17.継承
マシロの眼前に、刃がつきつけられる。それにマシロは短く吸った息を呑み下した。
「集中」
刃の向こうには、田平の顔があった。その鋭い眼光は、真っ直ぐマシロに向けられている。
稽古の途中、マシロの意識が一瞬、どこかに飛んだ。それをすかさず目に留めた田平は、マシロが持つ舞刀をくぐるようにして己の刃をマシロに向けた。
「すみません……」
動きを止め、マシロは肩で息をしながら声を落とす。
「――もしかして、この間の儀の時も、ちゃんと集中できてなかったか?」
田平の言葉にマシロは面を伏せる。返事ができなかった。そうだったのかもしれない、と胸の中だけでつぶやいた。
幾日か前、誘の舞で初めて先導を務めた際に、マシロはカゲを最後まで誘うことができなかった。その時は原因がよくわからなかったのだが、もしかすると、今のようにどこか集中し切れていなかったのかもしれなかった。
「すみません、もう一度、お願いします」
マシロは声を強くして言った。が、それに田平は首を横に振った。
「今日は特にぶっ通しでやったからな。お前の様子を見るに、これ以上やってももう体力も集中力も保てないだろ。だから今日は、もう終わり」
そう言って、田平は刀身を鞘に納めた。
マシロも柄を握る手を緩める。力が入り過ぎていたのがわかった。手がじんじんと痺れ出す。ため息を、ひとつ吐いた。
「――悪いけど、明日から月曜まで稽古できねぇわ」
稽古終わり、スマホを眺めながら縁側に座る田平が言った。マシロはその傍らに茶を置くと、自分もそこに座った。
「お仕事、忙しいんですか?」
「あぁ。めずらしくな」
マシロは麦茶を口に含んだ後、へぇ、と息を吐いた。それから、田平の仕事について改めて考えを巡らせる。その内容について、まだしっかりと聞いたことがなかった。
「……田平さんって、お仕事何されてるんですか?」
それとなしに聞くと、田平は特に言葉を濁すことなく淡々と答えた。
「仏壇店だよ」
「……仏壇店」
マシロは小さく繰り返してみる。仏壇、と聞いて、物は頭に浮かぶものの、それに関わる仕事について、どういったことをするのかまでは全く想像がつかなかった。
「どんなお仕事なんですか?お仏壇を、売ってるとかですか?」
マシロが聞くと、田平は軽く唸ってから答えた。
「今って、仏壇を新しく買うなんて滅多にないから……。仏壇の修繕とか、掃除とかかな、主は。こまごまとした仏具用品売ってたりもする。あとは祭りの、神楽台の修繕もやってるよ。――見ただろマシロも、春まつりの時に。あれ、金箔が張り付けてあってさ。ああいうのを直すのも、やってる」
へぇ、と息をつきながら、マシロは祭りのことを思い出した。
金襴を纏った少年たちが打っていた太鼓は、神楽台というものに括りつけられていた。確かにそれは、金色が光っていた気がした。
あれを、田平が修繕している。どうやってやるのかは想像がつかなかったが、神楽台に向き合う田平を想像すると、先ほどとは少し質の異なるため息が出た。
「難しそうなお仕事ですね。それなりの技術がいるんでしょうね」
マシロが言うと、田平は少し得意げな顔をした。
「こう見えて俺、けっこう器用だから」
マシロはふっと微笑んでみせた。
田平はきっと何でも器用にこなせる人なのだろうとマシロは思った。舞も上手く、カゲと対峙する還の舞も、難なくこなしている。
今も、仕事をしながらマシロに稽古をつけている。普段は気だるそうにしているが、実はすごい人なのだな、と思った。
と、マシロにふと疑問が浮かんだ。
「それは、けっこう融通が利くお仕事なんですか?」
田平は相当多忙なのではないのだろうかと思った。夜は儀、日中は、毎日ではないがマシロに稽古をつけている。いつ、どのように仕事をしているのだろうと思った。
「俺が代表者だから。どうとでもなるよ」
「……代表?」
「俺が、その店経営してるんだよ」
マシロは目を見開く。
「え、そうだったんですか」
代表という立場がどのようなことをするのかは見当つかなかったが、すごいものなのだろうと、とりあえず思った。
そんなマシロを見て、田平が「でも」と言い添える。
「社員抱えてるわけじゃないし、そんな大きなもんじゃないから。そんな、目をキラキラさせるほどすごいもんじゃない」
そう言って田平が苦笑するのを、マシロは首を傾げて見つめた。
「一人でやられてるってことですか?」
「いや、全くの一人ってわけじゃない。たまに、まぁ、恩地さんと」
「え。田平さんって、恩地さんとお仕事されてたんですか?」
「うん」
急に恩地の名前が出てきて、マシロの背筋が思わず伸びる。しかし恩地は今主に畑仕事をしていると聞いていた気がして、またも首を傾げた。
「田平さんが、恩地さんのお店を受け継いだとかですか?」
「いや」
「? 違うんですか?」
「――仏壇店は、もともと恩地さんの兄弟の店。で、その恩地さんの兄弟、兄は、俺の親なわけ」
「えっ」
マシロの声が跳ねる。マシロにとって、恩地に兄がいることは初耳だった。しかしそれよりも驚くべきは、その兄が、田平の親ということだった。
マシロは目を丸くする。
「そうだったんですね……」
そう言いながらマシロは、恩地の家に初めて行った時のことを思い出した。
朧げな記憶ではあったが、恩地の家に着いてから一晩を過ごし、朝食に招かれたその食卓に、田平もいたのだった。
今思えば、妙にそこに馴染んでいた。恩地の兄弟の息子が、田平。いろいろと繋がった気がした。
「――でも、恩地って苗字じゃないんですね」
マシロが問うと、田平は頷いた。
「俺の父親は、婿だったからな。俺の……母親の、姓を名乗ってんの。痣子関係者は、けっこう婿取りがいるんだよ」
「あ……そういえば、萌子ちゃんの家も」
「あぁ、うん。あそこもそうだな」
と、マシロは少し目を伏せる。
萌子のことを頭に浮かべるや、今起きている楓とのいざこざについても同時に思い出された。
しかし、田平にそのことは言い出せなかった。田平と萌子、二人がどんな関係でいるのかが、まだよくわかっていなかった
仲が良い。そうは見えるのだったが、そのような単純な関係だけがそこにあるようには思えなかった。
春まつり、神楽を見に行った時に見た、萌子に優しげな眼差しを注ぐ田平と、その田平について語る萌子のうっとりとした瞳が、交互に脳裏に蘇った。
「――マシロ?どうした?」
言って、纏う空気を変えたマシロを田平が覗き込むようにして見る。マシロは慌てて顔を上げた。
「あ、すみません。――あの、萌子ちゃんと、田平さんって……」
切り出してから、少し迷って口を閉じる。そのまま言い淀んでいると、田平が目線で先を促してきた。
「あの……お二人、えっと、な、仲が良さそうだなぁと、思って……」
何とか出した言葉に田平は一瞬目を丸くしたが、すぐに薄い笑みを浮かべた。
「そうかぁ?普通だろ。――まぁ、痣子やってれば自然と関わり多くなるから、みんなそれなりの仲にはなるよ」
それなりの仲。
マシロはそれに田平と萌子を当てはめた後、次いで萌子と楓について考えた。
少し前までは、二人とも”それなりの仲”の範疇にいたのだろう。しかし、今は。
二人は今、別の関係性の中にいる。少なくとも”仲が良い”と言い表せるような状況ではないと思った。
ではどうすれば、元の関係に戻ることができるのだろうか。いくら考えてみても、わからない。
「……痣子同士で喧嘩することとかって、あるんですか?」
遠回しに聞いてみる。それに、田平は表情を歪ませた。
「喧嘩ぁ?何、今誰か喧嘩してんの」
「いえ、あの……。――小さい頃から一緒にいて、みんなずっと良い関係性が保てるのかなぁって、ちょっと気になって……」
慌てていい直すと、田平は納得したふうにした。
「どうかねぇ。意見が合わなかったりして、言い合いになることがないこともないけど……。目立った諍いはこれと言ってないと思う。けっこう穏やかなんじゃないの。――前は真那があれだったから、ちょっとピリついてたけど。まぁ、今はマシになったよな」
「あぁ……」
マシロは息を落とす。真那のことを考え気が沈む前に、問いを重ねた。
「中学生になったら痣子になるってことですけど、小学生の時からみんな仲良しなんですか?」
「まぁなぁ。神楽もやるし、誘の舞の練習は、小学生から始まるからな。その時から、多少は結束はするかもな」
「……田平さんは、小学生の時からずっと一緒だった仲間のことを、――嫌に思ってしまったこととかって、ありますか?」
楓が言っていた。小さい時からずっと一緒だった萌子が、今になって嫌になってしまった、と。その解決策があれば、知りたかった。
その、核心に迫る問いをした時だった。それまで淡々と答えていた田平が急に、返答に窮するような様子を見せた。
「んー……。俺、中学の時にこっち来たからなぁ。そのへんはよくわからんわ」
間を置いてからの回答に、マシロは少し目を丸くする。
「あ……。田平さんも、移って来た人なんですか」
「まぁ、な。そう言ったらそうなんだけど。……ただ最近来た双子とは、ちょっと事情が違うけどな」
マシロは首を傾げる。ちょっと違うとは、どういうことだろうか。
判然としない顔をするマシロを前に、田平は言い淀みつつ、曖昧な笑みを浮かべた。
「……俺、養子なんだよ。さっき、恩地さんの兄が俺の親って言ったけど、本当の親ではないんだ」
「あ……」
マシロは一瞬言葉に詰まった。ややあってから、そうだったんですね、と曖昧に返す。
「まぁ、なんだ。――俺は、施設で育ってたんだ。そこに、恩地さんとこの兄が来て、俺を連れてった。その時から、俺はその人の子供になって、ここに来たってわけ」
田平は淡々と喋ったが、マシロはどんな反応をするのが適切なのかと、返す言葉を選びかねる。少々面食らっていた。
田平はそのまま続けた。
「さっき、痣子には婿取りがけっこういるって言ったけど、養子も割と多いんだ。何しろ、継承者を作っていかないといけないからな」
「……継承者――……」
マシロが掠れた声で繰り返すと、田平は頷いた。
「痣子って、途絶えさせたらいけないじゃん。カゲを還す人がいなくなるから。だから、痣子は大人になったら子供作って、その子をまた痣子にしていかないといけない。けど、俺の父親……になった人には、子供がいなかった。だから、乳児院とか児童養護施設に探しにいって、俺を見つけたってわけ」
マシロは何度か頷き、納得の意を示す。そうやって、痣子は今まで営々と継がれてきた。自分の子供ができなければ、養子を受け入れてでも継承者を作るということなのだった。
「今、その、田平さんのご両親……、恩地さんのお兄さん夫婦は……」
マシロが訊くと、田平はあぁ、と息をつくように言った。
「二人とも、死んだ。ていうか母親は、父親と結婚してすぐ死んだらしい。だから子供もいなくて、父親だけの状態で俺を引き取ったってわけなんだけど……。会ったこともない人のこと、母親って呼ぶのも変な感じだけどな。まぁ、とりあえずはそんな感じで。父親も、ちょっと前に死んだ。――なんか、不思議な家族だろ」
田平は薄く笑ってみせたが、マシロはうまく反応できなかった。
田平本人が自分の境遇をどのように受け止めているかは計り知れなかったが、マシロは田平の話を軽く受け止めることができそうになかった。




