念願のお風呂
ご無沙汰しております。
着いた、と知らされてからしばらくして、馬車からやっと降ろされた。砦自体は見上げるほど高い壁で囲われているようで、外の様子は見えない。上には見張り台のようなものが設置されていて、松明の灯りで出入口付近は明るかった。
魔物の動きを見張るだけでなく、夜の間に砦にたどり着く人々の為にも、灯りを夜の間に消すことはないそうだ。
もう夜はとっぷり更けていて、キンと冷えた空気が肌に痛い。コートを隙間なく体に巻きつけてみても、顔が寒い。そして全身が痛い。特にお尻。
舗装されていない道を走っていたから当たり前なんだけど、後半の揺れが激しかった。何故かダメージを食らっているのが私だけで、シャノンやアリシアどころかお母様も平然としているのは鍛え方だけじゃなくて元々の基礎体力によるってことなんだろうか。
白い息を吐きながら、今夜から泊まることになると説明された屋敷を見上げる。
門の前にはお仕着せを着た数人の男女が立っていて、お母様と軽く会話を交わしている。
──どうやら私たちが到着するのは予定よりも大分早いものだったらしい。普段なら魔物討伐を含めて次の日の夕方から夜に到着する、と後から聞かされた。今回は何せ魔物サーチがいたからね。
「お嬢様のお部屋はこちらです」
お母様はまだ話があるとのことで、私とシャノンとアリシアは部屋に案内される。何故かレイトスの姿はなかったけれど、代わりにシャノンたちが側にいてくれた。
シャノンたちに割り当てられたは部屋は、私の部屋の隣らしい。
「遅うございますが、入浴はいかがいたしますか?」
「え?」
「この辺りでは地中から温かい湯が湧き出るのです。そのお湯を屋敷内に引き入れて浴びることができるようしております」
他の地方ではあまり見られない、この辺りの特色だとされた説明に、一瞬頭が真っ白になった。お風呂……しかもこれは温泉だ!
「入ります!」
「かしこまりました」
道中で軽食は食べてきたし、小腹は空いているけど長年焦がれたお風呂に勝つものはない。
「シャノンたちも一緒に入りましょう」
「え? い、いえ、さすがにご一緒するのは……」
「護衛ですし、そんなに遠慮しなくても」
──どうせ水浴びであろう? 我はいい。
あの気持ち良さを知らないとは可哀想に。暑い日に浴びる水は気持ちがいいけど、それとこれとは話が別だ。
「入りたくないなら無理には勧めないけど、私は好き」
──むぅ?
見るからに上機嫌になった私の態度に、シロガネが興味を示す。お風呂はいいぞぅ。それも温泉だ!
ウキウキで案内された所は屋敷の一階の奥にある小部屋だった。
衣類と靴を預け扉を開けると、キラキラと細かく光る灰色のタイルが小部屋全体に敷き詰められている。素足で触れるとじんわり温かい。
奥には同じような石で丸く形作られた浴槽が埋め込まれていて、大人が四、五人入っても余裕がありそうだ。聞けば精獣が入っても構わないように作られているらしい。
高い天井に嵌め込まれた窓はきっと採光用なんだろう、かなり大きい。室内とはいえ、雰囲気は露天風呂に近くて、ますますテンションが上がる。
ランプがあるわけでもないのに室内が見えるのは、壁に埋め込まれた楕円の石が淡い光を放っているからだ。
「これは?」
「光石と言いまして、太陽の光を溜めることができる石です。雨の日以外でしたら、昼間に外の光を浴びさせておけば繰り返しこのように使うことができます」
まさか、ここでソーラー電池を見つけるとは。
と言っても人の手で作っているわけではなくて、時々森の中で運よく見つけることができた物をこうして利用しているらしい。
──むぅ……むうぅぅ……
私は気にせず素足で前に進んだが、足を踏み出しては引っ込めを繰り返しているのが約一匹、唸り声を上げて足元にいる。
噛みつきも引っ掻きもしないのに何をそんなに警戒しているのかわからない。
「私入るよ?」
「どうぞ、ごゆっくり」
──ままま、待ってくれ!
手早く髪と体を洗ってもらい、準備は万端だ。いざ行かんと足を踏み出すと今まで聞いたことのない制止の声を上げるのが約一匹。まだか。
シャノンたちにはやはり、断られてしまった。アリシアの姿をあまり見られたくないと小声で言われてしまえば無理には誘えない。部屋で簡単に体を拭く、と言った二人には先に部屋に帰ってもらった。積もる話もあるだろうし。
ようやく覚悟を決めた精獣様と湯船にゆっくりを爪先をつける。じんわりとしみる湯温に、ほぅと息がもれた。
たっぷりのお湯に全身を包まれるこの感覚。じわーっと押し寄せる温かさに、体がゆっくりと弛緩していく。
し、幸せ~。
「温泉があるならあるでお母様も教えてくれれば良かったのに……」
両手に湯を掬い上げて顔にパシャリ。温泉と想像していたから何か独特のにおいでもあるのかと思っていたが、白っぽく濁っているだけで特に気になるものは感じない。
リィンバークの屋敷でお風呂と言えば浅いたらいのような物にお湯を張って、その中で体と髪を洗うくらいだった。
清潔さは保てるし、洗ってくれるのはオルガたち侍女だしありがたいけれど落ち着かないし、お湯が冷めるのは早いし、芯まで温まれない。やっぱり肩までゆっくりお湯につかる感覚とは比べ物にならないのだ。
私のぼやきを拾った下働きの女性が、困ったように眉を下げる。
「ラシェル伯様はこちらの入浴はお好みではないようですので……この湯に入られることは殆どございません」
「そうなの?」
「ご気分が悪くなることが多いとのことで、普段通りの湯浴みをされています」
もしかしたらお母様はのぼせやすいのかも。彼女の話を聞いてふと思う。
あまり好きでないのなら、あの屋敷に用意していないのもわかる。泊まりの来客は殆どないし、あってもあの入浴方法が普通なら、わざわざお湯をたくさん用意する必要がある設備を設置しなくてもいい。
──いいんだろうけど、ウチにもやっぱりお風呂欲しいなぁ。ねだったら作ってくれるかな。水と燃料自家発電するからって言えばどうかな。だめかな。
──うぅぅーむぅあぁぁぁぁ。
奇妙な唸り声を立てながら白い塊がぷっかぷかと流れていく。光の精獣様もお風呂を大変気に入られた模様。
泳いでいるともつかっているとも言いにくい格好で湯船に浮かんでいる。
気持ちがいいようで何よりである。
◇ ◇
夜ぐっすり眠って迎えた朝。ゆっくり温泉につかったのが幸いだったのか、体の痛みを感じることもなく無事に朝食をお母様と摂ることができた。
「昨夜はよく眠れた?」
少し気だるげな様子のお母様に笑顔で頷く。シャノンには護衛を承諾してもらえたし、念願のお風呂をすっ飛ばして温泉にもつかれたし、今の段階で大分満足している。
用意してもらった丸パンをオニオンスープに浸して食べながら、今日の予定の話を聞く。
今日は初日ということで、ライゼン砦とハザニー砦の騎士団長たちに挨拶をしてほしい、ということだった。
てっきり全騎士たちに向かって演説でもするのかと思っていたからかなり気が楽だ。
「その他に、私がすることはありますか?」
「あとは実際に巡回をするんだけれど、全てに同行はしないわ。私が前半の日程でまわるから、ロゼスタ、というよりシロガネには後半の日程をお願いしようかと思っているの。実働部隊もここを空にしないようにローテーションを組んで動くし、何より私たちの後方支援の馬車がまだ到着していないのよねぇ……」
すっかり存在を忘れていた。
物憂げにお母様がため息をつく。と言っても私たちがほぼ一直線に砦に着いてしまったことは事実だ。後方部隊もまさか道中の魔物討伐を終えて、ほぼ一日で砦に到着してしまうとは思っても見なかったろう。
「先に砦に向かうのは人をやって連絡しているし、早めに着いてほしいのだけれど難しいかしらね」
サラダを口に運びながらお母様が小さく唸る。
確かに後方部隊との距離が開きすぎていたら、野宿の時に食事の用意も満足にできないし。シロガネから魔物情報が入ったから、今回は先に砦に入ってしまった方が早いと判断していただけで、これまでは道中の馬車との間を調整しながら討伐していたんだろう。
「と言っても着くまで何もしないのも時間が勿体ないし、ロゼスタと騎士団長たちとの顔合わせは済ませておきましょう。シロガネの紹介もしないとね。彼らも気になっているでしょうし」
「はい」
「それがすんだら魔道具をお願いしてもいい? なるべく早く、連絡をつけたい方がいるの」
「わかりました……あの、町に行ってみるのは、いいですか?」
できればシャノンとアリシア用の魔道具にできる装飾品を見に行きたい。それに魔石を取り扱っているお店があるかも知りたいし、他にもここでしか手に入らない食料があるかもしれないし、探したいものがたくさんあるのだ。
それに魔法陣のキャンセルの練習もしないといけないし。そう考えるとかなり予定はびっしりだ。
「貴女がきちんと護衛を連れていくならね」
「もちろんです!」
「許可しましょう」
あっさりとOKが出たのは、シャノンと一緒なら、という信頼からだろうか。
兄様とウィンドウショッピングはしたし、初めての友人となったシーリアとピクニックもしたけど、女子との買い物はこれが初。楽しみすぎる。
「……ああそうだわ」
優雅にカトラリーを置いたお母様に何気なくつけ加えられた。
「貴女の護衛にロルフたちもつけることにしたから、そのつもりでね」
「……それはどういう……?」
いきなり飛び出た名前に首を傾げる。そう言えばお母様に叱られてからロルフさんたちと顔を合わせていない。
──というか、ロルフさんたちがお母様の指示に背いた云々と言っていたことは良いのだろうか。いや、私的には顔見知りの人が一人でも多く側にいてくれるのはむしろ嬉しいんだけど。
「ふふ、実はロルフたちをそのまま謹慎処分にしても良かったのだけど」
「お母様……」
そんなころころ笑って言わないでほしい。まだ初めて叱られたショックを覚えているのだ。心臓に悪い。
「今この時期に謹慎にしても何かあったらすぐ解かれてしまうでしょうからね。それに使える戦力は温存しておきたい……というのは建前で」
建前ってなんだ。
怪しくなる雲行きに胃がしくしくしてきた。
「ここに限らず騎士たちの、目に見える活躍の場はこういう大々的な討伐の時が主なの。突然魔物が大群で襲来してくるなんてことはあまりないし、日々地道な巡回が大切な仕事なのよ」
「はぁ……」
「普段の砦の警護も大切だけれど、この時期に砦に残るのは一戦を退いた騎士か実戦に出すのはまだ早い者たちが主なの。だから、こういう時に支給される危険手当や個人の武勇で、同じ騎士と言っても待遇や給金に雲泥の差があるのよ。──特に実際に戦った者と、砦や要人の警護をしていた者とでは」
「え……」
それはつまり、私の護衛を任される=戦闘に出られないお留守番ということなのでは……?!
ざぁ、と血の気が引くのがわかった。
「私の言いつけを守らないとこうなる、とロゼスタへの確認の意味が一つ、ロルフたちへの命令違反の罰のため、基本外の戦闘には加わらないことを示すために一つ、ロゼスタの護りの堅固さを知らしめる意味でもう一つ。彼らの戦闘能力の高さは私も認めているのよ。まぁ、素敵。これが一石三鳥ということね」
私の顔を見つめながら、お母様は顔の横に右手を広げて数え始めた。
もう十分にお母様の言いつけを守らないといけない、ということがわかりましたから、と口にすることはできなかった。笑っているけど、口ぶりが大真面目でしかももう決定事項だと付け加えられたから。
私の護衛にはシロガネとシャノンがいる。そこに戦闘能力が高いロルフさんたちを、罰とはいえ私の護衛に加えるのはちょっと勿体ないことなんじゃないかと恐る恐る聞くと、「この時期に外で実績を出してきてと言う方が褒美になりかねないわ」とお母様談。むしろ指くわえて仲間が戦って帰ってくるのをじっと待っていろ、という方が罰になるそうで。
あ、あうぅぅ……本当に、本当にごめんなさいロルフさん。私が先走ったばかりに申し訳ないことになってしまいました。
今日これから顔を会わせるであろうロルフさんたちに心中で土下座する。
自分一人に対する罰だったら諦めもつくけど、他の人への罰だと聞かされると何度後悔してもし足りない。
反対に、レイトスは今後辺境辺りの砦へ行ってもらう前の準備運動と称して、ライゼン砦の騎士たちの部隊に組み込まれたそうだ。
「あの、レイトスの私の護衛の任は……?」
「解いてないわよ、まだ。ロルフたちと入れ替りという形にしてもらう予定なの。鍛え直してほしいと伝えてあるから、これから楽しみね」
「ええ、と」
「魔物を前にして主を離れた場所へ連れ出すのはともかく、剣を振るう方向が全くなってなかったのでしょう? 少しは使えるようにならないと、彼がきついと思って」
ふふ、と笑うお母様が怖い。
護衛の任を解いてなくて、その待遇ならもう私が口を出すことじゃないかな? ……正直なところ、元々いい感情を抱いていなかった相手だったけれど処刑されてしまうのはちょっと、と思って庇っただけであって、別に心から許したわけじゃないし。
いいように利用されていたっぽいけど、あそこまで憎んでいた私に、今さらどうにかしてもらおうとも思ってないだろう。
背後関係をしっかり洗い出す、と言われれば、私に特に反対しなければならない理由はない。
他の騎士たちに囲まれて鍛え直してもらうという名目なら、人の目もたくさんあるだろうし。
どさくさに紛れて逃げ出されでもして、全てなかったことにされたりするのが一番嫌なのだ。単に私が怖い思いをした損になってしまう。
「他に気になることはある?」
「いえ……」
ロルフさん、レイトスについてここまで考えているお母様に、私が付け加えることはない。
いや、ロルフさんには本当に申し訳ないんだけどね!
カトラリーを置いたまま食事を再開しないお母様に「これが実際討伐隊が行くことになっている付近の地図よ」と紙を手渡される。……これ、馬車の中でお母様が目を通していたものだ。
「大体の地形を覚えておくといいわ。シロガネが同行する場所も書いてありますからね。貴女は、護衛と今度こそ大人しくしていなさいね?」
念押しされて、「はい」と言う以外の言葉があるだろうか。いや、ない。
──我もそんなには廻らぬのだな。
一緒に地図を覗き込んだシロガネが呟く。その分お母様とディーが前半多く同行するのかとも思ったが、書き込みを見る限りそうでもない。道中ずっとというよりも要所要所の巡回という意味が強いかもしれない。
お母様だけが矢面に立つんじゃなくて良かった。
ほっと一安心したところで今度は別のことが気にかかってくる。……お母様、朝食はサラダだけで足りるんだろうか。
「食欲があまりないんですか?」
テーブルに広げられた食事は特に今までと大きく変わりないメニューだ。パンにスープ、サラダが数種類、切り出されたチーズとじっくり煮込まれたであろう肉料理。
その中のサラダ一皿しか、お母様の口に入っていない。
「……今はさっぱりしたものだけでいいのよ」
口元を押さえて緩く首を振ったお母様は、それ以上食事を口にすることはなく、私たちの朝食はそのまま終了したのだった。
読了ありがとうございます。
ロゼスタにはレイトスの護衛を解かないでと頼まれたクローディアですが、自発的にしろ唆されたにしろ娘に武器を向けた相手をそのままにするつもりは最初からありませんでした。
ロルフたちに護衛を任せたのもレイトスを護衛に戻さなくてもいいようにとの根回しの為です。
次回は騎士団長たちとの対面です。




