本当の後悔
僕が小学6年生のときだった。少年野球チームでの練習を終え、自宅に向かって自転車を漕いでいた。ドーナツ屋さんの前の信号で、赤信号に引っかかった。僕は停止し、信号が青に変わるのを待っていた。すると、そこへ中学生くらいに見える男女2組が自転車で二人乗りをしながら僕の前を通り去った。その人たちがなかなかのボリュームで話しながら通り去ったこと、見た目が派手だったこともあり、僕は特に意図もなく、彼らが通り過ぎてからもぼんやりその後ろ姿を見つめていた。20メートルくらい進んだところで、なぜか彼らの自転車は止まった。なんだろうと思っていると、自転車を漕いでいた男2人がこちらに歩いてくるのだ。僕の手前まで近づいてから、彼らはこう言った。
「お前何ずっとこっち見とんねん。」
僕は、戸惑った。いや、見てたと言えば見てたが敵意など全く無いし、ただ前を通っただけなのでぼんやりと見ていただけだ。だが彼ら曰く、ここで問題なのは、見ていたかどうか、なのである。当時小学6年生の僕は、頭をフルに回転させた。そうか、彼らは見られていたら喧嘩を売られていると思うのか。この答えにたどり着き、僕は彼らにこう言った。
「いいえ、見てないです。」
そう、僕はまず見ていないということにしてしまえば助かると思ったのだ。しかし、彼らは自転車に残っている女の2人を指さしながら、
「あいつらが言うとんねん。お前がずっとこっち見とるて。見とったんやろが。」
終わった。確かに僕は、自転車の後ろに乗っている女性とずっと目が合っていた。だからと言って、それを告げ口する必要などあるのだろうか。だいいち、僕は見た目からして小学生ではないか。野球帽を被り、寒空の下で信号待ちしている小学生が彼らに喧嘩を売るはずないのである。だが、彼らには関係なかった。じっと見てくる者は敵なのである。どんな世界観やねんと思いながらも、僕はこの窮地を脱しなければいけない。さもなくば、ぼこぼこにされる、そう思った。しかし、何て言えばいいか分からない。一度、見ていないと主張したからには、この主張を押し通すしかなかった。ただぼんやりと見てました、と事実を告げることを考えたが、じゃあさっき見てないと言ったのが嘘だということで、ぼこぼこにされると思った。
「あの、ほんまに見てないです。」
頼むから引き下がってくれ。
「嘘つけ。ちゃんとあいつらが見とんねん。なめとんけ?」
僕は、もう半泣きだった。どうしても回避する術がない。このままでもぼこぼこにされるだろうし、本当のことを言ってもぼこぼこにされるだろうと思った。殴られることを想像すると、恐怖が実体を帯びて襲ってきた。
「いえ、見てないです・・・。」
僕は無力だった。この言葉しか出てこない。大声で助けを呼ぶなどということは全く頭になかった。体が恐怖に支配されていた。さっきまで白球を追いかけていた僕が、晩御飯は何かなと考えていた僕が、まさかこんな場面に立ち会うとは思いもしなかった。一人っ子で喧嘩もしたことがなかった僕は、人生で一番心臓がバクバクしていた。だがこの音は彼らには届かない。
「だから見とったん知っとるんじゃ。なめとんなお前。チャリ置いてこっち来い。」
彼らはそう言い、僕を自転車から離そうとした。僕は、そのとき、走馬灯のように今までの幸せなときを思い出したのではなく、これから公園に連れて行かれぼこぼこにされる自分の姿をはっきりとイメージした。単純に、痛いのは嫌だという思い、そもそも僕はそんなに悪いことをしたのかという思い、いや僕はそんなに悪いことは絶対にしてないという思い、というか二人乗りしてたあなたたちの方が確実に悪いという思い、いろんな思いが頭に浮かんだ。でも、無力な僕が言えるのはただ一つだった。
「ほんまに見てないんです・・・。」
「ええからこっち来いや!」
2人の男のうちの1人が僕の胸ぐらを掴んだ。その瞬間だった。誰かが僕の胸ぐらを握っている男の顎あたりをすごい勢いで掴んだ。僕から5メートルくらい離れたところで、信号待ちしていたサングラスのいかつい男の人だった。
「この子ずっと見てない言うとるやろが。」
サングラスのおじさんは、怒鳴るでもなく、ただ目に見えるんじゃないかいうような迫力を出しながら一言、そう言った。本物だった。おじさんの覇気は、紛れもなく本物で、その雰囲気、言葉には深すぎる重みがあった。中学生のような彼らには相手が悪すぎた。おじさんが手を離すと、彼らは黙って自転車の方へ向かっていった。僕は、その凄味に固まっていた。そして信号が青になる。僕は、窮地を脱した今になって震えてきた。さっきまで、ぼこぼこにされる寸前だったことが現実味を帯びて分かってきた恐怖、おじさんの凄み、僕はもうキャパオーバーだった。慌てて僕は自転車に乗り、おじさんに何も言わず全力でその場を離れた。家に帰るまでの道中、僕は自転車を漕ぎながら少し泣いた。自然と涙が出てきた。家に帰ってから、僕はそのことを誰にも話さなかった。
今になって振り返ると、それはもう漫画のような話だった。もしあのまま僕がぼこぼこにされていたら、トラウマになった可能性があるし、心にも体にも傷を負ったかもしれない。僕が今、平和に生きているのは、少なからずサングラスのおじさんのおかげだと言えるだろう。あれから僕は、そういった危ない場面に出くわしていない。もちろん、やんちゃそうな人がいても、じっと見るということは二度としていない。二度と同じ轍は踏みたくない。そもそも、少し見られただけで喧嘩を売られていると思うのはやめて頂きたい。これは学校で教えてあげてほしい。やんちゃな人のための授業を国は作るべきだ。まあそもそも、やんちゃな人は学校にあまり行かないのかもしれないが・・・。
僕は未だに後悔している。生きていれば、後悔することはある。あのときこうしていれば、結果はもっと良くなっていたのにとか、あのときああしていれば、こうはならなかったのになど、自分の損得にまつわることで後悔することがほとんどだ。もちろん僕にもそのような後悔はある。だが、僕が人生で一番後悔していることは、サングラスのおじさんに、「ありがとう」と言えなかったことだ。あのおじさんは、見ず知らずの僕を助けてくれた。もしかしたら、あのおじさんはあの日のことを覚えていないかもしれない。だが、僕にとっては、一生忘れることのできない日だ。あのおじさんにありがとうと言っていたとしても、その後の僕の人生には何の利益もないと思う。それでも、いや、だからこそ、あのおじさんにありがとうと言えなかったことを後悔している。人間、本当に後悔するときは、そういうときなのかもしれない。あのおじさんに会う術はない。顔もほとんど覚えていないし、なによりサングラスの印象が強すぎてサングラスのおじさんとしか覚えていない。あの日から10年あまりが経った今、届くかどうかは分からないが伝えたい。おじさん、ありがとう。