貸しと借り
終わったよー。やっと終わったあの心臓に悪い儀式。
シロガネの立ち居振る舞い、という大きな問題が皆に知られてしまったこと以外は特に失敗はなかったと思う。
マーサが意外と悔しがっていたけれど、そこは依怙贔屓するシロガネじゃないし、むしろよくこの人に祝福をあげたと誉めてあげたい。
だって甘味!
しかもクレープ!
緊張に続く緊張を乗り切ったからか、余計に美味しく感じる。
コンテストもなんとか終わったし、薫り撒きも事故なくシロガネもディーも格好よかったし。
「焼きたて美味しいー」
──おかわり!
頬に手を当て呟いた声は、見事にシロガネの催促と被ってしまった。
「は、はい、ただいま!」
そして目の前でせっせと焼いては運んできてくれるのは、コンテストで見事シロガネの祝福をもらったギエフさん。
「うっ……精獣様に会えると言われた時は本当かと思いましたが……まさか僕が祝福を授かるなんて」
「はははっ、僕が嘘を言うわけがないじゃないか」
さっきから呆然と同じ内容を呟くギエフさんを軽快に笑い飛ばすアルフォンス様。
「本当に美味しいわね」と頬を押さえて喜ぶお母様の隣では、兄様が目を丸くしてクレープを頬張っている。
豊穣祭の後、にこにことしたアルフォンス様が連れてきたのが彼だった。
実はギエフさん、アルフォンス様がわざわざ王都から連れてきた、料理人だったというのだ。
それも、コンテストに無名の料理人としてエントリーさせていたらしい。
「オルトヴァが手紙で教えてくれてたんだ。今度コンテストをやるぞーってね。自分の目でどんなものか見てみたかったんだ。家の子の様子も知れるしさ」
私が発案者だとわかって、ギエフさんのことを話さなかったと頬笑むアルフォンス様。
「一番美味しかった料理、と謳っているからには、後ろ楯なしで勝つ方が楽しいだろう? そういう贔屓をしないだろうとは思ったけれど、念の為、ね。デザートはだめだと言っていなかったから、そこに賭けてみたんだ」
「あの時は何を言っているんだと思いましたよ。この時期貴重な砂糖や果物を試作品という形でしたが、平民相手に試食させるなんて」
砂糖、やっぱり貴重だよねぇ……。
ギエフさんの心中を思うと申し訳ないような気持ちになるが、もしギエフさんがいなければ私はクレープを食べられなかったのかもしれないと思うと何も言えない。
新たな精獣との契約者の情報を得よう、と領地に来た人々は例年とは比べ物にならないくらいいたらしい。いくらお父様から領地に入る前にコンテストのことを知らされていたとはいえ、準備期間もそんなになかったんじゃないだろうか。そんな中、主人には聞いたこともない料理コンテストに出ろと言われる……。
「……………………ええと、とっても美味しいです」
大変でしたね、と言うのもおかしな気がして、微笑んでお礼を言うと、感激されてまだ頼んでいないのに新たなクレープが運ばれてきた。
焼かれた生地は、薄いとは言っても生前口にしたような薄さではない。少し厚め、でもその分モチモチしていて、あっさりした甘さのクリームと絡むと食感も美味しい。小さめにカットされた果物の甘さが爽やかで、口に運ぶ度に別の味になるのもいい。
ふと思い付いてまだ湯気を上げている生地の半分にクリームを寄せ、半月に折ってみた。厚みはあるけれど、その重さで浮き上がってはこない。
ナイフとフォークを置いて、パタンパタンと左右の端を折って思いきって手で持ってみた。
懐かしい、クレープの食べ方だ。
シロガネもフォークを使っていないし、クッキーだって手で摘まむんだから、同じようなものだ。
あむっと上からかぶりついて、遠い思い出に浸る。厚みがあるから形が崩れたり生地が破れて中身が見えるなんてことはない。食感は記憶と少し違うけれど、味は少し似ている。
なんて考えながらふ、と顔を上げて。
こちらをじっと見る皆と目が合った。
「その食べ方……」
呆気にとられたように呟くギエフさんに、頬張りながら固まる。
行儀悪いですよね! すみません!
ごくっと飲み込んだ音が、やけに大きく聞こえた。
「こ、このようにして持てば、切り分けずに食べられるかなって……」
「中に挟んでいるのですか?」
「はい」
しげしげと眺められて居心地が悪い。
ここは五歳児がやったこととして流してくれないかな……!
やけっぱちに、自分の思いつきを得意気に話す子供のように手にしたクレープを口元より高く持ち上げてみた。
「これに紙を巻けば手も汚れませんし、もう少し薄く生地を焼けるのでしたらもっと別のものを挟めると思いませんか?」
さも嬉しそうにつり上げた口の端がピクピクする。むしろ誰か笑い飛ばすか何かしてくれませんかね……!
「別のもの?」
手元の皿を見下ろしてお母様が首を傾げる。
クレープが甘いものだけを包むなんて、決まってないからね。こうなったら止められるまでとことん話してやる!
「唐揚げ、合うと思いませんか?」
もちろんカレー味でも。ああ、チーズも捨てがたい。
甘いものを食べた後にはしょっぱいもの。無限ループが続く素敵で危険な罠だ。
「合うかしら……?」
想像できないのか、クレープを口に運んだお母様は首を捻っている。
「唐揚げ、とは……豊穣祭でラシェル家が出していた肉の揚げ物だね。あれ、どうやって作ったのかな? ざくざくした食感が今までにないものだったね」
「わ、そう言っていただけると嬉しいです。他の味も考えているんですよ」
アルフォンス様の言葉に思わず笑みがこぼれる。マーサが頑張ってくれたおかげだ。
他の味、と聞いてアルフォンス様が興味を持ったように前屈みになった。
「例えば、何かな? 僕が食べたことのある味だったりする? これでも色んな料理を口にしているから、未知の味があるだったら知りたいね」
「アルフォンス様でも恐らく口にしたことのない味だと思いますよ。でも嗅いだことはあるかと」
王都であまり馴染みがないと言われていたシーリアの薫り。その言葉通りなら、恐らくカレーは食べ物として広まっていない。
そこにカレー味の唐揚げを出したらどうなるか? もし爆発的な人気になるんなら──ほぼ八割方そうなると思っているけど──シーリアの薫りもきっとそうなる。
「ふぅん……」
意味ありげに相づちを打ったアルフォンス様は、私の手にしたクレープをもう一度見た。
「これに挟むって言ったね。それに紙で巻く、か」
「あ、紙でなくても専用のナプキンでもいいと思います。何かしながらでも、歩きながらでも食べられますよね」
「なるほど……面白い。他には?」
「他?」
「何かアイデアはある?」
止められるどころかもっと話せとはこれ如何に。
「ロゼスタ、それ以上情報をただで流すんじゃない」
にこにこと身を乗り出したアルフォンス様を、眉をひそめたお父様が小突いた。
「酷いなぁ、僕は参考までに聞いているだけだよ」
「本っ当に変わってないな、会話の端から相手の情報を聞き出すその手口」
「ふふ、嗜みだよ」
「家の娘相手にやるんじゃない」
むすっとしたお父様の顔を見て、一旦口を閉じる。
別に案全てを話しているわけじゃなのだが、お父様は話すことに反対らしい。
「じゃあこうしよう。ロゼスタが何か有益なことを話してくれたら、僕もお返しをする。何かを頼むのでもいいよ、内容によるけど」
「え? ええ?」
──そなたの話す内容に興味があるのだろう。ちょうど良いではないか。新しいデザートの催促に!
ちょっとシロガネは黙っていよう。
つまり何? 私が何かアルフォンス様にとって使えそうなアイディアを話せば、それに値するお願いを聞いてもらえる、と……。
流れがいきなりすぎてついていけない。それに有益な情報をって言われても、思い付きで話していたから今急になんて思い付かないよ!
シロガネに新しいデザートを頼むのだけは違うとわかるけど。
「生地を薄く、だっけ? それはどうして?」
アルフォンス様の中ではどんどん話が進んでいるらしく、さっきの思いつきを具体的に詰めてくる。
生地を薄く焼く理由? あんまり分厚いと挟みにくい……は理由にならないかな。そもそもクレープはどうして薄いんだっけ。
「ええっと、中にクリーム以外のものを挟むとなると、生地が薄い方が挟みやすい、からです」
多分。
頭の中で分厚い生地で唐揚げを包んでみた。
見事に真ん中で生地が裂けた。
美しくない。
「なるほど? この生地より薄いといいのかな?」
「挟むものによって厚さを調整してみるといいかもしれません。後はしょっぱいものを包んだり挟んだりする時は、生地自体の甘味をおさえてみてはどうでしょう」
「こらこら、ロゼスタ。相手にするんじゃない。それに唐揚げのレシピまで渡すんじゃないだろうな?」
「そこまでは流石に。でもクレープに関してはギエフさんが作ったものですから」
「残念、唐揚げの作り方も教えてくれて良かったのに」
おどけたようにアルフォンス様が肩を竦める。
「すみません。唐揚げに関しては家の料理人に任せているものですから」
「ああでも、大分参考になったよ。発想が面白い──ギエフ、できるな?」
言葉の最後で呼び掛けられたギエフさんは、妙に目をキラキラさせながら大きく頷いた。
「もちろんです! ナプキンで包むっていうのも面白い。挟み方を工夫して、具材を工夫すれば甘いものが苦手な方でも召し上がれますね!」
わくわくした様子のギエフさんに、思わず笑ってしまう。
ただで情報を渡すなって、これ情報と言えるものなの?
「ところでアルフォンス様、お返しには何を下さいますか?」
有益な情報かはわからないけど、楽しそうなアルフォンス様に便乗してわざとらしく身を乗り出してみる。
赤毛の貴公子は琥珀の瞳を光らせて「どうしようかな」とうそぶいた。
「ひどいです、信じてお話しましたのに」
「ふふ、そうだね。冗談だよ。ロゼスタは何がいい? 王都で人気のお菓子を贈ろうか。それか最近流行り出した帽子なんてどうかな」
──お菓子! 流行りというからにはさぞ美味いのであろうな。ロゼスタ、それにするのだ!
本っ当に黙っていよう。気が散るから!
頭の中でキャンキャン吠える獅子を締め出す。
どうやらアルフォンス様は、子供だという理由で約束をなかったことにするつもりはないらしい。
本当に私に情報のお礼をしようとしている。
問題は、アルフォンス様の提案にちっとも心が動かないってことで──。
あ、ちっともは言い過ぎた。お菓子には少しだけ心惹かれる。
でもここでお菓子をいただくのは勿体ないような気もする。
何をおねだりすべきか、口に手をやって唸った私に楽しげにアルフォンス様が笑う。
「そう言えば豊穣祭の時神殿で面白いことを喚いていた男がいたね。ほら、ロゼスタもその後話したろう? あの男の背後関係を調べるでもいいよ」
「……調べてどうするんですか?」
問いかけにアルフォンス様はふふ、と笑うだけだった。……怖いわ。
「……いえ特に実害はありませんでしたし、私から関わろうとは思いません」
「なんだ、残念」
精獣の意思云々じゃなくて、彼は自分の望む結果が出なかったことに腹を立てていた。これをきっかけに、精獣たちに形ばかりの敬意を払う人が減ってくれればいいし、少しでも改めてくれればいいんだけど。
あんたのしたことは知っているよと釘はさしたし、私ができることはもうない。
「──訂正しよう。今思い出したけど、ロゼスタには借りが一つあったんだ。だから、僕にできる範囲でなら君のお願いを二つ叶えてあげるよ」
しばらく考えていたアルフォンス様が、いたずらっぽくウインクをした。
借り?
何かあったっけ?
首を捻ると内緒話だ、と手招きをされた。机を挟んでいるけど十分声は届くのに、と思いながらアルフォンス様の側へ行くと、涼やかなミントが薫る。
──そのまま耳元で囁かれた。
「チョコレートやケーキにコーヒー豆の刻んだものを入れる……だっけ? うちは菓子を専門に扱っているところがあるんだけど、すごく参考になったよ。──苦いコーヒーの飲めないロゼスタがどこでそんなものを食べたのか、とても気になるけどね」
げっ!
咄嗟に言い訳できなくて思わず肩が揺れた。しまったと思ったけれど、もう反応は隠せない。
「だから、お礼」
にこりと微笑まれたけれど、ばっちり私の反応は見られてしまった。
世間話の延長で、私はほいほいとアルフォンス様の言う有益な情報を流していたらしいです……。
「それに僕は君にもっと大きな借りがある……何も希望がないなら、本当に僕のお勧めのお菓子を贈るけど?」
微笑を浮かべてアルフォンス様が提案してくる。私の反応については今のところ触れずにいてくれるらしい。助かります。
……大きな借り……シーリアのことだろうか。──いやいや、あれは借り貸しの問題じゃないし。
それにコーヒー豆入りのお菓子については、弁解するのもやめた。今更不自然だし。
こちらも微笑みを返しながら、お礼について考える。
侯爵家の支援、お礼なんて早々してもらえることじゃない。どうせなら今後の私に必要なもの、予定に関わるものがいい。
近いうちに魔物討伐がある。多分私も行くことになる、と思う。新しい魔道具はもちろん作り始めるけど、魔道具に関しては 教えてくれる人はお父様と兄様で十分。
あとはどうやってどこに流通させて、数を確保するか……。
あ。
そう言えば、私とお父様ではどうしようもない問題があったっけ。
それが見えてくると、ぼんやりと目指したい方向、アルフォンス様に頼みたいことが浮かんでくる。
まだ成功するかはわからない。でも試してみる価値、交渉する価値はありそうだ。
「……急なことですぐには思いつかないんです。少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろん。次の所へ転移陣を繋げるよう調整をしに行かないといけないが、今までのように連絡するにも時間はさほどかからないからね。何か決まったら手紙を送ってくれるかい」
「はい」
「ロゼスタ様、今度お会いする機会がありましたら、試作品も召し上がって下さい。またご意見をお聞かせ下さいね」
熱心に身を乗り出すギエフさんにもちろん、と頷く。是非新たな甘味を……!
それ以外にも何かあったら手紙を送ってほしい、と言い残し、アルフォンス様とギエフさんは次の領地へ向かっていった。
……そう言えば、シーリアからの手紙まだ来ないなあ。
読了ありがとうございます。




