第1話 序曲②
兄が家の中に消えて10分くらい経った頃、何食わぬ顔で兄がひょっこり出てきた。
「リビングにもキッチンにも異変は無かった。お前何を見たんだ?一応、居間と寝室も見たが誰も居なかったぞ?」
この男は目が下についているのか?それとも気づかなかっただけか?
玄関を潜れば否応なしに目に入ってくる"あれ"を見なかったのか?
「兄貴...玄関の"あれ"見たか?」
自分は焦る気持ちを抑え、兄に聞いた。
「"あれって"...何だ?何も無かったぞ?さてはお前俺を揶揄っているのか?」
確かに兄はいつもおちゃらけている。だがこの状況でふざけているとは思えない。
「天井に突き刺さった包丁を見なかったのか?あんな事自然には起こり得ない!誰かが家の中に侵入したに決まっている!!」
兄のキョトンとした顔と裏腹に自分は声を荒げた。
「...包丁が突き刺さってた?お前の見間違いじゃ無くてか?」
「兄貴こそ、見落としたんじゃ無いのか?あんなもん玄関開ければ嫌でも目に入って来るだろ!」
自分は今冷静では無いのかもしれない。この件以外にも最近、不思議な現象が身の回りに起こっていた。
家の中で黒い影を目撃した。
学校からの帰り道に何かに背中を押されトラックに轢かれそうになった。
家の周りで鳥やネズミが死ぬようになった。
そして、この1件だ...。正直怖くて仕方が無かった。
もしかしたら"あれ"を起こしたのも人間じゃ無いのかもしれない。だけどそれ以上に今回は明らかに明確な敵意を肌で感じた。
本能が危険を察知した。
そんな自分を察してか、兄は身構えこう言った。
「一緒に確認しよう。お前は俺の後ろをついて来い。何かあればすぐに逃げろ」
また目が変わった。今度は自分も一緒について行く。嫌な予感がしながらも、自分と兄は玄関へと歩を進めた...。
扉の前まで来た。先程から手の震えが止まらないのは恐れからくる物なのか、それとも本能的に危険を察知している前兆なのか。手の震えが止まったのは2秒後だった。
「何も無いぞ?やっぱり見間違いだったんじゃないのか?」
見上げると先程の光景が嘘のように跡形もなく消えていた。
「...待ってくれ。あんな強烈な光景を見間違えるはずが無い!絶対に見たんだ!」
あり得ない。天井には包丁はおろか刺し傷さえ見当たらない。まるで何も無かったかのように綺麗だった。周囲を見渡し人の痕跡が無いか探すがまるで見つからない。
念の為キッチンに向かい収納されていた包丁を見たが異変は無かった。
そんな慌てふためく自分を見て兄は口を開いた。
「...なあ、玄関に鍵は掛かっていたよな?」
自分は頷いた。
「俺が調べた限りでは窓や裏口には侵入された形跡は見つからなかった。唯一の出入り口は玄関って事になるけど、もう一度聞くが鍵は閉まっていたんだよな?」
...
夜が老けてきた。昼間のあの一件は自分の見間違いという事で片がついた。絶対に違うと思っていたのだが、兄にあれこれ言われ本当に見間違いだったんじゃ無いかという気さえしてきた。
自分はとりあえず眠る事にした。明日は忙しくなる。何故なら兄貴の結婚式があるからだ。実は今日はその為の買い出しでもあった。食卓を一緒に囲みお祝いをしてくれと頼まれていた。
兄は家を開ける事が多く、お相手はどうやら外国で知り合ったらしい。どんな人なのかは一度家に連れてき紹介して貰ったので分かっているが、外見はブロンドの髪にそばかすが特徴の可愛らしい人だった。話す日本語はまだ少しぎこちないが、あまり人怖じし無さそうなタイプだったので日本での生活は心配無いだろう。
時刻は丁度日付が変わろうとしていた。その日は色々あり疲れていたので寝る事にした。
そして、その晩...
兄は失踪した。