち、和小物もあるから。結構、痣子や巫女の子たちもうちでプレゼント買っていってくれるんだぁ。――この間は、煌くんと輝くんが買いに来てくれたよ」
「えっ……。二人が?」
出てきた意外な名前に、マシロは目を丸くする。
「うん。お母さん、来月赤ちゃん産まれるんだって。それで、そのお祝いを買っていったよ。そういったベビーグッズもたくさん置いてるから。――二人とも、プレゼント選ぶ時すごーく真剣に悩んでた。しかも喧嘩することなく、これがいいんじゃないか、あれがいいんじゃないかって、仲良く相談し合ってたよ」
「そうだったんですか……。そういうのって、いいですね」
「うん。あの子たちも、いろいろあったけど……。根は悪い子じゃないんだよね。最近は儀も真面目にやってるし」
「あ、確かに。しかも、すごく上達しましたよね。前から、上手だなとは思っていましたけど」
中学二年の双子の痣子、煌と輝は自分勝手な行動があったりして、もともと所属していた第二支部で周りと折り合いが悪くなり、夏にマシロたちがいる第三支部に移ってきた。
そのあとすぐは、誰とも相入れようとせず変わらず目に余る行動を起こし、マシロ自身何度もその被害に遭ったのだが、さまざまな出来事を経て二人とも今はなんとか落ち着いている。
双子二人にとっての初めての食事会でひと悶着あった後も、直接マシロに謝るために小野の家までやって来た。
それからマシロは、何度か双子のどちらとも誘の舞を一緒に舞った。最初こそ互いにぎこちなさが残る舞になってしまったが、双子は以前のように、身勝手な舞は一度たりともしなくなった。
「正直、ちょっと驚きました。二人のあまりの変わりように」
「そうだね。二人の中で、いろんな感情が動いたんだろうね。……あと、守りたいものができたっていうのが理由のひとつとしてあったりするのかも。いよいよ来月赤ちゃんが産まれるから、お兄ちゃんになるっていう実感が湧いたのかな……。ご両親ともいろいろと上手くいってなかったみたいだけど、様子を見る限り今はそんなことなさそうだし。中学生の時期は多感だから、親と揉めるなんてしょっちゅうあることだからね……」
「……クリスさんもそういうこと、あったんですか?」
マシロが訊くと、クリスは前方に瞳を向けたまま少し唸る。
「私は、揉めるとか喧嘩はほとんどなかったかなぁ……。私の親、特に母親は、すごくあっけらかんとした人で。程よく気が抜けているというか。――私、親のことで悩んだことほとんどないかもしれないなぁ。恵まれてるなって思うよ」
へぇ、とマシロは息を落とす。一般的に親子が互いにどのような関係を築いているかは、よくわからなかった。
けれど、クリスが穏やかな笑みを浮かべて語るので、良い関係だったのだろうと、そして今もそうなのだろうと、想像できた。
「私、こんな風じゃない? 男だけど女の子っぽいものが好きって自分のこと話した時も、両親とも『あ、そうなんだー』って、嫌そうな反応は全然しなかったし……。しかも『言い辛かっただろうに、教えてくれてありがとう』って言ってくれたから、すごく心が軽くなったよ。私もそれなりに、悩むことはあったから。『奏多は奏多だよ、他の何者でもない』って言ってくれたんだ……。親って、みんながみんな、そう言うふうに子供をまっすぐ受け止めてくれる人ばかりではないと思うの。いろんな親がいるでしょう。だから私、この人達を絶対失いたくない、大切にしないといけない、守りたいって、その時思ったんだ。その気持ちは、今もずっと大切にしてる」
マシロは話を聞きながら、心内で深く頷いた。
なぜ、クリスからこんなにも穏やかで優しい雰囲気が漂っているのかが、わかった気がした。
両親から、深い深い愛情を受けている。そしてその愛情をまっすぐ素直に受け止め、かつ感謝の気持ちを忘れていない。そんなクリスだからこそ醸し出せる空気があるのだと、マシロは思った。
クリスは続ける。
「親だけじゃないな……。私は周りの人に、すごく恵まれてるなって思う。職場の人達も、痣子のみんなも、すごくいい人達ばかりだし。――その中にはもちろん、マシロくんも入ってるよ」
言われ、マシロは嬉しさ溢れる笑顔を湛えて礼の言葉を述べた。そして、運転するクリスの横顔に目を留めて口を開く。
「クリスさんのお人柄から、そんなふうになるんじゃないでしょうか」
「人柄?」
「はい。僕、クリスさんとは儀でしか一緒になったことがなかったですけど、澪二くんから話を聞いたり今お話をさせてもらったりする中で、すごく素敵な人だなって思いました。紡ぐ関係をずっと大切にしたいなって、そんなふうに感じます」
マシロの言葉に、クリスは目を線にして笑う。
「そんなこと言ってもらえるなんて……、すごく嬉しいなぁ。忘れられない言葉になったよ」
「僕もそう言ってもらえて、嬉しいです」
マシロは真似するように言う。
クリスのように、嬉しいと思ったことに素直に喜び、すぐに感謝の言葉を述べられるのは見ていて心地良いものだと思った。
「ふふ。……そっか、そういえば澪ちゃん、マシロくんといろいろ話したって言ってたなぁ」
「はい、夏のお盆の頃に」
「澪ちゃんと言えば私、一昨日社での儀を初めて一緒にやったんだよねぇ」
「そうなんですか」
マシロが目を丸くすると、クリスは顔を綻ばせて頷いた。
「うん。――澪ちゃんの舞、すごくよかった。しっかりとカゲを還せたよ」
「そうでしたか。……本当に、よかったです。澪二くんが、社で還の舞ができるようになって」
「そうだねぇ。初めて還せたっていう日、柊くんの痣の件に関しては私も本当に驚いて、そんななか澪ちゃん大丈夫かなって心配になってたんだけど、儀の後に澪ちゃん、わざわざ私の仕事終わりに会いに来てくれてね……。還ができたことを教えてくれて、私、一緒に泣いちゃった。――マシロくん、ありがとねぇ。マシロくんが一緒に舞をしてくれたおかげだよ」
ハンドルを握りながら、クリスがマシロをチラリと見て微笑む。マシロも頬を緩ませた。
「いえ、そんな……。クリスさんが普段からずっと見守っていたからこそ、澪二くんは還をできたんじゃないでしょうか。クリスさんの存在が、大きな力になったんだと思います」
「そうかなぁ……。そうだと嬉しいなぁ」
言って、クリスは目元を和ませる。口元も優しく弧を描き、心底嬉しそうにした。




