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君が奏でるのは  作者: 藤宮こん
本編
6/19

夕焼けの中で(後編)

「にひひ」


 エスカレーターに乗り込んだ瞬間、いきなり気持ち悪い笑い声を出して振り返った彼女に少し引きながら、


「……何笑ってんだよ」

「いやー、なんかこうして二人でいるのって、すごく新鮮だなーって。冬人くんが、冬人くんじゃないみたい」

「なんだそれ」

「前までは私と身長も変わらなかった冬人くんが今じゃ私よりずっと大きくなっちゃって、ちょっとかっこよくもなっちゃって」


「ほら、前はこのくらいだった!」と、彼女の胸の辺りに右手を当てる。

 さすがに大袈裟すぎだ。


「けどね、そうやって気まずそうに少し後ろをついてくるところとか昔のまんまで、なんか、安心しちゃった」

「そういうお前だって、あんまり変わってないぞ? こっちのことなんてお構いなしに振り回しまくるし」

「えー、そんなつもりはないんだけどなー」


 無意識なのか……こっちはどれだけそのせいで疲れたと思ってるんだ……。


「あっ、これ可愛いっ!」


 ため息をつく暇もなく、上の階につくやいなやいきなりどこかの雑貨屋に駆け込んでいき、その中でウサギやらクマやらわからないようなぬいぐるみを手に取っている。


「……そういうところだって」


 俺の言葉なんてすっかり聞こえていないようで、他の物まで物色しはじめている。


「うわっ! なにこれ、キモ可愛い! 鞄につけようかな?」

「……そんなでっかいのつけたら邪魔でしょうがないだろ」

「えー、だって可愛いだもん」


 まるで普通の女子高生のように、無邪気に微笑みながら商品を次から次へと手に取っていく。その度に「かわいいー!」だとか「おもしろーい!」だとか子供みたいな感想を述べながらいちいち俺にそれを見せつけてくる。


「あー、かわいいかわいい」

「……絶対適当に返事してるでしょ」


 半眼でふてくされるように、俺を柔らかな瞳でにらみつけてくる。


「いや、ほんとほんと。可愛いよ」

「ほんとかなー? あんまり適当に返事しいてると何か奢らせるからね!」

「適当じゃねぇよ。本当に可愛い」

「……えへへ、ありがと」


 可愛いという言葉を彼女がどう取ったのかわからなかったが、それでも彼女は満足げな照れ笑いを浮かべていた。


 それからしばらく二人で色々な所を回って歩いた。ヴィレッジヴァンガードや百均、何故かCDショップまで連れていかれた。

 でも、そのどこでも、彼女はどこか遠くを見ているような感じがした。別に目の前の俺をおろそかにしてる、という印象はないのだ。ただ、常に彼女の意識だけは俺の中を潜り抜け、明後日の方向へ向けられていた。




「あのね、私、もう長くないの」

「……は?」


 地下のフードコートで休んでいる最中、唐突にそう切り出してきた。

 

 こういう冗談をいきなり言うから、彼女にはいつも困せられる。


 そして、それが冗談でないから余計に困る。


「あ、ごめん、そういうのじゃないの。余命が短いとかじゃなくてね」

「……驚かせるなよ全く」


 彼女の言葉に悪意を感じながら、俺はほっと一息つき、心を落ち着かせる。


「えへへ、ちょっといじわるな言い方だったね」


 それを彼女も自覚していたらしく、薄ら笑みを浮かべながら視線をずらした。


「実はね、ここに私が探してる物は無いって知ってたの、私」

「…………」

「ごめんね。怒ってる……よね?」

「……いや、そういうんじゃなくて」


 俺が黙り込んでしまったのを怒りと受け取ったのか、心配そうに顔色を伺ってきた。


「ただ、もしそうなら、なんで二人でここに来たのかわからなくて」


 嘘だ。本当は、なんとなくわかっている。


「なんでだと思う?」


 口元を緩ませながらも、目だけは一向に変わらずに、怪しげな輝きを放っている。


 彼女も気づいている。俺が誤魔化したことに、気づかないふりをしたことに。


「…………さあ」

「……そっか」


 俺はそれでもしらを切ってしまった。彼女もどこか残念そうに退いていく。

冬人くんなら、言ってくれると思ったのに。


 彼女の、そんな諦めたような心の声が聞こえた気がした。


「私、もう長くはここに居られないの。だからね、冬人くんとの思い出、作っておきたくて……ごめんね、振り回すような真似して」

「……長く居られないって、どういうことだよ」


 自分でもはっきりと、いらついているのがわかった。しかしこれは振り回す彼女へのものではないのもまた知っていた。


「……また、引っ越すことになってるの」

「……そうか」


 驚きはしなかった。どうせそんなことだろうと、わかっていたから。


「……いつ頃引っ越すんだ?」

「……一か月後くらい」

「今度も東京か?」

「……ううん、違う」

「じゃあアメリカとかか?」

「……フランスのパリ」

「…………一人で行くのか?」

「…………二人」


 ああ、やっと自分が何に憤っているのかを理解できた。彼女でも自分でもない。そして、彼女と一緒に引っ越すそのもう一人でもないのだ、きっと。


 なんでいつもこうなってしまうんだろう。


 率直にそう思っているから、きっと俺はこの世界に、二人が交わることのない運命に、心底いらついているのだ。


 俺が救ってやる。


 そう勢いよく口火を切ったのも馬鹿らしくなった。所詮口先だけの男なんだと、嫌気がさした。


「…………俺じゃ、だめか……」

「…………」


 どうにでもなれと薄く呟いた言葉に、彼女の返答はない。いや、彼女の耳には届いていなかったのかもしれない。行き場のない思いが、俺の心の空虚な部分で空回りをする。


 どうにもならない。


「…………ごめんね、私そろそろ帰らないと――」

「――探したぞ。由希」


 やっぱり。俺は何もできない。何もできないし、何もしない。彼女がさらわれていくのを、俺はただ傍観するだけだ。


「あ……幸樹くん……」


 その声に恐る恐る反応するようにゆっくりと彼女が振り向く。


「六時には校門にいるように言ったはずなのに学校にもいないからどこに行ったかと思えば、男と二人で駅に向かったのを見たと聞いた」

「……ごめんなさい」


 気まずそうに由希が俯いたせいで、長い黒髪が横顔にかかってしまった。それがいっそう儚さを際立てている。


「……そうやって縛りつけるのは、どうかと思うけど」


 何かをかきたてられた俺の口が思わず開く。


「ああ、君だったのか。冬人」

「……軽々しく名前を呼ぶな」

「あはは、嫌われちゃってるなぁ、僕は」


 数日前の廊下での出来事同様、俺を嘲笑するようにニタリと口角が上がった。


「……でもこの場合、君のほうに過失があると僕は思うけど。どうかな、冬人」

「……過失?」

「だってそうだろう? 人の婚約者と二人っきりで遊び歩くなんて。それは僕に対する侮辱と受け取っていいんだよね?」

「ち、違うの幸樹くん! 今日のことは私が無理やり冬人くんに頼んで――」

「由希は口を挟まなくていいよ。僕は今、冬人と話をしている」

「…………」


 必死にフォローしようとしてくれた由希を、鋭い目つきとたったの一言で強引に抑えつける。立ち上がりかけた彼女が俺をちらりと見てから椅子に座りなおした。


「――で、大事な大事な幼馴染みの女の子にまでフォローさせておいて、君は僕に何も言い返せないんだね」

「……婚約者だからって、何の自由もないのかよ」

「仕方なく絞り出した反論がそれって……君はもっとすごい人間だと思ったのになぁ。残念」

「…………」


 全てを見透かされたような気がして言葉が詰まった。


「別に僕は彼女を縛っているつもりはないよ。ただある程度の規則がないと、同棲はできないからね」

「…………」


 驚きはしない。そんなこと、当の昔に知っている。東京に引っ越してからずっと、由希たちは二人で暮らしているのだ。


「悔しいかい? 僕に大切な幼馴染みを奪われて、憎いかい? 恨めしいかい?」


 追い打ちをかけるようにして彼の言葉にも拍車がかかる。拍子を刻むように俺を嘲笑う。心の底から今の状況を楽しんでいるような、満面の笑みで。


 深い所から湧き上がってくる負の感情を一つ、腹の底へと押し込めてから、


「……別に、そんな感情抱かねーよ」

「お、君は大人だねぇ。少し見直したよ」


 驚いたような表情を作ってみせる。彼が考えていることが掴めない。だから俺は、こいつに測りし得ない深さを感じるのだ。


 そしてそれが、とてつもなく怖い。


「ほんと、意外だったよ。君はてっきり僕に殴りかかるのかとばっかり思っていた」

「……お前を殴ったって、何も変わりはしないだろ」

「ああ、何も変わらないさ。よくわかってるじゃないか、冬人」


 近くの椅子を一つ移動させ、俺と由希、二人の席につく。椅子に跨って、背もたれに腕と顎を乗せるようにしながら、彼は続けた。


「けど、君のそれは、いったいどういう意味だい?」

「……何が」

「君はさっきの言葉を、どういう意図を込めて言ったんだ?」


 靴を履いたまま椅子の上に堂々と胡坐をかきだす。退屈そうにしながら、俺を見上げるようにして見下す。周りの人々がざわめき出すのを視線で感じた。


「どうも何も、そのままの意味だ」

「いやいや、そうじゃないだろ?」


 何もかも全ての答えを知っているかのように彼は僕を弄ぶ。それが彼の生きがいなのだとしたら、性根腐ってやがる。 


 そんなやつに、やはり由希は渡せない。


「何も変わりはしない。そう君は言った。けど、実際はどうだろうか? 何かは変わるんじゃないのか? 例えば君が僕を殴れば、それを見た由希は男らしい君に惚れるかもしれない。そうしたら婚約者のことなんか捨てて君と一生暮らしたいと思うかもしれない」

「由希はそんな安いやつじゃない」

「ああそうさ。由希はそんな女じゃない」

「さっきから何なんだよお前はっ! …………何が言いたい」


 とうとう堪えきれなくなった俺の口が、痺れを切らして怒りの感情を吐き出す。それを悟られまいとして急ぎ語勢を弱めた。


「要するに」


 彼は再び立ち上がり、俺の背後に回り込む。そして、そっと囁いた。


「君のその言葉は、諦めなんじゃないのかい?」

「……諦め?」

「そう、諦め。自分にはどうすることもできない。そういうやるせなさを感じてほしいんじゃないのかい? 無力な自分を正当化して、彼女に見せつけたいんじゃないのかい?」


 優しく俺の右肩に手を置く。それをすぐさま俺が振り払うと、「ひどいなぁ」と言い置きながら自分の椅子に戻っていった。


「…………」


 彼の背後にあるゲームコーナーの無駄に明るい光が目を刺して痛い。見ているだけで偏頭痛が起こりそうだった。俺は思わずそこから目を逸らす。その始終を見ていた彼はニタリの気味悪い笑みを俺に向けた。


「君、空間図形は苦手だろう?」

「……は?」

「数学の問題さ。冬人はきっと、空間図形の問題は苦手なんだろうなって。そうだろう?」


 話の先の見えなさに多少の戦慄と、薄気味悪さ覚えながらも、


「……苦手だけど」

「やっぱり」


「僕の思った通りだ」と手をぽんっと鳴らす仕草を見せながら、彼は満足げに微笑む。


「急に何の――」

「空間図形で大切なこと。君は知っているかい?」


 俺の話など全く興味ないように彼は俺の言葉を遮る。


「空間は多面である、ということだよ。立方体には六つの面。三角錐には四つの面。それぞれ必ず面を複数持っている。それらは一つ一つ形が異なっていることもあれば、全部が全部そっくり同じなんて場合もある」

「……何が言いたい」

「君は、それが苦手なんだね。君は一つの面しか、正面しか見ていない。その裏にいくつの面があるのかも、それがどんな形なのかも、君は知らない。もっと言えば、知ろうしていない。見ようとしていない。視点を変えればすぐに見えてくるのに、君はあえてそれから目を背けている」


 やけに説得力のある言葉だと感じたのは何故だろうか。たぶんそれは、薄っすらと自分でもわかっていたからだろうか。

 自分が何も知らないことを、どこかで俺は、先駆的に実感していた気がする。


 ――少女が笑う。これ以上ないくらいの満面の笑みで。彼女の象徴とも言える透き通った笑顔で。


 だが、そこに何かが隠れていることを俺は知っていた。重箱の隅に綺麗に押し込まれた埃を、綻びを、俺は見つけてしまった。見つけたからこそ、それ以上は探ろうとはしなかった。


 気づいていてなお、俺は目を背け続けていた。


「君の見る彼女は、どんな形をしているんだい?」

「…………」


 俺は彼の思惑通りにかき回され、何も答えることができなかった。


「さあ由希、帰ろう」


 笑顔で由希に向かって声をかける。もうその視界に俺は映っていなかった。


「…………うん」


 小さく頷いた彼女が鞄を背負って幸樹の側に寄る。

 そのまま彼が歩き出した。俺にはもう見向きもせず、ゆったりとした足取りでエスカレーターの方向へ向かっていく。


「…………」


 由希はしばらくの間動かずにいた。だんだんと小さくなっていく幸樹の背中を眺めながら、それでもじっと、背中を向けたままその場に立ち続けた。


「…………」


 彼女が振り向きざま、微かに口が開いたのが見えた。しかしそこから何も発せられることはなく、すぐに口をつぐむ。そして早足で幸樹の後を追った。


「――ああそうだ」


 由希が彼に追いついたところで彼の動きがピタリと止まる。


「そういえば日曜日、遊びに行くらしいね。確か……亮とアリスだったっけか? それと、君と由希との四人で」


 それから体をこっちに向け、


「精一杯楽しんできなよ。君が満足できるように、ね」


 黒ずんだ瞳でそう言い残し、二人の姿は柱の陰に消えていった。


「…………」


 一人残った俺に、ざわざわとした視線が集まっているのが背中で感じ取れた。


 彼女を奪われた悲しい男、とでも思われているのだろうか。


 そう考えた瞬間、妙におかしなことに気がついた。よくよく思い出してみれば、それは大きな勘違いであった。


「だってそうだろう? 人の婚約者と二人っきりで遊び歩くなんて。それは僕に対する侮辱と受け取っていいんだよね?」

「全く、これじゃまるで僕が悪役みたいじゃないか」


 あいつの言葉がフィードバックしてくる。


 これじゃまるで、俺が悪役じゃないか。


 彼女を奪い取ろうとし、奪い返された哀れな男。

 本当に、俺は何もわかっていない。彼女の想いも、幸せも、本当のところは全然知らないんだ。

 

 彼女の幸せを奪い取ろうとしているのは、どっちなのだろうか。

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