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殿下にふさわしいのは、わたくしですわ!

「スカーレット! スカーレットはどこ?」

「はい、お嬢様」


 わたくしの姿をご覧になると、お嬢様は安心したように頬をゆるめられました。


「ああよかった、迷子になったかと思って心配したのよ」


 迷子になどなりません、お嬢様。どちらかというと、迷子になりがちなのはあなたでいらっしゃいます、お嬢様。今だって、そうでございます。わたくしが御不浄に参ります際、動かないでくださいと念を押した場所から移動してしまわれたのは、お嬢様でございます。


「ご心配をおかけして申しわけございません」


 いいのよ、とお嬢様は微笑まれました。

 ぞくっとするほど、お美しい笑顔。白磁の肌に射干玉の髪。妖しく輝く藍色の瞳は夜空のようだと讃えられる〈黒薔薇の君〉――それが、わたくしがお仕えするレディ・エルスペス・オブ・ウィスターシャ様でいらっしゃいます。孤高の美姫、社交界の至宝とも謳われるほど。

 お仕えするわたくしといたしましても、見栄えが素晴らしくていらっしゃることに異論はございません。


「それよりスカーレット、先ほどの……見た?」

「先ほどの……なんでございましょう?」

「いやだ、決まってるでしょう! いわせないで!」


 お嬢様に困ったところがあるとすれば、かなり主観的でいらっしゃる点でしょうか。ご自分がお考えのことは、わたくしもすべて承知しているとお思いのご様子です。


「申しわけございません、お嬢様。わたくしには、わかりかねます」

「まぁ……ほんとうに?」

「ほんとうに、ほんとうでございます」


 お嬢様は、あたりを見まわされました。

 ここは王都の公営社交場……の庭のひとつ。公営社交場とは――大雑把に申しますと、貴族や、貴族になりたい資産家の皆様のために設けられた場所で、毎日のようにお茶会と夜会が催されております。社交の目的は情報収集や根回し、そしてお若いかたがたにとっては結婚相手の物色でございます。お嬢様は、無難な結婚相手の確保をせねばならないお立場でいらっしゃいます(熱心に励んでおいでになるとは申せません)。

 そういう場所でございますから、どこに誰が潜んでいるかはわかりません。この小さな庭だって、あの木の影とかそちらの植え込みの中とか、廊下の柱の向こうとか。注意が必要な場所ばかりでございますが、お嬢様はちょっと眺めただけで満足してしまわれたようです。

 それでも念のために扇子を開いてお口を隠されました。お声も低く。


「リリベル・エクスタシア嬢が、殿下にエスコートされていたの」


 ほほう。


「どの殿下ですか?」

「どの? 王太子殿下よ、もちろんじゃない」


 もちろんと、おっしゃられましても。

 王太子とはすなわち第一王子殿下であらせられます。やんごとないご身分にもかかわらず気さくなかたで、どんな相手にも分け隔てなく接してくださる上、見目麗しく、とても人気がおありです。もうじき二十二歳にして未だに独身。ただ、結婚相手として狙うには、かなり手強いおかたでいらっしゃいます。

 お嬢様が目撃したというリリベル・エクスタシア様は、王家との婚姻がかなうほどのご身分ではいらっしゃいません。お父上は貧乏貴族の一人娘と結婚することで爵位を買った、いわゆる成り上がり。実際には養子縁組だの特別婚姻契約書だのといった、庶民には縁のないさまざまな手順を踏み、多大な労力を払って爵位を得ていらっしゃるのですが、社交界の皆様の認識としては『爵位を買った成り上がり』です。残念なことではございますが、蔑まれがちなお立場。ゆえに、王太子殿下と結ばれるなど、無理無理の無理と申せましょう。

 うちのお嬢様でしたら、王族との縁組も余裕なのですが……ご本人が、この有様では。


「スカーレット、もうちょっとわくわくした顔をして?」

「申しわけありません、生まれつきこの顔でございます」

「そうね。それは知っているけれど……ねぇ、スカーレット」

「はい、お嬢様」

「わたくし……わたくし、お話が降ってきたわ!」


 そうなると思っておりました。


「お嬢様、お静かになさってくださいませ」

「でも、早く書かないと……早く書かないとお話がどこかへ行ってしまうわ」

「ご安心を。紙とインクとペンはこちらに」


 ドレスの襞のあいだに手を差し込んで、持ち物を確認します。瓶は割れていない……インクよし! ペン……は存在してればよし! 紙はちょっと湿気てるかもですが、うるさいこといわなきゃよし! 完璧です。


「ああ、スカーレット! なんて気が利くのかしら」

「もったいないお言葉です」


 お嬢様がおひとりになれる控え室に、早くご案内せねばなりません。さもないと、お嬢様の妄想が音声化されてしまいます。


「リリベル嬢は、ああいう身の上でしょう? きっと、嫌がらせもされると思うのよ」


 ……とまぁ、こんな感じに。お嬢様は、天鵞絨のようだと称される少し低めのやわらかなお声でいらっしゃるのですが、現在、美声の無駄遣いに勤しんでおいでです。心の底から、やめていただきたいです。


「お嬢様、お静かに願います」

「それを殿下がお気づきになって、救いの手をさしのべるの。リリベルと殿下はそこで、こう……びりびりっと……なにかうまい表現はないかしら?」


 なんでもよろしゅうございますが、お口を閉じてお考えいただきとう存じます。


「あちらのお部屋が空いております」

「そうね、座って書きたいわ」


 座って書くのではなく、いっそお屋敷にお戻りいただきたいのですが……お嬢様が『降ってきた』とおっしゃるときは、書かせてさしあげない限り落ち着いてはくださらないと決まっております。お心の昂りがおさまり、お口を閉じていただける段階になるのを見極めねば、移動は不可能です。馬車回しに、あることないこと口走りつづけるお嬢様をお連れするなど……到底無理でございます。


「とにかく殿下とリリベル嬢は恋に落ちてしまうの。身を焦がすような大恋愛よ! そうじゃなきゃ嫌」


 なにしろ、こんな按配でございます。

 お嬢様がお嫌かどうかなど、王太子殿下もリリベル様もお気になさってはいないでしょうが、わたくしは気になります。適度に同意し、たまには宥めながら、お嬢様に落ち着いていただく必要がございますから。


「大恋愛なのですね」

「そう。大恋愛よ。わたくしには、わかるの。ああ、素敵ね……でも、恋愛って障害がある方が萌え……燃えるでしょう?」


 微妙な修正が入ったあたり、多少は落ち着いていらしたのかもしれません。わたくしは期待をこめて申し上げました。


「そうと決まったものでも――」

「そこで、わたくしの出番よ!」


 食い気味のおっしゃりようから察するに、わたくしの願いは儚く消えたものと諦めた方がよさそうです。

 白磁の頬には若干の朱を滲ませ、夜空の瞳はうるんで星をたたえ……。ああ、その凄絶な美貌を無駄遣いなさっておいでです。わたくし風情の手をとって、間近にみつめられても困ります、お嬢様。


「ね、降ってきたのよ。わかるでしょう? わたくしほど、殿下の婚約者にふさわしい令嬢がいて? 家柄、教養、すべてにおいて欠けがない存在でしょう?」


 感極まったというご様子ですが、わたくしは諦めの境地に入りつつあります。

 お言葉通り、お嬢様は家柄や教養はもちろんのこと、美貌に美声に礼儀作法とすべてに隙のない完璧な女性でいらっしゃいますが、『降ってきた』ときだけは、駄目です。いけません。なぜか、周りの男女で燃えるような恋愛を妄想し、その障害としてご自分を設定なさる――不可思議な性癖をお持ちでいらっしゃること。これこそお嬢様のもっとも困ったところとして数えあげるべきでしょう。

 お嬢様はわたくしの手をはなし、レースの扇(わたくしのお給金の三年分ほどのお値段がいたしますが、お嬢様の扇の中ではお安い方です)で口元を隠すと、少し上目遣いでこちらをご覧になりました。その妖艶なことといったら、ございません。


「ですから、殿下の婚約者はわたくしに決まりなのですわ!」


 思わず説得されそうです。

 そのときでした。


「ずいぶん勢いのよい自薦ですね」


 男性の声です。

 お嬢様の妄想を聞かれてしまいました!

 さあっと血が下がっていくのを感じます。お嬢様の美貌にぼうっとしていたわたくしの落ち度です。わたくしは即座にそちらを向き、お嬢様と声の主のあいだに割り込みました。


「何者です!」


 いざとなれば、刺し違えてもお嬢様の御身をお守りする覚悟ですが、このような局面は考えたことがございませんでした。お嬢様の妄想を消すために、立ち聞きした男の命を取るのは、少々やり過ぎかもしれません。ですが内容を考えますと、相手によっては致しかたなしとも思えます。なまじ実現不可能ではないお相手でいらっしゃるため、本気で望んでいるとか勘違いしているといった誤解を与えかねません。吹聴されては大変です。

 柱の影から姿をあらわしたのは、どこか見覚えのあるお姿の男性でした。装いからして、使用人ではあり得ません。わたくしは、ドレスの襞のあいだに手をすべらせました。口止めに金銭が必要かもしれません。非常時にそなえ、執事のホーキンスさんからお預かりしているものがございます……遂にこれの出番が来てしまうのでしょうか。

 わたくしの背後でお嬢様が小さく息を飲み、次いで、わたくしの名をお呼びになりました。


「スカーレット、下がりなさい」

「ですが」

「スカーレット」

「……はい、お嬢様」


 お嬢様のお声は、水面に映る月のように冷たかったのです。わたくしは頭を下げ、お言葉に逆らった非礼を恥じて後ろに下がりました。

 とはいえ、まだ気は抜いておりません。ドレスの襞のあいだには、暗器も仕込んでございます。ドレスの襞は伊達でも酔狂でもないのです。お洒落は兼ねております。


「久しぶりだね、エルスペス」

「母が亡くなりましたので、ウィスターシャを継ぎましたわ、殿下」


 殿下? つつましく視線を下げているわたくしは、先ほどちらりと見た男性の顔を記憶の中で二度見してみました。見覚えがあるのは王家のかただった(王家のかたの肖像画は、あちこちで拝見いたします)からなのかと得心はいきましたが、なんということでしょう。殿下の婚約者にふさわしいと叫んだら殿下が出てきた、という展開です。お嬢様のお話でも、さすがにここまで無茶な展開はありません。わたくしが読まされ……謹んで拝読した範囲では。


「君はまだ年齢がたりないんじゃなかったっけ?」

「名前で呼ばれたくないんですの……と、申し上げた方がよろしいかしら?」


 かなり失礼ですが、殿下らしき男性は余裕綽々の応答です。


「では、レディ・ウィスターシャ」

「拝謁の栄に浴し、歓喜の念に堪えません」


 お嬢様が美しく礼をとられたので、わたくしもそれに従いました。頭の中は、殿下ってどの? という疑念でいっぱいです。王子殿下は、王太子おひとりではないのです。


「堅苦しいね。いましがた、婚約者に立候補されたように思ったけど?」

「殿下は殿下でも、殿下違いですもの」

「へぇ。じゃあどっち? 兄かな、弟かな」


 確定しました。ここにいらっしゃるのは、第二王子殿下です。

 第二王子殿下は十九歳、眉目秀麗……過ぎて女遊びが止まらず、あまりにも外聞が悪いので両陛下もお困りだともっぱらの噂です。わたくしは直接お会いするのはこれがはじめてです。せっかくの機会なので、少しばかり視線を上げて殿下のお顔を拝見しました。たしかに……お綺麗ですね。うちのお嬢様と並んでも、まったく見劣りしません。


「どちらでもありません」


 お嬢様は、ぴしゃりとおっしゃいました。


「へぇ。では、叔父上かな?」


 ……そうですね。王弟殿下、もいらっしゃいました。わたくしとしたことが、失念しておりました。


「もちろん違いますわ。それにしても、ずいぶん熱心に訊かれるんですのね。わたくしが誰に心を捧げようとしているかなど、殿下がお気になさるとは思ってもみませんでしたわ」

「気になるに決まってるだろう。散策していたら、殿下の婚約者にふさわしいのはこのわたくし! と、宣言されたのだからね。僕と婚約したいご令嬢の正体に、興味を抱かずに済むはずがないだろう?」

「殿下違いだとわかったのですから、もうお許しください」

「で、誰なの?」

「お答えする義務がありません」


 お嬢様の氷の一瞥が威力を発揮し、殿下はわずかに怯まれたようでした。が、さすが名うての遊び人、ぐっと踏みとどまったのみならず、にやりとされたではございませんか。


「まぁ、ちょうどいい。僕の婚約者役をやってくれないか?」

「……は?」


 仮にも王族に対して、は? とは、なにごとでしょうか。ですが、お嬢様の不機嫌は距離を置いて控えているわたくしにも伝わるほどです。

 殿下はそれでも、ちょっと悪い感じの苦笑で凌いでおいでです……遊び人、強い。


「一時的に、でかまわない。ふり、だけで。女の子と別れたいんだけど、しつこくてね。君との婚約がととのいそうだからって話したら、すんなり行くんじゃないかと思うんだ」


 なんと失礼な言い草……!

 それはそれとして、まずい! と、わたくしは思いました。

 殿下がご提案なさったもの。それは、お嬢様が常々なりたがっていらっしゃる何かそのもの! ここで乗り気になってしまわれては、遊び人王子の婚約者という評判が立ってしまいます。絶対に駄目です。いけません。

 お嬢様をお止めしようと、わたくしが口を開きかけたときです。


「失礼ながら、後始末までが遊びの内でしてよ。満足に始末もつけられないものは、遊びではありません。あやまちと申します。しかも、その始末をわたくしに手伝えと?」


 パン、と凄い音がしました。なにかと思えば、お嬢様の扇の音でした。勢いよく――それは勢いよく、閉じてしまわれたのです。殿下の鼻先で。

 扇の先端を殿下に突きつけたまま、お嬢様はこんな低い声が出たのかとおどろくほどの低音でおっしゃいました。


「お断りです」


 そして、いささか阿保面を晒しておいでの――王家のかたに対して不敬なのはわかっておりますが、どうしても、それ以外の表現ができません――殿下の前で、ドレスの裾ばきもあざやかに、くるりと踵を返されました。


「スカーレット」


 殿下同様、わたくしも阿保面を晒していたのではないかと存じますが……とにかく、開いていた口はあわてて閉じてから、あらためてお答えしました。


「はい、お嬢様」

「気分が悪いわ。わたくし、帰ります」


 お嬢様……かっこいい! わたくしは心の中で快哉を叫んだのでした。



     *   *   *



 お屋敷に帰る馬車の中で、お嬢様は遠い目でこうおっしゃいました。


「殿下違いとはいえ、本物の殿下が近くにおいでとは思わなかったわ……。妄想を口走る癖、なんとかしないといけないわね」


 ……それはほんとうに、そう思います。わたくしは、首が痛くなるほど深くうなずきました。


「はい、お嬢様」

「あの殿下でよかったと思うことにしなければね。あのかたが婚約者がどうのとおっしゃっても、誰も信じたりはしないもの。なにか訊かれても、殿下の勘違いで済むはずよ。ほかの殿下だったら、そうはいかなかったでしょう」


 そうおっしゃりながら、お嬢様は浮かない顔をなさっておいでです。


「ですが……よく我慢なさいましたね」

「我慢?」

「殿下が申し出られた、男女の仲を引き裂くお役目……お嬢様がつねづねお考えの……降ってくるお話の、あれではありませんか」

「あら、全然違うわ」

「えっ?」


 戸惑うわたくしに、お嬢様は呆れたようにおっしゃいました。


「わかってないのね、スカーレット。わたくしは、慕いあう恋人たちのあいだに壁として立ちはだかりたいの。別れ話の後押しなんて、どこが楽しくって? まったく興味がないわ」


 そういう……理由でしたか、お嬢様。ちょっと見直したのに、間違っておりました。

 お嬢様はといえば、それはそれは大きなため息をついていらっしゃるのでした。


「ああ、もったいない……。殿下が出てきたせいで、さっき降ってきたお話がどこかへ消えてしまったわ!」


 そのまま消えても問題はないかと存じます、お嬢様。

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