第二章
実習当日、全ての候補生は大講堂に集められた。カラマのチームも、問題なく全員揃っていた。四人が集まるや否や、カリキュレートに技能習熟状態を読み取らせる。内なるシステムは、カラマが取り入れた視覚情報をもとに、すぐさま解析を行う。数秒の後、視界の隅に、四人の状況を示すグラフが現れた。うち三つは前日と比べ数値に変動もなく、作戦遂行には、概ね問題のない段階に達していた。だが、もう一つのグラフだけは違った。
「ネイバ、どういう事なの……これは」
ミナスの声は震えていた。恐らく、作戦が予定通り遂行できない場合に対する恐怖か、怒りか――カラマはすぐさまシステムに意識を向ける。
「悪いな、俺にもよくわからない」
ネイバはわざとらしく誰もいない方向へ目を逸らした。カラマの視界にいくつもの表が追加で現れる。ネイバの数値変動として想定されうる原因だ。いずれの場合も、彼に問題行動があった事が推測される。だが、それを伝えた所でこの場がどうにかなる訳ではない。カラマは顎に手を当て、必死で思考を巡らせた。
「とぼけないでよ。これはチーム戦なの。責任は全員に帰ってくるの」
ミナスの声には強い感情が入っている。この状態が持続すれば、彼女のカリキュレートの正確性にも問題が生じてしまう。
「はいはい、すみませんでした。問題児で」
ミナスがネイバを睨み付ける一方、ネイバは平然とした様子で悪びれる事もなく腕組みをしている。他の二人がかける言葉を探して右往左往しているうち、大講堂に教官の音声が鳴り響き、事前説明を開始すると述べた。途端に辺りは静寂に包まれる。
――第六タームの実習も終了が近付いている。候補生の諸君が取り組む実習も、いよいよ最終段階が近付いてくる。各自、その自覚をゆめ忘れない事。
教官の音声は、通常の講義と同じように、一定の抑揚を保っている。しかし、彼が持つ視覚情報は終始静止した情報であり、そこからは明白に作り込まれた存在である事が窺える。
最終段階。重い響きを持つ言葉。今まで自分達が過ごしてきた時間は、すべてその時間のために重ねてきたのだという言外のメッセージが、重くのしかかる。
教官の音声は、続いて注意事項を発した。その情報を正確にメモリーデータに蓄積していく。教官が話す内容は、概ね過去の実習と変わっていなかった。カラマが記憶する限り、実習は過去に二度経験している。いずれの場合も、教官が説明する注意事項は同じものだった。注意を向けずとも、内に眠るデータが記憶していれば問題はない。カラマはふと、他チームの候補生の元に目を向けた。大講堂には、候補生がチームごとに縦一列に整列している。どのチームも同じだけの人数で、計八チームある。その全ての面々を見る事はできないが、視野に映る候補生達は皆、どこかで見た事があった。だが、彼らとどこで関わり、どこで直接言葉を交わしたのか、その詳細な記憶は持ち合わせていなかった。
――それでは、最後にラゴス長官より、お言葉を頂く。皆心して聞くように。
聴覚情報に反応し、注意を前方に戻す。音声が止むと共に教官の視覚情報は一瞬にして消滅した。そしてその代わり、実体を持ったラゴス長官――この学舎の最高位にあたる人物――の視覚情報が、候補生たちの前に姿を現した。長官は、若いけれども成熟した女性の雰囲気を保っている。彼女の存在は、カラマも明確に記憶していた。各タームの修了時など、節目の度に登場しては言葉を残すという事が定期的にあった。彼女の発言は教官とは違い候補生に寄り添ったものであり、不思議と親近感を抱かせる要素を持っていた。家族の元を離れ、孤独な候補生にとって、ラゴス長官の存在はもはや母と呼んでもよいのかもしれない。
「これまで厳しい鍛錬の日々を潜り抜け、今日という日を迎えた皆さんには、大きな賛辞を送りたいと思います。この実習をクリアすれば、実戦の場に――ついに人間社会に出て活躍する事ができます」
人間社会に出る。今まで聞かされていなかった情報に、候補生の間にあちこちでざわめきが生じる。カラマもまた、突然の情報に動揺を覚えた。長官の元に視線を向ける。彼女の目元は、目深に被った官帽――候補生達が身にまとうものより、階級の高いもの――のため窺い知る事はできない。
「ご存知の通り、あなた達候補生、そしてあなた達がやがてなる救助隊の役目は、カオスレアリダの脅威から、社会を守る事です。我々は、選ばれた存在です」
長官が発言を続けるうち、自然と喧騒は収まっていた。ラゴス長官の言葉は、柔らかく、包み込むように候補生達の身体に浴びせられる。不思議と自分のうちに、落ち着いた、安寧をまとった感情が芽生えつつある事を認識した。
「現在人間社会が立たされている窮地に立ち向かい、それを救うという事は、我々にしかできないのです。それを自覚し、誇りに思ってください。……それでは、健闘を祈ります」
教官と同様、長官の視覚情報もすぐに消滅した。その瞬間、彼女の口角は上がっていたように見えた。
事前説明はすべて終わった。これが、実習開始の合図でもあった。
カラマの身体に、視覚情報では窺い知る事のできない何かが接続していくのを感じる。その強度は徐々に高くなり、やがてそれはカラマの身体をすべて支配した。視覚情報が操作され、辺りは暗闇に包まれた。
そのさなか、カラマは少しの時間だけ候補生でなくなっていたようだった。身体感覚が消え、重力による支配を逃れ、自由に宙を漂っているよう。その間、カラマには様々な記憶が駆け巡ってくる。強制される使命感。カリキュレートを拒絶し、もがき苦しむ己の身体。だが生き抜くため、虚弱な身体に鞭を打ち奮い立たせる。その事に耐えられない候補生もいた。彼らは皆、段々と人でなくなり、退場を余儀なくされた。教官に両脇を抱えられ、教場を後にする少年少女。彼らの姿はもう知らない。すべては生き抜くため、生きて、この苦しい候補生という身分から抜け出すため。その為に己を殺し、必要な事以外は全て捨ててきた。自分の生き方に、間違いはない。
だが…………。
身体感覚が接続される。その強度の為に、思考は中断させられる。次から次へと蘇っていく視覚、聴覚、触覚……。
転移は完了していた。カラマは候補生になってからというもの、様々な場面で何度も転移を経験していた。理論上は理解していながらも、直接的に自分の身体で転移を体感するというのは、何だか格別な事のように感じられる。自分の物質性が揺らがされる感覚は、カラマにとって不思議と心地がよいものだった。
近くには、チームメイトの三人の候補生がいた。他に、この場にはどの候補生もいない。
彼は皆、佇んでいた。開始地点に立たされる。どれだけ力を行使したとしても、この場所から逃れる事は叶わない。それは宿命と呼んでもよいのかもしれない。
事前に与えられた状況設定によると、今回の救出対象となるのは、カオスレアリダの襲撃によりその機能を失われ、一部倒壊した複合商業施設だ。被害施設に残された人命救助と、他施設に被害が及ばないよう封鎖を行う事がこの実習で候補生に課せられた任務だ。
事前情報をもとに、既にチーム内の役割分担は作成されていた。候補生にとって必要な情報や技能は、すべてこれまでのタームで習得している。そしてその習熟度が必要な基準に達している者のみがこの場にいるという事になっている。個々の能力に相違はあれど、全員の力を的確に組み合わせれば、実習を突破する事は問題なくできるはずなのだ。
「カリキュレートは何度でも構築し直せる。アクシデントはあったけど、目の前の状況にしっかりと対応していけば、きっとしっかりと評価してくれるさ」
全員の転移が完了するや否や、先程の状況を改善すべく、カラマはゆっくりとした声で語りかけた。それが自動音声だと悟られないよう、いつもより一層感情を込めて言葉を放っていく。転移を経た直後からか、意外にもミナスとネイバの様子は落ち着いているように見えた。
しかし、カラマがその光景に目を移した瞬間、それまでの実習とは明確に異なる〝何か〟がカラマの中に生じた。濃紫に包まれた空の下、所々にヒビが入り、一部崩れかかった建物が何とかその姿勢を保っていた。カラマが過去二度経験した実習と比べ、被害施設の規模は倍以上の大きさがあった。その内奥は、今の段階では決して視覚に捉える事ができない。周辺にいくつも落ちているレンガの欠片は、天敵の恐るべき力を物語っている。
明確な統計も、参照情報もない。それは、カラマの身体に眠る、不可思議な要素に他ならなかった。
だが、そこから目を背け、逃れるという選択肢は、自分達には与えられていない。