こわれかけのLady"O" ~かくれんぼの女神様~
────俺の名前は『貝田灰人』、オカルトは少したしなむ程度。
季節が過ぎるのは早いもので、暑さが少しやわらぎ始めたある日の朝礼前のことだ。
俺は友人からある頼まれごとをされた。
────というのも。
「はぁ? 『かくれんぼの女神様』だぁ?」
「そう、今オカルト研究部で話題の都市伝説だよ。知らないのか?」
「知るわけないだろ俺は帰宅部だぞ?」
「そうだったな。じゃあ説明するぜ。西の方角にある公園あるだろ? 満月の夜中の0時ぴったりに『かくれんぼするものこの指とーまれ』って言うとな、現れるらしいんだよ。女神様は」
「そんな簡単に会えるのか。ずいぶんと安い女神様だな。お賽銭とかお供え物とかいらないのか?」
「いいや、いらない。この一言だけで十分なんだよ。────……っておい、なんだその、うさんくせーって顔は!」
「いや、うさんくさいだろ! 西の公園ってたしか海辺近くのあれだよな? 隠れる場所もなんもないし、なによりそれで神ってヤツが出てくること事態おかしいだろ」
「おかしいことが起こっちまうのがオカルトなんじゃあねぇか。でだ。ハイト、お前今夜あたり行ってくれないか?」
「……」
「睨むなって! 俺だって行きたいんだけどよ。明日朝からバイトで早いんだよ。ほかのメンバーも忙しいみたいでさ」
「だからっておいおいおい……なんで俺なんだぁ? ほかの暇そうなヤツにやらせりゃあいいじゃあないかッ!」
「ほかにいねぇんだもん。暇そうなヤツ。てか、お前暇だろう? 頼む! バイトと思ってさぁ!」
「なに? 金払うのか? 太っ腹だな?」
「なぁに、顧問にちょいと言ってやりゃあポポンとな」
「それ違反じゃあないかぁ? ま、いいけどさ。いいぞ、ちょっとした暇潰しだ」
ちょうど財布の中身が寂しくなっていた時期でもあって、俺は金につられる形でそれを引き受けた。
家族には適当に言いつくろって、西の公園へと向かって午前0時になるのを待っていた。
「海辺の近くってだけあって磯臭いな……うわ、蚊だっ!」
俺は蒸し暑さと蚊にイラつきながらも、暗黒の海面をひとり眺めていた。
深夜にこういう行動をとったことがないので、いろんな意味で新鮮だ。
「時間だ」
深呼吸のあと、右手の人差し指を天に掲げて。
「かくれんぼするものこの指とーまれ!!」
声はむなしく響いて、俺は唐突に冷静になる。
そして無性に恥ずかしくなった。
「なにをやってるんだろう。俺は……」
顔が火照るのを感じながら、俺はひとりぼっちで公園にたたずむ。
端から見れば滑稽だろう。もう嫌になってきた。
「チッ、馬鹿馬鹿しい。もうやってられ────……」
そう、その指に生暖かな感触を感じるまでは。
「……な、に」
金縛りにでもあったように動けない。
確かに感じる人差し指が優しく包み込まれているこの感覚。
誰かの手だ。
しかも優しい手つきで愛おしそうに触っている。
「だ、だ、誰だ……」
「アナタが呼んだのでしょう? この私を。さ、ゆっくりこっちを向いて。大丈夫、怖くないわ」
その声色に俺の緊張感が和らいでいく。
奇妙な安心感を誘う声調に、俺は思わず警戒を解いて振り向いた。
指を握っていたのは赤いドレスの美しい女性だった。
おそらく20代かそこら、大学生くらいか。
「あ、アンタが女神様?」
「そう言われているわね。さぁ、早くかくれんぼしましょ?」
「え、ホントにやるの? ここで?」
「……? そのために私を呼んだんでしょ?」
「いや、まぁ、そういうことになるっていうか、その……」
この状況に酷く戸惑った俺は、彼女から視線を逸らすように口ごもる。
そりゃそうだ。都市伝説を実際にやったらホントに出てきたなんてあまりにも現実感がない。
そもそも彼女は何者なのか?
なぜこんな時間にかくれんぼを?
疑問はいくつか湧いて出てくるが、ひとつだけわかっていることがある。
俺は彼女を知っている。
いや、正確には既視感があるというべきか。
月光に照らされながら、母性的な微笑みを浮かべ、俺のことを待ってくれているこの女性の顔に見覚えがあった。
ここは踏み込むべきかと思い、半ば興味本位でかくれんぼをすることを承諾する。
「どう? する気になってくれた?」
「……わかった。でも、こんな場所で出きるのか? すべり台もジャングルジムもない。せいぜいベンチくらいしかないところで……」
「あら、私のかくれんぼの腕を疑ってるわね。じゃあ見せてあげる。君が鬼をやってね」
「……まぁ、はい」
俺は乗せられるまま、電灯に腕と顔を寄せて視界を防ぐ。
ここからは通常のカウント、特になにも変わらない。
背後に集中しつつ、10まで数えてひと言。
「もーいーかい!」
「まーだだよ」
また数えて同じように呼びかける。
「もーいーかい!」
「まーだだよ」
「……」
ほんの少しばかり寒気がした。
こんな真夜中で年上の女の人とこうしてやっている地点でアレと思うが、それ以上にどうも違和感が拭えない。
また同じように呼びかけても同じように返ってくる。
しかし、声が遠のいてるようには聞こえない。
そればかりか、足音すら聞こえなかったのだから。
そのとき、彼女の顔がまぶたの裏に浮かんだ。
俺はそのときハッとした。
彼女の顔を見たことがある、場所とタイミングを。
「な、なぁアンタもしかして────ッ!!」
俺は数えるのを中断し思わず振りむいた。
それが良い行いだったのかそれとも悪い行いだったのか。
だが、その行動の結果が俺に至純の恐怖をもたらした。
今宵は雲ひとつない穏やかさ。
月の光と電灯でそこそこは明るい。
にもかかわらず、振り向いた先の地面はあまりのもドス黒い。
その中心あたりで、先ほどの女性が顔半分出すような状態でいた。
暗黒の水面からそうするように、不気味に浮き上がるそれは俺の身体を未知の恐怖で凍り付かせた。
いや、むしろ怖いとか感じていたかどうかすらわからない。
先ほどとは打って変わって三白眼で睨むように見つめる女性に、叫び声を上げることすらできなかった。
「に……げ……────」
「な、に……? はっ!」
女性が絞り出すような声で呟いた直後だった。
突如影から飛び出してきて、俺に掴みかかって来たんだ。
「うわぁあああああああああッ!!」
俺は電灯の後ろに隠れるようにして飛び退いた。
女性はそのまま電灯にへばりつき、鬼のような形相で俺を見下ろす。
彼女の皮膚の至るところが引き裂かれたように傷つき、色合いもまるで水死体のように生気がない。
しかもうなじ部分から妙な触手が伸びており、影のさらに奥に繋がっていた。
「ば、化け物ッ!!」
「に、げ……」
「なにを言って……」
「に、げ……で……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
雄叫びを上げると同時に影に引き寄せられるように触手が動いて、彼女を引きずり込んでいった。
そしてその正体が姿を現す。その姿はまさにこの世の生物をモデルにしたこの世ならざる怪。
無数のふやけた水死体のような人型が張り付いた、いや、寄生した巨大な魚めいたもの。
額あたりについた触手で、あの女性と繋がっている。
「な、なんだとぉおおおおおおおおッ!?」
いすくんだ身体をなんとか立たせようともがくも、身体を引きずるようにして影の上を動く化け物。
間違いなく俺を喰う気満々だ。あの人型はもしかしたらその犠牲者なのかもしれない。
「くそ、動け……動けぇぇえええッ!」
生存本能と自己防衛本能をフルに働かせてながら目一杯身体を進ませる。
だが、どう考えても奴のほうが移動速度が上だ。
もうダメだ……。
そう思ったそのときだった。
「ダ、めぇぇえええ……ッ!!」
女性が俺をかばうように地面に降り立つ。
魚の化け物は触手を動かしてどけようとするも、女性はなんとか抵抗する。
「にげ、てぇえ……ッ!」
「くぅう!!」
俺の足がようやく言うことを聞くようになった。
俺はわき目もふらず全速力で駆けていく。
階段を降りて、近くに止めていた自転車に乗り込み、全速力で漕ぎ出した。
どこでもいい。あの化け物がいない場所なら……。
気が付けば俺は家に戻って来ていた。
親に問い詰められたがそんなことはどうだっていい。
自室で布団に潜り込み、ガタガタ震えながら朝が来るのを待った。
それしかできなかった。ただあの化け物がここまで来ることがないように、無力な祈りを捧げるしかなかった。
時間は過ぎ、朝日が昇り始め、遠くで単車の音が聞こえ始めたとき、一気に緊張が解け眠りにつくことができた。起きたのはその日の昼過ぎだ。
起き上がった俺はどんよりとした気分を、冷蔵庫でキンキンに冷えたコーラで清めようとコップに注ぐ。
最初の一杯で喉の渇きを潤し、二杯目でゆっくりと炭酸と味を愉しむ。
気分が落ち着いたところで、俺は図書館へと向かう。
あの女性とあの化け物、心当たりと興味があった俺はどうしても知りたいと答えを探しに行った。
「やっぱりあの人……」
俺は図書館である新聞記事を見ていた。
それはある女性が行方不明になったという内容で、その女性の名は『オオハシ ミカ』。
俺の通っている学校の近くにある大学に通っていた。
通学時、行方不明の張り紙で何度か見たことがあった。
そんな彼女とあの化け物の接点。
調べていくとある郷土資料の本にこんな記載があった。
なんでもあの公園が建てられる前は、古い神社があったそうだ。
しかし時代とともに廃れていき、ついには誰も来なくなった。
土地開発の企画が持ち上がった時代にあの神社は取り壊されたらしい。
どんな神様が祀られていたのか、今となっては資料は残されていないため不明。
「もしかしたら、オオハシミカは魅入られてああなってしまったのかもしれないな。信仰が途絶えて荒ぶる神になったあの化け物に」
あの化け物の姿、どこかチョウチンアンコウに似ていた。
雄が雌の身体に寄生しているやつだ。
恐らく、オオハシミカは疑似餌にされていたのだろう。
噂を聞いた愚か者を深淵へと招く疑似餌。
きっとオオハシミカだけではない。
女神様と言われる以上、魅入られた者はきっと女性ばかりだ。
そして疑似餌にされるのだろう。
疑似餌に騙され喰われた者はああして奴の身体と同一化していく。
「女神か……まぁ性別的に言えば女か。恐ろしいことこの上ないな。しばらく水辺とか魚はごめんだ」
あのあと、あの化け物がどうなったかはわからない。
まだあの公園に潜伏して次の獲物がかかるのを待っているのか。
それとも、広い大海原へと出て、別の場所へと移動したか。
少なくともそれを調べてみたいとは思わない。
あの公園にだってもう近付きたくない。
友人とオカルト研究部の人たちにもそう伝えておこう。
「オオハシミカは、きっと最後の自我を振り絞って俺を守ってくれたんだろうな。これ以上犠牲を出さないために……」
そう呟いたあと、俺は窓際まで移動してガラスの向こうの海を眺める。
海のことはまだまだ解明できていない部分が多い。
未知の中で、怪物たちはきっと牙を研ぎ澄ましているだろう。
なんらかの疑似餌を垂らしながら、人間が騙されるのを待っている。
俺はなんて運がいいんだろう────。
満月が出ている午前0時。
公園で女神を呼び出さない方がいい。
呼び出す方法は極めて簡単、誰にでもできる。
だからこそやるな。
外れだったらいいが、もしも大当たりだったら……。
考えただけでゾッとする。
ほかの犠牲者が現れないことを、切に祈るばかりだ。