閑話 平穏が終わる時 後編
一旦襲撃が止んだとしても、安心は出来ない。さっきの様に、逃げた先で待ち構える様にして空間が開くかもしれない。
エレクラ様とタカギの二人を相手に立ち回れる英雄など、そうそういないだろう。しかし、タカギと互角に戦える英雄が何体も現れたら、戦う事より逃げる事を優先しなければならない。
そもそも不利な戦いなんだ。恐らくアレは私達の行動を見た上で、何処に出現させるか決めているはずだ。それならば、逃げる場所なんてどこにも無いのかもしれない。でも、カナとミサだけは生かさなければならない。だから、山の中で身を隠すのは、最善の選択だと思える。
走り出す前に、ミツカは改めて全員の気配を隠した。これで、移動中の追跡が難しくなるだろう。そして前方はエレクラ様が、後方はタカギが、右手側は私が、左手側はミツカが重点的に警戒し、私達は固まって移動した。
またカナとミサの存在を、自然が感じ取っているのだろう。風は私達を避ける様に流れ、足の裏から流れ込んでくる力が疲れを癒してくれた。
きっとセカイが、カナとミサを守ろうとしてくれているんだろう。産まれたばかりの体に負担がかからない様に優しく。
山の中で暫く身を隠していれば、諦めるかもしれない。やっぱり安全な場所なんて無いのかもしれない。隠れる様に暮らすしかないのかもしれない。でも、子供達が元気に育ってくれるなら、それでいい。
やがて独りで歩ける様になって、話せる様になって、走り回る子供達を追いかけて。一緒にご飯を食べて、「美味しいね」って言いながら笑って、身を寄せ合って寝て。そんな姿が見られるなら、他には何も要らない。
でも、それは夢でしかなく。現実は残酷だった。
「くそっ、英雄だ! 後ろ二匹! 足止めするから、先に行ってくれ!」
「駄目よタカギ! 隊列は崩さないで! 一緒に撃退するわよ!」
エレクラ様のご命令は、現状では最善だ。私とミツカが守りに徹すれば、エレクラ様とタカギは戦いに集中出来る。例え、相手が二度目の襲撃くらいの力を持っていたとしてもだ。
ただ、やはりアレはこちらの動きを察知して次々と仕掛けている。三度目の襲撃は、それで終わらなかった。
「右から更に二体!」
「左からもだよ、囲まれちゃう!」
「山へ逃げ込まれる前に、始末しようってか? 上等だ、かかってこいよ!」
この瞬間、全員が理解した。これは罠だと。
立ち止まらず正面に逃れれば、待ち伏せに遭うだろう。立ち止まって計六体に対処すれば、正面から追い打ちが来るだろう。どちらにしてもアレは、ここで私達を完全に始末する気なんだ。
それならば、こうするしか無い。
「エレクラ様! カナとミサを連れてお逃げ下さい」
「エレクラ様、カドアと私で時間を稼ぎます」
私とミツカの決意を感じ取り、カナとミサは火が付いた様に泣き出した。カナは私にしがみ付いて離れようとしない。私だって離したくない。
でも、ここを乗り切った所で追撃の手が緩む訳ではない。それにエレクラ様とタカギは、私達の何倍も速く走れる。私達でも山へ逃げ込む時間くらいは稼げる。これが最全の策なんだ。
「何を言ってるの! 最初に決めたでしょ!」
エレクラ様の仰る事は理解している。それにエレクラ様は常に正しい。だけど、今回だけは従う気になれない。子供達を優先するならば、逃げるのは私達じゃない。こうしている間にも、英雄はじりじりと距離を詰めて来る。もう考えている時間はない。早く決断しなければ、全滅する可能性だって有る。それは、絶対に有ってはならない。
「私は新たな異端を守りたいんじゃない! カナを守りたいんです! お願いですエレクラ様! どうか、カナをお守り下さい!」
「エレクラ様、お願いします。私の命より大切なミサを、どうかお守り下さい!」
私達はいつの間にか立ち止まっていた。身が割かれそうになるけれど、絶対に手放したくなんてないけれど、しがみ付く子供達を体から引き離した。そして、エレクラ様に手渡そうとした。
でも、エレクラ様は直ぐには子供達を受け取ってくれなかった。時間にしたらほんの僅かだろうけど、泣きじゃくる子供達をじっと見つめていた。それからエレクラ様は、私とカドアを交互に見つめた。その表情は、今まで見た事もない程に真剣な表情だった。
「カドア、ミツカ、あなた達が子供達を守りなさい! 私が全て片付ける!」
「そんな、エレクラ様……。独りで戦うおつもりですか?」
「嫌です! 私達が盾になります!」
「あなた達では時間稼ぎにもならないわ。タカギの指示に従って逃げなさい! タカギ、頼むわね」
「わかってる、こいつ等は俺が守る」
愛する子供を守りたい、でも私達じゃ守れない。だから、命を懸けるしかない。それが間違いだと思わない。それでも、エレクラ様のお言葉が嬉しかった。ミサと別れずに済む事が嬉しかった。
「ごめんね、ミサ。駄目なお母さんだよね。もう離さないからね、一緒に逃げようね」
「ミツカ……」
「カドア、エレクラ様にお任せしよ。大丈夫、全部上手くいくよ」
「そう、だね」
多分、カドアは納得していないと思う。でも、手放そうとしたカナを再び抱きしめた時の表情は、私と同じく嬉しそうだった。
それから、エレクラ様は六体の英雄を引き付ける為に走り出した。そして私達はタカギを先頭に、山へ向かって走りだした。
カリスト様には敵わないと言ってたけど、エレクラ様が強いのは誰もが知ってる。私達が無事だったら、もう一度再会できる。そう信じて私達は走った。
走り始めて直ぐに、私達の行く手を塞ごうと二体の英雄が現れた。でも、愛しいミサを二度と手放さない。カドアもカナをぎゅっと抱きしめている。
「カドア、ミツカ。山はもう直ぐだ、行け! 自然が味方してくれる、セカイが味方してくれる。それを信じて急げ!」
私達はタカギの言葉に従って、懸命に走り続けた。もう、山は見えていた。例え消したはずの気配を見つける手段をアレが持っていたとしても、鬱蒼としている木々の中なら今より逃げ易くなる。動物達が沢山いても、英雄から逃げるよりは簡単だ。
英雄の気配が消えていく、やっぱりエレクラ様は強い。タカギが留まった辺りからも、英雄の気配が一つ消えた。もう直ぐ合流できる。三度目の襲撃も逃れられる。希望が見えて来た。
そう思ったのは、ここまでだった。
「遮空硬壁!」
その声を聞いた時には、既に遅かった。もう一人、英雄が私達の後ろに迫っていた。カドアが英雄の前に壁を作ったけれど、いとも簡単に壊される。最初の目標は私だった。英雄は瞬時に私との距離を詰めると、大きな剣を振り下ろした。
「危ない!」
次の瞬間、大きな声と共に私はカドアに突き飛ばされていた。そして大きな剣は、私の代わりにカドアの背中を切り裂いた。
大量の血が流れ出す。それでもカドアは倒れなかった。しっかりとカナを抱きしめて壁を作る。そしてよろよろと私の前まで来ると、カナの頭を優しく撫でる。
「ミツカ、カナをお願い」
私は、泣きじゃくるカナを受け取る事しか出来なかった。子供達の為に、逃げる事しか出来なかった。
カドアの気配が段々と弱くなっていく、それでも振り向く事は出来ない。流れる涙を拭う事は出来ない、英雄の気配が近づいて来る。私はカドアにカナを託されたから。私はカドアの分も守らなきゃいけないから。
カドアの気配が無くなる。更に泣き喚く二人を、しっかりと抱き締めてひたすらに走る。もう少し、あと一歩、あそこまで辿り着けば。そこで、激しい痛みを背中に感じた。血が流れ出すのがわかる、意識を失いそうになる。でも、走るのは止めなかった、二人を抱き締める事は止めなかった。
再び激痛が走る。それから私は倒れたんだと思う。もう、気配を探る事は出来なくなっていた。でも、腕の中に温もりだけは感じ取れた。
「しっかりしろ! 聞こえているか? カドアはエレクラ様が診て――。しっかり――、聞こえ――」
薄っすらとタカギの声が聞こえる。遠のく意識の中で私は願った。
「ミサ、カナ。幸せに、なってね。こども――たち――おねがい――」
セカイはお願いを聞き届けてくれるかな。大丈夫だよね、エレクラ様とタカギがいるもんね。ごめんね、ずっと一緒にいてあげられなくて。
いつまでも、二人の幸せを祈ってるからね。
☆ ☆ ☆
傷口が深すぎる、止血を試みても流れ出す血を止められない。ミツカの身体が冷たくなっていく。それでも俺は声をかけ続けた。
守れと言われたんだ、俺はそれすらも出来ずに終わりたくない。子供達には必要なのは、俺や姉さんじゃない。母親なんだ。
カドアは姉さんが診てくれてる。セカイとやらの不思議な力なら治してくれる。ミツカも絶対に治る。
他人頼みでしかねぇけど、頼む、頼む、頼む!
でも、セカイってのは俺には力を貸してくれない。姉さんがカドアを抱えて近付いて来る。その光景を俺の頭は拒絶した。
しかし幾ら目を逸らしても、ダランと垂れたカドアの腕は、否応なく事実を突き付けてくる。ミツカの意識が途絶えてから何分も経つ。
カナとミサは母親を探して泣き続けている。
「俺なんかに託すな! 大事な子供が泣いてるんだ、お前が抱き締めろ!」
わかってる、幾ら叫んでも生命は還らない。
「姉さん。子供達を頼む」
「タカギ……、あなたは?」
「カドアとミツカを葬ってやらねぇと。せめてカリストと同じ所に眠らせてやりてぇ」
「そう。わかったわ」
「姉さん、俺は役立たずだ。ゴミだ」
「子供達は私に任せなさい。あなたは、あの街を守りなさい。今度は絶対に」
「出来ねぇよ」
「ふざけんな! 出来ねぇじゃない! やれって言ってんのよ!」
「俺は殺す事しか出来ねぇ」
「目を背けるな!」
わかってるよ姉さん。全部、俺のせいだ。
「カリストを殺して、カドアとミツカを守れなくて、今度は殺す事しか出来ない? ふざけんな!」
俺が糞だから、俺がゴミカスだから、みんな死んでくんだ。
「宮殿でどれだけの血が流れたと思ってるの? それも自分には関係ないって言うの?」
それも俺のせいだ。ソウマを止められなかった俺のせいだ。
「逃げるな! 目を背けるな! だから立て! 今度は守り抜け!」
姉さんは子供達を抱き締めると、山へ向かって走りだす。そして俺は、カドアとミツカを担いで街へ向かった。
それから十年、あの街で誰も訪れない小さな墓を守り続けた。失った命に報いる為に生きようと決意するまで、随分と時間がかかっちまった。でも、もう大丈夫だ。
「カドア、ミツカ。お前達から託された大切な子供達は、今度こそ必ず俺が守るからな」
次回もお楽しみに!




