パンドラの箱
リハビリがてらの恋愛もの短編
ごゆるりと
仕事をしに君と離れ、出張に出た。
気付けばもう少しで一年が経とうとしている。
振り返れば、早いものだ。時間の流れと言う奴は。
お盆と正月とゴールデンウィークの三回。私は地元に帰り、君と会える。
その時が、もしかしたら私の人生の中で一番充実していて。
それ以外の時は、びっくりするほど空っぽで。
休みの日はいつも君の事を思い浮かべていて。
仕事の時も、休憩時間は必ずと言っていいほど考えていて。
認めたくないけど、認めざるを得ない。
私はどうしようもなく好きなのだ。
常に君と一緒にいたい。
常に君と触れていたい。
常に君と笑っていたい。
君といると私の仕事で溜まったあれやそれは、いつの間にか吹き飛んでしまうから。
そして、その空いたスペースには君の事で埋まっていくのだ。
不思議なものである。
私はいつからこうなってしまったのだろうか?
そこまで好きでも無かった仕事が、休日が来る度に早く仕事したいと思うようになった。
だって、だ。
だって仕事をしている間は時間が一気に進み、気付けば次の日、また次の日となっているのだ。
つまり、私が君と会える日が一瞬で近付くように思えるんだ。仕方ないだろう? 私は君と会いたいんだ。堪らないほどに。
だから、私は休日が来る度に思う。
君の目まぐるしく代わる表情を思い出して、君の体温を思い出して、思う。
この空っぽで何一つ生産性の無い時間が一瞬で片付いて、すぐにでも君に会いに行きたい、と。
■■■
薄暗い部屋の中、パタンと僕は日記帳を閉じる。
日記帳は少しよれよれで表紙の文字も掠れて読めない。仮にこの中で読めるとしたら、それは六と言うナンバリングされた数字だけだろう。
更に言えば、何故か彼女の書いたこの日記帳の数字は全て漢数字だ。不思議だが、変なところでこだわるのが彼女らしいと言えば、彼女らしい。
コンコン、と二回ノックが響く。いけない。隠れて彼女の日記帳を読んでいたのがバレてしまう。
僕は慌てて段ボール箱にしまうと、それと同時に彼女が部屋に入ってきた。
「引っ越しの片付け、終わった?」
「あ、いや、大方終わったけどもうちょっと掛かりそうかな」
「そう」
この薄暗い部屋には無数の段ボール箱があり、さっき日記帳をしまいこんだ段ボール箱以外にも幾つかある。
もっとも、僕が彼女に言った通り大方引っ越しの準備は終わっている。何なら今の日記帳が目について居なかったらもう終っていたところだろう。
「そう。ところで」
彼女が僕の顔をズイッと覗きこんでくる。艶やかな黒髪からふわりと香る甘い匂いにクラっとしそうになる。
「顔、赤くない?」
不意打ちだったからか。日記帳に書かれていた恥ずかしい程に僕を思ってくれていた彼女の言葉で頭の中が一杯になる。
そのせいで、また別の意味でクラっとしそうになった。
「何でもない。ほら、ここは僕に任せて、ね?」
「そ、そう? うーん、怪しいけど、まあいいわ」
ハハハと乾いた笑みで彼女を部屋の外に背中を押してだす。
そして振り返り、もう一度日記帳を開こうとして――
「そうだ。言い忘れてたけど私の日記帳見たら容赦しな、い、わ……」
「あ、あー……その、なんだ。僕も裕実が出張に行ってる時は、毎日考えていていた、ぞ?」
って、何を言っているんだ僕は。そんな事言ったら完全に読みましたと言っているようなものじゃないか。いや、もう開いて手にしている状態で、言い逃れもあったもんじゃないか。
彼女がポキポキと指を鳴らす。彼女がそうするときは決まって諸兄執行の時だ。つまり僕は弁明の余地無しにやられる訳だ。
パンドラの箱を開けたら、そこに待つのは絶望だとはよく言ったものだ。
「とりあえず、裕実。落ち着こう。僕が悪かった。だけどやっぱり好きな人の事は知りたいし、そんな好きな裕実の日記帳があったら、僕としてはどうしても好奇心が勝っちゃうんだ」
口が回る回る。今までこんなにも必死の弁明をしたことなんて無かったと思う。
対して彼女はと言うと、やっぱり僕を処すことに変わりは無いようだ。せめて変わったと言えば顔が茹でダコのように真っ赤だと言う事ぐらいだろう。
「気持ちは嬉しいけど、それなら私に直接訊きなさいよ、このバカレシ!」
彼女の大声と共に放たれた右ストレートは的確に僕の鳩尾にヒットし、日記帳を手離して気を失ったのだった。