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黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
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戦闘準備

 また一つ、轟音が響き渡った。

 他の誰にも見えないだろう、幾つもの魔法陣が浮かんでは消え、そのすぐ後に空気が震え、新たな煙が上がる。

 あの、魔法陣は……。


 ──炎の中級魔法だな。


 シロガネが前を見据える。

 大きな陣が一瞬空に浮かんで消えたのが見えた。

 明々と燃え盛る炎の玉が弧を描きながら空中から現れ、同じ方向に向かって一直線に撃ち込まれる。


「ロルフ、貴方は娘をお願い」

「かしこまりました」


 アリシアを連れてきてくれた騎士──ロルフさんにお母様が声をかける。


 よく見ればまだ二十代前半のように見える、若い青年だった。

 上背もあって、細身の黒い詰め襟の隊服がすごく格好いい。胸当ても、籠手も黒で統一されていて、ストイックさが際立っている。

 肩までの黒髪を揺らし、同じ色の瞳を人懐っこそうに細めた彼は握った右手を左肩に当てながら優雅に腰を屈めた。


「よろしくお願い致します、ロゼスタ様、精獣様」

「はい、こちらこそ。ところでお母様、私は……」

「私も、お側におります」


 どうすれば、と言いかけて、レイトスに語尾を重ねられた。……なんですと。


「任せていいの?」


 探るような視線でお母様が問う。それに対し、ロルフさんと同じ仕草で頭を下げたレイトス。後で聞いたけれど、こちらでの騎士の礼らしい。

 下りた沈黙が長く感じたけど、実際にはほんの数秒だった。


「いいわ。前には出さないでちょうだい──ロゼスタ、すぐに終わらせてくるから、少し待っていなさいね」

「は、い」


 任せちゃうんですね。

 はい、私は大人しくここで待っています。


 コートを翻し、お母様は急ぎ足で行ってしまった。……なんとも言えない空気の私たちを置いて。


「ええと……馬車に戻ります」


 ここで突っ立っていても何もできない。アリシアと一緒にいた方がいい。

 そう思ってシロガネを抱えたまま戻ろうとした私を、レイトスが引き止めた。


「戦況がどうなるのか、見ていなくてよろしいのですか」

「見ているだけだと、落ち着かなくて……」


 あと貴方のその言葉遣いとかね、居心地悪いんですよ。どうしてそんな無表情なんだ。いつもだったら舌打ち一つあってもおかしくないのに何もないのが返って気持ちが悪い。別にしてほしいわけではないが。


「……精獣様に出ていただくかもしれませんので」


 ぼそりと付け加えられた言葉で合点がいった。

 シロガネにいつ戦闘に加わってもらうかの判断をするにも、見ていてほしかったのか。


「そういうこと、でしたら」


 頷いて向きを変える。お母様の背中はもう見えない。

 キンと冷えた空気を吸い込んで、頭の芯がはっきりする。時々上がる雄叫びのような声と、空中に浮かび上がる魔法陣が断続的に見えた。


「戦況は……」

「まだ伝令が来ていませんのでなんとも……クローディア様がいつ増援をとの指示をされるのかにもよりますが」


 後方支援の人たちはまだ到着していないらしい。

 その時、慌ただしく他の隊はまだか。怪我人は下がらせろなどと鋭い声が上がった。


「怪我人……?」


 こんなに早く?

 空を見ると、また狼煙が上がっている。さっきは等間隔に上がっていた赤が、もっと固まって太い一つの線になって空へ伸びていた。


「狼煙を一まとめにして上げる時は、なんらかの理由で戦い続けるのが難しい者が出た時です。ですが今回は……」


 早すぎる。

 ロルフさんは分かりやすいように言ってくれたが、最後の言葉は言うつもりはなかったのだろう、口の中で呟かれたものだったけれど動きでわかってしまった。


 こんなに早く戦闘不能者が出るなんて……。

 お母様が向かっているとはいえ、不安な気持ちが大きくなる。


「今回の魔物は大きさで言えば中型なんですよね? どのくらいなんですか?」

「個体にもよりますが……中型と言っても小型よりのものから大型よりまで様々です。その身に取り込んだ獲物の姿になっていく傾向が高く、どれも同じ姿をしていません」


 つまり、対峙するまでどんな姿をしてくるのかわからないってことか。

 そして攻撃方法、大きさも想像していくしかない、と。

 もっと魔物の名前とか、姿形がはっきりわかるものだと思い込んでいた。取り込んだ獲物の形に近くなっていくなんて聞いてない。


 急に口の中がからからになってきて、ごくりと唾を飲み込んだ。

 姿形のわからない敵への恐怖がずしん、と腹に響いた。

 お母様……ディーがいるから大丈夫だよね。何度もお母様は戦ってきているから、今回だってきっと。


 自分に言い聞かせるように胸の内で大丈夫、大丈夫と繰り返してシロガネをぎゅっと抱き締める。苦しかっただろうに、彼は何も言わずに寄り添ってくれた。


「もうそろそろ他の隊の者たちが合流する頃です。お寒いでしょうし、外でお待ちいただくのはと思っておりましたが、どうやら戦況が許さないようです」

「いえ、お気になさらず。戦う覚悟はしています」


 どんな姿をしているのかわからない。そうじゃなくても戦いは怖い。……だからって目をそらしても何も変わらない。

 お母様だけを戦わせたくない。たった一人で今まで皆を守ろうと頑張ってきたその荷を、私も背負うって決めたんだから。


「ありがとうございます」


 ロルフさんが不意ににっこり笑った。


「お礼なんて」

「いえ、流石歴代当主きってのクローディア様の血を引くお方だと感服致しました。精獣様と契約されたのが、貴女様のような方で良かった。一緒に戦えて光栄です」

「……こちらこそ、ありがとうございます」


 恭しく頭を下げられてこっちこそ恐縮してしまう。

 まだ実戦で使い物になるかわかりませんが、よろしくお願いします、とぺこりと頭を下げた時。


 ──ロゼスタ!


 鋭く緊張したシロガネの声が響いた。

 思わず返事をしそうになって咳払いで誤魔化す。


 ──二体目の魔物が近づいてきているぞ!

「は?」


 一瞬何を言われているのかわからなかった。

 二体目の魔物が近づいているって……もう戦えない人が出ているあそこに?


「っ、増援は?」

「どうしました?」

「このままでは皆さんが危険です! 増援を、他の隊の方々だけでなく、」

「今他の者も向かっていますよ。既に合流しているかもしれません」


 それじゃあ足りないんじゃあ……。

 外気に触れているからとは別に、指先から熱がなくなっていく。

 一体の魔物の為に集まった隊。そこに二体目の魔物が向かっているなんて、誰も思っていない。想像もしていないだろう。お母様が加わって戦況が一気に好転すると、楽観視なんてできない。

 一体目の魔物だけでもう戦えないほどの怪我人が出ているのに、新たな敵が増えるなんて。


 後方支援の人たちはまだかと聞いたけれど、首を振られるだけだった。

 ……魔物が獲物を襲うのは、食料の意味と相手の魔力を奪う両方だと教わった。そうだとすれば、今戦闘が繰り広げられているあの場所は、魔物にとって格好の食事の場だ。


「ロゼスタ様? お顔の色が優れません。一旦馬車に戻られては……?」


 様子がおかしいと思ったのか、ロルフさんが気遣うように勧めてくれたが首を振る。今更馬車になんて戻れない。見えなくなった分、余計なことばかり考えてしまいそうで。


 せめて二体目の魔物が近づいていると伝えられたら。それだけでも周囲の警戒ができるだろうに。

 でも、それは口には出せない。何故知っているのかと聞かれても、シロガネから聞いたと言えない私だ。

 信じてもらえないだけならまだいい。

 もしそれが本当だったと、後で皆に知られたら。神殿に伏せていた意味が、なくなってしまう。

 どうしたら、どうしたらいい?


「……では、ロゼスタ様が向かわれますか?」


 一瞬何を言われているかわからなかった。

 ぽかんと口を開けて斜め上を見たら、妙に礼儀正しくなった私の護衛は同じ言葉を繰り返した。


「何を言われますか。クローディア様にはここでお待ちいただくよう、言われているはずです」

「確かに。ただ私は、何やら気にかけていらっしゃるご様子なので、契約者として向かわれてはと申し上げたまでです」

「契約者、として……」


 ぽつんと呟いた私の言葉を聞いたロルフさんが、慌てて首を振る。


「いけません! 確かに戦況がとは口にしましたが、それはクローディア様からの合図を待ってからです。今は早すぎます」

「この討伐隊の指揮官はクローディア様。その方がこの場にいらっしゃらないとなれば、次の指揮される方はロゼスタ様だ。いつどのタイミングで戦闘に加わるかも、ご自分で判断されるのが筋というもの」

「年端もいかぬ幼子になんという重責を負わせるのか。とても護衛の方の言葉とは思えません。確かにロゼスタ様は契約者だが、今回はあくまで象徴として振る舞っていただくよう聞いております」


 私が黙っている間にも二人の間でポンポンやり取りが進んでいく中で、ロルフさんが私のことを年相応に扱ってくれる貴重な常識人だと判明した。

 それにしてもおかしいな、今回私は頑張って力を見せつけるんだと覚悟を決めて来たのに、どうして象徴なんてことになっているんですかねお母様?


 そしてレイトスが容赦ない。君の様子がおかしいと、一瞬でも思った私の間違いだった。平常運転ですね。いつどのタイミングで戦闘に加わるかの判断もさせられるなんて今初めて聞いたよ。


 ……今となっては好都合だ。


「私、皆様のところへ向かいます」


 二人のコートの裾を引っ張って舌戦を強制終了させる。

 人の良さそうな青年は、私の指差した方角を見て表情を強張らせた。


「それは……」

「お母様の言葉に背くようですが、どうにも胸騒ぎがするのです。このままここで見ているだけなんて、できません」


 ごめんなさい、お願いします。


 首を振りかける彼に何度も頭を下げる。

 私一人が行ったところで役には立たない。

 でも契約者として、シロガネと一緒に行くのなら?

 戦闘には直接加わらない、後方でシロガネに指示を出すだけにする。だから。

 それに私一人を向かわせることはできないはず。あと数人、戦闘職の人たちが護衛代わりについてくる……よね? すみません、その人たちも戦力に考えてます勝手に。


 何度も押し問答を繰り返して────とうとうロルフさんが折れた。

 …………はぁっ、と重いため息が聞こえて、恐る恐る顔を上げると。


「妙なところが似ているのですね」


 諦めともなげやりとも違う表情で肩を竦めるロルフさんがいた。


「え?」

「いえ、こちらの話です。流石母娘だと痛感しました」


 苦笑を浮かべ、困った顔で髪をかきあげている。そこにさっきまでの頑なな態度はない。


「それじゃあ……」

「私もお供しますよ。お叱りは共に受けましょう」


 今回だけですからね、と念押ししてきた彼に何度も頷いて見せる。

 馬を連れてきますので少しお待ち下さい、とロルフさんが早足で他の人たちのところへ向かうのを見送る。

 案の定というか、狙い通りというか、数人の護衛も連れていきますよと先に言われて、危うく拝む仕草をしてしまうところだった。


 その代わり、近くまで行ったら私はシロガネに指示を出すだけで、決して後方から動かないことを約束させられた。


 ……ここでシロガネ頼みなのは、私も結局は他の人たちと同じみたいだ。

 おんぶに抱っこしたいわけじゃないのに、私がしているのは結局は丸投げ。

 せめてもうちょっと魔法の習熟度を上げないと彼と同じように前線には立てない。あとお母様たちも説得できない。


 どうか間に合いますように。

 祈るような言葉は聞こえなかったのか、シロガネの返事はない。金色の瞳は、激しく立て続けに魔法陣が浮かび上がる空をじっと見据えたまま。



 すぐに戻ってきたロルフさんは黒馬を連れてきた。その後ろに全身が茶色で眉間が白い毛の馬が引かれている。


「とりあえず動ける者を集めました。五名ほどですが、すぐに出発できます」

「ありがとうございます!」


 私は一人での乗馬は無理なので、誰かとの相乗りになる。もちろん二択だったら、迷うことなくロルフさんにお願いするところだったが……。


「貴女の護衛は俺です」


 仏頂面のレイトスの前に乗せられました。

 なんなの今日は。新たな嫌がらせか。当の本人も嫌そうですけどね。新しい修行でもしているの。それともそういう趣味嗜好が芽生えたとか……私を巻き込まんでくれ頼むから。


 緊張しているのか、無言でレイトスが手綱を握った拳が白くなっているのが目に入った。ちら、と合った目はすぐにそらされたけど。

 本当に塩対応だよね貴方!




読了ありがとうございました。

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