僕が某塾で働いて思ったこと。
とある大手塾で僕が見てきたもの。
フランチャイズ型の大手塾でバイトする大学生の僕が見て感じたことをありのまま語りたいと思います。
僕は誰かに何かを教えたいと思った事なんて一回もありはしなかった。子供は好きじゃなかったし、何よりも僕は教えるのが特別に下手だった。今ですら僕は「12-3」の引き算を教えるのすら、言葉が詰まる困惑してしまうほどなのだから。
だけど、教えて金をもらおうと思ったきっかけなんて単純で、友達の「楽なバイト先を教えてやるよ」という甘言がとても魅力的だったから。ただそれだけだった。そんな浅はかな僕だから、それが嘘だという事は働き始めるまで気づきはしなかった。
紹介してくれた友達に面接の前に用意しとく持ち物聞いたところ、
「ない」
とたった一言だけLINEで返信された。僕は証明写真を撮りに行かなくていいことや、履歴書を書かなくていいことをなんの考えもなしに喜んだ。
前日に連絡さえしてもらえれば面接も好きな時に来ていいという事なので、僕は連絡をするもせずに友達のバイトについて行くようにして塾に行った。
塾に着いて僕がまず驚いた事は塾が普通の家だったこと。そしてたった一部屋に子供が押し詰められ、勉強中だとは思えないほどうるさい事。そして何よりも教室がありえないほど汚く、床に埃が見えたことだった。僕はその時点で嫌になり、さっさと断って帰ろうと思った。元々体が強くない僕がそんな所に長時間いたら体に異常をきたすと思ったし、猿みたいな子供たちに勉強を教えられるとは思えなかったからだ。
だから塾長に断りをいれるために息を呑んで塾に踏み入った。僕が教室に入っても、塾長は生徒に勉強を教えているためにすぐそばで待っている僕に気付かず、結局数分後に僕が声をかけるまで気づいてくれなかった。
塾長はあまりにもくたびれた五十代のおばちゃんというのが第一印象だった。肌はシミやそばかすにまみれて、髪は白髪が交じって妙にテカテカしていた。きっとお風呂にもあんまり入っていないのだと思った。
塾長は僕を見るなり一言だけ
「採用だよ。早く採点して。」
とだけいった。僕はあっけにとられて困惑しつつも子供を押しやり部屋の隅にすわって採点をし始めた。それから僕はなんとなくの愛着心だけで働き続けている。
僕が働き始めてからは一ヶ月は教えることよりも丸つけを任されていた。。なんとか先輩に名前を覚えてもらおうと、生徒に印象を持ってもらおうとキャラ付けに苦心していた。誰も仕事を教えてくれない中で僕は見よう見まねで何とかうまくやっていたと思う
塾には可愛い子供がたくさんいる。真面目な生徒いれば不真面目な子もいる。生徒は十人十色でどれも劣る事なく輝いている。けれど、その中にも法則性が見えてくる。
まず親の送り迎えがある子は真面目な子が多い。親から頑張ると褒められる事を知り、怠けると叱られる事を教えられているのだ。だから勉強を頑張り、とにかく課題を必ずこなしてくる。
意外な事に片親の子どもに性格的な偏りがあまりない。片親だからこそ子供に目を配っているのかもしれない。その計り知れない苦労は全く尊敬する。
一番ひどいのは小学生の時からスマホを持っている子供だ。この子達の多くは親からあまり多くの関心を貰えないのだろう。だから彼らは人を怒らす事でしか構ってもらう事しか知らない。頑張ると褒められるという事を知らないのだ。僕はこういう子が一番不幸だと思う。なんとかならないのかと色々手を尽くすのだが、だんだんこっちも頭に血がのぼってくる。そうして投げ出してしまうのだ。本当に申し訳ないと思ってしまう。
一番面白いのは塾長だ。塾長は半分ボケてるとおもう。それは自分の遠い昔の自慢話を何十回もするからだ。本当に全く変わらない話しを何十回もするのだから面白い。そして最近の自慢話が一つもないのと面白い。たくさん褒めることをモットーとする塾で一番褒められたいのはもしかしたら塾長なのかもしれない。
改めて思うと、僕は塾ではクソ野郎だと思う。いつクビになってもいいと思っているから、やる気のない生徒は容赦なく小突くし、酒を呑んでフラフラになって教室に向かうこともしばしばある。アルバイターの中で一番丸つけをしないし、生徒と一緒に騒いでるような、どうしようない奴なのだ。
けれど、僕にだって良いところはある。最低賃金を下回る時給に文句は言わないし、シフトが急に変えられても何も言わない。むしろ笑顔でそれを享受する。そして僕が一番生徒と一番距離が近い。距離が近いというのは仲がいいというのもあるが、何よりも僕自身に教えようという思いがあまりない。だから塾長や塾のカリキュラム批判だってするし、仕事をしないことある。しかし考えてみればこれと至極、自然な事なのだ。
僕は物を教えるという事が嫌いで仕方ない。物を教える事が下手というのもあるが、答えだけ分かればいいという生徒も嫌いだし、何よりもやり方を教えればいいと思っている先生が嫌いなのだ。
例えば「12-3」の引き算を教えるとなれば、「10-3+2」と教えればいい。だけどそれが大事なことじゃない。引き算の本質は差を知れる事にある。これから先、数字のみの引き算をする訳では全くないのだから。というか、これから先に数字で引き算する機会は億万とあるのだから、今やらなくてもいいのだ。引くという事が重要じゃなくて引くという考えが重要なのだ。だからこそ生徒は引き算のやり方教えてもらうのではなく、引き算の考えを知らなければならない。僕たちは生徒が大いに悩む事を応援するべきだし、引き算の問題をたくさんを解かせるよりも最初に出会った引き算の問題を何時間も考えて欲しい。
そして、自分で考えて分かる事ができる人間なら教えてもらった事を理解できる事は出来ると思う。だから僕は子供を勉強で一流にするよりも、人として超一流になれるような種を植えたい。
そう思うのだけれど、やはり教えないと事は始まらない。やる気のない生徒に物を教えるというのはまったく大変で嫌な仕事だ。手はかかるし、感謝もされない。特に男の子だったときは輪をかけて嫌になってくる。
それでも致し方ないと思い、僕は僕に発破をかけ、僕を小突き、声をかける。そしてそれを生徒にもしてやり、なんとかノルマをこなす。そして次も来てくれるように生徒とともに笑い、雑談にのってやる。
そうしてようやく一人の生徒の世話が終わる。まったく塾講師は多忙である。
五万時くらい書いたかなと思ったら2000字でした。結構大変だったのになぁ