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君が奏でるのは  作者: 藤宮こん
本編
7/19

家族

【でさ、日曜日のことなんだけど】


 SNSアプリ上で、いつの間にか四人のトークが作られており、そこで亮が話を切り出す。


【どっか行きたいところとかある人いる?】


 画面にポップアップされてくる文字を俺はさらりと横目で流した。それよりも今目の前にある肉じゃがのほうが興味を引いた。


「おにいひゃん、にひようびあほふほ?」


 向かい側で小夏がじゃがいもを器用に箸で小さくし、それを頬張りながら、テーブルに置かれた俺の手帳ケースに入ったスマホを眺めている。折角小さく砕いたのに、それを目一杯に口に放り込むから、上手く日本語を喋れていない。おそらく彼女が言いたいのは、「お兄ちゃん、日曜日、遊ぶの?」だ。


「……さあ」

「さあって、明らかにこの人は遊ぶ気まんまんだけど」

「こいつはいつもそんなテンションなんだよ」

「ふーん」


 さして俺の休日の予定などには興味がないようで、「ちょっと味濃かったかな?」と、自作の肉じゃがの感想を一つ呟くと、今度はきゅうりの浅漬けに手を伸ばしていた。

 すると、メッセージの横に既読の文字がポンッと現れ、


【あ、私映画を観にいきたいかも】


 そのメッセージの送信主の名に、妹の目がみるみると見開いていき、


「おにいひゃん! 由希ひゃんもいっひょなほ!?」

「口に物を入れて話すな!」


 小夏は俺にこめかみの辺りをぐりぐりと拳でねじ回された後、ごくりと飲み込んで、


「お兄ちゃん」


 箸を置き、真剣な面持ちでこちらの目をじっと見つめてくる。


「……なんだよ」

「絶対に行きなよ! 私、応援してるから!」


 テーブルから身を乗り出し、握りこぶしを固く結んで、期待の眼差しで俺を見てくる。俺に過度な期待をされても困るのだ。


 だがそれ以前に――


「……別に、何も応援する必要なんてない」

「またまたぁ、そんなこと言っちゃって~」


 今は、由希とは関わりたくなかった。


「……ごちそうさま」

「えっ、あ、ちょっと――」


 無意識に、箸を置く手に力がこもる。おちゃらけていた妹も急に静かになった。後に残ったのは、ひな壇の芸人たちの場違いな笑い声と、静かに座り込む小さな少女の姿だけだった。

 

【映画かー、いいねそれ】

【でしょー?】

【最近、何か面白いやつやっているのかな?】

【んー、どうだろう?】

【どうだろうって、萩原が行きたい映画あるんじゃないの?】

【いやいや、私はただなんとなく言っただけだよー】

【なんだ、そうだったのか(笑)】


 四人のトーク画面だというのに、亮と由希だけが二人仲良さげに話していた。完全に置いていかれた俺は、既読をつけないように画面を見るだけで事を済ます。


【ねぇ】


と、そのトーク画面とは違ったところにメッセージが表示される。置いてけぼりを食らった人間がもう一人いた。


【あんたは日曜日どうするの】


 その上部には、トーク相手の名前のところに「水無月アリス」とご丁寧にフルネームが書かれていた。

 これも未読のままスルーするつもりでいたのだが、ベッドに寝転がった反動で親指が滑り、画面をさらりと撫でる。やってしまったと思って急ぎ画面を見ると、案の定彼女とのトーク画面が開かれていた。


【さあな】


 仕方なしに三文字だけ送ってやると、


【なんだ、ちゃんと見てるのね】


 画面を閉じる間もなくアリスから返信がくる。


【で、あんたは日曜日どうするの? 行くの、行かないの?】

【どっちでもいい】

【どっちかで答えて。行くか行かないのか】

【どっちでもいい】


 突如可愛らしい白くて頭が丸いキャラクターが、顔を真っ赤にして怒り心頭なスタンプが送られてきた。

 それを数分間無視し続けていると、


【あんたが行かないなら、私も行かないから】

【なんでお前が俺に合わせる必要があるんだよ】


 今度は急にアリスからの返信が途絶える。


【あんたがいないと、意味ないもの】


 不意に届けられたその言葉に思わずドキッとして、危うくスマホを床に落としそうになる。SNSだと相手の表情が読み取れないからか、どういう感情で彼女がこんな発言をしたのかが、いまいちよくわからない。あんなに手に取るようにわかっていた彼女の思考も、画面を通じてでは何も伝わってこなかった。


【だって、あんたと、あの由希って子が主役でしょ】

【別にそうじゃないだろ。俺と由希との関係だけがメインじゃないんだから、お前ら三人でぱーっと遊んでくればいいだろ】

【何にせよ、あんたが行かないなら私も絶対行かないから】


 彼女が俺に固執する理由に薄々勘づいていながら、それでも性根の腐った俺は、


【なんでそこまで俺にこだわるんだよ】


 それっきり、彼女から返信が戻ってくることはなかった。


「お兄ちゃん、入るよ」


 アリスに返事を送ると同時に、涼しげな風が廊下から流れ込んだ。開け放たれた扉の隣にパジャマ姿の少女が一人、丸盆を抱えてたたずんでいる。


「入っていいなんて言ってない」

「…………」


 すると無言のまま彼女は潔く部屋を出ていった。珍しくねちっこくない。


 ――と思ったのだが、今度はしっかりノックを二回してから、「お兄ちゃん、入ってもいい?」と、ドア越しに尋ねてくる。


「…………」


 呆れた俺がしばらくの間無言を貫くと、小夏が遠慮がちにドアを開けて俺の側まで歩み寄る。


「何かあったの? お兄ちゃん」


 無駄に勘が鋭いのは、俺とよく似ていると思った。


「大丈夫だよ。何があっても私だけは、お兄ちゃんの味方だから。たとえ世界がお兄ちゃんを葬り去ろうとしても、私だけはお兄ちゃんを信じているから」

「俺は世界を敵に回せるような器じゃないのは知ってるだろ」

「確かに、それもそっか」


 妹のふわりとした雰囲気に飲み込まれてしまった。真冬の夜に、ぬくぬくと毛布にくるまったような、そんな心地よさを不思議と覚えた。


「紅茶持ってきたけど、飲む?」


 妹の丸盆の上には、二つのマグカップとそれぞれにティーバックが入っており、湯気がゆらゆらと盆の上を舞っていた。


「……サンキュ」


 差し出された一つを受け取り、息で少し冷ましながら啜る。ダージリンの香りが広がると、ほっと一息つきたくなった。

 紅茶に含まれるポリフェノールには、リラックス効果があるらしいと教えてくれたのは、幼き由希だった。


「いやー、やっぱり紅茶は落ち着くよね。お兄ちゃんが好きなのも納得できるよ」


 同じように紅茶を飲み始めていた妹がほっこりした笑顔で独り言のように呟く。


「……由希だよ」

「……え?」


 俺はスマホの画面に何の通知も来ていないことを確認してから、手帳ケースを閉じ、腰かけているベッドの端に投げる。


「もともと紅茶が好きだったのは由希だ。それに影響されて、俺も好きになった」

「へー、そうだったんだ。オシャンティーな由希さんらしいね。会うときいつも可愛い洋服着てたし」

「……お前、由希と遊んだことなんてあったんだっけ」

「うん、何回か」


 妹は、何故か見知ったように、本棚と勉強机の間に差し込まれている来客用の小さなテーブルを引き出してきて、それを組み立て、その上に自分のマグカップを置く。


「よいっしょ」

「……なんでそれがそこにあるの知ってるんだよ」

「たまにお兄ちゃんの部屋掃除してるからねー」

「プライバシーもへったくれもあったもんじゃないな」


 学校から帰ってくると、散らかっていた教科書やら漫画だとかが綺麗に本棚に収められていることが、たまにあった。妹の仕業だとは気づいていた。母親は昼間はほとんど家で寝ているし、深夜勤めで掃除をする気力なんて、さらさらないだろうから。


 それにもっと言ってしまえば、母はあまり俺には干渉しない。


「由希さんが突然来たときだって、ちょうど私が片づけてたんだから。もっと私に感謝してほしいくらいだよ」


 そこでふと俺は、あの時不自然に置かれていた雪だるまの写真を思い出す。


「……やっぱり、お前があの写真置いたのか」

「……うん。話題の種になればいいかなって……まずかった、かな?」


 伏し目がちに小夏が俺に尋ねる。自分の無駄な努力を妹に見透かされたような気がして、どんなに彼女を忘れようとしても、忘れることができなかった自分の弱さを見抜かれた気がして、俺は気恥ずかしくなった。


「いや、結局あれはあれで話題にはなったし」

「じゃあもっと感謝して」


 一転して開き直る妹。堂々と胸を張って精一杯俺に謝礼を求めてきた。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


 にっこりと気持ちのいい笑顔を見せる。そこに何の悪意のこもったものがないことに、俺はつられて、不自然な笑い顔が浮かび上がってきた。


「あっ、ちゃんとあの写真のフレーム代は貰うからね」

「……がめついな」

「まあ消費税は取らないから、百円でいいよ。ほら早く」


 右手をマグカップのハート形の取っ手にかけ、左手の親指と人差し指を繋げて小銭のマークを作ってみせる。


「へいへい」


 重い腰を上げ、財布を探そうと乱雑に教科書類が詰め込まれた鞄をまさぐっていると、


「……うーん」


 薄く艶のある唇に小さな人差し指を当て、何やら悪だくみをするような唸りを一つ上げ、


「……やっぱりいいや」

「いや、悪いからちゃんと返すよ。お前も小遣い少ないんだし」

「ううん、本当に大丈夫」


 それから妹は何を思ったか手を引っ込め、含んだような薄ら笑みを浮かべた後、


「その代わり、私のお願いを一つ聞かなきゃいけない、ってことにしない?」

「……借りている金に見合う分のなら聞いてやる」


 百円分のお願いなんてたかが知れてるし。皿洗い一日とか、そんなところだろう。百円あれば某ハンバーガーショップに行けるし、儲けもんだ。


「がめついなー……ま、いっか」


「じゃあそういうことで」と、妹が身を乗り出してテーブルの向かい側にいる俺に、ピンと小指を突き立ててくる。

「……なんだよ」

「指切りげんまん」

「そんな子供みたいなことしなくても、言うことくらい聞くって」

「だーめ! ちゃんと約束しないと、お兄ちゃんはすぐすっとぼけるんだから。ほら」

「……はあ」


 一つだけため息をこぼしてから、弱々しく小指を立てると、獲物を捕らえる肉食動物のごとく、妹の指が飛びついてきた。


「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらは―りせーんぼーんのーます、ゆびきった!」

「…………」


 長年疑問に思っていたけれど、これは「ハリセンボン」なのか「針千本」なのか、どっちなんだろう。


 どっちにせよ痛いなんてもんじゃないだろうけど。


「あっ、ちなみに本当に針千本だったら可愛そうだから、アジの骨三十本くらいにするね」

「地味に痛いぞそれ」


 幼少期に鯛の骨を喉に詰まらせて、目の血管が千切れたトラウマが蘇る。


「で、今日は何があったの、お兄ちゃん」


 すっかり場の雰囲気が和んでしまったせいか、体が軽くなったような気がする。口が自然に開いてしまいそうになる。

 もしかしたらこれも、ダージリンの効能のせいなのかもしれない。


「別に何もない」


 妹は黙ったまま、柔らかなその瞳で次の言葉を待った。


「……ただ現実を見てきただけだ」

「……現実って?」

「俺は何も知らないんだって……そう、知らしめられた」

「誰に?」

「……あいつに」

「……藤野さん?」

「…………」


 その言葉を聞くだけで、全身に発疹が起きそうになる。さすがにそこまではいかなくても、すでに鳥肌が腕の辺りに立っているのが見て取れた。


「……そっか。由希さんと一緒に、藤野さんもこっちに転校してきたんだ。そりゃそうだよね」

「…………なあ」

「うん?」


 子猫をあやすような声で喉を鳴らす彼女。


 この妹は本当に恐ろしいもので、俺を上手くコントロールしてくる。こいつといると、何でも話してしまう気がするのだ。気が合うのか、はたまたあっちが俺に合わせてくれているのかはわからないが、少なくとも俺は、彼女には気兼ねなく接していた。


 家族の中で唯一、妹だけには好感を持てた。


 そんな妹が、俺の言葉をゆったりとした面持ちで待っている。ついつい弱みが出てしまうのも致し方ない。


「……俺は、なんで由希を好きになったんだろう」


 俺は、彼女の笑った顔が一番好きだった。けど、彼女の見せる笑顔が何かを隠そうとして見せているものなら、俺が見てきた彼女の姿が偽りのものなら、俺はいったい、彼女の何に惹かれたのだろうか。


 俺は、彼女の嘘を、好きになってしまったのだろうか。


 ――だったら俺は、いつまで彼女に嘘をつかせ続け、どれだけ彼女を苦しめれば気が済むのだろう。


「好きになるのに、理由なんていらないよ」


 真剣な面持ちでそう言い放つ。真っ直ぐな瞳は、しっかりと俺の瞳を射抜いている。でもすぐに顔を赤らめ、


「なんて、かっこいいセリフ言ってあげたいけど、実際はちゃんと理由があるんだよね。あの子のこんなところが好きとか。こういう仕草が可愛いとか」


「でもね」と、目線を落とした妹はどこか儚げに、


「それは、自分しかわからないことだよ。私にはどうしようもない。お兄ちゃん自身しか知らないことだから」


 妹は、ぬるくなった紅茶を最後の一滴まで飲み干すと、ふっと立ち上がり、「ただ――」と、温和な笑みを浮かべて言った。


「ただね、私、これだけは保証できる。お兄ちゃんは絶対に、このままだと後悔する」


 そう断言してみせる彼女に、迷いの目はない。その純真すぎる瞳で、俺の心の内を見透かしている。そう直感した。


「……どっからそんな自信沸いてくんだよ」

「伊達に十何年お兄ちゃんの妹やってないよ」


 どこかで聞いたようなセリフに小さな笑いが腹から沸き起こってくる。ふっと、肩の荷が下りた。


「あっ、そろそろお風呂沸くから、お兄ちゃんすぐに入っちゃってね。今日はお母さん、早めに帰ってくるらしいから」

「……珍しいな。今日何かあったっけか」

「なーんもないよ。たまには子供の顔でも見たくなっちゃったんじゃないの」


 目を細めて可憐に笑う姿につられるように、俺もあの無表情な母を思って微笑を浮かべる。


「そんなことでか」

「そんなことでだ」


 俺の口調を真似するようにした小夏と目が合い、何故だか二人しておかしくなる。一呼吸あった後、「ぷっ」と二人揃って噴き出した。


「じゃ、私は皿洗いしてくるね」


 妹が階段をすたすたと降りていく音が、心地よく耳を振るわせる。


 良い妹を持ったな。


 俺はベッドに投げたスマホを改めて手に取る。相も変わらず例の二人だけで四人のトークが盛り上がっていた。


【そうだ、一つ勘違いしているようだから言っておくけど】


 それとは別の画面を開く。こっちも変わらずに既読の文字は付いていなかった。


【俺、行かないとは言っていないからな】


 その後しばらくして既読が付いたが、俺に直接の返事はない。

 代わりに四人のトーク画面で、


【私も、映画行きたい】


との彼女の言葉に、


【おっ、水無月も行くってよ、これは多数決で決定だな。冬人がどうであれ】


 すぐに亮が反応する。


【やったぁ! 私、アリスちゃんと遊んでみたかったんだよね】

【うん、私も。遊んでみたい】

【じゃあ日曜日、十時に駅集合でいいかな?】


 彼が手際よく話をまとめようとするが、


【ごめん。私午前中はピアノのレッスンがあって】

【そっか、なら午後からにしようか。うーん、何時くらいなら大丈夫そう?】

【一時くらいには駅にいけるかも】

【うん。じゃあ一時に駅集合ってことで。水無月もそれで平気?】

【私は大丈夫】


「私は」という言葉の言外に、ちらりと俺を見る視線を感じた。それを受け取ってしまった俺は仕方なくも、


【俺も、それで】


 その瞬間、少女が微笑んだように思えた。

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