禁断の恋に身を委ねてみたいと思いませんの?(前編)
もとは pixivFANBOX 公式企画の一時間創作企画で書きはじめたものです。
(一時間では序盤しか書けなかった上に、テーマも回収できなかったやつです……そりゃ無理ですよね、こんなに長くなっちゃうんだから!)
pixiv にも載せてます。
「スカーレット、さっき門の方から馬車が来るのが見えた気がするけれど」
「はい、お嬢様」
門からお屋敷の入り口までは、たっぷり距離がございます。たとえ馬車であっても、一瞬で到着というわけには参りません。お屋敷の正面など、植え込みをぐるりと回り込むように道が敷かれております。そのような工夫があってこそ、わたくしども使用人一同も、お客様をお出迎えする準備をととのえることができるのでございます。
「紋章は見えた?」
「はい、お嬢様」
プリンス・オブ・バーラム……すなわち、王太子殿下の御紋章でございます。獅子と剣をあわせた複雑な形ですが、見間違いようがございません。似たものがないように、作られております。
「……そう。時間には正確でいらっしゃるわね」
ホーキンスさんに伺ったところ、王族のかたは実に正確に移動なさるそうです。早過ぎても、遅過ぎても、臣民に負担をかけてしまうから、だとか。なんとお情深いことでございましょう。
お嬢様は、お帽子の位置を気にされているようです。黒いお帽子は、濃い青のリボンと灰色のレースで飾られています。派手さはございませんが、それがより一層、お嬢様の美貌を引き立てます。わたくしのお見立てですが、お嬢様はなにをお召しになってもほんとうにお美しく。こてをあてて巻いた黒髪や、襟元の濃紺のリボンと白いお肌の対比がまた。たまりません。一幅の絵のようです。
ですが、今日のお嬢様はいつもよりおとなしくていらっしゃるようにお見受けします。少しは緊張しておいでなのでしょうか――鋼の心臓をお持ちのお嬢様でも、さすがに王太子殿下がお相手ともなれば?
「スカーレット、今日はけっして……わたくしを、ひとりにしないでね?」
「はい、お嬢様」
本日は、王太子殿下からのお誘いで観劇のご予定です。三回ほどお断りして、これが四回目のお誘いとなりまして、一回くらいはお会いしないと駄目ねとお嬢様が根負けなさった形です。
そのとき、ノックの音が聞こえました。
「エルスペス、僕だよ」
お嬢様は小さく息を吐かれました。そして、わたくしに向かって鷹揚にうなずかれました――開けなさい、という意味です。
わたくしが扉をお開けすると、そこに立っていらしたのは、ジョージ様でした。
お帽子は手に持っていらっしゃいます。秀でた額――と申しますれば聞こえがよろしゅうございます――に、少し乱れた栗色の髪がかかっておいでです。眸は、やや暗い青。表情はどこか途方に暮れたような感じでいらっしゃいます。不安げだとまでは申しませんが、失礼ながら、寄る辺のない子どものような雰囲気なのです。
お嬢様は、曇りのない笑顔でジョージ様をお迎えになられました。
「お義父様」
ジョージ様は、先代様のふたりめの配偶者様でいらっしゃいます。お嬢様のお父上は、先代様とご結婚されてほどなく亡くなってしまわれたそうです。忘れ形見のお嬢様を抱え、領地経営その他にご苦労なさっていた先代様を近くで支えていらしたのが、ジョージ様。そのジョージ様と先代様は、深い愛で結ばれ――たわけではなく、盟友として婚姻を結ばれたそうです。
このへん、わたくしには理解しかねるお話なのですが……お嬢様のお言葉によれば、お義父様に適切な権限を与えるための婚姻よ、だそうです。ただし、外聞は非常によろしくなかったそうで……なにしろ、ジョージ様は元は平民でいらっしゃるそうですので。
「エルスペス、ああ……綺麗だ!」
お嬢様は、にっこり笑って手をのべられました。
本日は、ジョージ様もご一緒なさることになっています。年頃の男女をふたりきりにするわけには参りませんので、女性側はかならず付添人が同行する決まりとなっております。わたくしもご一緒いたしますが、メイドは人数に入りません。公営社交場のようなところならばメイドひとりでも許されるのですが、さすがに王太子殿下とのご観劇ともなりますと、メイドでは役者不足なのでございます。
ジョージ様は、お嬢様の黒い手袋の上にそっとくちづけを落とされますと、ためらいがちに、こう仰せになりました。
「フランシスがいるのかと思ったよ」
「まぁ、お義父様。では、怖がらせてしまいましたわね?」
お嬢様が口元を隠す扇も、本日は黒一色ではございません。服喪の期間も明けましたので、徐々に色を明るくしていく予定です。
「とんでもない。フランシスなら、大歓迎だ。むしろ歓喜の涙を流すだろうね」
お嬢様は、わずかに眼を伏せてお答えになりました。
「わたくしで、ごめんあそばせ」
「そんな意味ではないんだ……すまない、エルスペス」
しょんぼりなさったジョージ様は、やはり子どものようです……領地経営の手腕は大したものだと伺っておりますが、なんだか疑わしいです。
そんなジョージ様をご覧になり、お嬢様は楽しげに眼をほそめられました。悪戯成功、といったところでしょうか。お嬢様には、そういうところがおありなのです。
「少しばかり、意地悪を申しました。どうか、お気になさらないで。それより、そろそろ殿下がいらっしゃるわ。ねぇお義父様、わたくし、ほんとうに綺麗?」
「綺麗だよ、エルスペス。そんなに綺麗だと、殿下が本気になってしまわれそうで心配だよ」
「まぁ、お義父様。それはいらぬご心配かと存じます。だって、殿下ですもの……女性を容貌でお選びになるようなことは、けっして」
ある意味、絶大な信頼を抱いておいでのご様子ですが、わたくしはジョージ様と同じ危惧を抱いております……本気を出してちょうだいと命じられましたので、お嬢様のお美しさを全力で引き出してみたつもりですが……やり過ぎてしまったのでは?
「一応、確認しておくよ。殿下とは――」
「婚約したくありませんわ」
食い気味です。そんなにお嫌なのでしょうか。
「――わかったよ。こちらからお断りするしかないだろうね」
ジョージ様のご心境を想うと、わたくし、気が遠くなりそうです……ただでさえ、女伯爵に取り入ってうまいことやった平民出の若造、とのご評判――これは、メイド仲間に聞きました――社交界では軽く見られがちのお立場ですのに、王家を相手にお断り……。なんという重責でしょう!
「そもそも、殿下はわたくしをお望みではないのよ。陛下のお指図に従っていらっしゃるだけ。ウィスターシャは名門だけれど、それは単に王家とのご縁が深く、長いというだけの話。婚約する旨味もなにもないわ。殿下ご自身だって、このまま話を進めたいとはお思いではないはずよ」
「フランシスが現陛下のご寵愛深かった、というのも追加してくれないと。それから君もね、エルスペス」
「おばさまがお好きなのは、お母様よ。わたくしではないわ」
「エルスペス、君は自分を軽く見過ぎだよ。陛下はたしかに、君にフランシスの影を見ているかもしれない。でも、それだけじゃないはずだ。君は君として、素晴らしい存在なのだからね」
お嬢様は、呆れたわという顔でジョージ様をご覧になりました。わかってないわね、とお綺麗なお顔に書いてあります。ジョージ様に伝わっているかは、あやしいところでございます。
「なんにせよ、殿下は断ってほしいとお思いのはずです。ただ、少しはおつきあいしないと、陛下への申し訳が立たないでしょうから」
「わかった、わかった。ちゃんとお断りするよ。今日が終わってから、お手紙をお出ししよう」
「お願いしますわ」
お嬢様はレディ・ウィスターシャ――つまり、この伯爵家の御当主ではいらっしゃいます。が、未成年でもいらっしゃいますので、公的なお仕事はまだ、すべてジョージ様が担っておいでなのです。
よく考えてみますれば、先代様がジョージ様と婚姻を結ばれたのは、非常に賢明な選択だったと申せましょう。もしジョージ様がいらっしゃらなければ、先代様が亡くなられると同時に、爵位にまつわるすべてが、まだお若いお嬢様にのしかかって来たはずです。おお、なんとおそろしい!
そこへ、ふたたびドアがノックされました。
「お嬢様、殿下がお着きです」
お嬢様は大きく息を吐かれますと、ジョージ様をご覧になりました。
「ではお義父様、参りましょう。お帽子をお忘れにならないでね」
「ああ、そうだね。すぐ出るんだったっけ」
本来であれば、お迎えに来てくださった殿下をおもてなしする流れなのですが、殿下のスケジュールがなかなかこう……みっちみちに詰まっていらっしゃるそうで、無理、ということになったそうです。
玄関ホールに佇む殿下は、颯爽としたいでたちでいらっしゃいました。王族であると一目でわかるようなお衣装ではありませんが、上質の布で腕のよい職人が仕立てたに違いない上下は、殿下の姿勢のよさをすっきりと際立たせています。ボタンホールに飾られたのは、わずかに緑がかった黒薔薇。お嬢様の御髪のお色へのご配慮でしょう。わたくしも、お嬢様がとられた異名にあわせて黒薔薇を探したことがございますが、この世に、真っ黒に咲く薔薇など存在しないのでございます。してみると、あれは薔薇に染料を吸わせて黒くなさったのでしょうか……なんというぬかりのなさ! ちらりと覗く腰のベルトには目も眩むほど手の込んだ文様が織り込まれ、懐中時計の金鎖がきらりと揺れておりました。
金鎖にも負けない豪奢にかがやく金髪の上には、黒いお帽子。黒と金の対比が実に見事です。そのお帽子の縁に、なめらかな鹿皮の手袋をすべらせて。すぐまた外に出ることになっているにもかかわらず、殿下はお帽子をお脱ぎになり、お嬢様に敬意を表されたのです。
「やっと会えて嬉しいよ、レディ・ウィスターシャ……エルスペス、と呼んでも?」
「殿下のお願いを拒める者がいようはずがありませんわ」
つまり、どうぞという意味です。エドマンド殿下は、莞爾と笑まれました。肖像画などを拝見していたせいか、はじめてお会いする気がいたしませんが……それは、肖像画が嘘を描いていないという意味です。つまり、盛らなくても美青年でいらっしゃる、ということです。
「ありがとう。では僕のことも、エドマンドと呼んでくれたまえ」
「はい、エドマンド様」
「今日は、誘いを受けてくれて嬉しいよ」
「お受けしない限り、毎日でもお誘いが届くと思い知りましたの」
お返事を聞いたところでは、お嬢様は緊張していらっしゃるどころか、いつも通りとしか思えません……。お嬢様のご無礼発言を、殿下は聞かなかったことになさったようです。
「お久しぶりですね。今日はよろしくお願いします、ジョージ卿」
殿下が差し出された手をジョージ様はしっかりと握り返されました。今日の殿下は王太子としての公務ではなく、私人としてのお時間を過ごされる――つまり、王族に払うべき表敬のあれこれをすっ飛ばさないと却って非礼となる、というお約束が適用されます――ため、このようなご挨拶となります。
「ご無沙汰しておりました。最近、ラスペリデスが新たな数学書を出版したそうですが、殿下はもうご覧になりましたか?」
「お耳が早い。ここだけの話ですが、あれは、僕が資金を出しているのです」
「なんと。そうだったのですか」
「まだお手に入れていらっしゃらないようでしたら、手配しましょう」
「ああ、ありがたいです! なかなか、王都の本屋に行く時間がとれず――」
ジョージ様はどうやら、単なる顔見知り以上に王太子殿下とお知り合いでいらっしゃるご様子。
「お義父様」
はずむ会話を、お嬢様がぶった切られました。そこで、ジョージ様は今の状況を思いだされたようです。つまり、少々失念しておいでになったものと拝察いたします。
「ああ、ごめんよエルスペス。劇が始まる時間に遅れてはいけないね。殿下、あらためて本日はよろしくお願いいたします」
お断りするにせよ、観劇はとどこおりなく済ませる必要がこざいます。おそらくは、そういう意味をこめて――ひょっとするとなにもお考えにならずに、お心が向かれるまま――ジョージ様は殿下のお手を強く握られたのでした。
キャラクター紹介:ジョージ卿
先代女伯爵フランシスを支えた、数字に強い朴念仁。 善良で裏表がなく、融通がきかない。 元は平民だが、フランシスとの結婚にあたり、女王陛下から一代貴族(騎士)の位を得ている。 スカーレット曰く「秀でた額、と申しますれば聞こえがよろしゅうございます」な髪型。まだ三十代なのに……。
※ジョージ卿は「ウィスターシャ伯」は名乗れません。