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黄昏の愛し子  作者: 蛍火花
第一章
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閑話:母の思いⅡ

長いです。

「あ……お話し中でしたか」

「構わないわ。ちょうど終わったところなの」

「ぬけぬけと……」


 ほっと息をつきにこやかに義理の息子を迎え入れたクローディアとは裏腹に、ダールズ卿は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。


「では、お言葉に甘えて失礼します」


 ぺこりと頭を下げて入室してきた少年を再度見つめる。


「ダールズ卿、貴重な意見に感謝するわ。よくよく検討するので今日のところはひとまずここまでに」

「……は」


 取り繕った言葉に一瞬眉を潜めたダールズ卿だったが、次の瞬間にはいつものにこやかな仮面を張り付けていた。


「では、邪魔が入ってしまったので今日のところはこれで。……先程の件は今一度考えていただきますよう」


 じろりとアーヴェンスを見ながらの台詞である。

 考えるも何も彼の甥を娘に近づけることはあり得ない。実際に顔を合わせたことはないが、良い噂を聞かないのも事実だ。そして目の前の男がその火消しをしてやっていることも知っている。


「……わかっています。転移陣の調査は続けて」


 口角を上げるのみの微笑みを見せただけだが、相手は満足したようだ。

 優雅に腰を折りその振り向きざま──小柄な少年が彼の影に入りクローディアの死角になったとき、低く呻く声がした。

 端から見た限りでは、何故か急にバランスを崩した少年を咄嗟に男が支えてやる図だったが、それにしては掴んだ手にやけに力が入っているし、奇妙に歪んだ口元は確かに「身の程知らずが」などと動いている。

 そのまま身を翻した男の背に顔をしかめると、クローディアは素早く少年の側に駆け寄った。


「大丈夫!?」


 気分が悪くなったのだろうか、俯いた顔を覗き込むと、こくりと頷いたアーヴェンスは何事もなかったかのように体を起こす。そのローブの合わせ目から分厚い本が出てきたときは思わず目が丸くなった。


「平気です、慣れてますから」

「体調、よくないの? それにああいう態度を取られることは多いのかしら?」

「よくありますね。それでも師匠の養子になってからはああいう陰湿なのは減りましたけど」


 それよりもねちねちと絡んで足を引っ張ろうとするのが増えました、となんでもない顔でぼやくように言われた台詞に思わずプッと吹き出してしまった。


「ごめんなさい、あの男が足元に絡んでくる様子を思い浮かべてしまって……でもさっきの彼の態度は見過ごせないわ。後で私から言っておきます」


 こちらを探るように見てくる少年を妙に可愛らしく感じて、クローディアは前半は微笑みながら、後半は真顔で言った。

 自分の見ている前でああいう態度を取るくらいだ、影では一体何をしているのか。ますますロゼスタに近づけたくない思いを強くする。

 気分はもうよくなったのだろうか、顔を見つめているとばっと少年の頬に朱が走る。──面白い。


 顔立ちはまったく夫に似ていない。

 戸惑ったように揺れるアイスブルーの瞳は、本人が隠そうとしている動揺をそのまま示しているし、時々下を向いて前髪を下ろそうとしているのも可愛らしかった。

 そう思っていられたのも、彼の次の言葉を聞くまでだった。

 ああいう相手には殴らせておけば良いんです、と冷めたように呟いた彼は肩を竦めて本をローブの中に仕舞い直した。


「殴られていたの!?」


 ぎょっとすると「ああ、見えないように小細工するのは上手いんですよね」と返ってくる。

 そこには理不尽な暴力への悔しさや憤りはない。痛くはないのかと聞けば、衝撃はあるが相手の方が痛い思いをしたはずと少々ずれた答えが返ってきた。


「それに、変に庇ってもらわなくて大丈夫です。火に油を注ぐだけですし、余計に当たりがきつくなると思いますので」

「前からああいうことされているの?」

「……」


 沈黙が答えだ。

 唇を噛み締め、クローディアは気が回らなかった自分を責めた。

 夫であるオルトヴァを快く思っていない者たち。自分やロゼスタに手を出せない親族が、どこに鬱憤を晴らしに行くか、よく考えればすぐにわかったのに。


「ごめんなさい……もっと早くに気がつくべきだったわ」


 ロゼスタの母として、申し訳なく思った。

 知らず突いて出た言葉に、きょとんとしたように前髪で隠れた瞳を瞬かせたアーヴェンスは、「いえ……」と首を振った。伸びた前髪がさらりと流れて幼さを滲ませた顔が覗く。

 気を取り直したように頭を一つ振り、「先日の件をお断りに来たんです」と少年は口調を改めた。

 内容は聞くまでもない、ロゼスタの件だ。クローディアは頭を切り替え、にこりと微笑むと話の先を促した。


「どうして僕なんですか? 他にも適任の方がいると思いますけど」


 冷めた視線、そっけない口調。

 顔を合わせた初日に、見ていて可哀想になるくらいどもって話していた少年はいない。あれは恐らく彼なりの擬態で、こちらの彼が本来の姿なのだろう。

 単刀直入に話に入るところが妙に夫に似ていて、思わず笑みが零れる。


「適任は貴方以外にいないわ。ロゼスタにはそう伝えているの。貴方しか認めないと言ってあるから、あとは二人で話してね」


 ロゼスタがあっけなく玉砕したのは知っている。そして彼女が諦めないだろうということも。

 それにしても、今の時期にアーヴェンスの世話を頼んできたのは、なんの意図があるのか。やはり彼が夫との連絡役なのか。

 ロゼスタは単純に兄ができると喜んでいたように見えたが、それは父親とクローディアの知らない魔道具を使って話をしやすくなるという安堵とも考えることができる。

 ともあれ、今の時期に義理とはいえ息子を迎えることができたのはラシェル家としても都合がよかった。

 強い血をと望む一族の気が少しでも削がれれば良い。


「僕は静かに研究ができると聞いて師匠からここに来ることを勧められました。突然でご迷惑だとは思いましたが、それをクローディア様は受け入れてくださった。そうですね?」

「ええ、手紙にも書いたように、私は貴方を歓迎しています」

「それがどうして娘さんの勉強を教えるという話に繋がるんです?」


 口をへの字に曲げ首を振った彼は、心から嫌そうに見えた。


「そんなに嫌なの?」

「誰かに教えたことはありませんし……苦手なんです、その……女の子が」


 口に手を当て顔をしかめる彼を見つめる。

 思い起こすのは、わざとらしくどもった口調、表情の見えない長さの前髪、護身のため本を隠し持っているとはいえ、不自然にだぶついたローブ。

 そこから連想できるのは──。


「女の子で……嫌な思いをしたの?」

「……」


 黙ったまま床を見つめている。そういえばと彼の出身国を思い出す。


「ランティス国は……そんなにも魔力のある人間が少ないのね」


 悟ってほしかったのか、こくりと頷くアーヴェンス。

 魔道具の輸出量が一番の国だ。大抵の国民は魔力がなく、魔石や魔法陣の刻まれた道具を使っていると聞く。

 その中でアーヴェンスはきっと浮いていたに違いない。


「もうお調べになっているかと思いますが……僕の生家は商人の家でした。元々次男坊で、跡継ぎでもありませんでした。そういった方面での才能もなくて……まあ、それはいいんですけど、魔道具の研究にできれば進みたかったんです」


 濁された語尾から、家族から──おそらく父親だろう、反対されたのだと窺える。

 実際、アーヴェンスも父親に貴族の令嬢との婚姻を望まれていたと話した。

 まさしくクローディアもその選択肢を迫られている。

 魔力のある子供を増やすには、婚姻しかない。より強い魔力のある者同士で血縁関係を結ぶしかないのだ。


 より多く、より強い子供を残していくため、多夫多妻を取り入れたフローツェア国。対して元々魔力を持つ人間が少ないランティス国は一夫一妻が主流だ。

 そう考えると、オルトヴァがクローディアと結婚できたのは奇跡だったのかもしれない。

 当時はそこまで隣国に魔力の少ない人間が多いとは考えていなかった。ただ、あちらで夫に何かしらの妨害はあったかもしれない。彼が口にしなかっただけで。

 ……だからクローディアが次の子を産む前に、誰かがオルトヴァをランティス国へ呼び戻そうと考えているのかもしれない。


 アーヴェンスの父親も魔力の片鱗を見せた息子を得て、その力を利用することを考えたのだろう。

 ただ、彼の息子はその意に添わなかった。

 花に蝶が吸い寄せられるように近づいてきた令嬢たちを、反対に退けようとして。

 続けているということはその擬態が有効だったのだろう。

 彼の擬態に惑わされた少女たちを思って苦笑する。

 恋に恋し、夢見る令嬢たちの目を醒まさせるには有効かもしれないが、そのバックに控えている親の目は果たして誤魔化せたのか。


「それでも離れてくれない方には、ひっきりなしに一方的に魔道具の研究について語りました……女性はああいう話は好きではないって本当だったんですね」


 熱意をわかってもらえなかったからか、眉を下げて言う。

 魔力はあるが、外見に気を遣わない、血を残すことへも関心のない研究バカ。

 彼が見せたかったのはそういう人物像だ。

 終わりの見えない、興味があまりあるとはお世辞にも言えない魔道具の研究話を延々と聞かされた彼女たちは親にどう言ったのか──きっと脈なしと次のターゲットを見つけたのだろう──日に日に縁談の話もなくなっていったという。


「そんなときに師匠にお会いして。僕、魔道具に描く陣の限界筆量で論じ負けたの初めてでした。それからあっという間に師匠との養子縁組をしていただいて、本当に感謝しています。沢山学ばせてもらっています。……その師匠の娘さんに僕が教えられることなんて、ないです。無理です。可愛い娘に変なこと教えるなってまた鬼のように実験押し付けられます!」


 後半妙な単語が聞こえたが、きっと気のせいだ。彼はロゼスタに物心がついてから会ってなどいない。

 義理の息子とそんな軽口を叩く暇があれば、一度でも顔を見に帰ってきてくれればいいのに。

 心のうちでそううそぶきながら、クローディアは説得し続ける。


「その夫が、貴方をこちらで預かってやってほしいと言ってきたのよ? ロゼスタに魔法を教えてほしいという、あの人なりの意思表示よ」

「いえ、師匠に限ってそれはありません! 大体クローディア様のところへ来るのだって、どうしてお前をやらなきゃ行けないんだって散々ぐちぐち言って」

「──ねえ、いい加減師匠、はやめてお義父様って呼んだらどうかしら」

「っ、呼べません!」

「そういえば貴方女の子が苦手だと言ったけれど、うちのロゼスタくらいからその対象になるの? それとも年頃の娘さんから? ちょっと気になるわ」

「……ものすごい勢いで話題が変わりますね」

「気のせいよ」


 で、どっちなの? とニコニコ返事を待つと、もごもごと口の中で女の子は女の子です、とよくわけのわからない答えが返ってきた。多分、幼い女の子でも苦手なことには変わりないのだろう。


「貴方が女の子が苦手で、わざと遠ざけるようにするのは構わないわ。ただ、ラシェル家の娘だからという理由であの子を弾かないであげて。それから……言いにくいのだけど、ここでも魔道具に対する軽視はあるの。研究、実験はいくらしても構わないけど、少し頭に置いておいて」

「……余計に僕ではない方がいいのでは? 僕に教えられることになるロゼスタ様がお気の毒です。皆さんからの風当たりが」

「魔道具への軽視を陛下が憂いていないとでも思っているの? だから私の夫が王都へ呼ばれたと貴方も知っているでしょう? 魔力があっても僅か、そんな者もこの国には多いのよ。誰にでも扱える魔道具に価値がないわけがないでしょう。どこにいても偏見、軽視はあるけれど、だからといって私はそれを是としたくない。いつだってその考えを改める機会はあるし、同じようにきっかけだってあるのよ。そのきっかけを、あの子にあげて。今のロゼスタは真っ白なのよ」


 いや、あの必死さは真っ白とは言えないかもしれないが、問題はそこではなく──。


「国同士の軋轢も、魔力を持つ貴族の優越感もない今のあの子にこそ、魔道具のことを知ってほしい。それを教えるのは、貴方でなくてはだめなの」


 ずっとロゼスタに魔法を教えるのを躊躇ってきた。それはダールズ卿のような、一族からの余計な横槍を入れさせたくない思いが強かったが、もう潮時だ。

 これまでの夫の数年間の態度を思うと、今までずっと王都で彼の側にいたという少年を問いただしたい気持ちで一杯だったが、それはできない。

 少し意外だった。もし夫からなんらかの形で自分へのメッセージを伝えようとするのだったら、娘の家庭教師は格好の仕事だと思っていたのだが、ロゼスタの教師役に彼を選んだのはそれだけではない。


「クローディア様が僕に拘るのは──今のところ僕がラシェル家から遠い人間だからですか」


 ──やはり、賢い。

 挑むように切り込んでくる口調は、やはりかの人を思い出させた。似てもいないはずなのに、目の前のアイスブルーの瞳と記憶の中の新緑が重なる。


「それもあるけど……一番の理由はね」


 一瞬言葉を区切り、笑みを浮かべた。義理の息子を通して、王都にいる彼に微笑むように。


「──あの人の選んだ養子だから」

「……そうですか」

「そうなのよ」 


 言葉遊びのような応酬に、信頼を込めた視線を送る。

 あの人嫌いのオルトヴァが、唯一側に置いた弟子。その彼を、妻である自分が信頼しないわけにはいかない。


「ご期待に添えるとはとても思えませんが」

「それはきっと私の見込み違いだったせいで、貴方のせいじゃないわね……ロゼスタのこと、よろしくね」


 ぱちぱちと瞬いたアイスブルーの瞳がうろうろとさ迷い、頬が再び赤く染まる。その様子を微笑ましく眺めながら、クローディアは拳を握りしめた。

 ずっと待っていた。これからもきっと待ち続ける。彼が帰ってくるのを。

 待つのを止めてしまったら、連絡を取るのを止めてしまったら、きっと彼はもう振り返ってはくれない。そんな確信めいた予感がある。


 言葉にできない思いをありったけ込めて胸底で叫ぶ。

 帰ってきてくれるのよね? いつまで待っていればいいの? なぜ教えてくれないの。ひっきりなしに来るあのふざけた女の人たちは一体何?

 追いかけて、追いかけて捕まえて、無理矢理結婚を迫ったような自分だから、これ以上追いすがれない。


 ……怖い。

 もう別れてくれと言われたら。

 次の夫を迎えた方がいいと言われたら。

 それとなく書いた手紙に返事すら来ないことがあったから、もう書けるのは当たり障りのない内容ばかりだ。

 ここに来て急に動き出した事態をどう判断すればいいのかわからない。

 クローディアにできるのは手紙でも、娘や義理の息子からでもいい、彼からなんらかの意思表示がないか、注意深く観察し想像することだけだった。





 

色々考えていたクローディアでした。

次話からロゼスタ視点に戻ります。

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