邂逅
八時きっかりに、タイムカードをきる。新人からメールが届いていた。何が分からないか、分からないらしい。
「分からないことがあれば、訊いてね」
に対しての答えてのようだ。首を傾げたままボクは、椅子ごと横倒しになる。というのはあくまで脳に描いた空想に過ぎない。
「失礼します」
電気を消して、誰もいないオフィスをあとにする。外回りがあったから、寄らなくてもよかったけれど。
階段を降りる。コツコツコツ。革靴が擦れる。コツコツコツ。コツコツコツ。
瞬時に振り返る。笑顔の少女がいる。銀に染まった髪を指で鋤いている。ハープを奏でるみたいに、滑らかな運指。ただの少女ではない、魔法少女らしい。
そもそも魔法少女って何。
少女の定義は、あどけない女の子。未成年の、雌。
魔法とは、摩訶不思議な能力。非科学的な、オーラとか、念力とか。
制服からすらりと伸びた太ももからつま先に至るまで、一点の曇りさえ存在しない。ステッキを振り回して、呪文を唱えて、さあボクを夢の世界へと誘ってはくれまいか。
満員電車で、乗降口の側に二人寄り添って。
昼はうどんや蕎麦のかえしの匂いなのに、夜はとろける生クリームみたいだ。説明しがたい匂い。これも魔法の類いなのかも知れない。
「あなたはただの食堂のおばさんで、ボクは食堂を利用する社員です」
「ふうん、で?」
長いまつげをしている。瞳を大きくするのも、魔法の力。うなじの透明感も。桃色の唇だって。
何もかもが蠱惑に満ちている。
「だからなんなのよ」
「ついてこないでください。もしかしてストーカーです?」
からかわれている。牽制するために、言葉を紡ぐ。
「暇なんですか。ボクにつきまとって、ほら、この前も。線路づたいに歩いて。ずっと追ってきて。怖いです。目的を教えてください。そうでないと」
「そうでないと?」
いつの間にか空いた席に腰かけて、足を組んで、頬杖をつく少女は続きを待っている。
「どうするつもりだよ」
口調が荒くなる。ボクの汗腺が沸々とたぎる。しまった、これは魔法にかけられているらしい。
なんと威勢のいいことか。優しいから、若気の至りで片付けてあげるよボクは。
魔法少女は年をとらないのだろうか。三十半ばの係長が還暦をむかえたとしても、きっとしみひとつない肌を、これみよがしに主張してくる。
もしも美しいままでいたいなら、魔法が使えない人間は、諦めざるを得ない。とは思わない。
それこそ小学校の理科室でホルマリンに抱かれた標本よろしく、口も目も開いたまま、時を止めてしまう術を身につければいいだけなんだけれど。