2.少年たち
ついて来てくれる?という文也の言葉に従い、白髪の少年は二人の後ろについて行った。文也の斜め後ろに白髪の少年、その後ろに真那がついて、三人は静寂な夜の底をしばらく歩いた。下駄と鈴が、澄んだ音を響かせる。
時折音を伴った風が吹き、その何度目か、髪を巻き上げるほどの強めの風が立った時だった。少年が小さく身震いし、それに気づいた文也が少しだけ少年の側に寄った。
「ごめん、寒いよね」
そのようにして文也は道中、少年に何度か言葉をかけた。けれど一定の距離を保ち、極度に近づいたり、少年の肌に触れたりなどはしなかった。
後ろから、無言の圧がかかっていた。真那は道中一言も言葉を発さなかったが、鋭い視線だけは、白髪の少年に送り続けていた。
夜が深まっていた。月の光が薄く透ける雲が、空を渡っていく。足元を照らすものは数少ない街灯と月明りくらいだったが、少年が目を凝らして遠くを見れば、建物があるのか明かりが密集しているところもあった。
三人が歩くのは、人が一人もいない町の外れのような場所だった。動物すら一匹も見当たらない。歩く道は舗装されておらず、草木が鬱蒼としているところが目立つ。自然の音と下駄と鈴、そして真那と文也の衣の擦れる音。それらが白髪の少年の鼓膜をくすぐっていた。
しばらく歩くと、奥まったところに街灯とは質を異にする明かりが見え始めた。朱色を放ち、石造りの囲いがされたとある敷地をぼんやりと照らしている。それは白髪の少年たちが歩く道より石段を数段登った高さにあり、そのさらに奥には森厳さを纏った社もあった。
そこに近づいて行くと、少年の視線は社から、そこに続く石段の脇に停めてある一台のワンボックスカーに移った。次いで、その傍らに一人の青年が立っているのが視界に入る。真那や文也と同じ衣を纏い、しかし背丈は二人よりも幾らか高く、髪色も二人と違って夜の風景に溶け込み切らない金髪で、適度に伸ばされたそれはハーフアップのようにして後ろでまとめられていた。
「田平さん」
真那が呼びかけると、振り向いた田平という男は切れ長の目を見開き、歩み寄ってくる二人に唖然とした表情を向けた。
「え、何、どうしたお前ら。カゲは?」
そう言ってから、言葉にならない声をいくつか吐いた。そんな田平の前で立ち止まるや、文也がそろそろと足を一歩さらに踏み出す。
「実は、途中でカゲが暴れ出してしまって……」
「え、マジ」
「はい。でも、その場で真那くんが還してくれました」
「…………あぁー……、そうか。――悪い、全然気づかなかったわ……」
田平は表情を歪ませ、色の抜けた髪をぐしゃりとかき上げた。そこに、今度が真那が一歩前へ出て、
「すみません。僕が、集中を切らしてしまいました」
言って、頭を下げた。すると、先ほどとは違う様子で田平が目を見開き、言葉をなくしたように一瞬黙った後、神妙な声で言った。
「……そりゃ、めずらしいな。――つうか、俺も本当に悪かった。お前がいると思って、安心してたとこあったわ。それに、このへん妙な感じに草が枯れてるからちょっと周り調べてて――、……って誰、それ」
田平が石垣の周りに巡らせていた視線を、二人の後ろに隠れるようになっていた白髪の少年に留めた。
文也が体を退け、少年の姿全体を田平に見せようとすると、少年はびくりと跳ねらせた体をずらし、再度文也の後ろに自身の体半分を隠す。その後も、田平が近づき覗こうとするたび逃げるようにして体を移動させ顔を伏せるので、二人の間に挟まる文也から思わず苦笑いが漏れた。
「えっと、この子は……」
言いながら、文也がちらりと視線を滑らせる。その先にいた真那が、あとの言葉を引き取った。
「こいつ、僕らのこと見えてました。――あとたぶん、カゲのことも」
「え?」
真那の言葉に眉根を寄せた田平が、改めて少年を射るように見る。文也の陰から盗み見るように田平を見ていた少年は、その視線をすぐ脇にあった車の方に転じた。と、その窓に映るものを目に留めるや、話を始めた三人から一歩離れ、覗き込むようにじっと見つめ始めた。
そこに見えたのは、人の顔だった。少年が顔を傾けたり首を振ったりすると、目の前の顔も連動する。そうやって、見えている顔が自分のものだと気づくや、少年は首を巡らせ文也と真那を見やった。しばらくしてから視線を戻すと、また自分の顔をじっと見つめる。それを何度か繰り返し、見比べるようにした。
背丈は同じくらい、顔も同じような少年顔なのだったが、髪や肌の色が全く違うものであると認識する。なぜだろうかと、少年は僅かに顔を傾けながら右頬にそっと手を触れた。そのまま頭の方に手を伸ばしてみる。綿のように柔らかな白い髪が少年の手のひらをさわさわとくすぐった。
と、ふとその横に田平の明るい髪が映り込み、それに気づくや白髪の少年は咄嗟に身をすくめた。田平は「ちょっといい」と言って少年の身体を自分の方に向かせると、少し躊躇いながら訊いた。
「ごめん、男、だよね、君。ちょっと服めくっていい?」
少年は小さく頷く。質問の意味を深く考えることはしなかった。
ごめん、と改めて口にしながら、田平は少年が着ていたボロボロでシミのついた、もとは白かったのであろう黄ばんだシャツをめくり上げる。そして「無いな」とつぶやくように言葉を落とすと、唸るような声が閉じられた口の中で鳴った。
その時だった。社に続く石段を一段、下駄で踏み降りる音が静かな夜にカン、と響いた。ややあってから、驚きがわずかに滲む声も追って聞こえた。
「お前ら何してんの?カゲは?」
白髪の少年は声がした方を仰ぎ見る。朱の明かりに紛れまた別の少年が二人、やはり黒い和の衣装を纏って姿を現した。真那や文也のように少年というには少し大人びて見え、しかし田平よりは幼い印象がある顔をしているのが白髪の少年の目に映った。
「”誘”の最中に、カゲが暴れ出したらしい。それで剣が、”還”をしたって」
田平の言葉に、石段の少年は「はぁ?」と眉を顰め真那と文也を見下ろす。真那がすぐさま、原因が自分にあることを説明すると、少年二人は田平同様「めずらし」と声を揃えて言った。
「ちなみにそれってどのへんで?」
「あの、橋の近くの……」
「ほぼ始まりの地点じゃん。そんなとこで?」
「はい……」
石段を降りてくる二人からついて出る質問に答えたのは文也だった。三人の声の間を縫うようにして、カラカラと下駄が鳴る。
「え、それじゃ俺ら、一時間以上もかけてここに来ただけってことかよ」
階段を下り切ったところで一人が若干不満げに言うと、田平がなだめるように落ち着き払った声で答えた。
「そんな風に言うな。――まぁでも、社に辿り着く前に還しちゃったからな。明日どうなるんだろうな……。そもそも今日ここに来たのがイレギュラーだったし、……加えて、この子がなぁ」
「この子?」
問われた田平が、白髪の少年を顎でしゃくって示してみせる。少年二人は、そこに目を留めたまま田平に歩み寄っていった。訝しげな表情を浮かべる。
「……誰すか」
「それが名前も、どこから来たかもわからないって言うんだと。謙太郎と涼、何か知らない……よな?」
謙太郎と呼ばれた少年は、田平の問いに首を振る。そして涼と呼ばれた少年に「知ってる?」と訊くと、涼も同じく首を振り、田平に問い返した。
「連れていくんですか?」
「うん、どうしようかなと思って。とりあえず、恩地さんに電話してみるわ。――ちょっと待っててくれ」
田平はそう言うと胸元からスマホを取り出し、その場から離れた。しばらくしたのち暗闇から田平の会話する声が聞こえ始めたがその内容は聞こえず、ただならぬ雰囲気が残された少年たちを取り囲んだ。
しばらくの間できた沈黙を破ったのは涼で、白髪の少年に問いかけた。
「……俺たちのこと、見えるんだな?」
涼の言葉に、白髪の少年は静かに頷いてみせる。先程から訊かれる「見える」の真意が分からずにいた。さらに、その見えるかどうかの問いに頷くとさも不思議そうな目を向けられるので、困惑は増すばかりだった。
もしかしたら、この人たちは人間ではないのだろうか。そんな疑問が浮かんだところに、田平がのそのそと戻って来た。そしてそこにいる少年たちの視線をからめとるように言った。
「連れて来いって。とりあえず今日のところは、一旦引き上げだ」
***
乗って、と文也に手招きされ、白髪の少年は車の中に足を踏み入れると、促されるまま二列ある後部座席の前列に腰を下ろした。少年を真ん中に挟んで両脇に真那と文也が座るという配置となり、その後列には謙太郎と涼が座り込む。そして最後に田平が運転席に乗り込むと、車はゆっくり進み出し敷き詰められた砂利を踏みつけながら出発した。
夜の道をしばらく走ると、程なくしてから車は高速道路に入った。走り進めていくにつれ、眼下に見えていた様々な色をした光の大群が次第になくなっていき、夜が沈み込むようになって辺りは暗さを増していった。
道路上も車の数が減っていき、頼りない光が灯る街灯も遠間隔で置かれるようになっていく。長いトンネルをいくつもくぐり、通り抜けるたびに車も街灯もまた姿を消していく。大きな山々が道を取り囲むようになり、やがて周りに見える明かりは車と街灯のものだけとなっていった。
道は緩やかなカーブが続き、車は一定の速度を保ち走り続けた。心地よい揺れのせいか気づくと文也が寝入ってしまっており、その頭が左隣にいた白髪の少年の肩に落ちて来た。
「おい、文也……」
真那が声を掛けようとすると、それを遮るようにして後ろから謙太郎の声が飛んでくる。
「いいじゃん、寝かせといてやれば。なんなら剣も寝ていいぞ」
「明日も学校だしなぁ。いくらそのまま地元の高校行くって言ったって、一応受験生だろ」
次いで涼も言って、真那はゆっくりと文也に伸ばしかけた手を引っ込める。それを白髪の少年は掠め見、その後ろでは二人による会話が続いていた。
「つかそう言うお前も受験生だろ」
「そうだけど」
「寝れば。俺は別にいいよ。授業中寝てても何も言われないし、受験関係ねぇし」
「この状況で寝れねぇよ」
「文也寝てんじゃん」
「文也は別にいいだろ」
車が揺れる。白髪の少年の頬を文也の髪がくすぐり、それから逃れるようにして少年は顔を反対側に向けた。その先に見えた真那は、窓越しに夜の空を見つめ続けている。体勢は崩れず、背筋が伸びたままでいた。と、ふと白髪の少年が自身も窓の外に目を向けようとすると、窓に映る真那と目が合った。反射的に少年はふと俯く。しかしそろりと視線だけをまたそこに寄こした。やはり目が合う。また俯く。
そこに、運転する田平の声が飛んできた。
「君も、よかったら寝ていいよ」
少年が前に向き直ると、今度は田平と、ルームミラー越しに目が合った。時間を置いてから“君”が自分を指していると気づき、少年は小さく首を横に振る。
「あ、の、……大丈夫、です」
声が喉に詰まって、やっと出てきたと思うとそれはひどく掠れていた。
――もう一度、見せてくれませんか。さっきの。
舞を見た後に出した声は、あんなにはっきりとしていたのに。
そう思いながら、少年は不思議な気分になっていた。真那が舞う姿が脳裏に浮かぶ。その時の心が震えるような感覚も、じわじわと蘇っていた。
「そっか。眠くなったら寝ていいから」
言われ、少年は小さく頷いた。そして、文也の方にある窓から外を眺めた。
目は不思議なほどに冴えていた。けれど、まるで脳だけ眠ってしまっているかのように、晴れない霧が頭の中を覆い続けているのを感じていた。それはひどく濃い場所と、それほどでもない場所と、さまざまな気がする。けれど何かを思い出そうとすると、隠すように色濃くなる。
しかし、それは何故かと考えるより先に、今は目の前の状況や物に意識を奪われ、それらを受け止めていくことがやっとという状態だった。見知らぬ風景が続く。だからと言って見知る風景を思い出そうとするにも、一つも出てはこない。
思い出せるのは、舞をする真那の姿と、黒い影。特に舞は、今目の前で行われているように、鮮明に思い描ける。その時身を置いていた空間の空気、匂いまでもが蘇ってくるのだった。
まだ明けそうもない夜の道をひたすら走り続けた車は高速道路を下りるとスピードを落とし、いくつもある角を曲がり始めた。そのうちにあたりにはぽつぽつと民家が姿を現し始めたが、依然として、山に囲まれたようになった場所に少年はいた。
やがてとある場所で車が停まり、そこで真那ひとりが降車する。その時文也が目覚め、頭を預けていた少年に慌てて謝ったあと、真那と二言三言、言葉を交わした。
そして次に、涼、謙太郎と続いて降車していき、最後、後部座席に白髪の少年と文也の二人が残された。
「さっき、本当にごめんね。頭、重かったでしょ」
文也が言うと、少年は小さく首を振った。次いで文也は口角を柔らかく上げ淡い笑みを浮かべ、白髪の少年はそれに対し、ぱちぱちと瞬きを返すことしかできなかった。
そして最後に車を降りる際、文也は少年に微笑みを向け、手を小さく振った。少年はまた何回か目を瞬かせたあと、文也の目が届かない、自身の胸元で手をひらひらと振ってみた。
とうとう車内は少年と田平の二人きりとなった。辺りはまだ暗く、夜は明ける予兆も見せていなかった。
「今から恩地さんって人のとこに行くから」
前方から声が飛んできて、少年は「オンジさん」と頭の中で復唱する。短時間の間にいくつもの名前を耳にしたが、少年の頭には曖昧にしか残っていなかった。いくつかはもう忘れてしまっているという始末だった。
その”オンジさん”という人の名も、少年の頭に数秒留まっただけで、暗い夜の景色と共に流れ消え去ってしまった。