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人間候補生  作者: 飛島葉
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第六章

 実習を終えたカラマを待ち受けていたのは、「再教育」の日々だった。災害特殊救助隊の一員になった後に心がけるべき意識。候補生の身体に関する知識……。一度は聞いたはずの内容が、データとしてひたすらカラマに供給され直す日々が続いた。

 死に関する内容を聞いている時、カラマの中にいくつもの映像が連想された。カオスレアリダに飲み込まれる身体、ねじ曲がった原初的な音声、そして分解されていく身体……。

「――以上のように、災害特殊救助隊及びその候補生は、再生産を経て、次なる生を受ける事ができる」

 講義を行う教官の音声は、強い起伏に満ちながらも、不思議と機械的なものに聞こえる。

 死は一時的なものだ。再生産を受ければ、また個体が生産される。学習した文言は、カラマの脳内で、にも関わらず遥か彼方で流れているようだった。

――何だか他人事だ。自分達の生態を学習しているというのに。

「――救助隊が実戦の場において優先すべきなのは、任務の遂行だ。時には、その場における自らの生を擲つ事も、認めなくてはならない」

 教官は、さも誇らしげに説いている。自分はその場に立つ事がないというのに。崇高な理念も、口に出すのは容易い事だ。

 カラマは教室で一人、教官による講義を受けていた。他には誰もいない。自分だけが残された、特別な講義。だがそれは決して望ましいものではない。カラマに「欠けている」とされる知識を、補填する為に組み込まれたプログラムなのだ。このような特別な機会を設ける程、候補生は貴重な存在なのだろう。カラマは薄々実感していた。しかし、それは決して華々しいものではない。


 数日にもわたる講義が終了した後、到達度を測るべく、第五ターム以前と同様、試験が行われた。学習内容を正確にメモリーデータに蓄積し、それを的確にアウトプットする事は容易だった。教官の口頭質問に対し、カラマは淡々と答えるべき事柄を並べ立てていった。候補生が遂行すべき目標、行動指針、存在意義。そのすべてを、心を殺しながら答えていった。

結果の通達は、長官によって直接伝えられると聞いた。



それから幾らか時間が経った。ラゴス長官からの呼び出しがかかり、カラマは尋常ではない緊張に襲われていた。胸の高鳴り、浮足立つ心と身体。その不思議な感触に襲われたのは、一体いつ以来の事だろうか。あの光景を見て以来、カラマは自分の中で何かが変わったように思えている。能力、という面では文句の付け所がないのだという事は重々承知している。

ラゴスが指定した場所は、学舎の中でもそれまでカラマが知る事のなかった、膨大な保管庫だった。

前に立つと、扉は自動的に開いた。中から自分を呼ぶ声がする。恐る恐る、扉を通り抜ける。するとすぐ先に長官は立っていた。

そのフロアは人二人が何とか通れる程の極めて狭いデッキだった。保管庫はそこから下二階層にもわたる吹き抜けとなっており、デッキからはその全景を見渡す事ができる。

「こうして面と向かい合って話すのは、恐らく初めてでしょう、カラマ」

 長官は微笑んだ。これまで毎度官帽の影隠れて見えなかった視線が、初めてカラマの元に注がれる。その目の細まりは作りこまれたものではなく、極めて自然だった。まるで何かを心の底から楽しんでいるかのように、真っ直ぐな愉楽。カラマには、念願の事であったはずなのに、素直に受け入れられない。周囲に靄がかかり、はっきりとしない場所に立たされているようだ。

「あなたが先の実習で唯一破損せずに耐え残った個体である、という事は、既にご承知の通りですね」

 ラゴスは突如表情を元に戻した。候補生を統括する立場として模範的な、理性に満ちた表情。

「あなたは、現状あらゆる候補生よりも優秀な個体です。実戦の場で想定される、実に様々な困難に耐え得る力を持ち合わせていると判断されます。その事は、是非誇りに思ってよいでしょう」

 この人は、何故今更そのような事実を言うのだろう。そんな前口上などなくても、合否さえ知らせてくれれば十分だ。カラマはそう心の中で呟いた。ラゴスが言葉を弾き出す度に、彼女に対する関心は弱まる一方だ。彼の視線は、自ずと保管庫の下層部分に向く。そこにはシートをかけられた数多の物体が、ストレッチャーの上に置かれている。まるで等身大の人形が置かれているかのような、大きなサイズ。灰色の袋は、丁寧にその一つ一つにかけられている。

「そして今、あなたは先の実習における欠陥要素を再学習し、その基準を満たしました」

 ふとラゴスの顔へと視線を戻す。彼女もまた、カラマと同じように、多数の物体を見下ろしていた。

「……つまり、僕は候補生を卒業できるという事でしょうか。ついに……人間社会に出られるという事でしょうか」

 カラマは、ようやく口を開いた。先程から、長官が何を伝えたいのか、解釈する事が困難だ。

 突如ラゴスは、ゆっくりと身体ごと、カラマの元を向いた。

「あなたを次の場所へと案内します」


 デッキを下り、物体が置かれたフロアへと移動する間、長官は口を開く素振りを見せない。カラマの質問に対して、否定も肯定もなかった。まるでカラマの発言など存在しなかったかのように、ラゴスはひとりでに何らかの行程を進行させようとしている。カラマにとってそれは、どう受け止めるべき事象なのかの判断が困難なものだった。

 他者と意志疎通を行う際、自身の意図、あるいは他者に対する意志を表明しないという事は、それまで学習した事がなかった。候補生にとって、学習していない事象は、判断する事ができないのだ。また、長官の指示に従わないという選択は、彼の頭には微塵もなかった。何故なら、それ以外の行動を取る事について何も学んでいないからだ。


「あなたには最後に、候補生の誕生を、しっかりと見納める必要があります」

 覆いの前に移動するや否や、ラゴスは口を開いた。カチカチカチ、と短く電子音が響く。どうやらそれは、ラゴスの内部から発せられているようだった。

「誕生…………」

 カラマは何も理解していなかった。候補生の誕生。それは再学習のプログラムにも、含まれていない内容だった。

 辺りは突如、眩い光に包まれた。気付けば頭上にあるモニターが動作を開始していた。

 情報処理に手間取っているのか、モニターの映像は鮮明としない。大きなガラスケースと、その内側に何らかの物体がある事は正確に判断できる。

徐々に映像が鮮明になっていく。多くの細い管に繋がれ、毒々しい色をした液体に浸かるそれは、人間の姿をしていた。

――基体番号二八、モリヤアカリ。情報を認識。

自動音声が響くと同時に、水槽の中に次々と気泡が発生する。

「信号、確認。情報を、個体へ送信」

 ラゴスが、独り言のように小さな声で呟いた。いや、それは彼女の言葉ではなく自動音声のように無機質で感情に乏しい。それはあたかも彼女自身の意志ではなく、彼女に内蔵されたシステムが発した言葉のようだった。まるでカリキュレートと同じように。

 カラマは、動く事ができなかった。言葉を発する事も、思考を作動させる事もできなかった。代わりに沸き立つのは、形容し難い嫌悪感と苦痛。

 数秒と経たないうちに、灰色の覆いが細かく揺れた。そして〝それ〟は、内側から覆いを叩き始めた。それまで一度も動く事のなかった〝それ〟は、まるでいきなり命を与えられたかのように、激しい動きに満ちていた。

「信号、確認。信号、確認。信号、確認…………」

 カラマがその最初の個体に目を奪われているうち、次々と反応が起こっていた。モニター上の画面はいくつにも分割され、それぞれに別の物体を映し出している。カラマも、そしてラゴス自身も、それらの物体の区別はついていない。ラゴスは、コンピューターから与えられる信号に基づき、その「基体番号」を判断している。

 最も早く動きだしたその物体は、他の物体よりも早く、覆いを破った。真っ先に見えたのは手だった。それは自身の動きを制限していた檻を突き破り、ゆっくりと上体を起こした。

 それは、紛れもなく人間の形をしていた。首元で短く刈り揃えられた髪。僅かに膨らんだ胸部。それは、紛れもなく人間の女性を表していた。そして、その姿はカラマが以前に見た――。

「ミナス……! どうしてここに」

 カラマは、すかさず彼女の元に駆け寄ろうとした。だが、ラゴスが彼に向かって手を突き出すと、カラマの動きは瞬時に停止した。

「いいえ。あれはミナスではありません。あの個体は、破損し、修復不可能となったのですから。……個体番号九九、スクレ。誕生。あなたの名は、スクレです」

 ラゴスは、自動音声と自身の音声を器用に切り換え、スクレと呼ばれた個体に向けて話しかけた。

「ワ、ワ、私ハ……ス、ス、スク……レ」

 彼女は虚ろな目で、ストレッチャーに腰掛けたままぎこちなく声を発した。

「お上手ね。これからあなたは、候補生として、ここで訓練を積んでいくのです」

 ラゴスはまるで我が子をあやす母のように、温和な声色と表情をまとっていた。

「コ、コウホ……セ、イ」

 スクレと呼ばれた候補生は、慣れぬ動作でストレッチャーをゆっくりと降りていた。ラゴスはそんな彼女の様子から目を切り、カラマの元へと向き直った。

「候補生は、こうして生まれるのです。この保管庫に蓄積された基体データを元にして。再教育には時間がかかるでしょうが、やがては皆、今のあなたのように立派に育ちますよ」

 言葉を返す事ができない。それどころか、何も理解する事ができない。目の前の事実が虚構であり、作り込まれた視覚情報であると断定できれば、どれ程楽だっただろうか。

「ど、どういう事ですか……」

 事態を飲み込めず、視線をあちこちに飛び交わせてばかりいたカラマがようやく発した言葉がそれだった。

「あなたは、とても優秀でした。学習したデータをしっかりと蓄積し、それらを的確に組み合わせ、未知の事態にも対処できる、優秀な候補生でした」

 ラゴスは、もはやカラマの問いに応じる気がないようだった。

「ですがあなたは、その優秀さと他の候補生との関わりの結果、候補生がそのメモリーデータから除去しなければならない、基体時、つまり人間だった時の情報まで持ち合わせてしまった」

 起き上がり歩行を開始したスクレは、ゆっくりとラゴスのもとへ歩みを進めていた。他の個体もそれに続き、覆いを取り払い、自身の動きを統御している。

「ですがあなた達候補生は、正確には人間ではありません。人間の似姿を持ち、人間の頭脳を模したニューラル・ネットワークに基づいて思考し、行動する機械にすぎません。そのため、あなた方候補生が、自分は人間であると思い込んでしまった場合、多くの矛盾と不都合が生じます」

 ラゴスの声は、以前として冷静さを保っている。それが却って、カラマの感情を逆撫でする。

「何を言っている……何を言っているんだ。僕は、この学舎に入る前の記憶を、はっきりと持っているんだ。僕は人間だ」

 だがそれは事実ではないのだ。カラマには、その事が正確に理解できてしまう。

「今の僕が機械だとしても……僕は、人間だったんだ」

「いいえ。その解釈は誤りです。それは、あなたではなく、あなたの基体が持っていた記憶です。それは不合理と判断されます。今すぐ、除去を命令します」

 ラゴスは、顔色一つ変えずに告げた。カラマには、今度ばかりは理解する事ができないでいた。

 返す言葉が浮かばず、カラマは地団駄を踏む。いつの間にか、ラゴスの背後には十体以上の候補生が連なっている。皆まだ感情を持っていない。人間の形をした機械なのだ。それは容易に理解できる。だが――。

「拒否します。僕は、確かに人間として生きていました。僕は死にたくありません。もう二度と……」

 言葉の意味が、自分でもわかっていなかった。もう自分が何者なのか、信じたくもなかった。カラマは今すぐこの場から逃げ出したかった。


 お前は研究者になるんだ、私の跡を継いで。その言葉を何度聞かされた事か。勉強する以外の選択肢は与えられなかった。机に向かい合うだけの一日。どれだけ時が過ぎようと、自分の中の時間は何も動かなかった。唯一の救いは、毎日部屋を訪れては労いの言葉をかける妹の存在。彼女が生まれ持った障害を治す為、自分は父の跡を継いで技術開発に携わるのだ。言い聞かせるように机に向かっていた。そう思わなければやっていけなかったのだ。

友人と遊ぶ時間など無駄だ。娯楽に興じている余裕などない。父に何度言い聞かせられた事か。己の欲望を捨てて命令に従う日々。それは、彼にとっていつまでも変わらなかった。


「残念です。あなたはまだ、未来を切り拓く可能性を持っていました。人類に希望をもたらす、その偉大な一員になれる可能性を。……ですがあなたは、愚かな獣に成り果ててしまいましたね。そこであなたが、人間である事を捨て去ってくれればよかったのですが」

 ラゴスは一度、言葉を切る。

「実習の結果を通達します。個体番号一二、カラマ。あなたは不合格です」

 ラゴスはカラマの元から視線を逸らす事はなかった。何故だかその目は悲哀に満ちていた。カラマは、一歩たりとも動く事ができないでいた。

「さようなら」

 彼女はそう付け足すように言った。その時、冷静沈着な長官である彼女はどこかへ消えていた。そこには、何かを訴えるように視線を向ける、一人の女性の姿があった。

 だが、それは一瞬の事にすぎなかった。

「候補生に告ぐ。個体番号一二、カラマを処分せよ」


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