半ドンと美少年とピアノの調べ
これは、まだ土曜日の午前中に授業があった頃のお話です。
当時、ローティーンだったわたしは、自宅の最寄り駅から二つ先にあるピアノ教室まで、電車に乗って通っていました。
レッスンがあったのは土曜日の午後一時半からでしたので、鞄を置いてランチを済ませたあと、すぐに楽譜やペンケースをトートバッグに入れて駅へ向かいました。
降りた駅から先生のお教室までは、子供の足で歩いて十二分くらいで、周囲は閑静な住宅街でした。
その先生は二人目で、趣味で習っている生徒には優しく、プロを目指す生徒には厳しいかたでした。
最初に習っていた先生に才能を見出され、もっと本格的な練習を積んだほうが良いとの強い勧めでお教室を変えたのですが、最初のうちは、まったく馴染めませんでした。
はぁ。今日もミスタッチばかりだったなぁ。
どうすれば、先生が求めるムードを出せるだろうか。
前の先生の方が良かったと思いながらも、せっかく続けてきた習い事を辞めたいとは言い出せず、悶々とした気持ちを抱えていたある日、わたしは素敵な出会いをしました。
それは、通い慣れてきた先生のお宅からの帰り道のことでした。
ふとした好奇心から、いつもと一本違う通りを歩いて帰ろうと思い立ったのがキッカケでした。
両親からは、人気のない道へ入ってはいけないと言われていましたが、当時、ハイティーンに差し掛かっていたわたしは、そんな言いつけを守ることを窮屈に感じ、少しくらいルールからはみ出してみたいという思いが溜まっていたのです。
一本隣の裏通りへと足を踏み入れると、そこは、同じような外観の真新しい一戸建てがせせこましく並ぶ表通りと違い、まるで時が止まってしまったかのような不思議な空間でした。
鈍色や錆色の瓦屋根の日本家屋が悠然と構えていたり、板塀に地下足袋や水おしろいの古いホーロー看板が釘付けされていたりしました。
物珍しさから、おのぼりさんのようにキョロキョロと見回して歩いていると、立派な門扉と手入れの行き届いた生け垣に囲まれた武家屋敷の二階の窓辺に、一人の美少年の姿があるのが目に入りました。
その少年は、色白で睫毛も長く、鼻筋もスーッと通ったお人形のように整った顔立ちをしていました。
浴衣を着て窓辺に腰を下ろし、細い腕を窓枠にもたれ掛けて気だるげに通りを眺める姿は、ため息が出るほどでした。
わたしは、しばし足を止めて見惚れていましたが、ふと我に返って自分の風貌を思い出すと、にわかに羞恥心が湧き、足早にその場を立ち去りました。
それからしばらくは、レッスンに通うのが楽しみになりました。
レッスン自体は厳しさが増す一方で、この指が違う、リズムが合ってない、もっと感情的に、といった調子で、なかなか先生の要求する演奏水準には届きませんでしたが、その後にお楽しみが待っていると思うと、重たいイヤな気持ちも軽くなりました。
というのも、わたしは最初に寄り道をした日から、懲りもせずに同じ裏通りを抜けて帰るようにしていたからです。
武家屋敷の前を通りががると、決まって少年の姿がありました。
三回くらいは、こちらから一方的に見るばかりでしたが、月が替わった五回目あたりに少年と目が合い、気付かれてしまいました。
通りすがる度に笑顔で手を振る習慣が出来たのは良かったのですが、なんとなく、それ以上は近付いてはいけない気がして、夏場に窓が開いていても声を掛けることはしませんでした。
少年のそばには、いつも黄色い花が活けられていました。
ガーベラ、ランタナ、コスモス、キンセンカ。季節によって花の種類は違えど、色はいつも同じでした。
日に焼けていないブルーベースの少年の肌や、彼が着ている藍染めの浴衣とのコントラストで、その花はよく映えていました。
わたしと少年は、それから二年ほど、付かず離れずの不思議な距離感を保ったままいました。
その間に、徐々にピアノの腕前も上達し、ポツポツと先生に演奏力を認められるようになってきました。
しかし、出会いの数だけ別れはあるもの。ある冬の寒い日を境に、窓にカーテンが閉め切られるようになり、少年の姿を見ることが叶わなくなりました。
その事実を残念だと思いつつ、つとめて気にしないようにしていました。
きっと暖を取るために別の部屋へ移ったのだろう。もしくは、家族旅行にでも出掛けたのかもしれない。春になれば、また会えるに違いない。
そう自分に言い聞かせ、しばらくは表通りから帰るようにしていました。
淡い期待が打ち砕かれたのは、道端にタンポポの花が咲き始めた頃のことでした。
久しぶりに裏通りを使って駅へ向かい、少年が住んでいた屋敷の前に差し掛かると、わたしは門扉を見て呆然としてしまいました。
そこには忌中と書かれた半紙が貼られ、窓辺には少年の姿も黄色い花もなく、カーテンすら外されていました。
あれから、長い年月が経ちました。
聞くところによると、少年の武家屋敷があった一帯は地上げ屋の餌食になり、今ではショッピングモールに様変わりしているそうです。
わたしも、もう鏡を見るのもイヤになる歳になり、音楽事務所にいるアーティストの中でも古株となってしまいました。
それでも、わたしは今なお瞼を閉じれば、あの日見た少年の姿をアリアリと想い出すことが出来ます。
きっと、一生忘れることはないでしょう。
それでは、お聴きください。曲名は「往きし日のセレナーデ」です。