君が奏でるのは
「――それで、由希にはなんて言って別れてきたの?」
ぶっきらぼうに、アリスが尋ねてくる。
「別に、何も」
「はあ!? ちゃんとしなさいってあれほど……」
何を思ったか、急ブレーキがかけられたように途中で彼女の言葉が止まった。
「……あんたらしいわね」
と、俺を褒めるでもなく、けなすでもなく独り言のように呟いた。
由希のいない教室は、意外にもいつも通りだった。まるで彼女が転校してきたことなどが嘘のように、皆それぞれが、それぞれの話題で盛り上がっている。
『ありがとうございました、先生』
『由希ちゃん、あっちに行っても、自分を見失わないで頑張るのよ』
教室の戸締りをし、無理を言って音楽室を解放してくれた音楽の先生にお礼を言ってから、昇降口はしまっていたので、俺たちは職員玄関へと向かった。
『またね、冬人くん』
去り際に、彼女が振り向いて別れを告げる。それが永遠の別れになるかもしれないのに、彼女はいつもと何ら変わりなく、素っ気ない言葉を並べた。
『……由希』
これだけは言ってもいいかなと思った。言っておかなければならないと思った。
『ありがとう』
『どういたしまして』
「何に対しての?」とは訊かれなかった。彼女も気を利かせてくれたのかもしれない。
『にひひ』
そして最後に彼女は、いたずらっ子のように俺に笑ってみせた。
「……まあ、言いたいことは言ったよ。ちゃんとしてきた」
「そ、なら安心した」
そもそも心配した素振りを見せてないので、彼女の言葉にまるで感情がこもってはいなかった。
「大会はどうだったのよ?」
「訊かなくても想像できるだろ。ほら、こんなに悔しそうな顔してる」
「全く努力もしてこなかったくせに、後悔なんてできるわけないでしょ」
俺の渾身の変顔をものともせず、表情一つ変えない。
「2回戦負けだよ」
「雑魚ね」
「なっ……これでも一回は勝ったんだから褒めてくれよ。お前から見たら雑魚かもしれないけど」
「そう、じゃあおめでとう」
「取って付けたように言うな」
「いちいち注文が多いわね、面倒くさい男はモテないわよ」
「ほっとけ」
俺のことを好いているお前が言う事か……。
そう心の中でツッコミを入れた瞬間、ふと思う。
いや、彼女は俺のことをもう好いてはいないのか。あんなことしたやつをそれでも好きになり続けるなんて、よほどの物好きだろう。
「お前こそ、大会は大丈夫なのかよ」
彼女が左足を気にするように触ってみる。大分固定器具は外されていた。
「この調子でいけば間に合う。あんたなんかのせいで大会出られないとか、そんな不名誉なレッテルを貼られたままで生きたくないし」
「そこまで言うか……」
「冗談よ、半分」
彼女が涼しく笑うと、不思議と心地よい風が窓から流れてきた。微かにそれは人肌に暖かく、草木の匂いを運んできている。
「あっ、由希からRIME」
そう言うやいなや、彼女が素早くスマホを操作していく。
「校内じゃ、使用禁止なんじゃなかったか」
「……今は放課後だからセーフ」
「アウトだ」
由希と関わってから、すっかり彼女も現代っ子になってしまった。スマホの操作もやたら早いし、何より少しやんちゃできるようになった。そのせいか最近は、たまに女子と楽しそうにお喋りしている姿すら見受けられる。
「……何か話す?」
彼女がスマホを差し出してくる。やたら大きな、ウサギのような犬のようなキーホルダーがぶら下がっていた。
「いや、いい」
「そう」
彼女はすぐに手を引っ込め、画面をスムーズにスライドさせていく。
「あっちは話したいってよ」
そう言って彼女が押し付けてきたスマホには、通話中の文字。
やれやれと一つため息をこぼしてから、俺は彼女のスマホを耳に当てると、
「……もしもし」
「あっ、冬人くん? 久しぶり~」
能天気な声が、ノイズと共に響いてきた。
「なんだよ急に」
「いや、隣にいるって聞いたら、なんか話したくなっちゃって」
あんな綺麗な別れ方をしたんだから、そのままカッコよく終わらせてくれよ……。
「……どうだ、上手くやってるか?」
「うーん、まずまずかな」
笑って誤魔化す彼女の裏から、「何がまずまずだ。初日に電車に乗り間違えて泣きべそかいていたくせに」と、あれほど憎んでいた声が聞こえてくる。
「ちょっと幸樹くん! ばらさないでって! 折角強がってるんだから」
音声を切り忘れてるのか、電話口で怒鳴る少女の声が聞こえる。
「とにかく! 私は元気でやってるよ。冬人くんは? 大会どうだったの?」
「2回戦負けだ」
「えー、なんか地味。初戦負けだったら思いっきし笑えたのに、なんか中途半端」
2人揃って、どうして俺の頑張りを讃えてくれないのか。
「でも取りあえず、冬人くんが元気そうで安心したよ」
あざとく「ほっ」という息づかいが聞こえてくる。
「……まあ、後のことはアリスちゃんにお願いしてあるから、ちゃんと言う事聞くんだよ」
「は?」
「こっちの話」
楽しそうに笑う少女。その奥から、「由希、そろそろ」と空気の読めない声が響く。
「あ、もう行かなきゃ。今から講師の人に挨拶に行ってくる」
「せいぜい虚勢張って失敗しないようにな」
「わかってるよ! じゃ、またね」
「ああ、また」
プッと、電子音が鳴る。俺はすっかり静かになったその端末を持ち主に返した。
「もう終わり?」
「なんか忙しいらしい」
「そう」
スマホを鞄にしまい込むアリス。
「――なあ」
「何?」
「由希から、何をお願いされたんだ?」
「……聞きたい?」
「ああ」
すると彼女は一端考え込むように目を伏せてから、
「ふふっ、秘密よ」
清々しい顔で言い切った。澄んだ瞳で無邪気に笑った。
教室が夕焼けに包まれる。この時間帯も、徐々に昼間の暑さが残るようになって生温い。
西の空へ一羽、うるさいカラスが飛んでいく。どこまで行くのだろうか。その行く末を、俺はまだ知らない。
しかし、何故だかまたこの場所に帰ってくるような気がした。俺が気づかぬ間にひょっこりと現れて、哀愁漂う寂し気な鳴き声を、俺の耳に響かせに来る気がした。
そのときが来たら、俺はまた彼女と向き合おう。誰にも吐き出せなかったものを、俺には全部残らず吐き出せるように、準備をしておこう。
もし、万が一彼女が迷ったときは、方向性に悩んだときは、俺がしっかり言ってやるんだ。その脳裏に、もう2度と忘れられないくらいに彫り刻んでやるんだ。
君が奏でるのは、そんなものなのか。
って。




