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いのりびと  作者: 奥宮イツキ
第一部
8/180

8.神楽・2

 マシロはこの地域に来て初めて、家が軒並み連なる町の中を歩いた。町中と言っても、都会にあるようなビルや流行に沿った店などはない。商店と呼ぶ方がふさわしく見える店がいくつか並び、その間にぽつぽつと一般宅がはめ込まれるようになっている、そんな、昔ながらの長屋が続く通りが、何本も連なっているのだった。


 この日、町はいつも以上の賑わいを見せていた。都会とは比べものにならないものの、先ほど神楽が舞われた場で見たものよりもっと規模が大きな人々の群が、非日常感とともにそこにあった。

 日中の点灯していない街灯には花の飾りがつけてあり、白地の背景に春らしい桃色の文字で「春まつり」と幅いっぱいに書かれた横断幕が頭上に等間隔で掲げられ、のぼり旗も至る所ではためいている。

 その中を人々は行き交い、時に色とりどりの法被を着る者が闊歩し小学生くらいの少年少女が元気に駆けていく姿も見られ、どこを切り取っても、町は活気で溢れていた。


 と、連れ立って歩く小野、萌子、マシロの三人の前方から、大きな声の塊が迫ってくるのが聞こえてくる。一体何かとマシロが目を見張っていると、神輿を担ぎ歩く大人と、その周りを笛を吹いたり一斗缶を叩いたりしながら歩く子供たちが近づいて来るのが見えた。

 神輿には何かのキャラクターが乗っていて、ペーパーフラワーが色とりどりに飾られている。夜には光るのか、電飾も巻きつけられていた。わっしょいわっしょいと、力に満ちた声が町中に響く。


「こんにちはー!南町子供会です!」


 そう言いながら、子供達が無邪気な笑顔を振りまき去っていく。中には三人に向かって手を振る子もいた。小野も萌子も手を振り返し、マシロも真似て手をひらひらと振った。


「かわいいね」


 萌子が言い、マシロはこくりと頷く。

 と、神輿の音の後ろから存在を覗かせるように、もはや聞き馴染んだお囃子の音がひそかに聞こえてきて、マシロはぐるりとその方に顔を向けた。

 それに気づいた小野が、マシロの視線を追う。その少し後、あら、と小野は声を上げた。


「神楽も、ちょうど来たわ」


 程なくして、マシロたちの目の前に神楽の団体が姿を現した。神輿が行った道をなぞるように進むそれを見ながらマシロは一瞬立ち尽くしたが、一歩足を踏み出すと、それからは目的物まで一直線だった。それに小野と萌子が、微笑みながらついていく。


 やがて神楽の一行はあるところまで進むと歩みを止めた。マシロたちもそれに伴い立ち止まる。

 眺めていると、一行は本来車が通る商店街の道を陣取り、鼓と笛の役たちの椅子が手際よく並べられていった。それから程なくして祝詞が上がり始め、先ほどと同じように獅子、子役、ひょっとこにおかめが舞を始めたのだった。


「さっきとは別の神社の神楽だから、全体的に印象が少し違うでしょう?」


 小野が、懸命に神楽舞に目を向けるマシロの耳元でささやく。マシロは口を閉ざしたまま頷いた。

 小野の言う通り、目の前で舞われる神楽舞は、先ほどマシロが見たものとは雰囲気が少し異なった。お囃子もよく聴くと曲調が似ているようで同じではなく、演者たちが身に纏う衣装も柄や色に違う特徴が見え、舞い方も同様であった。

 けれど心震わせるものに変わりはなかった。マシロはまた前のめりになって、神楽を眺めていた。



 合間の祝詞が上がり始めた時だった。マシロが一息ついていると、その背後から大きな影が忍び寄り、急に肩を叩かれた。驚いて振り向くや、マシロは思わず声を上げる。


「わっ……」


 烏天狗の面が、眼前にずいと迫ってきていたのだった。隣にいた萌子も、マシロの反応に驚き目を丸くする。

 烏天狗はじっとマシロの顔を見つめるようにしていた。そしてややあってから、のけ反り目を見開くマシロの耳に「やっぱそうだよな」とこもった声で言うのが聞こえてくる。


「え……?」


 マシロがきょとんとしていると、烏天狗はおもむろに面を外し出し、その下に隠していた顔をあらわにした。


魁成(かいせい)さん」


 萌子が柔らかな声で言う。その後マシロも「あ」とほとんど息に近い声を漏らした。

 天狗の正体は、ある晩、マシロを恩地の宅に送り届けた田平だった。藤色の狩衣に黒い袴、手には薙刀(なぎなた)のようなものを携えていて、以前見た姿とはまた雰囲気を異にしていた。


「小野さんのとこに移ったって、そういや聞いたな」


 そう言うと、肩がつくかつかないかの距離で並ぶマシロと萌子をまじまじと見つめ始める。そしてにやりとした笑みを浮かべると、マシロと萌子を比べるように見ながら言った。


「何。もう萌子ちゃんとも仲良くなったの」


 訊かれたマシロは、口を閉ざしたまま田平の目をじっと見つめた。真那とはまた違う、底知れないものが隠されているような目をしている、そう思った。するとその直後、体が縛られたように固まってしまった。


「そうですよぉ」


 言葉に詰まるマシロに助け舟を出すように、萌子が身を乗り出して言う。続いて小野が田平に労いの言葉をかけた。田平は頭を下げ礼を言い、それから最近仕事はどうだとか、今日天気は持つだろうかなどたわいない話を始め、田平は口もとの八重歯をちらつかせながら間延びした喋り方で返答をした。

 田平の視線が外れるや否やマシロはそっと彼から一歩距離を置いたが、田平はまたマシロを一瞥し、


「そろそろ戻ります」


 そう言って話に区切りをつけ、面をつけ直し踵を返した。萌子が最後までその姿を見つめ続けていたので、マシロもひっそりと後ろ姿を見送った。

 途中、子供たちに忍び寄っては怖がらせたり笑わせたりする姿を見せながら、待機する神楽師たちの陣の中に彼が溶け込んでいくのを、マシロの横目が追い続けた。そしてすでにまた始まっていた神楽舞を、食い入るように見つめ直した。




   ***




 正午近くになり、もうそろそろ真那たちの神楽が昼休憩に入るということで、三人はその休憩場所に向かうことになった。

 が、途中また太鼓の音が聞こえ、マシロの耳はそれを聞き逃さなかった。そして萌子の腕を無言で引っ張ると、頑として動こうとしなくなった。

 その様子を見やって、呆れながらも顔を緩ませる小野が、萌子に言った。


「マシロったら、……仕方ないわね。萌子ちゃん、マシロお願いしていい?私はお弁当をみんなに届けないといけないから」


 小野の頼みを、萌子は快く引き受けた。小野は礼を言うと、今度はマシロに「あとひとつだけ見たら帰って来るように」と言い添え、足早に帰っていった。


 萌子とマシロはそのあとすぐ、音のする方に足を向かわせ、ものの数分後、また別の神楽と鉢合わせたのだった。


「ちょうど良かった。宮打ちに行くんだ」


 萌子が言う。

 神楽の一行が向かう先には、神社があった。マシロが目を凝らすと、もうすでに観客が何人か、神楽の到着を今か今かと待っているのが見えた。

 神社で神楽を打つことを”宮打ち”というのだと、萌子がマシロに教える。マシロはふうんと口の中で言いながら、一行がぞろぞろと神社内に踏み入っていくのを眺めていた。それから陣が整えられ、程なくして神楽舞が始まった。


 またも曲調が少し異なるお囃子だった。さらに、獅子舞も今までよりずっと大きく頭が振り切られ、常盤(ときわ)色に染められた布で覆われた体も大きく豪快に、前後左右に往来した。

 田平がいた神楽の獅子は、とても控えめで最小限の動きを見せていた。全くの正反対だった。こちらはひょっとこも腰を振ったりお尻を突き出したりと天真爛漫な動きをして、全体的に、豪快で陽気な雰囲気であった。


 金襴(きんらん)を纏う子供たちは他とあまり変わらず、真剣なまなざしで自身の役割を果たしている。まだ幼さが残る顔を引き締め一心不乱に舞っている姿を、マシロは目に焼き付けた。


 そのようにして彼らを見つめながら、マシロは先刻出会った、神輿の子供たちのことを思い出していた。その子らと神楽の子供たちは、背丈を見ると年はそう変わらないと見える。しかし、どことなく違う雰囲気を纏っている気がしたのだった。

 鼓を打つ幼少の少年たちは時折眠そうにしたり、姿勢が何度も崩れたりすることもあったが、金襴の少年たちはそんな姿は一瞬たりとも見せず、威厳に満ちた佇まいをしていた。ひとつひとつの動きが潔く、洗練されている。神輿の子たちのようなあどけさが、どこかに仕舞い込まれているようだった。



 マシロは圧倒されていた。それによってかふいに一歩、足が後退さった。

 ――その時。背中に何かがドン、とぶつかった。


「あ、ごめんなさい」


 途端、頭上から声が聞こえる。マシロがそれを見上げると、色素の薄い瞳がマシロを見下ろしていた。

 思わずマシロは、ぶつかった人物をまじまじと見つめる。瞳の色と同じ茶色がかった髪は後ろで束ねられ、ピンク色の薄い唇が白い肌に映えていた。手にはおかめの面がある。衣装は上がさらさらと触り心地が良さそうな着物、下は裾が地面すれすれの赤い袴を履いていた。

 マシロが見惚れていると、奥の方から声が飛んでくる。


「おーいクリス、最後あと一節、始まるぞ」


 それに対し、はーいと高い声で返事をしたその人は、おかめの面を被り、獅子舞の中に飛び込んでいった。そしてそこで、ひょっとこと一緒に舞を始めた。

 マシロはその舞をしばらく見入った。ひょっとこがひょうきんな舞を魅せる傍ら、おかめは鈴と扇子を滑らかに扱い、体をしならせていた。

 ふと、おかめの面に隠れる前の面差しがマシロの目に浮かぶ。その柔らかな雰囲気をした顔と、ひらりと風になびく衣装は見事に調和していたと、マシロは思った。


 一通り舞終わると、蜘蛛の子を散らすように人々がその場から退散していった。この神楽の一行も、昼休憩に入るということだった。それを聞くと、マシロは少し残念そうな表情を見せながらも、萌子に従いその場を後にした。 




「この辺りで、もう他に神楽はないんですか?」


 帰路につく中マシロが訊く。それに萌子は、ほんとに好きなんだね、と笑いながら空を仰いだ。


「今日は三つだけだよ」


 萌子が言うと、マシロは少し沈んだ声でそうですか、と相槌を打った。自分が悪いわけではないのに、萌子は申し訳なさそうな顔をしながらマシロに言う。


「ちょっと離れたところに、もうひとつ神楽があったんだけど……。去年でなくなっちゃったんだ。今、子供が少ないから。昔はもっと神楽をする神社があったらしいんだけど、どんどん減ってるみたいなの」


 萌子はどこか寂し気だった。それを受け、マシロも先ほどより若干声を低くして「そうなんですね」と答えた。

 しかし気を取り直すように、萌子はマシロに笑顔を向け直した。


「お腹空いちゃった。小野さんのお昼ご飯楽しみ」


 そう言って、足取りを軽やかにさせた。マシロはそれに、またゆっくりとついていった。




   ***




 昼食は小野と萌子の三人、ピクニック気分で近くの河原で食べた。そのあとまた神楽の音が聞こえてきて、マシロが足早に向かって行き、今度は萌子がついていく形でそれを見に行った。

 マシロは萌子を連れ回すことになったが、萌子は嫌がる素振りは全く見せず、小野とともにマシロの思うままについていき、神楽を見て回った。マシロは全く飽きる様子を見せず、繰り返される神楽舞を見つめ続けた。


 気づくと時刻は夕方になっていた。夜が町に沈む前に三人は家へと向かい、そのまま萌子は自分の家へと帰っていった。

 真那も文也も食事は神楽の一行と共にすると言うことで、夕食は小野とマシロの、二人だけで食べることになった。

 そしてその後。マシロは一日中歩き回っていたせいか、電池が切れたように寝入ってしまった。

 



 祭りは土日の二日間の予定だったが、翌日日曜日は、生憎朝から雨だった。祭りの日はなぜか雨になることが多い、と小野から聞かされたマシロは、肩を落とした。

 が、そのしばらくあとに、微かに聞こえる太鼓の音を耳に受け、そのまま耳を澄まし、神楽の音に違いないと確信すると、小野に報告しに行った。小野は微笑みを返してくれたが、では今すぐ見に行こう、とは言わなかった。


 雨の場合は地元の公民館で神楽を奉納するのだったが、狭い部屋に人がごった返し、マシロが行くと目立ってしまうからと、行きたがるマシロを小野が説き伏せた。マシロは最初こそ若干渋りを見せたが、何が何でもと頑なになることはなく、観念して縁側に座り込み、雨に紛れて聞こえる太鼓や笛の音を聴いた。


 その夜、夕飯の後、しとしとと小雨が屋根を打つ音がよく聞こえる縁側で、マシロが独りごちるように言うのを小野が聞いた。


「……あの夜に見た、あの舞が、もう一度見たいです」


 マシロは目前で舞が行われているかのように、一点をじっと見つめていた。隣に座っていた小野が、抱き寄せるようにマシロの肩に手を置く。


 雨の優しい音が二人を包み込んでいた。

 小野はそれに耳を傾けながら考え込むように顔を伏せ、マシロの肩を撫で続けた。


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