第三章
実習はすぐに始まった。
行動指針では、カラマとミナスが指令役を、残りの二名が実働を担うという大まかな枠組みが定まっていた。事前情報の正確性を認証すべく、実働の一名――フランカが物質用アナライザーを実体化させた。これは候補生にとって視覚の延長の働きをして、カリキュレートの解析作業の補助を担う。事前に学舎から与えられた情報は概ね正確である。しかし、実戦の場ではそのような情報に基づいて行動するなどという事は稀有だ。従って、事前情報のみに基づいて行動する事は禁じられている。
アナライザーの自律行動には限度があるため、被害施設の表層的な情報を得る事しかできない。ネイバが細長い管を建物の壁に突き立て、操作を行う。彼の実体化の技能習熟度は著しく低い状態にあり、任せられる行動は極めて限られているのだ。一方フランカは実体化の技能習熟度は高水準を維持しており、そのため精度の高いアナライザーの生成が見込まれる。ネイバが細長い管を壁に突き立て、フランカが動作を停止して情報送信に携わっている間、指令役の二人は情報を受信し、すぐさま自身のデータとの照合を行う。
最適な器具の分析とそれに見込まれる時間の計上、それを前提とした救助経路の決定。想定されるあらゆる可能性を勘定に入れたうえで、より最適な答えを導き出す。それには今まで講義で得た知識、それに基づいて鍛錬してきた技能を次々に動員しなくてはならない。
――照合、完了。
カラマのすぐ傍で、透き通ったか細い声がする。ミナスは目を閉じ、あらゆる苦しみから解き放たれた表情を浮かべていた。肩で切り揃えられた髪が、大きく揺れている。彼女の自動音声だ。
事前情報と現状のギャップは、皆無と呼んでよい状態だった。一つタスクをクリアした事を確認し、カラマは満足な気分に浸る。
「一同、前進!」
カラマは声を張り上げた。応じる声も相まって、一同の元に活気が漲っていくのを知覚した。
その後も、任務遂行は順調に進んでいった。アナライザーを維持したまま、新たに二基の掘削器具を実体化させる。ミナスが実体化させた自動走行器具とアナライザーを合体させる。自律状態にさせ、実働要員が瓦礫の掘削を進めていく。指令役は送信される情報を常に精査し、実働に指示を与えていく。時折カリキュレートの内容に従い、施設内に支柱を設置したり、生存者へ向けた音声をしたりといった作業を行う。
カラマは、視野の隅に小さく表示された進行時間を確認する。所要時間の無為な消費は抑えられている。間違いなく順調な滑り出しと判断できる。他のチームの進行状況の如何に関わらず、かなり高い評価を得られる数値である事は間違いないだろう。
カラマは実働要員の二人の動きを遠巻きに眺めていた。
――唯一と言っていい不安因子は、ネイバだ。彼の動きも現状、大きな問題を起こしていない。このまま上手くいけばよいけれど……。
だが、ネイバの技能は最低水準のレベルだった。彼の実体化により生成された掘削器具は極めてその耐久性に欠いている。彼の用いる器具がその機能を失い、その旨を伝達する際、彼は苛立たしい様子でこちらを振り返った。だが、カラマらにとってその事実すら織り込み済みだった。自身の実体化能力を用い、すぐさまネイバに渡す。実働要員が瓦礫を除去する。
作業は順調に進む。皆それぞれが自分に適した役割を果たし、課題の解決に向け、さらにはその先に待ち受けている自身の社会進出に向け……彼らはひたむきに活動していた
「ねえ、どうなの……あいつの技能は」
作業を見守る中、ミナスが小声――今度は肉声の――で囁いてきた。やや尖った声色から、すぐさまネイバを指していると判断する。
「実戦の場で使える、本当に最低水準だ。低めに見積もっていたおかげでよかったかもしれない。僕ら二人を合わせて、残っている実体化の容量はあと半分だけど……回復時間も見込めば、何とか間に合う計算だ」
カラマは遠くからネイバの動きを見つめ、いたって冷静に伝えるべき言葉を生成していく。
「あなたは何も思わないの? ……はっきり言って足手まといよ。あんなの、何で私達が作業を手伝わないといけないの」
ミナスの苛立った音声を耳にし、カラマははっと視線を向けた。感情は、強ければ強いほどカリキュレートの分析精度に悪影響を与える。実習の場において、それは致命的な不安因子だ。カラマはすぐさま、彼女を落ち着ける言葉を探った。
「……仕方がないよ。こればかりは、僕達に選ぶ権利はないのだから……。与えられた手札を使って、どう乗り切るか。それが――」
「ふざけるな。どうして努力を怠ってきた人間なんかと一緒に……」
ミナスはカラマの言葉を遮るようにして言うと、そのまま口を閉ざしてしまった。
ミナスにとって、すべては苦痛の日々だった。彼女の記憶において、残っているのはすべて〝候補生〟のミナスだった。だが、それが本当の意味ですべて「自分」だったのか、ミナスはわからないまま考えを放棄するしかなかった。
毎日のように、膨大な知識が与えられる。それらをすべて詰め込ませていく。教官の指示通り、技能を身体に染み込ませる。すべては義務。そこに逆らう選択肢は与えられない。彼女の意識はすべて、候補生として模範的になる事に向けられた。自分の身体にデータを加え、処理させ続ける。動作を刷り込ませ続ける。それらにあたって、〝不合理〟な記憶はすべて捨てていく。まるで、自分が自分でなくなっていくかのような身体感覚。自分が自分であった事を忘れるように仕向ける意識。それはすべて、ただ苦痛を生み出す産物でしかなかった。
だからこそ、彼女は必死で命令に従った。そうすれば、やがてはこの苦痛から解放される。やがてはもうこの嫌な日々から抜け出せる。彼女はそう信じて疑わなかった。彼女は努力を重ねていった。身体感覚を合わせる事に苦労し、第一タームでは大きな遅れをとっていたが、彼女は己を殺す感覚を身に着けて以降、絶え間ない努力を重ねた。血の滲むような努力の結果、第五タームを終える頃、彼女は優等生に肩を並べる事ができていた。
だが、それは通過点にしかすぎない。自分の目標は、早く候補生である事から抜け出す事。忌まわしい状態から自らを解放させる事なのだ。
そして、自分にもできた努力さえ怠るような、劣等生が許せなかった。
「第十一ポイント――最上フロアに到達、前方から生体反応検出!」
先陣に立つフランカが、チームメイトの方を振り返って声を張り上げた。四人が慎重に作業を進めていくうち、一、二階部分はすべてクリアし、最上階へと向かっていた状況だった。カラマは指示された前方に視線を向ける。
「了解。実働要員は使用器具の切り換え。意志疎通の準備!」
ミナスは顔を紅潮させながら迅速に指示を出した。
――任務実行。使用器具、一時消去。
実働要員の間に自動音声が流れる。だが、それを発したのはフランカのみだった。
「動作の報告!」
ミナスの怒声が飛ぶ。それは、声を発しなかったネイバへと向けられたものだった。
「はいはい、わかってるさ。消しました、と」
ネイバは屈んでいた体勢を起こし、直立すると、すぐさま手にしていた器具の実体化を解いた。こちらを振り返った彼は目を細めている。
カラマははっとした。彼の声から、自分に近いものを感じたからだ。感情に塗れた肉声を使いながら技能を用いる。それは候補生の中では、極めて特異な性質だったからだ。
「実働要員、直ちに辺りを捜索!」
ミナスは声を張り上げるようにして言った。彼女は明らかにネイバに感情を乱されているようだ。先程から矢継ぎ早に指令を飛ばしている。カリキュレートの分析精度に影響が出ているのではないか。解析を行わずとも、自身の内なる〝何か〟が、そこに意識を向けさせる。
「ミナス、焦りすぎる事はない。まずはフロア全体の解析状況を見てからで――」
「生体反応が検出されたんでしょ? 生存者の可能性が高いんだから、先を急ぐべきでしょ?」
ミナスの意見はやや感情的とはいえ、確かに説得力があった。アナライザーの効力は一フロア分しか持たず、まだ最上フロアの解析は済んでいない状態だ。アナライザーの解析を進んで行うべき最大の理由、それは候補生にとっての天敵にあった。
「第七ポイント中間地点〇二、一度動作を停止する」
最前線で探索に取り掛かっていたフランカが、突如立ち止まった。突然の停止に、カラマは違和感を覚える。〝何か〟が妙だった。そこに明確な証明はない。他のフロアと異なり瓦礫が一切ない空間。後方からは何者の姿も窺えない。経験則に反したその偶然の事象の連なりが、妙な感覚を与えていた。
「どうしたの? まだ停止……」
ミナスもまた事態を訝しんでいた。だが、こちらを振り返ったフランカの様子に、ミナスははっと息を飲んだ。
「ママ……パパ……」
――生存者、確認。
フランカの腕には、彼の半分にも満たない身長をした幼児が抱えられていた。それは、彼らが今回の実習で初めて遭遇した人間だった。
「了解。意志疎通を行って」
ミナスの声は明らかに上ずっていた。初めての生存者と遭遇した事に対する喜びか、それとも……。
「ねえ、ボク。痛い所はない? ……お母さんは?」
フランカは何度も訓練されたように、要救助者の年齢に合わせた言語表現を行う。要救助者の状態確認は、必要な動作だ。
「よし、それでいい、それでいい……」ミナスが独り言を呟く。
「なあ、おかしくないか、ここに……」ネイバが顔を歪め、フランカの元から離れる。
そして、それらとほぼ同時に。
――数値、変動。物理情報に異常あり。
突如、アナライザーの情報が、カラマのカリキュレートに警告を発した。
「まさか、ここで……」