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いのりびと  作者: 奥宮イツキ
第一部
6/180

6.桜

 翌朝、まぶしい、という思いを胸いっぱいに抱いてマシロは目が覚めた。朝日が這うように部屋の中に滑り込んできていた。

 顔を傾けて見ると、真那はすでに起きていた。布団をきちんと畳み終え、昨夜と同じように、文机で何やら勉強らしきことをしていた。その後ろ姿から真っ黒な服を着ているのに気づくや、マシロは布団から飛び起きる。


「今から、舞を、やるんですか?」


 光を散らすマシロの表情とは相対して、真那は無表情のままため息をつく。時計を一瞥すると、ノートと教科書を閉じ鞄に仕舞った。そして畳まれた一組の服を、すっとマシロの前に差し出す。


「これ着て顔洗って朝飯食べてこい」


 そう言って真那が立ち上がったところで、服があの夜着ていた衣でないことにマシロは気づいた。

 真っ黒ではあるが、袖と裾はまっすぐ手首足首まで伸びていて、刺繍はどこにも施されておらず、鈴も刀も見当たらない。

 夜に着ていた衣や昨日着ていたジャージと違い、今着ている服は真那の体の線がよくわかった。細身だが、軸がしっかり据えてあるような体つきだった。


 真那はマシロの視線を断ち切るように鞄を肩にひっかけると、無言のまま部屋から出て行った。それとすれ違うように、小野が部屋に入って来る。今朝も着物をきっちりと着こなしていた。


 小野はまずマシロの着替えを手伝うところから始め、身なりの整え方を一から教えた。髪をとかすとき、小野は例によって「綺麗ね」と何度もつぶやいて、手櫛でも髪を何度か梳いた。

 

 その後は朝食となり、夕食と打って変わって、パンとフルーツという洋食寄りのメニューだった。

 マシロは小鳥がついばむようにパンを小さくかじり、いつまでも口の中で咀嚼していた。いつになったらまたあの舞を見られるのだろうと、ぼんやりする頭で考えていた。

 そんなふうに、意識が飛んだように一点を見つめるマシロに小野が声を掛ける。


「マシロ、今日は少し、お散歩に行きましょうか」


 朝日にも負けない明るい声に、マシロはきょとんと目を丸くする。そして向けられる笑顔に首を傾げてから、ひとつ小さく頷いた。




   ***




 朝食を食べ終えると、二人は早速身支度を始めた。

 まず小野は、無造作に伸びたマシロの髪を切りそろえた。少しさっぱりした髪をマシロは鏡に映し、顔の角度を何度も変えながら眺めた。


 出発となると、目立つから念のためにと言って、小野はマシロに帽子を目深にかぶせた。真っ白な髪が、帽子の中にすっぽりと納まる。

 服は真那のお下がりだった。丈が余るのでたくし上げ、靴も真那の少し大きいサイズをかっぽかっぽと鳴らしながら歩いた。それを見て、小野が「新しい靴を買わなくちゃね」と声を弾ませて言った。


 朝の空は薄水色で、引きちぎった綿のような雲がところどころに浮かんでいる。日差しはうららかで、この日も花の香りがどことなく漂って来た。

 歩きながら、小野は鳥を見つけるたびその名前を呼び、道端に咲く草花を指差しては名を挙げた。対岸を結ぶ橋を渡る際には石に掘られたその橋の名前を読み上げ、時折川を見降ろした。跳ねる魚がキラリと光を放つのを、マシロの目が何度か捉えた。


 一度、橋のたもとから続く階段を降り川べりに立った。橋から見るよりも泳ぐ魚の姿が川面を通して鮮明に見えた。川の水が澄み切っているので、見えるのは魚影ではなく、そのままの姿が透けて見えた。

 魚たちがよく見えるようにとマシロが体を前のめりにすると、小野は慌ててマシロの体を支えた。それでも尚深く覗き込むようにするので、「あらあら」と笑みをこぼしながら肩を引っ張りながらそれを制した。



 歩き回ったその土地は田畑が多く、ビルと呼べるような高い建物はひとつもなかったが、ド田舎、と呼ぶような場所でもなかった。コンビニもあり、程よい田舎、というのがしっくりくる具合だった。

 そんななか、建ち並ぶ家々よりひと際大きく、頑丈そうな目立つ建物をマシロが見つけ、「あれは」と小野に聞き寄った。


「あぁ、あれは中学校よ。真那くんや文也くんが通っているわ。――本当に、偉いもんよ。夜は儀、昼間は学校……」


 しみじみと言い、小野はふと、顔をマシロに向ける。


「……マシロは、学校へは通ったことがあるのかしら?」


 訊かれ、マシロは顔を俯かせる。それから徐々に、表情を硬くしていくと、たちまちに瞳の色を、底知れない深い夜のようなものに変えていった。

 ――()()を思い出そうとしていた。が、例によって、頭の中ではまるで火事の煙のように、霧がもわもわと広がっていっていた。払いたくても払えない、重く濃い霧が充満して、マシロの息までも詰めさせる。


 それとなしに訊ねてみた小野だったが、その反応を目の当たりにし、なるほど、と胸の内でつぶやいた。思い出させるようなことをすると、マシロは途端に口を噤み、苦しそうな表情を浮かべる。恩地から聞いた通りだ、と思った。

 少し間を置き、小野はマシロの思考を断ち切るように、頼りなげなに手をポンと置いた。それから、見降ろして見える学校の校庭を指差してみる。


「あそこ、体育の授業中かしら。真那くんや文也くん、いないかしらね」


 小野の声に、マシロの思考は弾けるようにして飛び、光を取り戻した目を凝らすようにしてマシロは校庭を見つめ始めた。

 そこには昨日真那と文也が着ていたジャージ姿の生徒たちがいる。手前では男子生徒がハードルを次々に飛び越えていて、奥の方では女子生徒がハードルのない真っ直ぐなコースを疾走していた。笛の音を合図に、ジャージの色と淡い肌色、そして黒い頭が左から右、右から左と流れていく。顔は識別できず、真那や文也を探し出すことはできなかった。



 その後は誰もいない公園に立ち寄り、昼食をとった。木陰にあるベンチに座り、小野が握ったおむすびを食べた。

 そこはそう広くない公園で、ベンチに座れば公園全体が見渡せた。遊具はブランコに滑り台、雲梯、鉄棒が並んでいる。地面には草が茂り、ところどころにたんぽぽの花がぽつぽつと咲いていて、その上を蝶がひらひらと戯れていた。綿毛になっているものもあり、時折風に吹かれていく。


「――今は、春ですか?」


 マシロが訊くと、小野はにっこり微笑んで「そうよ」と答えた。


「今は四月。今年は寒い日が続いたからか、丁度良い頃に桜が満開だったわ。でも、それももうほとんど散っちゃったわね」


 言って小野は、この公園を囲む木々は全部桜なのだとマシロに教える。

 マシロはへぇ、と息を漏らしてそれらを仰ぎ見ると、全ての木々が桜の花で満開になっているのを想像しようとした。が、風が吹くたびに、散った桜の花びらたちが地面の上をコロコロと転がっていき、それに視線を奪われてしまう。

 マシロが目で追う桜の花びらたちを、小野も目に留め眺めた。地面のくぼみに、花びらが敷きつめられていた。


「満開に咲く桜も綺麗だけれど、散った桜も綺麗よね。――咲いても散っても、桜は桜だわ」


 マシロは声なしに頷いてみせる。

 一度激しく吹いた風が、花びらたちを巻き上げた。美しい光景だった。

 ふと、マシロは瞼の裏に、朝から小野と二人で目にしてきた風景を順々に浮かべた。そしてにわかに笑んだ。

 すべて美しかった。そう、マシロは心でつぶやいた。

 それからマシロはゆっくり、大事そうにおむすびを口に含んでいった。木の葉がこすれ合う音が幾重にも聞こえ、目を閉じると、まるで雨が降っているように思えた。

 



   ***




 この日は一日を散歩に費やした。

 その夕方、小野は夕食の支度、マシロは縁側に座ってぼんやりと空を眺めていた時だった。部屋の壁に掛けてある振り子時計が、ボーンと鳴る音が一回聞こえたかと思うと、真那が学校を終えて帰って来た。

 玄関の方から帰宅を知らせる声がするや否や、マシロの背筋が無意識にしゃんと伸びる。そして縁側に繋がる部屋の襖が開く音が聞こえると、体ごとそちらに向き、山座りしていたのを正座に直した。


 ――が、そこにいたのは真那ではなかった。マシロの目に留まったのは、無表情の真那ではなく、柔らかく微笑む女の子だった。

 女の子はゆっくりとマシロの元まで歩み寄ると、履いていたスカートを手で折って正座した。胸元を隠すほどの長い髪がさらりと揺れ、血色の良い唇から、たんぽぽの綿毛のようなふわふわとした声が聞こえてきた。


「こんにちは、マシロくん。桜です。(さくら) 萌子(もえこ)。真那と文也の幼馴染だよ。文也の話を聞いて、会ってみたいなと思って、早速来ちゃった」


 マシロは戸惑いちらちらと目を泳がせる。それから首を伸ばし、襖の方を見やった。萌子はクスリと笑うと、そのまま笑うような声を落とす。


「真那は今、小野さんのところにいるよ。……真那、ぶっきらぼうだし、言い方もいちいちきついでしょ。ごめんね。でも悪い子じゃないから」


 言われ、マシロはどんな表情を作れば良いのだろうと狼狽えていたが、萌子の笑みにつられ、口元を僅かに緩ませた。

 とそこに、萌子の背後から声がした。


「子、って何だよ」


 マシロは飛び上がりそうになった。仏頂面の真那が、音もなく部屋に入って来ていた。マシロは気が抜けて弛緩していた背骨を伸ばす。


「中学生なんだから。まだ十分子供でしょ」


 萌子は真那を見上げてクスクス笑う。それに真那は何の反応も示さなかった。気にせず萌子が言葉を継ぐ。


「小野さんは?出かけた?」

「あぁ」


 そのようにして二人でいくつか会話を交わしたのち、萌子はマシロに向き直ると、惚れ惚れした様子で髪を見つめ始めた。


「……聞いた通り、本当に綺麗な髪だね。肌も」


 萌子は終始顔をほころばせていた。口角は緩やかに上がり、目尻は常に垂れ下がっている。文也とはまた少し違うものだが、優しい雰囲気の持ち主だった。けれど、背骨に一本棒が立っているような凛とした佇まい、奥まで澄み切っていて芯がある瞳は真那とよく似ていた。

 

 聞くと、今晩は萌子も一緒に小野家で夕食をとるということだった。小野が帰って来るまで萌子がマシロの話し相手になると言い、真那は夕食まで勉強すると言って、ひとり部屋から出ていった。

 萌子がマシロに今日一日何をしていたのかを訊ね、マシロは思い出しながら途切れ途切れに話した。萌子はそれを、うんうんと頷きながら聞いた。マシロが中学校で体育の授業を見たことを口にした時は、恐らくそこに自分がいたと言ってマシロを驚かせた。




 小野が出先から戻って来ると、早速夕食の時間となった。萌子が加わったことにより花が添えられ、昨夜よりも食卓上の会話は幾分か弾み、マシロの表情もいつになく和らいでいた。家に女の子がいたことがなかったという小野は、萌子のことを自分の子供に向けるような眼差しで見つめ、笑い合っていた。


 途中、文也の名前が話題に上がり、思い出したようにマシロが口を開いた。


「今日は、文也くん、は」


 たどたどしく訊くマシロに、萌子が答える。


「文也はね、今日、神楽の練習に行ってる。――ほら、音、聞こえるでしょ」


 萌子が開け放たれた窓に顔を向ける。話声で聞こえなかったが、昨夜と同じ、ドン、ドンと脈打つような音がマシロの耳に聞こえてきた。よく耳を澄ますと、そこには高い太鼓のような音もあり、加え、笛の音のようなものも重なって聞こえた。


「この音は、なんですか」


 マシロの問いに、また萌子が答える。


「神楽の練習の音だよ。明日明後日の土日、春まつりがあって、そこで神楽をするの」

「かぐ、ら。……それは舞をするんですか」

「獅子舞をするよ」

「――では、今この音のするところに行けば、舞が見えると、いうことですか?」

「うん、そうだね」


 マシロは俯き、少し考えるふうにする。それから覗き込むように、萌子の方を見やって言った。


「今から、見に、行けませんか?」


 マシロの申し出に、萌子は虚をつかれたような顔をする。そして一拍間を置いてから、うーん、と唸った。


「……まだ、夜に出歩くのは、控えておいた方がいいんじゃない?……ね?」


 萌子が窺うように、小野と真那を交互に見やる。それを受け小野はひとつ頷くと、


「そうね、夜はやめておきましょう」


 と少し残念そうに言った。肩を落とすマシロをなぐさめるように、小野は続けた。


「明日、日中見に行きましょう。せっかくだし、本番を見た方がいいでしょう?神楽は明日明後日、終日町中を練り歩きながら行われるんだから。お楽しみは明日に取っておきましょうね」


 小野の言い分にマシロはなんとか納得し、萌子が持ってきたイチゴがデザートとして食卓が出され、夕食は締め括られた。

 萌子は小野が作った料理を何種類か包んでもらうと、マシロに神楽を一緒に見に行く約束を取り付け、笑顔で自宅に帰っていった。

 そして萌子がいなくなると、家の中では小野の声が響くだけで、先ほどよりも静けさをはらみ、更けゆく夜を迎えた。


「萌子ちゃんがいると、その場が明るくなるわねぇ」


 小野が言った言葉にマシロは大きく頷く。そして明日のためにと、夜はいつもより早く床につくことにした。真那もめずらしく、マシロと同じ時間に布団に入った。勉強を早めに切り上げ、二人とも早めの就寝となった。


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