合流
その時、微かな音がした。
振り返ると、擦りきれたローブを頭からすっぽり被った人物が一人。躊躇いがちにこちらを窺うようにして数歩足を踏み出し、止まる。
……いつからそこに?
「お取り込み中、ごめんなさい。ちょっと聞きたいことがあって……」
言いながらフードを取ったのは、腰までの銀髪を揺らした若い少女だった。
十代後半くらいだろうか、ほっそりとシャープな頬に、けぶるような白銀の髪が一房かかっている。
ばつが悪そうに肩を竦めた彼女の足元を見ると、シンプルなズボンを穿いている。女性がスカート以外のものを身につけているのを初めて見た。
まつげ長い。色白い。何よりも……。
「綺麗な瞳」
すっと切れ長の瞳は左右違う色。右目がお母様とはまた違う透き通るような紫色の瞳で、左目は星空が広がるような濃紺の色だ。
澄んだ色に思わず口に出してしまった。
「は?」
「いえいえ、こちらの話です」
訝しげに首を傾げた少女を、眉を寄せた立ち上がったレイトスがこれ以上近づくなと言うように片手で合図した。
「いきなり出てきた人間に無防備に接するものではありません……お前、何者だ。こんな魔物が出てくる時期に、こんな場所に一人か?」
「連れはいないわ。私一人」
「まあまあ、こんな所で出会ったのも何かの縁ですし」
「何が縁ですか!」
まだ何か口にしようとする青年の腕に手をかけ一旦黙らせる。身ぶりで屈むように伝えると、体を一瞬強ばらせたものの意外にも素直に従った彼の耳元で囁いた。
「貴方よりは信用できますよね」
「……っ」
ふはは、何も言えまい。
まだ居心地悪そうにこちらを伺っている少女に近寄る。どこかで嗅いだ覚えのあるいい匂いがする。
「何をお聞きになりたいんでしょう?」
「……討伐隊に関係ある方だと思ったんだけど、間違っていたかしら?」
「いいえ?」
「おいっ」
白銀の少女曰く、リィンバークという街からライゼン砦へ向かっている最中だったらしい。そこへ私の打ち上げた氷と炎の救援信号(を装ったレイトスを攻撃し損ねた残骸)を見て、魔物との戦闘かと駆けつけて来てくれたんだとか。
蓋を開ければ魔物の姿も残骸もなく、いたのは尻もちをついている青年と清々しい表情をした少女だったというから余計に面食らっただろう。
「リィンバーク?」
聞き慣れない単語を繰り返す。
思わず首を傾げると、怪訝そうにレイトスに眺められた。
「私たちの住んでいる街の名前ですよ」
自分の母親に関係することだろう、という視線がビシバシ来る。すみませんね勉強不足で。
あの街の名前を初めて聞いた。というか、名前があったことに今思い当たった。
「どうしてそこからライゼン砦へ? この時期は危険ですけど、お一人ですか?」
「私は傭兵だから。魔物のいるところが私の目指す場所よ」
仕入れたばかりの知識を駆使して質問すれば、予想外の答えが返ってきた。
これも私の辞書にない。
素早い反応をしたのもレイトスだった。
「はっ、流れか……。お前たちに任せるような仕事はこちらにはない。他を当たるんだな」
軽蔑したような口ぶりで、手を振る。そんな失礼な物言いに対して、少女は何も言い返さない。
「あの、すみません。連れが失礼なことを……」
「構わないわ。慣れているから」
肩を竦めた少女は「空きがあれば私を隊に入れてもらえないかと思っただけ」と銀髪を揺らして首を振った。
流れってなんだ流れって。
それに傭兵だという人に会うのも初めてだ。色々と話が聞きたいんだけど。
「あの、もしかして……リィンバークの豊穣祭にいました?」
さっきからずっと気になっていたことを聞けば、眉根を寄せてどこか警戒したような表情で見られる。
「やっぱり! あの時街にいたんですね。ちょうど私ともすれ違っていたんですよ」
微笑みながらの言葉に、銀髪の少女は居心地悪そうに身動ぎした。
「私はロゼスタと申します。貴女は?」
「……シャノンよ」
「シャノン?」
どこかで耳にした気がして聞き返す。どこだっけ? どこで__あ。
「あの、アリシアって名前に聞き覚えは……」
恐る恐る口にした言葉は最後まで言えなかった。強い光を秘めた瞳で見つめられたかと思った次の瞬間、手を痛いくらいの力で握られていたから。
「あの子に、会わせて」
ふわりと強く香った匂いと、何か決意を込めた瞳に頬笑む。
「もちろんです」
「待って下さい! 何がもちろんですか!」
「こっちの話です。貴方は知らされていなかったかもしれませんが、ここに来るまでの道のりで保護した人の知り合いです」
「知り合いって……どうしてわかるんですか、会ったばかりの人間、まして傭兵ですよっ」
「まあまあ」
宥めてから内心首を傾げる。どうして私、レイトスなんか宥めてるんだろう。
傭兵だという少女を睨みつける青年を、複雑な気持ちで眺める。
正直一緒の馬に乗りたくない。が、徒歩で戻る選択肢はない。こんな所で置いていかれても困る。
だけどそうしたらシャノンはどうしよう。ここまで乗ってきた馬がいくら大きくても、流石に三人乗りは無理だろう。
などと考えていたことは、筒抜けだったらしい。
「気遣いは無用よ」
すました顔で木の影から一頭の馬を引いてくる。
「後を着いていくから、よろしく」
「わかりました」
「ちょっと待って下さい! いつの間に彼女を連れていく流れになっているんですか! 第一私は戻るなんて一言も……!」
「ここでさっきのやりとり繰り返したいんですか?」
第三者の彼女を意識してか、いつもの悪態をつけない彼に囁く。いいんだよ? もう一回、どうしてもあの魔法が見たいって言うんなら。
「まだ首謀者の名前も聞いていませんし……まさかこのまま有耶無耶になるなんて考えていないでしょう?」
「……っ」
「わかってはいると思いますが……お母様の前で何もかも話してもらいますから」
こんな所で一人置いていく訳がない。洗いざらい吐いてもらうから覚悟しろ。
またレイトスと同じ馬に乗るのは気が進まないけれど、シャノンという他人の目が少しは抑止力になるだろう。さっきから丁寧語でしか話していないのがその証拠だ。
それに彼の直接の暴力は私には届かないということがわかっている。まあ、だからといって馬上で安心できるかはまた別な話で──。
「怪しい動きは控えて下さいね。万が一不審な行動を取った場合、私も手加減できませんので」
じっと薄緑の瞳を見つめながら告げれば、ごくりと喉を鳴らした青年は青い顔でぎこちなく頷いた。
早くロルフさんたちと合流したい。シロガネに会いたい。モフモフして一息つきたい。
お母様たちが心配だ。あれから烽火が上がった様子はないけれど、戦況はどう変化しているのか。
……と、焦っていたのはどうやら私だけではなかったようだ。
「ロゼスタ様!」
馬蹄の音を響かせ急ききって林の奥から現れたのは、離れてから無事をずっと祈っていた人たちだった。
──良かった、一人も欠けていない。
「ロルフさん! 皆さん無事ですか?」
シロガネを先頭に駆け寄ってきた黒髪の騎士。時間にしても、鐘一つ分も鳴らない短い間だっただろうに、もう何時間も離れていた気がする。
──倒し終わったぞ。残念ながら魔石は大したものではなかった。
なんだってぇ?!
いつもの猫の姿になりながら腕に飛び込んできたシロガネの言葉に、絶望の声を出すのをなんとか堪えた。
あれだけ大きくて大したことないってどういうことだ。もっと大きい魔物相手じゃないと使い物にならないってことか。どんだけ魔物倒せばいいの……?!
ひくっと口元をひきつらせた私を、運良くロルフさんは見なかったらしい。
「どうしてこんな所に!? 戦線を離脱するにしろ一言あってしかるべきですし、勝手な行動は慎んでいただきたい!」
薄く汗を滲ませ、肩で息をしながら真っ先にレイトスに食って掛かった彼の言葉はもっともなものだった。
「救援を求める烽火で場所の特定が早くできたから良かったものの……もし万が一のことがあればどんなにか母君が心配されたか……」
「ご迷惑をおかけしました……」
今この場では他に言葉がなくて、思わず下を向いてしまった。お母様には遠慮なくレイトスのことを突き出せるけど、ここで躊躇してしまった。ここにいる全員を信用していいものなのか、その判断が私にはできないから。
「馬を走らせたのはレイトス殿です。ロゼスタ様が気に病むことではありません。他の魔物に遭遇するかもしれなかったという危機感が欠けていたとしか言いようがありません。精獣様の助太刀のおかげでさっきの魔物は討伐できましたが、その分ロゼスタ様は無防備なんですよ!?」
黙りこくるレイトスに詰め寄り捲し立てるロルフさん。彼を怒ってくれるのは非常に胸がすっとするし、もっと言ってと思わないでもないが、そろそろ上手く話をまとめる言い訳はないか。
彼は今まであった事件の元凶かもしれない人物を知る唯一の手がかり、大事な鍵だ。
ここで彼のしたことをぶちまけてもいいことはない。
「──レイトスを責めないで下さい。彼は私の護衛。必要以上に戦闘に手を出そうとしていた私を離しただけです。……咄嗟の判断で」
最もらしい理由をでっち上げてロルフさんを宥める。まだ納得していない彼に「また私が我慢できずに攻撃魔法を放とうとしてしまったので」と付け加えて、ようやく頷いてくれた。二回ほどやってしまっていた分、信憑性があったらしい。
そしてレイトス。何か悪いものを食べたんじゃないかとでも言うような目で私を見るのはやめよう。
あんたの為じゃない。あんたの話が重要なんだから、それまでは今までと変わらないポジションにいるフリをしていてもらわないと困るの。
それにしてもどうしてここにいるとわかったんだろう。
不思議そうな私の心の声を感じたのか、息を整えながらロルフさんは呆れたように肩を竦めた。
「救援を求める烽火を上げられたでしょう? それにこちらには精獣様がおられましたから」
──この場でそいつを噛み砕いてやってもいいのだぞ。
少し落ち着いたらしいロルフさんの台詞に被せて、シロガネの淡々とした声が響いた。
金色の相貌が爛々と光っている。……冷や汗が一拍置いて吹き出してきた。
「やめて」
日だまりの匂いのする毛並みに顔を埋めて、擦り付けているように見せながら、首を振った。そういう過激なのはいいです。ホントに。
怪我させられたとかならともかく、私はかすり傷一つ負っていない。怖い思いはしたけれど、自分の力で威嚇もできたし。
思いつきとは言え、後始末の為に打ち上げた魔法が救援信号だと思われて助かった。
「精獣、様……?」
呆然とした声が後ろでした。
シャノンだ。口に手を当て紫と濃紺のオッドアイを見開いている。
「ロゼスタ様、こちらは……?」
白銀の髪を揺らした少女にロルフさんが訝しげに目を止めた。
「傭兵、の方だと伺いました。あ、それと、先ほどロルフさんが保護した方の知り合いだそうです」
アリシアが獣人だと、あまり大っぴらにしない方がいいのでは、と思ってした曖昧な言い回しを、彼は即座に察してくれた。
「なるほど、運良く知り合いと合流できたのですね。……とにかくここを離れますよ。いつまでもここにいるわけにはいきません」
「はい」
と頷いたものの、どっちへ向かうんだろう。
私の疑問はそのまま顔に現れていたらしい。ロルフさんが軽く息をつく。
「クローディア様が、無事に戦闘を終えられたそうです。本隊へ戻るでしょうから、私たちも合流しなければ」
「本当ですかっ」
「あれからどれだけ怪我人が増えたかわかりませんが、こちらでも一体討伐し終えた報告をしなければ。あちらの戦況を心配されていましたが、一先ずロゼスタ様がここに留まる理由はなくなりましたね?」
皆に伏せてはいたけれど、元々お母様たちが討伐している現場にもう一体の魔物がいるからと本隊を出てきた私だ。
表面はこちらの意向を聞く体裁を取っているけれど、既に決定事項としているのはロルフさんの口振りからわかる。「もちろんです」と頷いた私は、無断で隊から離れたレイトスと同じ馬には乗せられず、ロルフさんの前に座ることになった。
読了ありがとうございました。




